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できることは、書庫の整理だけ。
他は貴族の教養も何も無く、人を従わせることもできない。
魔法書は直せた。
伯爵家の門下の家門の家来衆の一人が、きちんと修復できていることを確認した。
疑われているのは事実だったなと思った。
他の本も任されて、それ以外の本の整理もするようになった。
けれど、これは夫人の本来の仕事ではない。
使用人たちやこの館に出入りする配下の貴族達から、家来衆にも疎まれている夫人。
そう言われていることは知っている。
言い返せる言葉が何も無かった。
実際その通りだから。
このまま少し惨めだけれど穏やかに余生を終えるのもいいのかもしれない。
だけど、という気持ちが無いわけではない。
そもそも、私は死にたくない。
けれどそれを考えても仕方がない。
医師は原因は分からないと言っていた。
わざわざあの人が嘘をいう理由もない。結婚を早める理由もない。
私は私のできることをやって、きっと意味のない勉強も順調に進んでいる。
この国の歴史も魔法の役割も、精霊術についても、精霊を奉ってる教会についても教えてもらえた。
貴族らしい美しい文字についても練習しているし、予算の中から花押と呼ばれる手紙に押す自分のマークも作ってもらえることになった。
この花押についても勉強をした。一族ごとに同じような模様になるらしい。
私は私の実家とも、この伯爵家とも違うデザインになりそうだ。
私はずっと一人なのだと突きつけられているみたいに思えた。
アネモネを主としたデザインはとても綺麗だ。
社交をしてこなかった私に手紙を送って来る人がいないのでほとんど使い道は無いけれど押されたその模様を見ているだけで気がまぎれる。
そんな役立たずな日々を送っていた時だった。
にわかに屋敷がざわついていた。
普段は隊長クラスしか屋敷に出入りしない伯爵家の私兵の騎士たちが屋敷内に入り、キリアン様と何やら打ち合わせをしている。
騒然としていて、今が非常時なのだと分かる。
窓から外を見ると早馬らしきものが定期的に駆け込んで来るのも見える。
この領地で何かがあったのだ。
戦争でも始まるのかしら。
そう思っていたけれどどうやらそうではないらしい。
メイドの一人が教えてくれた。
どうせ私は外との繋がりが無いので、だれにも告げ口ができないと思ったのだろう。
彼女も不安だったのだろう。その気持ちを吐露するように私に状況を伝えてくれた。
伯爵家の所有する鉱山で事故が起きたらしい。
領地についての勉強はもう終わっていました。
この領地にはあまり目立った産業は無い。
ただとても土地が広いという事で伯爵家になっているという話だった。
この広い土地はとても痩せていて作物が育ちにくい。
それでも細々と農作と牧畜をしながら、税を払うための産業は鉱山に頼っている。
鉱脈を探すのにも、鉱山に巣を作りやすい魔獣を追い払うのにも魔法があればとても助かる。
だからそれができる人間との結びつきが必要だったと家庭教師は淡々と話した。
ズキリと胸が痛んだ。
本来必要な能力を持っていない所為で伯爵家に迷惑をかけていることは明白だった。
川や橋が綺麗に整備されていたのも鉱山収入がこの領地にとって必須のものだったからだろう。
そして今その鉱山の一つで崩落事故が起きてしまったらしい。
中の状況はよくわからない。
誰かが中に入って様子を見てくると叫んでいるものもいるが、二次災害に巻き込まれかねない。
けれどまだ、中で助けを待っている人がいるかもしれない。
それすらも分からない状況らしい。
キリアン様が私の元に来た。
実際に現場に行って状況を見てきたのだろう。
馬上にいたため髪の毛はぼさぼさで疲れ切った顔をしている。
「ほんの小さな魔法も使えないのか?
それから、嫁入り道具に何か魔道具の様なものは持たされていないか?
実家で仲の良かった魔法使いはいたか?」
苦渋の滲む表情で聞かれた。
「魔法の力が全く無いという訳ではないのですが、恐らくお役に立つようなものは……。
嫁入り道具は――」
そう言いかけたところで嫁入り道具ということばで思い出されるものがあった。
私の嫁入り道具は最低限よりも少ない。
私の私物という意味ではお仕着せの洋服と、それから人形作りの道具、それに作りかけの人形の材料たち。
作りかけの人形は私が亡くなった時に棺に入れて欲しいと思っていたものだ。
すでに遺書めいた手紙にはそのことを書いた。
DOLLは美しい服を着て貴族のお茶会で綺麗に踊る。
花束を持ってにっこりとほほ笑む。
だから貴族からは大変人気がある。
けれどできることはそれだけではない。
力も強いし、空気を必要としないので水中でも動ける。
そして言葉も覚えている。
手は動くのでお花以外の道具を持つこともできる。
人間とともに働くための技術だったのではないかと思う位基本的にはなんでもできる。
「一つだけお手伝いができることがあります。
少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
一から作る訳ではない。
あとは組み立てて精霊術を使うだけだ。
それほど時間はかからない。
そうひと時の時間があればDOLLは完成する。
「ねえ、協力してくれる?」
近くにいる精霊たちに小さな声でたずねた。
『『勿論!!』』
キリアン様には私の声も精霊の声も何も聞こえないようだった。
私はベッドの下に入れておいた鞄を取り出し
作り途中の人形と道具を並べる。
今回実家から何とか持ち出せた作りかけのDOLLの材料はコンポジションボディなので軽いことだけが心配だった。
DOLLは使われた材料の影響をある程度受けてしまう。
おがくずで作られたコンポジションボディはどうしてももろい。
それでも人間よりは頑丈だと思い直す。
けれど、いまから作り直している猶予は無い。
魔法使いを王都から呼び寄せても間に合わない。
だからキリアン様は疲れてボロボロのまま私の元に来たのだから。
ほぼ出来上がってるボディの首元に細く切った革ひもを取り付ける。
この皮ひもを使って人形の頭を取り付けるのだ。
瞳を人形のヘッドに取り付けてヘッドとボディを結びつける。
かつらはいらない。
髪の毛は人形がDOLLになる瞬間自然と生えてくるから。
何故その髪色になるのかはよくわからないけれど私の作ったドールは私と違って淡い御伽噺の妖精の様な髪色をしているこが多い。
必死に組み立てて、この子用ではないけれど少し大き目のドレスを着せる。
本当は今回のお仕事にはレースもリボンも必要ないけれど、何も着せないのはあまりにも可哀そうに思えた。
キリアン様がどうしているかということが完全に頭から抜けていた。
それに今からする行動が私の人生にどういう影響を及ぼすかという事も忘れていた。
ただ、キリアン様が酷く疲れていて、私にすらすがろうとしているという事で頭がいっぱいだった。
私は人形の左目にキスを落とす。
ふわりとDOLLが光る。そして右目からとてもきれいな羽をもった生き物が飛び立った。
あの生き物はなんなんだろう。精霊とは違うようだけれど。
私はドールにキリアン様の言う事を聞いて欲しい事。鉱山の生き残りを探して欲しい事、そして生きていたら救出を助けて欲しいことを伝えた。
使える道を探して地図を書いてもいいし、手紙を届けてもいい。
他のDOLLと違い口をきけないよう枷はつけなかった。
DOLLはすべてを理解したようで「承知いたしましたご主人様」と話した。
普段は話してはいけないよと教えるのだけれど鉱山内部の情報をきちんと話せた方がいい。
そのままにすることにした。
それに小さなDOLLなのできっと隙間も上手く通り抜けてくれることだろう。
DOLLを抱きかかえてキリアン様に渡した。
「この子が様子を探って、きっとお役に立てるでしょう」
「これは“DOLL”!! 本物なのか、君はあの精霊術師なのか――」
キリアン様が何事か言っていた。
けれどそれはほどけるようにぼやけて聞こえるようになり、世界が回る。
ああ、あの時と一緒だと思った。
最後に倒れたあの時もこんな風に視界が滲む様にぼやけた。
心のどこかでDOLLとは何も関係ないと思っていたのだけれど、やっぱり駄目だったようだ。
もしかして全部間違いで人形を作りながら静かに暮らす未来なんてものはやっぱりなかった。
私はそこで意識を失った。
だからその後鉱山の件がどうなったのかをよく知らない。