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第58話

「今日こそ兎和のヤロウをガッツリ凹ませてやる。なあ、松村」


「……馴れ馴れしくすんなよ。俺は、お前らにハブられたの忘れてねーからな」


 入れ替え戦・第四試合の開始をピッチサイドで待っていた俺、松村康夫は、同じく隣で待機していた人物に声をかけられた。

 相手は、小俣聡太。今回の騒動を引き起こすように唆してきた張本人だ――醜態をさらした体育祭から数日が過ぎた頃、ある提案を携えた颯太から接触を受けた。


『入れ替え戦を開催して、兎和にチーム降格の屈辱をプレゼントしてやろうぜ』


 そんな煽り文句とともに、具体的な実行手段を提示された。

 騎馬戦で情けなく敗北したとはいえ、俺の敵愾心は少しも薄れたりはしなかった。この感情の根底には、神園さんへの強い思いがあるのだから当然だ。

 風雨にも屈しない聖火のごとく、今も敵意の炎がメラメラと心を焦がしている。


 だから、あえて提案に乗ってやった。

 以前、兎和を大勢で囲んだときと同様に、薄笑いの裏に俺を利用しようとする魂胆が透けて見えた。しかし、それでもなお『あのクソ陰キャを叩き潰せるのなら』という一念で、薄汚い颯太の手を取ったのだ。


 もちろん俺もそこまでお人好しじゃないので、いくつか条件を設定したうえでの話だ。

 具体的には、『入れ替え戦での協力・兎和との直接対決・神園さんを観戦に誘う』といった要求を相手に飲ませた。


 その結果、チームの半数以上をD1所属のメンバーで揃えることができた。

 さらに、両サイドでプレー可能な俺は『右SH』のポジションを獲得した。これで左SHの兎和とかち合う形となった。


 そのうえ颯太が言うには、神園さんから色よい返事を引き出せたらしい――これは、とても大きな収穫だ。


 俺は例の一件(密告者となった)以来、彼女から徹底的に避けられていた。なので、ここで兎和をブッ倒して名誉挽回の機会を得る。同時に豊富なサッカー知識をアピールして、新たな関係を築くつもりだ。


「……そう。クソ陰キャごときじゃ不釣り合いなんだよ」


 第三試合が終わり、ついに出番が回ってくる。そしてスタートポジションへ向かう途中、俺は不満を吐き捨てた。

 兎和と神園さんは、サッカーの話題を通じて親交を深めたと前に聞いた。それなら、より実力のある俺がお相手に立候補したって構わないはずだ。


 高校へ進学して以降、『ボタンをかけ違えた』ような展開ばかり続いていた。だが、ここで決着をつけてすべて仕切り直す。


「では、第四試合を開始する! お互い熱くなり過ぎないように。怪我なんてもっての外だぞ」


 両チームともスタートポジションにつき、永瀬コーチの注意に耳を傾ける。並行して、ピッチサイド常設の観戦エリアに視線を向けた。


 男女問わず、複数の生徒が声援を送っている。ところが、期待に反して神園さんの姿は見当たらない……先ほど観戦に訪れていたA組の女子に確認したところ、『遅刻っぽい』と教えられた。

 どうにか、タイムアップまでに到着するといいのだが。


「――じゃないと、お前を蹴散らす場面を見てもらえないだろ? なあ、兎和」


 ハーフウェーラインを挟んで対峙する大嫌いな同級生に向けて、俺は挑発的な言葉を放つ。

 返事はない。何故か相手は、半ば放心状態だった。


 まあ、気持ちはわからないでもない。こちらのチームはD1所属メンバーが半数以上を占めていて、戦力差は明らか。早くも敗北を確信しているのだろう。


 頭に手を触れれば、シャリリと軽快な感触が返ってくる――ボウズ以上の屈辱を与えてやる。

 次の瞬間、伸びやかなホイッスルの音が響き渡り、正午過ぎの青空へと吸い込まれていった。


 入れ替え戦・第四試合、キックオフ。

 赤のビブスを着用する俺たちは、マイボールでスタートを切る。


 開幕の動きはほぼセオリー通り。FWを務める颯太がボールを後方へ戻し、敵陣深くに走り込む前線の選手に合わせてロングフィードが放たれる。


 落下スペースに入ったのは、いつもとは逆の『左SH』を務める馬場航平だった。マークにつく相手とヘディングで競り合い、弾かれたボールがセンター寄りの位置でバウンドする。

 ここに、DMFの中岡弘斗が走り込む。仲間のフォローが得意なだけあり、悪くないポジショニングだ。


 続けてボールは、1列飛ばして最前線の颯太のもとへ送られる。しかしこれを、相手DMFの里中拓海がインターセプト――ところが、珍しくトラップミスを犯す。試合の緊張感にでもあてられたのだろう。


 次に運良くボールを拾ったのは、この俺、松村康夫だ。

 さらに走り込んだ際のスピードを緩めることなくドリブルへ移行し、まずはミスをした里中をぶっちぎる。そのまま敵陣ペナルティボックスへ侵入すべく、力強く人工芝ピッチを踏みしめた。


「カバーッ!」


 最終ラインをコントロールしていた相手CBがすかさず叫ぶ。

 指示にすばやく反応したのは、部内で二番目に目障りな山田ペドロ玲音(自分ランキング)。プレーエリアがもっとも近く、即座にセンターへ絞ってドリブルコースに躍り出てくる。


 流石の対応に、俺はスピードを緩めざるを得なかった。無策で突っ込めるほど相手はヌルくない。おまけにもう一人、サポートのために寄せてきている。


「――がっ!?」


 右サイドから距離を詰めてくる相手の気配を感じ取った、その直後。

 俺は強烈な衝撃を受け、たまらず大きく体勢を乱す。加えて横から伸びてきた誰かの足にボールを掠め取られ、すぐさま玲音へとパスを送られる。

 その後、クリアボールが自陣深くのサイドラインを大きく越えていった。


 開幕から続くプレーがいったん途切れ、ようやく誰に邪魔をされたのか認識する。俺はピッチに膝をつきながら、その相手を忌々しく睨んだ。


「……クソ陰キャがッ!」


 奇しくも騎馬戦のときと似たようなアングル。青いビブスを着て、どこか不安そうな表情を浮かべる兎和を見上げていた。

 まただ……またしても、地面をナメるハメになった。それに以前も思ったが、バケモノみたいな体幹筋をしていやがる。


 まるで『分厚いゴム』じゃねえか――俺は体をぶつけられたとき、そんな感触を覚えていた。 

 とはいえ、逆に考えればそれだけのこと。兎和が部活中に見せるプレーは、無難と言うほかに評価のしようがない。


 キック、スピード、ボールコントロール、インテリジェンス、などなど。体幹を除いたあらゆる能力値は、俺の方が優れている。

 ただ体が強いからって、そう簡単にサイドアタッカーが務まると思うなよ!


「ヘイ、パスくれっ!」


 俺は実力の違いを示すため、相手チームの左サイドを執拗に攻め立てた。

 こちらは地力で勝り、ボールを保持する時間が長い。その分オフェンスに回る機会も多く、幾度も相手ディフェンス陣を混乱に陥れた。


 気づけば、試合時間も25分が経過していた。

 戦況は依然としてこちらが優勢で、ビッグチャンスも何回か迎えている。体を張ったディフェンスでフィニッシュこそ阻止されているものの、直に均衡は崩れるはずだ。


 なにより、今日の俺は調子がいい。

 体が軽く、動きにキレがある。スタミナも充実しており、プレーするのが楽しくて仕方がない。


 その証拠に、先ほどもドリブル突破からミドルシュートを放っていた。惜しくもボール一個分だけゴールを外れてしまったが。

 ともあれ、このまま試合が進めば勝利は間違いない。


「……ようやく兎和に、『格の違い』を思い知らせてやれる」


「もう勝ったつもりか? ずいぶん気の早いヤツだな」


 こちらのパスミスでボールがタッチラインを割る。プレーが途切れた拍子に、ふとこぼした俺の呟きをマークについていた玲音が拾う。


「負け惜しみか? 玲音、ディフェンスに走り回っているお前ならわかるだろ。同点なのは、ただ運が良かっただけ。失点するのは時間の問題だ、ってな」


「ふっ、単に勝利の女神が遅刻していただけさ。でも、間に合ったようだ」


 何を言って……と、俺は途中で言葉を飲み込む。にわかに騒がしくなる観戦エリアに気を取られたのだ。

 そして状況を確認するために目を凝らすと、玲音のことなど頭からスコンと抜け落ちる。


「可愛すぎんだろッ!?」


 俺は、神園さんの姿を観戦エリアで発見した。同時に度肝を抜かれた。清楚なワンピースに身を包んだ彼女が、あまりにも美しかったからだ。


 観戦に訪れた生徒たちも熱視線を送っており、試合を終えたDチームメンバーまで声をかけようと集まってきている。しかし付き添いの大人の女性が牽制しているようで、神園さんの周囲にはポッカリと空洞が発生していた。


 つーか、付き添いの女性もめちゃくちゃ美人だ。パンツスーツを着用しており、まさに『クールビューティー』と呼ぶにふさわしい……芸能人かと見紛うような美貌のペアである。


 それはそうと、俄然やる気が湧いてきた。

 試合に勝ち、神園さんの青い瞳をこちらに向けさせてやる。俺は決意も新たに、打倒すべき同級生へと視線を向けた――次の瞬間、ゾクリと悪寒が背筋を駆け抜ける。


 汗だくでピッチに佇む兎和も、やはり神園さんを見つめていた。しかしその体からは、闘気と呼べそうな謎のエネルギーが立ち昇っていた。

 もちろんただの幻覚だとわかっている……けれど、悪い予感を抱かずにはいられない。


「松村、ディフェンス!」


 颯太の大声が耳に届き、ハッと我に返る。 

 試合はいつの間にか、相手のスローインでリスタートしていた。しかも中盤の里中を経由し、こちらのサイドへ攻撃を展開しようとしている。


 俺が慌てて帰陣した直後、兎和の足元にボールが収まる。タイミングが悪く、うっかりマンツーマンで対峙する形となってしまった。

 こうなれば仕方がない。悪い予感は拭えないものの、この『1対1』を制して逆にカウンターをお見舞いしてやる。


 即座に腰を落とし、ディフェンスの体勢を整えた。

 一方、兎和は警戒すべき状況にもかかわらずよそ見をしていた。チラリと視線の先をうかがえば、またしても神園さんの姿が目に入る。


 こいつ、俺なんて眼中にねえってか……猛烈な怒りが湧き上がる。

 ただボールを奪うだけじゃ気が済まない。ガッツリ削って、調子に乗ったことを後悔させてやる。

 俺は一気に間合いを詰めるべく、右足を踏み出そうとした――そこで、兎和の纏う雰囲気が一変する。


「くっ……!?」


 瞬時に急ブレーキをかける。雰囲気のみならず、兎和のボールの持ち方も変わったのだ。

 軸足を前に置き、逆に後ろへ残した利き足でボールキープをする。懐が深く、ディフェンス側にとっては厄介な体勢である。


 生意気な、と俺は内心で吐き捨てた。するとタイミングを合わせたかのように、今度は兎和から仕掛けてくる。


 相手は立ち止まった状態からぐっと重心を落とし、縦方向へ突破する気配を見せる。当然こちらもコースをきるべく立ち位置を修正する―― その刹那、視界の端に映る神園さんが、いつの間にか手にしていた青いタオルを振りかぶった。


「兎和くん、ゴー!」


 彼女の凛とした声が響き渡るや否や、兎和は劇的な反応を示す。

 縦への突破を試みていたはずが、急激な重心移動を行いつつ体をセンターレーン側へ傾けた――これは、マシューズフェイント!?


 間髪入れず、一陣の青い風が勢いよく吹き抜けていく。

 声を上げるヒマすらなかった――いま起きた現象を言語化すると、ただ逆を取られただけ。兎和が爆発的なアジリティを発揮すると同時に、俺はビブスの端を掴むことすらできずにぶち抜かれていたのだ。


 おまけに、自分の体は無意識かつ中途半端に反応していた。その結果、無茶苦茶な重心移動についていくことができず、アンクルブレイクしてピッチに倒れ込む。


 這いつくばりながらも、懸命に兎和の背中を目で置い続けていた。するとヤツはもう一人を軽く抜き去った挙げ句、豪快なミドルシュートをゴールに突き刺していた。


 ふざけるなよ……そんなの、『天才』と呼ばれる選手にだけ許されたプレーだろうがッ!

 格下だと決めつけていた相手が、圧倒的で破壊的な才能を隠し持っていた。しかも、どれだけ努力しても手に入らない先天的な素質だ。


「クソ……クソ、クソッ!」


 才能の差を認識した途端、胸が痛くなるほどの敗北感がこみ上げてきた。

 俺はたまらず、不満を吐き散らしながらピッチを何度も叩く。しばらく経つと、心の中で『ポキリ』と何かが折れる音がした。


 その日、兎和は2得点を決めてチームを勝利に導いた。対照的にこちらは結果を残すことができず、チームも無得点のままタイムアップを迎える――こうして俺は、口の中が苦くなるほどの挫折を味わうことになった。

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