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第71話

「さあ、兎和くん。どの能力を解放したいのか、この私――能力解放の女神に教えてちょうだい」


「うんうん、じゃあお願いしようかな……いや、なに言ってんの? もしかして最近の暑さにやられた? あ、それかストレスとか? 悩みがあるなら相談のるよ」


 イエスなトーク術で好感度バク上げを目論んだ、その日の部活後。

 ジャージに着替えた僕は日課のトラウマ克服トレーニングに臨むべく、三鷹総合スポーツセンターのグラウンドを訪れていた。


 そしていつも通り、ナイター照明の灯る芝生広場の隅っこで美月と合流した。すると奇妙なポーズをとる彼女の口から、謎の発言が飛び出してくる。


 能力解放の女神……まあ、今日の美月は確かに女神っぽい。ふわりと揺れるヒラヒラのワンピースをまとい、セレブリティが集うパーティーの主役みたいに華やかだ。場違いにもほどがある。


 一方、クールビューティーにして生粋のニートたる涼香さんは、安定の芋ジャージ姿。少し離れた場所に立っており、二人揃って視界に入ると温度差がありすぎて風邪ひきそうだ。


「メッセージで『潜在能力の解放を頼む』って……あれ、LARPの配役についてのお話じゃなかったの?」


「LARP? なんだそれ……」


 僕の返答を受けて、美月は奇妙なポーズをとったまま目をむく。

 どんな顔をしても美貌が損なわれないのだから、相変わらず突き抜けた美少女っぷりだ。


 それはさておき、LARPについて再び訊ねる。すると「現実世界でゲームのキャラクターになりきって楽しむ体験型コンテンツよ」との回答を得られた。即興劇の要素もあり、リアル脱出ゲームに近いジャンルみたい。


 続いて、どう勘違いしてこうなったのか詳しく話を聞けば、涼香さんに一杯食わされた結果だと判明する。


 僕からのメッセージを見た美月は、真っ先に『能力解放の女神』というイメージを思い浮かべたそうだ。以前、涼香さんが語っていたソシャゲのキャラなのだとか。


「だから、まず涼香さんに確認したのだけれど……」


 そして悪い大人(涼香さん)に『LARPの配役に違いない。ドレスを着てキャラになりきり、サプライズ演出したら兎和くんは喜ぶ』とそそのかされ、僕に確認することなく今に至る。放課後、わざわざ自宅でドレスに着替えて奇妙なポーズを二人で考えたという。


 ノリのいい超絶美少女を騙した悪い大人に、僕はジト目を向ける。

 涼香さんはうつむき、決して視線を合わせようとしない……肩が震えている。あれ、絶対ツボに入っているだろ。


「じゃあ、潜在能力の解放って……?」


「ああ、そのことについて相談しようと思ってたんだよ」


 今朝の里中くんとのやり取りの内容を伝える。一応、イエスなトーク術の件も含めて。しばらくして話を聞き終わった美月は、やはり涼香さんへジト目を向けていた。


「もう! これ着てきた意味ないじゃない!」


「うわ、ここで脱ぐなって!?」


 何を思ったのか、美月はドレス調のワンピースをその場で脱ぎ始める。しかも彼女は、「別に見てもいいわよ」とあっけらかんと言い放つ。

 ストレスで本格的な錯乱状態に陥ったのかと心配してみれば、下にしっかりオシャレなスポーツウェアを着用していた。


「驚かせるなよ……」


「こんな場所で下着になる趣味はないわ。それより、ここに座って。お弁当を食べながら話しましょう」


 促されて、白うさぎのキャラクターが描かれたレジャーシートへ腰を下ろす。次いで隣に座った美月から手渡されたのは、軽食が詰まったお弁当箱。


 トラウマ克服トレーニングを行う際、以前はゼリー飲料やエナジーバーなどでエネルギー補給を行っていた。しかし最近は、美月が手作りのお弁当を持参してくれるようになった。もちろん毎回とはいかないが。


 中身はうちの母直伝の料理なので、安心して食べることができる。さらにこの後のトレーニングに支障をきたさないよう配慮までされている。


「いつも悪いね」


「大丈夫よ。兎和くんのお母さまから食材を頂いているし、私も勉強になるから。それに、料理をするのは楽しいもの」


 僕の部活中、美月は車で数日分の食材を受け取りに行っているらしい。自分抜きに着々と謎ネットワークが構築されているのは妙な気分だ。


 おまけに父まで関わっているというのだから、もう呆れる他ない……今のトラウマ克服トレーニングも以前とは異なる。

 具体的には、父考案の自主トレメニューをこなしつつ合図が出たらドリブルシュートを行う形だ。気分転換にバドミントンをやることもあるけれど。


「今日もウマい。美月って、意外と料理上手だよな」


「意外とってなによ。私はこれでも料理好きなのよ? これ、前にも言ったような記憶があるわね。なんか無視されたけど」


 そういえば、そんなこともあったなあ。

 僕はお弁当を食べながら、栄成高校へ進学してからの日々を振り返る。それから少しの間を置き、美月が「さっきの件だけど」と改めて話を切り出す。


「とりあえず、私の知識をもとにアドバイスすればいいのよね?」


「まあ、そんな感じかな。でも、悪いから僕がちゃんと断ってくるよ」


 僕がアホなばっかりに、いつも迷惑をかけてばかりいる。本当に申し訳ない。

 ところが、美月は自分のつややかな黒髪を何度か撫でてから、こちらの考えとは真逆の回答を口にする。


「ううん、引き受ける。ちょうどいい機会だし、チームメイトの強化に着手しましょう」


「……いったい何をするつもりなんだ?」


「兎和くんがJリーガーを目指すうえで、全国の大舞台での活躍は必須。でも、それにはチームメイトのサポートが欠かせない。先日の東帝戦を見て実感したわ」


 サッカーにおけるチームプレーの重要性はいまさら語るまでもない。そして美月は、先日の東帝戦の敗北が気にかかっているようだった。


 あの試合、栄成のエースである相馬先輩は徹底的にマークされ、大部分の時間ゲームに関与できなかった。その結果、敗因の一つとなった。

 そこで彼女は、チームの総合力を高める必要があると強く感じたらしい。将来、僕が徹底マークにあったときの布石でもあるそうだ。


「技術面に関しては、部活で永瀬コーチたちが指導してくれる。だから私は、別のアプローチでプラスアルファを加えるつもり。まあ、やるかどうかは本人の選択に任せるけれどね。あ、兎和くんには特別プランを用意してあるから。はい、これにサインしてね」


 美月はゴソゴソと、横に置いてあったトートバッグから書類を取り出す。受けとって内容を確認してみれば、真っ先に『カーム(KALM)』という企業のロゴが目に留まる。


「……これって、栄成サッカー部をサポートしてくれている企業の一つだったよね?」


「そうよ。カームは、契約した部員にプロテインやサプリメントを学割で提供している。あと、トップチームが使用する『GPS搭載ウェアラブル端末』のレンタル元でもあるわ」


 美月の説明にあった通り、栄成サッカー部と縁の深い企業だ。

 ちなみに『GPS搭載ウェアラブル端末』とは、試合や練習中のフォーマンスと運動データをリアルタイム計測する装置である。これにより、選手の能力を数値化することが可能となる。ただし高額な備品ゆえ、導入はトップチームに限られる。


「で、この書類はカームとの契約書みたいだけど……僕は何を買わされるんだ?」


「人聞きの悪いこと言わないの。むしろ逆で、カームが兎和くんに色々と提供するようになるわ」


「は……? それってまさか……」


「おめでとう。初めてのスポンサー契約ね」


 ニコリと笑う美月の返答に、驚きのあまり口が開いたままになった。

 ワケがわからん……なんの実績もない高校生を企業が支援するなど前代未聞だ。とはいえ、僕ごときをハメる理由も思いつかなかったので、いったん書類の内容を精査してみた。


「……これ、モニター契約って書いてあるけど?」


「形式上はね。実はカームって、うちの関連会社なのよ。この前、兎和くんのことを祖父に話したら、ぜひサポートしたいって。でも、いきなりスポンサーなんてプレッシャーでしょ? そこでまずは、クッションとしてモニター契約を挟むことにしたの」


 なるほど……美月のお祖父さまは、栄成サッカー部の熱烈なサポーターだ。カームから支援を受けられる理由にも納得である。


 肝心の契約内容は、プロテインやサプリメントの割引販売(激安)。加えて、極めて専門的なフィジカル測定を行い、最大パフォーマンスを引き出すための科学的なアドバイスを受けられる(無料)。

 一方、僕は商品の使用感や自分のフィジカルデータをカームに提供する。


「兎和くんのご両親の許可は得ているから安心してね。涼香さんと一緒に説明して、ご了承いただいたの。そうそう、私の母が『今度ご挨拶に伺いたい』と言っていたわ」


 書類の二枚目を見ると、確かに母のサインが記されていた。どうやら、サプライズ好きの美月が口止めしていたようだ。


 僕の知らないところで事態が進展している……しかしお世話になりまくっている立場としては、一度きちんと挨拶をして筋を通さねばなるまい。ましてお金が絡む内容ともなれば、親同士の顔合わせは必須だろう。


「つーか、僕と同じ内容を里中くんたちにも提供するの?」


「ううん。これは、兎和くんだけに用意していた特別プランよ。けれど偶然タイミングが重なったから、彼らにも『フィジカルパフォーマンスに関する科学的アドバイス』の部分のみ提供しようと思って。有料だから希望者に限るけれど」


 僕のために用意していた特別プランの一部を、里中くんたちにオススメするつもりらしい。もともと販売しているサポートプログラムなので、美月的にも手間がかからないそうだ。当然ながら有料なので、希望者を募る形となる。


「でも、これなら『潜在能力の解放』もあながち間違いじゃないよね。カームの顧客には現役のプロサッカー選手もいるし、絶対に役立つはずよ」


 言って、茶目っ気たっぷりに笑う美月。

 確かに里中くんの要望に適う内容だ。プロと同水準のアドバイスを受けられるのであれば、非常に大きなアドバンテージとなる。


 問題は料金だけど……そこは各家庭の事情や、どれだけ本気かにかかっている。相棒の玲音には、できれば参加してもらいたいところだ。


 その後も僕たちは、トラウマ克服トレーニングに取り組みながらチーム強化プランの検討を続けた。そして次の月曜に、カームのサポートプログラムについての説明会を開くことが決まる。

 こうして、僕の汗だくサッカーライフに変化の風が吹き始めた。

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