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第72話

「悪い、美月。待った?」


「ううん、大丈夫。友だちと話してたから。お疲れさま、兎和くん。山田くんもね」


「おう、神園。お疲れさん」


 期末テストの足音が間近に迫る、6月下旬の月曜日。

 迎えた放課後、栄成サッカー部の予定は全体オフ……とかいいつつも、カテゴリごとにミーティングなどが実施されていた。


 そしてCチームの集まりが解散次第、僕と玲音は校内のカフェスペースで美月と合流した。その後、彼女が準備した資料(パンフレット)を代わりに持ち、三人揃って1年A組の教室へ向かう。


「美月。そのポロシャツ、いい感じだね」


「あら、ありがとう。気に入った?」


「うん。どこで買えるの? 僕も欲しい」


 夏服に衣替えしたらしく、最近の美月は爽やかなブルーのポロシャツを制服に合わせている。

 青春のアオだ。羨ましくなり、どこで買えるのかつい尋ねてしまった。しかし「青山のショップ」との返答を受け、少しガッカリした。


 きっとお高いのだろう。一介の高校生に手を出せるようなお値段ではないはず。

 そんなふうに雑談を交わしつつ歩くこと数分、僕たちは目的地に到着する。


「お、来たな。今日はわざわざありがとう」


「どういたしまして。こちらにもメリットがある話だから気にしないで」


 教室に入るなり、里中くんが声をかけてきた。返事をする美月から視線を外し、僕は室内をざっと見渡す。

 前方の席には、6人のDチームメンバーが腰を落ち着けていた。どうやら、ひと足先にミーティングを終えたらしい。


 彼らがここに集まった目的は、潜在能力の解放……改め、株式会社カームが販売する『フィジカルフィットネスプログラム』についての説明を聞くため。

 具体的なパッケージ内容は、フィジカルパフォーマンスに関する科学的アドバイス――先日話をしていた例のアレだ。


 それにしても、思ったより参加者が少ないな。

 教卓に資料を置きながら、僕は問いかけた。


「他の人はいないの?」


「ああ。いきなり大勢で押しかけるのも悪いから、代表して俺たちがこの説明会に参加させてもらった」


 里中くん曰く、参加希望者はもっと多かったそうだ。しかし明らかに美月目当ての不埒者が多数まざっていたので、いったん現状のメンバーに絞ったという。

 集まったのは、当然ながら全員顔見知り。というか、入れ替え戦や明宝高校で共にプレーした『兎和チーム』のスタメンの面々だった。


「じゃあ、さっそく始めましょうか。兎和くん、資料を配ってもらえる?」


 司会を務める美月に「うん」と返事して、僕は『フィジカルフィットネスプログラム(サッカー専用)』に関する資料を配布する。ここからは玲音も空いている席に座り、聴衆側に回る。

 配布後、主催者が開催にあたって挨拶を述べた。


「皆さま、お集まりありがとうございます。能力解放の女神こと、神園美月です。本日はサッカーの上達につながる提案を持参しました。それでは早速ですが、お手元の資料を御覧ください」


 女神設定、まだ引きずっているのか……それはともかく、皆の視線は配布された資料に釘付けだ。教室の前方に控える僕は、その光景を静かに見つめる。

 しばらくして、美月からパッケージ内容への言及があった。


「カームが提供するフィジカルフィットネスプログラムは、複数のメニューで構成されています。具体的には、『パーソナルセッション・グループセッション・オンデマンド』の三つ」


 まず、パーソナルセッション。

 名称の通り、専属トレーナーの個人指導である。最新鋭の機器で選手の能力を詳細に診断し、カスタマイズされたフィジカルトレーニングのメニューや食事に関するアドバイスを提供する。


 さらに体のクセや姿勢を徹底分析し、パフォーマンスの向上を実現。あわせて怪我の予防法なども学べる。


 次に、グループセッション。

 いわゆる合同練習会だ。ただし、『ポジションに特化』したレッスンが行われる。包括的な指導に偏りがちな部活などに対し、こちらは専門的なテクニックやスキルに焦点を当てている。


 しかも目玉として、現役のプロサッカー選手が講師役として招かれる。稀に日本代表クラスが引き受けてくれることもあるそうだ。


 最後に、オンデマンド。

 プロの解説付きトレーニング動画やテクニック集に加え、サッカーに適した体を作るための栄養豊富なレシピ類が見放題。どれもこれも科学的エビデンス付き。


「また4週間ごとに入念なフィジカルチェックを行い、その都度トレーニングメニューや食事法の改善を図ります。契約は基本4ヶ月更新。仮に皆さんが契約を結んだ場合、提携クラブである栄成サッカー部にもパーソナルデータが共有されます」


 以上が、提供予定のフィジカルフィットネスプログラムの詳細となる。

 当初は、パーソナルセッションとオンデマンドの二つを想定していた。しかし美月がお祖父さまに相談したところ、『せっかくだから』とグループセッションも特別に追加された。


 気になる費用の方は、進学塾に通うのと同じくらい。特別な割引価格でのご提供とはいえ、本気の覚悟がなければ躊躇するような金額である。僕はモニター契約(スポンサー)なので無料だが。深く感謝している。


「あの……質問があるんだけど」


「はい。どうぞ」


 ここで控えめに手をあげたのは、右端の席に座る大桑優也(おおくわ・ゆうや)くん。

 彼は穏やかで控えめな性格とは裏腹に、身長180センチオーバーの大型FWである。肉体もしっかり鍛えられており、外見は結構ゴツい。


 先日の明宝戦では高身長のアドバンテージを活かし、僕のクロスからヘディングで得点を記録している。


「兎和はこのプログラムに参加して、あのとんでもないアジリティを手に入れたの……?」


「いいえ。兎和くんの爆発的なアジリティは天性の才能で、唯一無二よ。そのうえ、ご両親の練った緻密な『育成計画』によって磨きがかかっている。そもそも彼は、メンタルの問題で実力を発揮できていなかっただけなの。でも現在は、私がサポートして治療中。だから、カームとは無関係です」


「そっか……ちなみに、このプログラムに参加したらアジリティを向上できるかな? 兎和と同レベルとは言わないけど、もっとスピードが欲しくて」


 ちょっと意外だ。まさか、大桑くんがアジリティを求めているとは思わなかった。プレースタイル的には、フィジカルコンタクトに強いターゲットマンといった感じなのだが。

 美月も似たようなイメージを抱いたらしく、理由を探るべく質問を返す。


「大桑くんは、どんな選手を理想としているの? 具体的に名前を挙げて教えてくれない?」


「俺は、『アリング・ハランド』みたいになりたくて……」


 おいおい、とんでもないビッグネームが飛び出してきたぞ。

 アリング・ハランドは、近年ヨーロッパリーグ(主にプレミアリーグ)で衝撃的なパフォーマンスを披露している怪物ストライカーだ。


 御託を抜きに語れば、『シュートを決めるために生まれてきた存在』の一言に尽きる。

 デカくて速くてタフで、バカげた決定力を誇り、ストライカーとして必要な能力のすべてを最高水準で備えている。今後のフットボールシーンをリードし続けること間違いなしの世界的スターだ。


「それはムリだろ……」


 中央の席に座る里中くんが、思わずといった様子で呟く。

 同感だ。アレは、目指してたどり着ける領域にない。サッカーの神の寵愛を受けた、選ばれしフットボーラーなのだ。


 なお、リオネル・メッツは神の子なのでその上をいく。僕個人の意見なので、異論は認める。


「ハランド……そうね、ちょっと現実的ではないかも。アジリティは天稟の影響が大きいし、他にも規格外というか、努力だけでは埋められない部分がある。お手本にするなら、ワントップ起用時の『カイル・ハヴェルツ』のような万能型の選手をオススメするわ」


 美月が口にしたのは、やはりとんでもないビッグネーム。

 カイル・ハヴェルツも、近年ヨーロッパリーグ(主にプレミアリーグ)で印象的な活躍を披露しているスーパースターだ。


 端的に表現すれば、高身長ながら足元の技術に優れた万能型アタッカー。

 非常にポリバレントな選手で、前線の全てのポジションでプレー可能だ。とにかく総合力が高く、ビルドアップやゲームメイクでもチームを助けることができる。


 ハヴェルツは現代サッカーにおける選手の理想像の一つとされ、高い評価を得ている。

 僕的にも、目標とするなら断然こっちがオススメ。プレーは極めて洗練されているが、死ぬほど努力すれば少しは近づけそうな気がする。


 対してハランドは、絶対に真似できない理不尽さをゴリゴリ感じる。どれほど努力しても、人間は怪物になれないのだ。


「なにより現代サッカーでは、全能力の平均値が高く、さらに得意かつ卓越したスキルを持つ――そんな選手が上にいく傾向にあるわ」


 美月のまとめは、実に的を射たものだった。

 現代サッカーでは、どのポジションだろうと攻守両面での貢献が求められる。マルチタスク化が進行した結果、満遍なくカバーできる能力が必要となった。例外は、突き抜けた一部の選手のみ。


 そしてプロを目指すのなら、オールラウンドにプレーしながら『いかに自分のストロングポイントを活かすか』が肝になってくる。


「まして、皆には時間がない……今からたった2年後には、キャリア的に重大な決断を迫られるわ。高校卒業と同時に、大半が競技レベルのサッカーからは引退を余儀なくされる」


 続く美月の発言を受け、湿ったアスファルトでも舐めたような味がじんわり口に広がる。

 高校卒業後、プロになれなければ別の進路を選ぶ必要がある。大半は進学を選ぶだろうが、サッカーに本腰を入れて打ち込める環境は限られており、競技から離れざるを得ないケースが多発する。


 もちろん大学を経由してプロデビューする選手もいるし、アマチュアリーグなどの選択肢もある。だが、将来性や経済的な事情を鑑み、サッカーから離れて社会人として生きていく方が一般的――そもそもの話、夢を叶えられる人間なんてほんの一握りなのだ。


 そこで、僕はいったん思考を中断する。

 左端の席に座る玲音が、トーンを少し落として意見を述べたから。


「神園の言う通りだ。ただでさえサッカーは選手寿命が短い……それに、インターハイと選手権に挑戦できる回数も限られる。上を目指すのなら、いたずらに夢を追いかけるのではなく、現実的な強化プランを選択すべきだろう。プロを目指す場合でも同様。無茶と無謀はまったく異なる」


 夏のインターハイと冬の選手権は、高校サッカーにおけるメジャー大会である。世間からの注目度が高く、プロスカウトの目にも留まりやすい。


 栄成サッカー部は『T1リーグ』などにも参戦しているが、その注目度は段違い。仮に大学への進学を選択したとしても、全国での活躍は推薦などに直結する。


 つまるところ、メジャー大会での成績はこの先のサッカー人生を大きく左右する。それゆえ、大多数の高校生プレーヤーがそこに照準を合わせて活動しているのだ。


 美月の隣に立つ僕は、ブンブンと頭を振って玲音の意見に激しく同意していた。

 するとここで、里中くんが机の上で拳を握りしめながら口を開く。


「そうだな。人生のキャリアプラン的に考えても、全国の舞台で好成績を収めるにこしたことはない。残された挑戦機会は……今年はムリだから、インターハイと選手権を合わせてもたった『4回』か――ていうか、ぶっちゃけ俺は活躍してプロになりてえッ! だからこそ、今かなり焦っている!」


 どうやら彼、僕と同じ道を進む者らしい。昔からJリーガーを目指して努力を重ねてきた、と大々的に打ち明けていた。ところが現在、強い焦りを抱えているという。


「鷹昌に兎和と玲音、三人はすでにCチームへ昇格している。それでなくても、全国には高校生のうちにプロデビューを果たす選手がいる……もっとレベルアップしないと、俺は置いてかれちまう」


 サッカー界では、上を見ればキリがない。海外には僕たちと同年代にもかかわらず、国のA代表(年齢制限のない代表チーム)としてプレーする選手までいる。しかもヨーロッパチャンピオンを決める大舞台で活躍しているのだから、才能の残酷さはとどまるところを知らない。


 きっと、あの黒瀬蓮(くろせ・れん)の影響もあるのだろう。

 ともあれ、里中くんはフラストレーションをタメ込んでいたせいで、玲音がふとこぼした『潜在能力の解放』なんて言葉に飛びついてしまったそうだ。どんな手段だろうとサッカーが上手くなるのなら、と。


「それに兎和、玲音……俺はまた、お前たちと一緒にサッカーがしたいんだ。明宝戦のとき、プレーしていてむちゃくちゃ気持ちよかった。今もあの試合が忘れられない」 


 不意に喉が震え、わずかに息が詰まった。

 玲音なら話はわかるが、まさか僕とも一緒にプレーしたいなんて……にわかに瞳が熱を帯び、口を引き結んでないと涙腺が緩んでしまいそうになった。


「なにより、兎和たちとなら全国で優勝できそうな気がする――よし、決めた。俺はこのプログラムに申し込む。スキルアップして、絶対にお前たちに追いついてやるッ!」


 どうやら、里中くんは腹を決めたみたい。トライアルや検討、おまけに親御さんの説得まですっ飛ばしているが、情熱に水を差すのはやぼってものだろう。


「質問いいかな。このプログラム、GK(ゴールキーパー)が申し込んでも構わないんだよね?」


 ぴんと手をあげたのは、池谷晃成(いけたに・こうせい)くん。

 ポジションはGK――栄成サッカー部では、高身長のみに許されたエリートポジションだ。実際、彼の身長は180センチ代半ばらしい。笑顔が爽やかなイケメンでもある。


「もちろん。本プログラムは、サッカー選手のフィジカル育成に特化したものよ。そして当然、カームは全ポジションに対応できるだけのノウハウを持つわ」


「なるほど、回答ありがとう。実は、俺もまた兎和たちとプレーしたいと思っていたんだ」


 そう言った池谷くんに微笑みかけられ、僕の瞳は潤いを増す。

 その後も他のメンバーから質問が相次いだが、美月はスムーズに回答していく。


 さらに数十分が経ち、皆が納得した表情を見せたところで説明会はお開きとなる。玲音も前向きに考えてくれている様子だったので、僕としても満足度の高い時間となった。

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