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今日の分の書庫の整理を終え、部屋に戻って来た私は家でのことを思い出した。
書庫の整理なんて大してなんの役にも立っていないことはよくわかっていた。
責任のある仕事ではないし、文字が読めさえして盗む癖の無い人間ならできる。
魔法関連の書籍の修復もあまり才能の無い魔法使いでも充分誰でも誰でもできるものだ。
キリアン様は魔導伯家のことを調べたようだった。
どこまで調べたのかは分からないけれど、家庭教師をつけられたというのは少なくともそこまでは調べていた。
私が碌な教養が無いことも虐げられていたことも多分もう調べて知っていた。
もう一つの秘密は母親だった人が厳重に隠していたのだろう、多分知られてはいない。
私は実家であるブラン家で、魔導伯家の役立たずと呼ばれていた。
多分きっとそこまでは調べていたのだろう。
マナーがなっていないことについても調べたのだろう。
魔法というものがある。
なんでもできる奇跡ではないけれど、たった一人で千人の軍勢を相手にしたり、不治の病を直したりできる場合もある能力を持ったものがこの世界に生まれることがある。
土壌を豊かにしたり、水をせき止めたり、そして強力な守りの結界をはれるも者もいる
その割合は全人口の一割にも満たないと、この前家庭教師の先生に教わった。
そんなに少ないのかと私は少し驚いた。
魔法の力というのは持って生まれなければならなかったものだとずっと言われてきたことだったから。
そして、魔法の能力は一定数は遺伝する。
そのため、と言えるかは分からないけれど、魔法使いは圧倒的に貴族が多い。
役に立つ力を皆が独占しようとした結果なのだろう。
その中でも私の実家は多くの魔法使いが生まれる家系だった。
というよりも魔法使いを集め、魔法使い同士で子をなすことを長い歴史の中でずっと繰り返している家だった。
魔法の力があることが、家を繁栄させる。
実際にブラン家はこの国にも世界にも影響を及ぼす様な家門になっていたので魔法の力は素晴らしく、それが家を支えていたのだろう。
その力が国を繁栄させ、守ったこともあるのだろう。
それは分かる。
けれど、私にはそういう才能はほぼ無かった。
指先に小さな灯をともす位のことをすべての魔法の力を使って成し遂げられる程度のものしかなかった。
魔法の力が無ければそれ以外の才能を伸ばせばいい。
もしかしたら他の家ならばそうだったのかもしれない。
まず、私の生まれた家はそういう考えは全く無かった。
そういうことをいう人もいなかったし、魔法以外の価値観は存在していないように見えた。
ある意味国王でさえ自分たちを畏怖すべきだという態度があった。
魔法が使えない者を極端に見下して、魔法第一主義を掲げていた私の家では、魔法が使えない者は単なる役立たずで、ゴミ屑の様な扱いだった。
それが当たり前だったため、使用人たちもそれに倣っていた。
魔法が使えるからこそ家の一員であり、敬われるのだ。
まだ幼いころは魔法の力が発現していないだけかもしれないと必死になる両親の姿を覚えているけれど、五歳を超えて元々そちらの才能が無いのだとわかった後の両親の落胆からの突き放すような目は忘れられない。
それはもう家族を見るような目ではなかった。
そして、多分人間を見る目ですら無かったのだろうと思う。
この伯爵家での扱いと比較するようになってようやく実感がわいた。
キリアン様の元に嫁いで来てからも蔑みの目を向ける人はいたけれどあそこまでではなかった。
単なる期待外れに向ける目ではないものを実家では向けられていたのだと、ようやく気が付いた。
出入りの業者もいたし、通いの使用人もいたけれどお構いなしだった。
ある時の事だった。
私の弟が珍しく私に話しかけた。
「能無しにいい物をみせてあげましょう」
弟は魔法で大きな水の塊を出した。
水の塊はふわふわと私たちの間に浮かんでいた。
弟は水の魔法が得意らしい。
攻撃にも防御にも、そして農業や治水に使える重宝のする能力だ。
その能力を私に見せつけたいのだろうと思った。
ふわふわ、ふよふよ。
水は浮かんでいる。
『あぶないよ!!』
精霊が私に向かって言った。その次の瞬間、水は私の頭の上で弾けた。
ばしゃんと音を立てて私は水をかぶった。
頭の先からつま先まで水浸しだった。
「無能にお似合いの姿ですね」
弟は声を立てて笑った。
それからメイドが飛んできた。
「若様、お水がはねてらっしゃいます」
しずしずとタオルを弟は渡される。
それからメイドは私をみて「なんて汚らしい。若様のお目汚しとなりますよ」と私に言った。
こういう生活があの魔導伯家では常識だったのだろう。
ずっとずっと長いあいだあの家ではそれが当たり前のこととして、繰り返してきたのかもしれない。
魔法の才能があった弟は両親と暖かい食事をとって貴族としての教育を受け、欲しい物を買ってもらい、そして魔法を自慢するように使っていたことを知っている。
魔法の才能の有無だけで人生がまるで違った。
「無能にはこんなことできないでしょうね」
と何度も馬鹿にされた記憶がある。
弟に名前を呼ばれた記憶は無い。
姉と呼ばれたこともない。
弟は私のことを家族だと思っていたかさえ怪しい。
結婚が決まって家を出るときも、確かにいつ出発したか、文書を残すために家令の一人が見張るように私を見ていた以外、誰も見送りは無かった。
惜しむ様な別れではなかった。
いらないものをただ捨てたという感覚しかあの家の人たちには無いだろう。
私が今どうしているか、あの家で気にしているものはいないだろう。
ただ、無駄なことを言っていなければいい。言ったとしても魔法の力をちらつかせてうやむやにするのだろう。
貴族令嬢として過ごした記憶はあまりない。
専属の使用人どころか私の世話をする人は誰もいなくなったし、部屋も無くなった。
服も、食べ物も、何もかもが使用人かそれ以下の生活をしていた。
それはきっと、少し内情を調べたキリアン様でさえ同情してしまうものだったのだろう。
それに、多分調査をしようと思い立ったのもそれが原因の一つだったのかもしれない。
私はやせぎすで、貴族としてあまりにも肌艶が無い。
マナーもほとんど最低限の見様見真似しかできない。
魔法が使えないかもしれない以前に、明らかにおかしな娘に見えたのだろう。
それは調査をしなければ結婚なんてできる筈も無いと思われるほどに。
それは仕方がない事だと思った。
だってキリアン様は伯爵として伯爵家を守らねばならないのだから。
その中に私はいない。
「誰かに、大切にしてもらってみたいな」
思わず独り言を言ってしまう。
精霊たちが集まって来て『ニコルの事、大好きだよ!』と言ってくれた。
少しだけ慰められた気がした。
私には精霊を見ることができる目があった。
これも希少な能力らしい。
そしてその精霊と力を合わせる精霊術も使うことができた。
けれど、そんなものでは、私の実家では、その力を蔑みながらもいいように利用されるばかりだった。
そしてその精霊術も今はもう使ってはいけないと言われている。
私にはもう何も無い。
明るい未来も、何も無い。
ずっと我慢してきた涙が時々出てしまいそうになる。