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第65話

 絶対に相手を倒す、と決意してサッカーの試合に臨むのは人生で初めて。だからなのか、アップで温まる体以上に心がメラメラと熱く燃え上がっている。


 もとより本日の試合、順当にいけばうちが勝つだろう。栄成が『強豪』と世間で評価されているのに対し、明宝は『中堅』くらいの格付けなのだ。


 だが、普通に勝つだけじゃ物足りない。ナンパ野郎どものチョッカイにはただでさえ腹を立てていたうえ、美月の個人情報までかかっている……おまけに、松村くんの件も加わった。

 こうなったら、僕たちに絡んだことを後悔するほど圧倒してやる。


 まあ、サッカーに絶対はないので油断は禁物だし、僕は自分の意思で全力プレーもできないのだけど……とにかく、可能な限り大勝を目指す。


「よし、軽くミーティングするぞ!」


 アップは30分ほどで終了する。同時に永瀬コーチから集合の声が発せられ、Dチームメンバーは自陣ベンチに戻って試合前のミーティングを行った。

 今回のスタメンは、入れ替え戦で共闘した『兎和チーム』がそのまま採用されている。戦術に関しても同様で、左サイドが攻撃の主体を担う。


 もちろん体力配分は前後半を見据えて調整しろよ、と。

 そこまで告げて、作戦ボードの上にあった永瀬コーチの手が止まる。


「おはようございます、監督。遅かったすね」


「悪い、道が混んでいたんだ」


 ジャージを着た中年男性が、永瀬コーチの挨拶に応えつつ栄成ベンチへやってくる。

 僕を含め、Dチームメンバーは揃って驚きの表情を浮かべた。部外者が来たから、というわけではない……いきなり現れた人物が、Aチームを指揮する『豊原監督』だったからだ。


「皆、おはよう」


『おはようございますっ!』


 豊原監督の朝の挨拶を受けて、僕たちは反射的に声を合わせて応じた。

 トップチームの指揮官が、いったいなぜDチームの試合に……訝しげに思っていると、彼はさも当然のごとく栄成ベンチに腰を落ち着ける。


「今日は豊原監督が同席するけど、気にせずいつも通りにプレーしてくれ。近所のおっちゃんが見に来たくらいの感じでいいからな」


「おいおい永瀬、せめてイケオジと言ってくれ」


 大人同士が冗談を交わし、場の空気が少し和む。とはいえ、試合に登録されたメンバーはいつも以上に緊張を強いられそうだ。


 その後、スタメンはホームユニフォーム(青)に着替えて試合の準備を整える。試合登録外のメンバーたちは応援のためスタンドへ向かう――そこで僕は、豊原監督にちょいちょいと手招きされた。


「あ、あの……僕になにか?」


「白石兎和、頑張っているみたいだな。平尾さんも喜んでいたぞ」


「えっ、平尾さんってブルースターのですか……!?」


 豊原監督とマトモに会話するのはこれが初めて。なので、どんな用件かと萎縮していたのだが、ジュニアユース時代にお世話になったチームスタッフさんの名前が飛び出してきて驚く。


 平尾さんは、今となっては恩人だ。

 当時、進路に迷っていた僕に栄成高校のセレクション受験を強く勧めてくれた。それがなければ、美月との出会いもなかった。


 そういえば以前、『豊原監督とブルースターのスタッフさんが長い付き合いだ』と永瀬コーチが言っていたっけ。


「かなりの逸材らしいな。永瀬から報告を受けたときはたまげたぞ。セレクションの数値は平均的だったから、てっきり平尾さんの話は大げさだと思い込んでいたよ」


 ブルースターで花開くことはなかった。しかし私は、白石兎和に非凡な才能を感じています――過去(ジュニア時代)のデータを根拠に、平尾さんはそうゴリ押ししてきたらしい。


「白石兎和、これからも努力を怠るなよ。栄成の未来を頼んだぞ」


 ぽん、と豊原監督に肩を叩かれた。

 ぽろり、と僕の目から涙が一粒こぼれた。


 苦い思い出ばかりが積もったジュニアユース時代。だが確かに、記憶の中の平尾さんはいつも親切に接してくれていた。


 そうか……当時の僕なんかに期待してくれる人が、両親の他にもいたんだな。いつも自分のことに精一杯で気づきもしなかった。

 改めて今度お礼を伝えにいこう、と僕は心に誓う。


「どうした!? なぜ急に泣く!?」


「……何でもありません。監督、教えてくれてありがとうございます」


 ユニフォームの裾で目元を拭い、狼狽える豊原監督に背を向ける。

 サッカーをやめなくてよかった――また一つ、勝ちたい理由が増えた。平尾さんのスカウティングが正しかったことを証明してみせる。


 与えられた『背番号14』と胸のエンブレムを誇りに感じながら、僕はピッチへ踏み出した。


「何度も言うが、今日は絶対に勝つ! 俺たちがD1に相応しいと見せつけてやろう! さあ、気合い入れていくぞッ!」


『――ヨシ行こうッ!』


 整列を済ませ、円陣を組んでテンションをブチあげる栄成イレブン。ゲームキャプテンである里中くんの熱弁が皆の闘志を一層引き出す。


 それから僕はスタートポジションに立ち、主審がホイッスルを吹く瞬間を待つ。すると、黄色のユニフォームを着用する池田がわざわざ声をかけてきた。


「ウソだろ。お前がスタメンなのかよ……これはもう、うちが勝ったんじゃね?」


「悪いけど、今日の僕はけっこうスゴイと思うよ」


 モチベーションは最高潮。この感じなら、全力は無理でも半分くらいのパフォーマンスは発揮できそう……な気がする。

 それに頼みの綱の美月も、青いタオルを握りつつスタンドの最前席から見守ってくれている。


 程なくして、薄曇りの空のもと長いホイッスルの音色が響く。

 ユニティリーグ東京・第2節――『栄成高校VS明宝高校』、キックオフ。


 ***


 ホイッスルが吹かれ、Dチームにとって二度目の公式戦が始まった。

 その様子を俺、松村康夫は、栄成ベンチから見つめる。


 最初にボールを蹴ったのは、黄色のユニフォームを着た明宝だった。次いでセオリー通り、前線へロングフィードが送られる。


「チッ、なんで俺がベンチなんだ……」


 ピッチを行き交うボールを目で追っていると、隣に座る小俣颯太の愚痴が聞こえてくる。

 悪巧みしたクセに入れ替え戦で情けなく敗北したからだろーが、とツッコミそうになった。


 他にも、スタメン落した馬場航平や酒井竜也などは、あからさまにブスくれた顔をしている。どう見ても処遇に納得していない。


 うぬぼれすぎだ。こいつら、自分を物語の主人公か何かだと勘違いしているに違いない……かくいう俺も、最近までそうだったから気持ちはよくわかる。


 幼い頃からずっと、俺はこの世界の主人公だった。サッカーが上手いと持て囃され、いつも皆の中心にいて、できないことは一つもなかった。

 ジュニアユースでプレーするようになっても変わらなかった。いつだって世界は輝き、鮮やかな色彩に満ちていた。


 だから俺は、さらなる成功を求めた。妥協する池田やチームメイトの誘いを断り、自分の選択肢の中でもっとも難関とされる栄成高校への進学を選んだ。


 今になってみれば愚かな話だ。試合に負けても原因をチームメイトに押し付け、現実を見ようとしなかった。個人競技だったらこうはいかない。 


 栄成サッカー部のセレクションに合格したことも、増長を加速させる要因となった。

 神園美月に執着していたのも、主人公の自分にピッタリな相手だと思いこんでいたからだ。


 だが、天才的サッカー選手である二人の白石くんと出会って悟った――自分は何者でもない、と。


 白石鷹昌は、傲慢不遜を絵に描いたような性格に反して、繊細なテクニックと豊かな創造性を併せ持つ。意外にも、周囲を活かすことで自分も活きるコンダクタータイプだ。


 白石兎和は、まるで覇気を感じさせない陰キャのくせに、爆発的なアジリティとバケモノじみたボディバランスを併せ持つ。おまけに基礎能力も高く、ひとたび本領発揮すればたった一人で試合を決めてしまう。どういうわけか、パフォーマンスに波があるのは大きな欠点だが。


 どう考えても、キャラクターとスキルがあべこべだろ……ややこしいヤツらめ。

 ともあれ、絶対に敵わないとはっきり理解させられた。同時に、俺なんかよりよっぽど主人公に相応しいと実感した。


 鷹昌一人なら、まだ不都合から目を逸らして踏ん張れた。しかし兎和に圧倒されたとき、心がポッキリ折れてしまった……主人公かその候補くらいに思っていた自分が、実は『無名の脇役』に過ぎないと気づかされたのだ。


 サッカーという最大の拠り所を失い、俺はようやく現実を正しく認識できた。

 それからというもの、胸を抉られるような痛みがずっと続いている。いっそ消え去ってしまった方が楽かも、なんてバカな考えが浮かぶほどツラい日々を過ごしている。 


 それでも腹が減って、眠れば明日が訪れる。

 クソみたいに苦しくても、俺のために時間は止まってくれやしない。


 結局、残酷な現実を受け入れて生きていくしかない。たとえ世界にとってモブに過ぎなくても、自分の人生は自分だけのものだから。

 そして、ここから先に進むためには、何かしらケジメをつける必要があるのだろう。


「あ、チャンス」


 ベンチメンバーの呟きが耳に入り、目の前で展開される試合に自然と意識が引き戻される。 

 見れば、兎和の足元にボールが収まる直前だった。全体のポジションニングから察するに、栄成のカウンターが炸裂している最中のようだ。


 しかもディフェンダーとして、明宝の右SBを務める池田がマッチアップしている。まるで誂えたかのような状況だ。


「勝負ッ!」


 ベンチに座っていた永瀬コーチが立ち上がり、歓声にも負けない大声で叫ぶ。

 その拍子に池田は腰を落とし、ディフェンスの体勢を整えた。


 一方、兎和は集中すべき場面にもかかわらずよそ見をしていた。その視線の先をうかがえば、スタンドで応援する神園さんの姿が目に入る。

 つい呆れてしまった――しかし次の瞬間、兎和の纏う雰囲気が急変する。


「あっ!?」


 俺は反射的に、タオルを握る両手に力を込めた。

 雰囲気のみならず、兎和のボールの持ち方が変わったのだ。軸足を前に置き、後ろに残した利き足でリズム良くボールをキープする。懐が深く、ディフェンス側にとっては厄介な体勢である。


 まるで、入れ替え戦で俺がぶち抜かれたときのリプレイだ。

 嫌な記憶が蘇ってきて、心の傷が疼く……すると、タイミングを合わせたかのように『1対1』が始まる。


 先に仕掛けたのは兎和だ。ゆっくり動きながらもぐっと重心を落とし、縦方向へ突破する気配を見せる。池田も反応してコースをきるべく立ち位置を修正した――その刹那、視界の端に映る神園さんが青いタオルを振りかぶる。


「兎和くん!」


 好きだった人が、大嫌いだった同級生の名前を叫ぶ。

 次の展開が予想できた。なにせ、同じシチュエーションで二度も屈辱を味わっているのだから。それに、池田たちに絡まれたときの借りを返すいい機会でもあった。


 俺は跳ねるように立ち上がり、タオルを振りかぶる。


『――ゴーッ!』


 俺と神園さんの声が響き渡るや否や、兎和は劇的な反応を示す。

 縦への突破を試みていたはずが、急激な重心移動を行いつつ体をセンターレーン側へ傾けた――奇しくも、この心を砕いたマシューズフェイントが炸裂した。


 間髪入れず、一陣の青い風が鮮やかにピッチを切り裂く。

 兎和は爆発的なアジリティを発揮し、ユニフォームに手も触れさせず相手をぶち抜いた。


 粘り強いディフェンスが売りの池田は、中途半端に反応していた。その結果、無茶苦茶な重心移動についていくことができず、アンクルブレイクしてピッチに倒れ込む。


 這いつくばるディフェンダーに目もくれず、兎和は驚異的なスピードで敵陣を駆け抜ける。明宝CBの前に差し掛かると、キックフェイントを交えながらボールを横に持ち出し、そのままコントロールシュートを放って華麗にゴールネットを揺らしてみせた。


 わあっ、と歓声が一斉に上がる。

 感情の高ぶりに任せて、俺も大声で叫んだ。


「――ああぁぁあああああああッ!」


 ふいに雲の切れ間が生じ、陽光がピッチに差し込む。

 もうすぐ、夏が来る。

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