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壬生の狼【壱】









――同時刻。





「ふわぁふ。ああ、腹減ったなぁ……」



欠伸を一つ吐き、東雲は京の市中をぶらぶらと、理由もなく歩いていた。


淡い色の着物に濃い袴。赤髪は特殊な染料で黒に染めて、一つに結っている。


何処からどう見ても男性にしか見えず、その整った顔立ちと長身から、市中のあちこちから熱烈な視線を受けていた。


しかし、東雲はそれに全く無関心で短い休日をどうやって過ごそうか。それしか頭に無い。


一先ず、腹を満たそうと飯処へと足を進める。


暫く歩いていると、ある一角の店が騒がしい事に気付き歩みを止めた。



「お? ……ありゃま」



集まった人の隙間から覗いてみると、柄の悪い浪人数人が甘味処の店員に難癖をつけている。


明らかに悪意あっての行動だろう。綺麗盛られていた筈の餡蜜が、地面に散らばっていた。


眉間に皺を刻んだ東雲は、そのまま甘味処に向かうのではなく、反対側へと歩き出す。


東雲の実力ならば、浪人達を一瞬で無力化する事も可能である。だが、今はそんな気分ではなく。


腹の虫が鳴ってしょうがないのだ。これを解消しない事にはやる気も何も、出ない。


助けを求める声に、耳朶を打つ怒鳴り声。


歩きながら群がる町民達に目を向けるが、誰も助けようとしない。可哀想だ、運が悪かっただの口にするだけ。


どの時代も変わらない。京の人々は、厄介事には極力関わりたくないと嫌悪感を示す。



「オラ、何見てんだ。この糞ガキ!!」



野次馬の中にいた幼い男子が蹴り飛ばされた。その容姿から商家の奉公人のようだ。


その光景が在りし日の、自分と重なる――



「……仕方ないなぁ」



ジャリ、と砂を踏み鳴らし、東雲は進行方向を変える。そのまま脇目も振らず、騒動の渦中へと足を進めていく。


あと僅かで浪人達に触れるという距離になり、殺気を軽く出してみる。するとそれに気付いた浪人達が、声を上げた。



「ああ? 何だ、てめえ。邪魔する気か?」


「邪魔なのは君達だよ。アンタ達、先刻から煩いんだよね。自分等の主張ばかりベラベラとさぁ」



呆れた口調で溜め息を吐けば、浪人達の機嫌は更に悪くなる。だが、怒りの矛先は店員から通りすがりの東雲に向けられた。


東雲は浪人達の視線を受けながら、面倒臭そうに欠伸を吐く。


そんな東雲の態度が癇に障ったのか、浪人達は腰に下げていた刀に手を掛けた。



「てめえ、馬鹿にしてんのか!」


「澄ました顔しやがって。たたっ斬ってやらぁ!!」



キラリと光る刀。それを見た野次馬からは悲鳴が上がる。


武器を持つ浪人達と違い東雲は丸腰だ。戦って適う筈がない。そう思った町民達は声を上げ、東雲に逃げるよう指示を出す。


だが、東雲は一斉に向かってくる浪人達を見て、狼狽する事無くその場に立っていた。恐怖ではなく、呆れた表情で浪人達を見据える。



「……ったく、聞こえなかった? その不快な口閉じろっつったの。刀なんか、簡単に抜くんじゃないよ」



東雲が地を蹴るのと同時に、浪人達が東雲に向かって刀を振り下ろす。



「――――なっ!?」


「遅いね」



振り下ろされた筈の刀は浪人の手に既に無く、東雲が手にしていた。素早く埃を振り払うような仕草で、奪った刀を使い浪人の腹を打つ。


残りの二人も一瞬の内に背後を取り、東雲が地面に沈めた。


一体何が起きたのか。周囲は直ぐに理解出来なかった。負けると思っていた東雲が立ち、武士という名の力を振りかざしていた浪人達が倒れている。


誰もが言葉を失っていた。


パンパン、と東雲が手を叩く音で皆の刻が動き出す。役人読んで来ぃ!と誰かが叫び、再び騒めきが戻ってくる。



「君、大丈夫?」



それを横目に東雲は、浪人に蹴られ地面に座り込んでいた男子に手を差し伸べた。男子は驚きに目を開くが、東雲の優しい声音に安堵しその手を取る。



「怪我はない?」


「大丈夫や。大したことあらへん」



男子は擦り剥いた膝に付いた砂を払いながら、小さく頷いた。擦り傷と言っても血が滲んでおり、それなりに痛みはあるだろう。


それなのに、口に出す事なく笑みを溢す男子に、東雲は穏やかに目を細める。



「……そうか」



こんな小さい身体でも立派な男なのだと、東雲は嬉しくなる。この男子なら、あの浪人達のように道を踏み外す事はない。


だが、怪我を放置する訳にはいかなかった。東雲は自身の持つ手拭いを裂き、男子の患部に巻き付ける。


そして、東雲が嫌がる男子の頭をぐりぐりと撫でていると、落ち着きを取り戻していた民衆が異様に騒ぎ出す。


何事かと視線を横に向けて見れば、とある会話が耳に入った。



「壬生狼や。壬生狼が来たでー!!」


「げっ」


「何や。兄ちゃんは、壬生狼が苦手なん?」



東雲の呟きを聞き止めた男子は疑問を口にした。



「まぁ、嫌いっつーか、関わり合いたくない連中ね。せっかくの暇を、尋問なんかに捕まりたくない」



そう口にして、東雲は男子と簡単な挨拶を交しその場を後にしようとする。


――だが。



「久しいな、東雲」


「げっ!」



東雲が今、一番会いたくない人物が其処にいた。


くるりと向きを変え、反対側に逃げようとするが近くにいた青年に襟首をがっしりと掴まれる。


離れようと藻掻くが、そう簡単には逃れられない。東雲は青年をギッと睨み付けた。



「っ、離せ!」


「悪い、無理だ」


「そうかよ。なら――っ!?」



身体を捻り何とか逃げようとするが、目の前に突き付けられた扇子が目に入り思わず動きを止めた。


意味深な笑みを自分に向ける男性に、東雲は腹立たしいとばかりに舌打ちする。



「言っておくけど、アレらとは無関係だよ」


「分かっている。話は後だ。今なら儂が奢るぞ。腹を空かしているのではないか?」


「減ってないし。余計なお世話――」



ぐきゅるるるる……。


時機悪く、東雲の腹が鳴る。傍に控えていた、もう一人の青年が耐え切れないとばかりに吹き出した。


腹を抱え声を抑えて笑う青年を、東雲は強く睨み付ける。だが、青年が動じる事はなく、笑い続けていた。


やはり、同族にはこれぐらいの殺気は通用しないらしい。袖に隠し持っている小刀で、首を刺すべきだろうか。


東雲が密かに脳内で殺害計画を立てていると、芹沢が声を上げる。



「その辺にしておけ。これ以上、東雲が不機嫌になるのは些か不味い」


「だ、だって、笑わずにはいられな……!!」


「伊助」



パチンと扇子を閉じ、芹沢は青年の言葉を封じる。伊助いすけと呼ばれた青年は不服そうに口を尖らせ、視線を東雲から外した。


それを好機と見た東雲は、じたばたともがきながら芹沢の名を呼ぶ。



「芹沢ぁぁぁー」


「却下だ」


「えぇぇぇ……」



何があっても、芹沢は東雲を離す気はないらしい。自分の身体を支える男性を睨めば、すみませんと笑顔を返された。



「厄日だな……」



東雲は深々と息を吐いた。








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