私の位置からは女性の様子しか見えない。
彼女は神社の境内の方からこちらを見つめて、鳥居の向こう側に立つ男の幽霊を怯えながらも不思議そうに見つめていた。
幽霊は神社に入れないって、普通の人は知らないわよね。
ということはたまたまここに逃げ込んだって事なのかしら?
私は、着物の帯にしまっている護符を取り出す。
弱いあやかし相手ならともかく、あんな未練の大きい幽霊を祓うのに、私の力だけじゃあ無理だ。だから私は護符の力を借りることにした。
「こっちよ!」
声を上げて私は幽霊の気をひく。
すると彼はこちらをゆっくりと向いた。
その距離は五メートルほどだろうか。
「紅の火よ、この符に宿れ。邪を討ち払え!」
力ある言葉と共に、私は護符を放つ。
すると護符は炎に変わり、幽霊へと襲いかかった。
その炎は幽霊の目の前で弾け、顔を焼く。
『う、あぁ……』
呻くように言い、焼けた顔を押さえた。
でも幽霊は、ただれた顔でゆっくりと鳥居の向こうにいる女性の方を向く。
すると女性はその場に座り込み、悲鳴を上げた。
「ひっ……な、な、な、なんなの? ねえ、なんなのよぉ! だって、死んだじゃないの! なんで、なんでここにいるのよぉ!」
やっぱり心中なのかな。それで男の方だけ死んじゃったって事だろうか。
「えーと、死んでますよ、この人」
新しい護符を出しながら、私は幽霊から目をそらさずにそう言った。
「死んでるって……じゃあ、幽霊……?」
「そうですね」
「でも幽霊なのになんでこんなはっきり見えるのよ!」
それはごもっともな疑問だけど、それだけ未練があるから、とはちょっと言えなかった。
「さあ……あの、この方は誰なんですか? 貴方との関係は?」
「そ、それは……」
と、女性は言い淀む。
「心中しようとしたんですか?」
そう私が言うと、沈黙だけが返ってくる。
それって図星って事よね。でも、そうはならなかった。
「わ、私はそんなことしたくなかったのよ! でもこの人が『この世で一緒になれないなら死のう』なんて言い出して……だから私は毒を飲まなかった」
あぁ、そういう事なのね。そして彼だけが死に、彼女は今も生きている。
だから彼は、この女性を迎えに来たのかな?
幽霊はゆっくりと鳥居の方に手を伸ばす。
『こ……はる……どうし、て……』
「ひっ……」
その手の先が鳥居の中に触れ、バチン、と火花が散る。
未練は強いけど、こんな小さな神社の鳥居にも入れないってことは力は大してないのかもしれない。
でもだからってこのまま放っておくわけにもいかないわよね。
たぶん彼は、彼女を連れて行きたいのだろうから。
放っておいたらきっと、悪霊化して手当たり次第誰かを連れて行きかねないもの。
「死者は生者と一緒になんてなれないのよ」
そう呟き、私は容赦なく言葉と共に護符を放つ。
「紅の火よ、この符に宿れ。邪を討ち払え!」
再び私は炎を放つ。幽霊の身体は神社の方を向いているから、その炎は身体に直撃する。
『あ、あぁ……あ……』
炎に焼かれてもなお、男は鳥居に手を伸ばしそして、ゆっくりとその中へと足をすすめていった。
鳥居の向こうは神社の結界がある。だから、幽霊の身体が鳥居に入っていくとバチバチッと火花が散り、その身体を焼いていく。
これなら私が手を下さなくても、神社の力で焼かれるかもしれない。だけどもしそうならなかったら……?
その可能性を考えて、私は新しい護符を取り出し、呪文を口にする。
「赫き炎よ 業火となれよ 穢れを焼きて 道を拓け!」
言葉と共に、幽霊の足もとへと護符を放つ。
するとぼうっと一面に聖なる炎がひろがり、一気に幽霊の身体を包み込んだ。
『あ……う、あぁ……!』
炎に焼かれ、神社の結界に身を焦がしながらも幽霊は少しずつ鳥居に入ろうとしていく。
「い、いやぁ! ご、ごめんなさい。ごめんなさい! だって……だって私は……私はまだ、生きていたいんだもの!」
頭を抱えて、女性がそんな声を上げると、男は動きを止める。
そしてゆっくりとこちらを向き、恨めしそうな目をした。
どんな背景があったのかはわからないけど、一緒になれないからって死を選ぶのは安易すぎたんじゃないかしら。
生きていれば何か方法があったでしょうに。
――そう、生きていれば一緒にいられる方法なんていくらでもあるのよ。
私の脳裏にあの人の姿が思い浮かんで、少し、胸に痛みが走った。
私は胸に手を当て、燃え上がる幽霊の姿を憐みの気持ちでじっと見つめていた。
炎は幽霊を焼き、跡形もなく消え去った時。
背後で手を叩く音がした。
「面白い術を使うんだなぁ。静花よ」
「かがり」
私はゆっくりと彼の方を振り返る。
今までどこにいたんだろうか。彼は涼しげな顔をして私の方へと歩み寄ってくる。
「私、力がそんなにあるわけじゃないし。だから護符を使うの」
「護符、というのか。面白いな。俺を封じた男もそんなものを使っていたような気がする」
言いながら彼は顎に手を当てる。
「尊さんから教わったものだから」
「あぁ、それなら納得だ。あの男は陰陽師の家の者だものな」
そして彼はすっと目を細めた。
私はかがりから視線をそらし、鳥居の向こうにいる女性の方に目を向けた。
彼女はまだ、地面にへたり込んでいる。とりあえず声をかけようかしら……
そう思って、私は鳥居をくぐろうとした。その時だった。
「い、いやぁ! こ、来ないいで……こないでよぉ!」
泣きながら首を振り、女性が叫ぶ。
その言葉に私は足を止めた。
女性の目が私の方を見る。
さっきの幽霊を見ていた目と同じ、怯えの色を浮かべて。
そう、なるわよね。
彼女にとって幽霊を滅した私の方が、今は怖いのかもしれない。
ちくり、と胸が痛むけれどしかたない、という想いもあるから私は立ち止まり、彼女に声をかけた。
「もう大丈夫ですよ。幽霊はもう現れないです。だから……貴方が連れて行かれることもないですよ」
「……ひ、あ……」
連れて行かれる、という言葉が怖かったのだろうか。彼女はぶるぶると震えているようだった。
とりあえず幽霊は消えたし。
そう思い私は彼女に背を向けてかがりの元へと戻った。
「助けられたのにあの態度とはな」
目を細めて女性を睨むかがりに、私は首を横に振る。
「いいのよ、別に。さあ行きましょう。お昼、食べに」
私が微笑んでそう言うと、かがりは一瞬驚いた顔をした後、やはり笑って、
「そうだな」
と、返事をした。