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第64話

 サッカーチームとは不思議なものだ。どれだけ内部でいがみあっていようと、外部からの攻撃に関しては即座に団結して対抗する。


 少なくとも、僕のジュニアユース時代はそうだった。他チームの選手に何か言われていたりすると、普段ろくに口もきかないチームメンバーが助けに来てくれたりする。


 だからこそ学校の屋上で美月に指摘されるまで、『イジメ』を『イジり』と勘違いしていたのだ。


 したがって、ナンパ野郎どもにウザ絡みされている松村くんをスルーするという選択は、僕の倫理観的にナシ。なにより、チームメイトを見捨てるような人間にはなりたくない。


 とはいえ、揉めごとの仲裁をできるほど高度なコミュニケーション機能が僕に搭載されているはずもなく……結局のところ、相手から遠ざけるくらいのことしかできないのだが。


「あの、松村くん……そろそろアップが始まるよ」


「あん? 誰だ――アアッ、お前はあのときの!」


 僕はピッチサイドへこっそり足を進め、松村くんの背後から声をかけた。しかしいち早くこちらに視線を向けたのは、ナンパ野郎どもの中央にいた人物で……もっと言えば、ゲーセンで美月にもっとも執着していた例の彼だった。


「おい兎和、なんで『池田』がお前を知っている?」


 松村くんが横目で問いかけてくる。が、逆に聞きたい。

 この明宝高校のジャージを着た三人組とはいったいどのようなご関係で?


 僕が手短に尋ねると、「ジュニアユースのチームメイトだ」と返答があった。ついでに、相手側の中央に立つ彼が『池田』という名前であることも教えてくれた。


「チームメイト? いやいや、友達の間違いだろ。ジュニアユースのとき、俺ら一緒に明宝へ進学する約束をしていたくらいだし……あ、でも松村が『栄成に行く』とか急に言い出して裏切ったんだっけ? てか、久々に会ったらボウズとかマジないんだが」


「しかも松村さ、『栄成でスタメンとる』とかクソほどイキっていたのに結局ベンチなんだろ?」 


「俺だったら情けなくてサッカーやめてるね」


 こちらがコショコショ話していると、対峙する三人組がゴチャゴチャ口を挟んできた。

 どうやら彼ら、松村くんを目の敵にしているようだ。友達などとほざいちゃいるが、フレンドリーな感じは一切しない。


 いずれにせよ、この場に留まる必要性はカケラもない。これ以上ヒートアップする前にさっさと退散するべきだ。

 今にも拳を繰り出しそうな形相の松村くんに、僕は移動を促す……けれども、相手の一言で妨げられてしまう。


「それにしても、拍子抜けしたぜ」


「あ? 何が言いたい?」


「いや、ほら。栄成のトップチームは関東王者になったらしいじゃん。だから、今日戦う1年のメンバーもきっと強いんだろうな、とか思ってたわけ。でも松村とかそこのお前はパッとしないし、実は微妙なんじゃないかってさ」


「確かに兎和の外見はパッとしねーが、明宝ごときがうちに敵うわけねーだろ。調子にのんな」


「あァ!? 調子のってんのはテメーだろ、松村ッ!」


 言い合いがエスカレートして、とうとう池田と松村くんの間で口喧嘩が勃発……つーか、僕は今なぜか味方からもディスられたんだけど?


 ともかく、殴り合いにでもなったらシャレじゃ済まない。こうなったら、引きずってでもこの場を離れなければ。

 だが、そこで思わぬ人物の姿が視界に飛び込んできた。おかげで僕の思惑は崩れる。


「あ、兎和くん。こんなところにいたのね。探しちゃった」


 慣れ親しんだ凛とした声が、僕の名を呼ぶ。

 ざわめく周囲の視線を独占しながら、ずば抜けた美貌を持つ少女が優雅に歩み寄ってくる。


 サラリと揺れる長い黒髪が、薄曇りの空から差し込む陽光に触れ、かすかに青みを帯びる。


 もはや誰かなど言うまでもない。が、あえて言おう――こちらへ向かってくるのは栄成高校が誇るトップ美少女、神園美月その人だった。


「ゲェー美月!?」


 私服姿の美月を改めて視界に捉えつつ、僕は白目をむきかけた。

 なにせ明宝の三人組は、先日ゲーセンで彼女にチョッカイをかけてきたナンパ野郎どもに他ならない。どう考えても火に油だ。


「ああああッ、この前の子! 俺のこと覚えてる、よね……」


 実際、池田のテンションは急上昇し、まるで憑かれたように美月のもとへ向かおうとした。しかし言葉の勢いが失われるのと同時に、動きを止める。


 その原因は、一緒に歩いてくる涼香さんにあるようだった。

 彼女はパンツスーツを着用しており、黙っていれば完全無欠のクールビューティーだ。しかも眼光鋭いタイプの。

 そんな大人の女性が無表情だと、近寄りがたいオーラプンプンなのである。


「ちょっと、さっきの『ゲェー』ってなによ」


 まさか私が男子に嫌な顔をされる日が来るなんて、と美月は大変不満げなご様子。

 つい失礼なリアクションをとってしまい、本当にすまないと思っている。けれど、こちらにも色々事情がありまして……。


 それはさておき、図らずも退散する絶好のチャンスが訪れた。ナンパ野郎どもだけでなく、松村くんまで呆気にとられて固まっている。この展開はいい意味で予想外。


「とりあえず、向こうに戻って話そうか」


「……ちょ、待てよ!」


 どこのイケメン俳優だ、と思わずツッコミそうになった。

 移動を促す僕を止めたのは、またもいち早く再起動した池田だ。前回のゲーセンでもそうだったけれど、美月に対する執着がハンパないなこいつ。


「あの、前にゲーセンで会ったの覚えてるよね……? 俺は池田啓太って言うんだけど、よかったらキミの名前を教えてくれない?」


「兎和くん、お友達? そういえば、そろそろアップが始まる頃合いね。戻りましょうか」


「いやいや、待ってくれ! こうしてまた会えたってことは、ガチで運命だと思う!」


 すごいな、池田。やはり無視されてもお構いなし……間違いなく粘っこいディフェンスをするタイプだ。

 ともあれ、別に構う必要なんてない。空気をよんだ発言をする美月と無表情の涼香さん、そして困惑する松村くんを連れ、今度こそ僕は退散することに成功した。


「……キミみたいな子に応援されるなんて、栄成が羨ましいよ。でも、残念だったね。今日は俺たち明宝が勝つから」


 背後から、池田のやすい挑発が飛んでくる。

 当然、ここは無視すべき場面……しかし隣にいる人物の沸点がわりと低いことを、僕はうっかり失念していた。


 すっと立ち止まり、振り返る美月。

 乗るな、戻れッ――そんな僕の心の叫びは意味をなさなかった。


「ずいぶん自信があるのね。けれど、さっきの言葉はそのままお返しするわ。栄成は絶対に勝つ。だって今日は、エースがスタメンなのだから」


「……じゃあ、俺たち明宝が勝ったらどうする?」


「そのときは、名前でもSNSのアカウントでも好きな方を教えてあげる」


 ああ、美月の見事なタンカが炸裂してしまった。

 それから彼女は、会話を切り上げて再び颯爽と歩きだす。上品な笑みを浮かべていたが、その青い瞳はぞっとするほど冷たい光を宿していた。

 これは、ご機嫌ナナメな証だ。


「サッカーが絡むと相変わらず短気だな……」


「面白い冗談ね。それより、今日はお弁当を作ってきたの。兎和くんのお母さまに教わったレシピを再現してみたから、試合後に味見してちょうだい。探していた理由を伝え忘れるところだったわ」


 先を歩く美月に小走りで追いつき、僕は苦言を呈する。しかし彼女はどこ吹く風で、自分が好戦的なタイプであることを絶対に認めないのであった。


 というか、どうやってうちの母のレシピを手に入れたのか……栄成サッカー部の待機エリアに戻りながら尋ねると、「お泊りのときにLIMEアカウントを交換したの」と小声で返ってきた。


「なんか複雑だけど、まあいいか……そうだ、今日は応援に来てくれてありがとう」


「あら、意外。さっきのことで怒っていたんじゃないの?」


 確かに先ほどまでは注意しようと思っていたけれど、冷静になって考え直した。美月もナンパの被害者なのだから文句を言う権利くらいある、と。


 もっとも、最終的に見せ場を全部奪ってしまうのはどうかと思うが……ほら、離れてついてくる松村くんは今もぽかんとしたままだぞ。

 そもそもの話、僕も試合に負けるつもりは微塵もなかった。


「勝てばいいだけだから、別に怒る必要はないかなって。美月を信じてJリーガーを目指すと決めた以上、こんなところで躓いてちゃダメだろ」


「ふふ、素晴らしい意気込みね。兎和くんにもエースとしての自覚が出てきたみたいで嬉しいわ」


 まあ、美月がいなきゃ全力でプレーすることもできないけどね……。

 それはそうと、この試合で明宝との悪縁をバッサリ断ち切ってやる。いい加減、ナンパ野郎どもに煩わされるのはウンザリだ。


 その後、僕たちは別行動を取った。観戦のためスタンドへ向かった美月と涼香さんは、A組の女子グループと合流した。休日にもかかわらず、皆で応援に来てくれたようだ。


 しかもその生徒集団の中に、加賀さんの姿も確認できた。目があうと笑顔で手を振ってくれたので、こちらもピッチから右手を振って返す。

 栄成高校内でのサッカー熱の高まりを感じる。トップチームが『関東王者』に輝いた影響だろう。


「……お前と神園さんは、ずいぶんと仲がいいんだな」


「え? あ、うん……」


 背後にいた松村くんが急に声をかけてきたので、僕はキョドりつつも頷く。

 そういえば、途中からうっかり彼がいることを忘れていた。何かまた因縁をつけられるのでは、と不安になって身構える。


「そうか。じゃあ俺は、完全にピエロだったわけか……クソだせえ」


 これまでなら悪態をつかれてもおかしくない場面なのに、松村くんは力なく肩を落とすだけだった。

 拍子抜けだ……何か心境の変化でもあったのか、入れ替え戦以降の彼は妙におとなしい。


「おい、兎和! アップ始まるぞ!」


 玲音の声で、ハッと我に返る。

 同時に僕たちは、小走りでDチームメンバーのもとへ向かった。

 時刻は、午前10時少し前――もうすぐ、明宝高校との公式戦が始まる。

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