騎馬に跨った兎和がこちらを睨んでいる。生意気な……いや、よくみていると敵対する全陣営に視線を向けているのがわかった。
同様にクラスメイト三人が組んだ騎馬の上で俺、松村康夫は、調子にのったクソ陰キャを威圧すべく睨み返す。
大歓声が飛び交う中、もう間もなく騎馬戦が始まる。高校に入って初めて迎えた体育祭は、俺にとって鬱憤を晴らす絶好の機会となった。
ここで気に食わない『二人の白石くん』を叩きのめす。揃ってボウズにさせて、スポーツマンらしくなったと笑ってやるのだ。
特に白石兎和、テメエだけは許さねえ……俺は以前、自ら発案して兎和を大勢で囲みゴン詰めした。理由は、『神園さんに付きまとっている』と白石鷹昌に聞いたからだ。
今でも忘れられない――栄成高校の入学式で、俺は神園美月に出会った。
黄金比もかくやと思わせるほど整った容貌、九頭身に迫る圧巻のスタイル、蠱惑的に輝く青い瞳。友人に囲まれながら廊下を歩く彼女の長い黒髪は、春の陽差しに触れて青く燃えるように映えていた。
端的に言って、一目惚れした。
呼吸すら忘れて、一心に神園さんを見つめた。
あの右手を握れるのなら、一切合切を捧げても惜しくはないと思えた。
しかし相手は、一般男子では近づくことすら躊躇するほどの高嶺の花。最近の話では、バレーボール部の高身長イケメン先輩ですら連絡先も聞けずに撃沈したという。
まるで『ラブコメ漫画』の中から飛び出してきたみたいな超絶美少女だ。それこそ、物語の主人公クラスが相手じゃないと釣り合いなんて取れない。
けれど、幸運にも神園さんと栄成サッカー部には繋がりがあった。運命だと思った。きっとここで活躍すればあの青い瞳が俺を映してくれる――そう信じて、ゲロ吐くほどキツイトレーニングに打ち込んできた。
鷹昌とつるんでいたのだって、すべては神園さんに近づくためだ。
それなのに……あろうことか、クソ陰キャが彼女につきまとい始めた。顔も、コミュ力も、サッカーの実力も、何もかもが自分より劣るモブのくせに。
猛烈に腹が立った。こちらは認めてもらうべく一生懸命努力しているのに、優しさにつけ込むような振る舞いしやがって。
そこで、俺は行動を起こした……が、それも裏目に出てしまった。実堂学園との公式戦の後、友人との会話をうっかり聞かれてしまったのだ。
結果、俺は深く思いを寄せる相手から不興を買い、あまつさえ敵視されるハメになった。神園さんは心まで綺麗な人で、クソ陰キャごときに哀れみを抱いたのである。
おまけに後日学校で呼び出され、「今回の件はイジメに該当する可能性が高い。大事にしたくないのなら、囲んだときのメンバーを教えなさい」と詰め寄られてしまう。
神園さんに許してもらえるのなら、と俺はすべて白状した……ホレた弱みってやつだ。
リークした情報を元にひと騒動起こったうえ、密告したことが鷹昌にバレてグループから排除されたけれど悔いはない。
ともあれ、すべての原因は兎和にある。ここ最近はあの冴えないツラ見るだけでイライラするし、元凶を叩きのめしてやりたくて仕方がなかった。
そして俺は、騎馬戦の練習会で目撃してしまった……性懲りもなく、神園さんに馴れ馴れしく接する兎和を。
我慢の限界だった。横槍の影響もあり、激しい怒りに突き動かされるまま決闘を申し込んだ――何を置いても、自分の方が優れていると意中の人に認めてもらいたい。これは男の意地だ。
最終的には『神園さんの特別なタオル』を巡って大騒動へ発展したものの、俺をハブってくれた鷹昌まで叩きのめすチャンスが訪れたのだから結果オーライである。
「おい、松村。作戦に変更はないんだな?」
「……ああ、変更ナシだ。頼むぜ」
思考に没頭していた意識が浮上し、周囲の喧騒が再び聞こえてくる。
同時に、声をかけてきたクラスメイトに言葉を返す。俺は騎馬戦へ臨むにあたり、同じく騎手を務める仲間たちに『協力』を依頼していた。
「あいよ。こっちはちゃんと『潰れ役』としての任務を果たしてやる。その代わり、約束を忘れないでくれよ」
白団の騎馬戦メンバーが何やら画策している――そんな情報を、A組に所属する同じ中学出身の知人から事前に得ていた。
内通者いわく、きっちりと陣形を組んで徹底防戦の構えを取るつもりらしい。しかも兎和をガードする形で。
小賢しいマネを……無策で突撃すれば、こちらが痛い目にあうところだった。しかし前もって把握していた俺は、きっちり対策を講じている。
作戦はこう。まず協力者のクラスメイトたちが突撃し、第一ターゲットたる兎和のもとまでの道を切り開く。その後、俺が標的を打ち取る。急襲に成功したら即座に転進し、第二ターゲットの鷹昌を叩く。
また協力の代償として、神園さんグループとの合コンのセッティングを約束した。もちろん『空手形』だ。サッカー部の繋がりで知り合いだと主張し、ゴリ押しで納得させた。
そんなわけで、こちらは準備万端。
俺は周囲に陣取るメンバーとアイコンタクトを交わし、作戦決行のゴーサインをだす――直後、スタート体勢を整えるようアナウンスが流れる。
独特の緊張感が漂い、競技エリアのボルテージは最高潮へ。
短い間を置いて、『パァンッ』と。
スターターピストルが青空に向けて撃ち放たれ、大歓声にも負けない雄叫びを上げつつ各陣営の騎馬が一斉に動きだした。
「いけッ、目指すは白石兎和の首だ! 他は構うな!」
俺たちも鬨の声を上げながら、予定通り白団陣営を目指して進む。競技エリア全体を見渡せば、どこも似た進路を取っている。白団騎馬軍のみガッチリ防御陣形を構築しており、そこへ原色連合が雪崩のごとく押し寄せていた。
「クソがッ、やっぱみんな兎和狙いか!」
最前線を駆ける別陣営の騎馬など、早くも白団との交戦を開始している。既定によりTシャツを着用する騎手たちは、短い袖を引っ張りながら激しくハチマキを奪い合っていた。
俺たちも少し遅れて戦列に加わる。だが、フロントラインはまだ遠い。兎和に至っては、人の合間からたまに姿を確認できる程度。
完全に前が詰まっている……原色連合が一挙に押し寄せたうえ、白団騎馬軍が付近の仲間と連携して脅威の粘りを発揮しているのだ。
しかも大混雑のせいで、レフェリー(体育祭実行委員)に脱落判定された騎馬が退場するだけでも時間を要し、相手に態勢を立て直す隙まで与えてしまっている。
さらに偶然目を向けた別の方角では、バカみたいな争いが繰り広げられていた。
「あ、テメエ! 同じ連合だろうがッ!」
「知るかボケ! 別の団の騎馬はすべて敵じゃ!」
「クソ野郎! おい、コイツから先にやっちまえ!」
窮屈な展開に痺れを切らしたのか、あるいはハナから協定を守る気がなかったのか。真相はどうあれ、原色連合内でもハチマキの奪い合いが勃発していた。少なくない数の騎馬が掟破りの衝突に巻き込まれている。
このままでは、俺たちにまで被害が及びそうだ。
「松村、強引に突っ込む! どうにかスペースを作るから、後はお前がなんとかしろ!」
似たようなリスクを感じ取ったらしく、協力者の中でもっとも前方に構えていた騎手が声を張り上げた。それを合図に、味方を押しのけて前進開始。
大顰蹙を買いながらも進むこと程なく、俺たちのグループは白団防御陣の横脇へ躍り出る。たどり着いたフロントラインでは、熾烈な攻防戦が行われていた。
「くたばれッ、原色連合!」
「ぐっ、多勢に無勢とは卑怯な!」
「お前らが言うんじゃねえ!」
攻め寄せる原色連合、一丸となって抵抗する白団。
特に白団の士気とチームワークは凄まじい。圧倒的劣勢な状況にもかかわらず、ほとんど脱落者を出していない様子だった。
反対に原色連合は、バラバラに襲いかかっては局地的な数的不利を作られ、あっさり各個撃破されている。まさに『烏合の衆』と呼ぶにふさわしい。
ただし、俺たちのグループは別だ。
「このままの勢いで当たる! 相手を左右に押し広げて、松村たちの進路を作れ!」
間髪入れず、白団防御陣の前衛に突撃。協力してくれた仲間たちは脱落を厭わず、力任せに強固な騎馬の壁を左右に割った。
それからタイミングをうかがうこと数瞬、道は開かれる。
「ぐぬぉおおおおお、今だ! 行けぇえええええ――」
「助かった、前進ッ!」
クラスメイトの騎馬に跨る俺は、犠牲を払って作りだした突破口を駆けた。ぎょっとした表情の兎和を目指し、一心不乱に突き進む。
続いて騎馬ごと、標的の側面へ体当たりをブチかます。激しい衝突に伴い、双方の騎手は強い揺れに襲われる。
同時に、いきなり勝負の時を迎えていた。揃って盛大にバランスを崩したものの、こちらが相手に覆いかぶさるような体勢となっていたのだ。
このまま一気に押しつぶしてやる――ハチマキを狙うのではなく、落馬させるべく俺は両腕を伸ばす。
「ぐぬうっ!?」
「くっ、このクソ陰キャ!?」
兎和のヤロウ、ギリギリのタイミングで反応して抵抗してきやがった。
互いに上体を大きく傾けながらも、両手を組んで対峙する。しかしながら、こちらの有利は動かない。
このまま強引にねじ伏せるべく、俺は力を振り絞る――その時、視界の端に神園さんの姿が映り込む。観戦席の最前列に立ち、友人たちと一緒に笑顔で声援を送っていた。
次いで彼女は、その手に持つ『青いタオル』を振りかざす。
「頑張れ、兎和くん!」
特大のエールに合わせてタオルがはためく――兎和に向かって青い風が吹き抜ける、そんな光景を見た気がした。
そして俺の好きな人が、心底嫌いな同級生の名を呼んだ直後。二人分かと思うほど強烈な力が両腕に加わり、驚愕の言葉が思わず口をついて出る。
「ウソだろ……どんな体幹筋をしてやがる!?」
ろくに踏ん張りがきかない体勢にもかかわらず、兎和は上体の力だけで押し返してきた。さらにつかの間の均衡状態を経て、逆にこちらが落馬寸前へと追い込まれてしまう。
テメエはバケモノか……!?
「クッ、ソがあぁああああああああ――」
俺はたった10秒も耐えられず、力で圧倒されてあっさり騎馬の上から転げ落ちる。不意に喧騒は遠のき、浮遊する感覚が全身を駆け巡った。
その刹那、せめて道連れにと兎和のTシャツの袖を掴む。ところが、相手はズル賢くも両腕を伸ばし、まるでエビみたいに上体を曲げやがった。
次の瞬間、つるり。
俺はTシャツを握ったまま、片腕だけで受け身を取りつつ人工芝に背を付ける。
午後三時の青空のもと、上半身ハダカで騎馬に跨る兎和の姿を見上げていたのだった。