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第56話

「さあ、兎和くん。今日も頑張ろうか」


「あの、涼香さん……今日、美月はいないんですか?」


 熾烈な戦いが繰り広げられた体育祭からはや数日。

 僕のスクールライフは、すっかり普段のルーティンを取り戻していた。色々と問題の火種は残っているものの、一応平穏に過ごせている。


 そして現在はトラウマ克服トレーニングに取り組むべく、三鷹総合スポーツセンターのグラウンドへ訪れていた。だが、部活後に合流を約束していた美月の姿はなく、クールビューティーにして生粋のニートたる涼香さんだけが待ち受けていたのだ。無論、芋ジャージ着用で。


「美月ちゃんは急用が入っちゃってね。でも安心して、私がしっかりお相手するから」


「あ、そうなんですか。じゃあ、よろしくお願いします」


 美月はご家庭の事情で欠席とのこと。なので、とりあえず涼香さんとバドミントンを始めた。

 最近のトラウマ克服トレーニングには、主に二つのアプローチが存在する。


 ひとつは、こうしてスポーツセンターに集合するパターン。バドミントンやパス交換に興じつつ、不意の合図でドリブル&シュートを行う。


 もうひとつは、『東京ネクサスFC』さんの練習に参加させてもらうパターン。ヘッドコーチの安藤さんをはじめ、所属選手の皆さんはとても親切で、『高校卒業したらネクサスに入団しろ』なんて冗談を言うほど歓迎してくれている。


 美月曰く、進捗は順調らしい。

 あまり実感はないけれど、条件反射はすっかり体に染み込んでいるそうだ。またネクサスさんのゲームトレーニング中には、プレーにダイナミズムが見られるようになったと言われた。そのうえ『部活の方面でも徐々にポジティブな影響が現れてくるはず』と太鼓判を押してくれた。


 成果の有無はどうあれ、美月に褒められるのは単純に嬉しい。青春スタンプカードの存在も大きく、トラウマ克服トレーニングは僕にとって欠かせない日課の一つとなっている。


 とはいえ、今日はいつもと勝手が違う……近頃では、手を叩くことなく『ゴー』の掛け声だけで条件反射が発動するようになった。ただし、相手は美月と涼香さんに限定される。おまけに、涼香さんの場合だとやや抵抗を感じるのだ。

 やっぱり、美月の凛とした声じゃないと気合いが入らないなあ。


「ところで兎和くん、スクールライフの方はどうなの? 美月ちゃんが珍しく、『騒がしいけど楽しい体育祭だった』なんて言っていたんだよね」


「ああ。確かに盛り上がりましたね、色々と」


 体育祭で起きた一連の騒動を話すと、涼香さんは大爆笑していた。特に美月のラップがダダスベリした件はお腹を抱えるほどウケていた。


 ちなみに、ハチマキを交換した件は内緒だ……理由は、なんとなく。

 そして美月から渡されたハチマキは、今は僕の自室の机の中で眠っている。購入した物なので、各自持ち帰りオーケーなのだ。


 慎なんかは友人を集め、自分のハチマキにメッセージを書いてもらっていた。青春イベントっぽくて真似したくなったが、僕はサインするだけに留めておいたけれど。

 美月のハチマキを、誰かに触れさせたくなかったから……これも、理由はなんとなく。


「でも、良かったよ。美月ちゃん、中学時代はほとんどのイベントを欠席していたからね。厄介な騒動に巻き込まれてばかりだったんだ」


 美月は昔からずば抜けた美少女として有名で、しょっちゅう面倒事に巻き込まれていたらしい。特に盗難被害に悩まされており、体操服や上靴などの私物を毎日持ち帰らざるを得なかったという。


 そんな彼女が、体育祭などのイベントに参加したらどうなるか?

 当然、ひと騒動起こる。


 とりわけ中学時代は、美月にとって酷くストレスのかかるトラブルばかりが続いていたそうだ。そのため、催し物への不参加を決め込んだ。

 しかし、今回は正反対。アホみたいに騒がしかったものの、体育祭の盛り上がりに大きく貢献していた。

 本人的には、こんな騒ぎだったらアリらしい。


「そっか。美月が楽しめたのならよかったです」


「うんうん、お姉さんもそう思うよ。それで、兎和くんはどうだったの?」


「僕も楽しかったですよ……でも、『じゃない方の白石くんは蛮族出身のモブ王』とか意味不明なウワサが広まってしまって」


 返答を聞くや、またも大爆笑する涼香さん。

 まあ、そりゃ笑うよな。普通の男子高校生からは連想できないワードだもの……僕の人生は、ままならないことが多すぎる。一体いつになれば、夢の青春スクールライフを満喫できる日がくるのだろう。


「一度でいいから、理想の青春を体験してみたいなあ……」


「兎和くんはわかってないね――ソシャゲでは、重課金のフレンドほど急にログインしなくなるものさ」


「あ、そうなんですか」


 すっげえどうでもいい情報だ。しかも僕はソシャゲにほとんど触れたことがないので、何を伝えたいのか全然ピンとこない。

 すると案の定というかなんというか、涼香さんは再び「やっぱりわかってないね」と繰り返した。


「いいかい? 重課金ユーザーは、自分の持ちキャラが強化されすぎてエンドコンテンツすらヌルく感じるようになる。あわせて刺激が失われ、途端にゲームがつまらなくなる。そうなると、急速に熱意までもが薄れていく。いわゆる『快楽順応』というやつだね」


 人は順応する生き物で、贅沢や幸福によって得られる快感さえも時間とともに減退していく。そのような精神の作用を、快楽順応と呼ぶのだとか。


 なるほど、勉強になる……けれど僕は、依然として涼香さんの伝えたい内容を1ミリも理解できていなかった。ゆえに、またしても「はあ」と間の抜けた返事をする。


「丁寧に説明したのに、まるでわかってないみたいだねぇ」


 これ見よがしにため息をつく涼香さん。

 相手が生粋のニートだと思うと、かなり屈辱的な反応だ……年上の女性に対しては失礼なので、間違っても口には出さないけれども。

 それはともかく、彼女は「ひとつアドバイスをしよう」と言ってこう続けた。


「ゴールへ向かって走っている最中にこそ、人は幸福を強く実感できる。それは、青春も同じ。ひたすら理想を求めて突き進んだ道の先で、振り返ったときにようやく気づくのさ――あの満たされぬ日々こそが青春だった、とね」


 不意にハッとした。普段は見えも触れもしない『青春』という言葉が、かすかに輪郭を帯びた気がした。だが、それもほんの束の間のことで、砂浜に書いた文字のごとく思考の波にさらわれていく。

 そしてやっぱり、失礼ながらこんな思いだけが頭に残る……生粋のニートに言われてもなあ。


「まあ、あだ名であれ何であれ、せっかくだから『予想外の事態』さえも恐れずに楽しんじゃいなさい」


「あ、はい。一応、お礼は言っておきますね。ありがとうございます」


「あれ、なんで一応なのかな? 私いま、すっごく素敵な話をしたよね?」


 確かに含蓄に富んだアドバイスを頂いた。おかげ様で、トラブルを楽しんでみるのも悪くないかも、と僕は少し前向きになれた。しかし同時に、言葉は内容と同じくらい誰が言ったかも重要だと強く実感した。


 その後、1時間半ほどでトラウマ克服トレーニングは終了する。

 芝生の放つ香りもめっきり夏めいてきた夜は、こうして穏やかに過ぎていった。


 ところが、その翌日――僕はとても楽しめそうにない『予想外の事態』に見舞われ、さっそく気持ちが後ろ向きになってしまうのであった。


 ***


「ウソだろ、松村……マジでボウズって、何があったんだよ」


「別に。ちょっとサッパリしたかっただけ」


 その日、いきなりボウズ頭で部室に現れた松村くんを見て、Dチームメンバーは騒然となっていた。学内でも朝からウワサにはなっていたものの、改めて直視すると中々のインパクトである。


 そして彼は、周囲からの矢継ぎ早の質問に対して明確な回答を示さなかった。とても潔い対応に思え、なんだかカッコよく見えた。


 対称的に、僕じゃない方の白石くんは頭を丸めてくる気配がまったくない。

 あの様子だと、恐らく約束をブッチするつもりだろう。自分から提案したにもかかわらず、情けない話だ。ダサいにもほどがある。


 僕がジトッとした視線を向けると、白石(鷹昌)くんは顔を背けてそそくさと姿を隠した。

 それはさておき、その日のトレーニングが終盤へ差し掛かったころ。ボウズ頭になって注目度マシマシの松村くんが、紅白戦前の集合時に突拍子もないことを言いだした。


「永瀬コーチ、白石兎和がD1なのは納得できません! 『入れ替え戦』の実施を希望します! どうかお願いします!」


 彼は、自分の方がD1に相応しい実力を備えていると主張してはばからない。おまけに『入れ替え戦』とやらの実施を希望している。


 一方、僕は何の話か理解できずに困惑するばかり。すると隣にいた玲音が、「勝者が昇格する形式の紅白戦だ」と教えてくれた。

 過去、栄成サッカー部で導入されていた下剋上システムだそうだ。指導陣の移り変わりとともに廃れていった制度らしい。


 当然、永瀬コーチも困り顔。自分の下した評価が疑われたようなもので、面白く感じるはずもない。


「まったく、今年の1年は本当に仲悪いなあ……そもそも入れ替え戦は、チーム選考における『最終アピールの機会』として開催されていたものだ。お前ら、勝った方のチームメンバーが昇格するって勘違いしてないか?」


 どうやらお互いの認識に齟齬があるようだ。昔あった制度が口承で後輩に引き継がれた結果、伝言ゲームのように誤った内容へと変貌してしまったのだろう。

 それならば前提からして崩れるため、この話はなかったことに……ならなかった。


「アピールができるのなら、それで構いません。次の公式戦へ向けて再考をお願いします!」


「俺も、入れ替え戦の実施を希望します!」


「同じく! お願いします――」


 松村くんは主張を引っ込めない。むしろ彼の友人たちが次々と同意を示し、場のカオス感がますます増していく。

 というか、僕の実力疑われすぎぃ……相変わらず全力は出せないものの、最近は安定したプレーができていたと自分では感じていたのに。


「お前たち……まあ、それで気が済むならいいか。わかった、入れ替え戦をやろう。ただし、実施は3日後とする」


 しばらく問答が続き、最終的に永瀬コーチが折れた。

 チームメンバーの半数ほどに詰め寄られてしまっては、流石に応じざるを得なかったようだ。ただし、幾つか条件が追加された。


 まず、開催は3日後と指定される。入れ替え戦に向けたチームの結成、及び連携強化の期間が設けられた。

 次に、入れ替え戦は『45分の4試合』と決定する。

 さらに、各試合にエントリーするメンバーは永瀬コーチが選出し、チーム構成に関してだけ自由が与えられることとなった。


 また、勝敗を重視しつつも個人のプレーも評価対象に含まれるとされた。

 最後に、「こんなワガママは今回限りだぞ」と釘を刺された。


 なんだか、これまでのチーム選考とあまり変わらない気がする……永瀬コーチは多分、割り切ってこの機会に『ガス抜き』をするつもりなのだろう。

 聞くところによると、チーム内紛は毎年の恒例行事だそうだ。しかし今年の1年生はやや過激みたいなので、フラストレーションの軽減を図ったのだと推測される。


 ともあれ、新たな騒動の火の粉が僕の身に降りかかってきたのだ。

 涼香さん、こんな『予想外の事態』をどう楽しめばいいのでしょうか。できることなら、上手く切り抜ける手段をどうかご教授いただきたい……。


 見上げた一番星の横に、クールビューティーにして生粋のニートたる彼女の美しい顔がおぼろげに浮かんだ気がした。

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