「悪い、美月。待った?」
「ううん、大丈夫。友だちと話してたから。お疲れさま、兎和くん。山田くんもね」
「おう、神園。お疲れさん」
期末テストの足音が間近に迫る、6月下旬の月曜日。
迎えた放課後、栄成サッカー部の予定は全体オフ……とかいいつつも、カテゴリごとにミーティングなどが実施されていた。
そしてCチームの集まりが解散次第、僕と玲音は校内のカフェスペースで美月と合流した。その後、彼女が準備した資料(パンフレット)を代わりに持ち、三人揃って1年A組の教室へ向かう。
「美月。そのポロシャツ、いい感じだね」
「あら、ありがとう。気に入った?」
「うん。どこで買えるの? 僕も欲しい」
夏服に衣替えしたらしく、最近の美月は爽やかなブルーのポロシャツを制服に合わせている。
青春のアオだ。羨ましくなり、どこで買えるのかつい尋ねてしまった。しかし「青山のショップ」との返答を受け、少しガッカリした。
きっとお高いのだろう。一介の高校生に手を出せるようなお値段ではないはず。
そんなふうに雑談を交わしつつ歩くこと数分、僕たちは目的地に到着する。
「お、来たな。今日はわざわざありがとう」
「どういたしまして。こちらにもメリットがある話だから気にしないで」
教室に入るなり、里中くんが声をかけてきた。返事をする美月から視線を外し、僕は室内をざっと見渡す。
前方の席には、6人のDチームメンバーが腰を落ち着けていた。どうやら、ひと足先にミーティングを終えたらしい。
彼らがここに集まった目的は、潜在能力の解放……改め、株式会社カームが販売する『フィジカルフィットネスプログラム』についての説明を聞くため。
具体的なパッケージ内容は、フィジカルパフォーマンスに関する科学的アドバイス――先日話をしていた例のアレだ。
それにしても、思ったより参加者が少ないな。
教卓に資料を置きながら、僕は問いかけた。
「他の人はいないの?」
「ああ。いきなり大勢で押しかけるのも悪いから、代表して俺たちがこの説明会に参加させてもらった」
里中くん曰く、参加希望者はもっと多かったそうだ。しかし明らかに美月目当ての不埒者が多数まざっていたので、いったん現状のメンバーに絞ったという。
集まったのは、当然ながら全員顔見知り。というか、入れ替え戦や明宝高校で共にプレーした『兎和チーム』のスタメンの面々だった。
「じゃあ、さっそく始めましょうか。兎和くん、資料を配ってもらえる?」
司会を務める美月に「うん」と返事して、僕は『フィジカルフィットネスプログラム(サッカー専用)』に関する資料を配布する。ここからは玲音も空いている席に座り、聴衆側に回る。
配布後、主催者が開催にあたって挨拶を述べた。
「皆さま、お集まりありがとうございます。能力解放の女神こと、神園美月です。本日はサッカーの上達につながる提案を持参しました。それでは早速ですが、お手元の資料を御覧ください」
女神設定、まだ引きずっているのか……それはともかく、皆の視線は配布された資料に釘付けだ。教室の前方に控える僕は、その光景を静かに見つめる。
しばらくして、美月からパッケージ内容への言及があった。
「カームが提供するフィジカルフィットネスプログラムは、複数のメニューで構成されています。具体的には、『パーソナルセッション・グループセッション・オンデマンド』の三つ」
まず、パーソナルセッション。
名称の通り、専属トレーナーの個人指導である。最新鋭の機器で選手の能力を詳細に診断し、カスタマイズされたフィジカルトレーニングのメニューや食事に関するアドバイスを提供する。
さらに体のクセや姿勢を徹底分析し、パフォーマンスの向上を実現。あわせて怪我の予防法なども学べる。
次に、グループセッション。
いわゆる合同練習会だ。ただし、『ポジションに特化』したレッスンが行われる。包括的な指導に偏りがちな部活などに対し、こちらは専門的なテクニックやスキルに焦点を当てている。
しかも目玉として、現役のプロサッカー選手が講師役として招かれる。稀に日本代表クラスが引き受けてくれることもあるそうだ。
最後に、オンデマンド。
プロの解説付きトレーニング動画やテクニック集に加え、サッカーに適した体を作るための栄養豊富なレシピ類が見放題。どれもこれも科学的エビデンス付き。
「また4週間ごとに入念なフィジカルチェックを行い、その都度トレーニングメニューや食事法の改善を図ります。契約は基本4ヶ月更新。仮に皆さんが契約を結んだ場合、提携クラブである栄成サッカー部にもパーソナルデータが共有されます」
以上が、提供予定のフィジカルフィットネスプログラムの詳細となる。
当初は、パーソナルセッションとオンデマンドの二つを想定していた。しかし美月がお祖父さまに相談したところ、『せっかくだから』とグループセッションも特別に追加された。
気になる費用の方は、進学塾に通うのと同じくらい。特別な割引価格でのご提供とはいえ、本気の覚悟がなければ躊躇するような金額である。僕はモニター契約(スポンサー)なので無料だが。深く感謝している。
「あの……質問があるんだけど」
「はい。どうぞ」
ここで控えめに手をあげたのは、右端の席に座る大桑優也(おおくわ・ゆうや)くん。
彼は穏やかで控えめな性格とは裏腹に、身長180センチオーバーの大型FWである。肉体もしっかり鍛えられており、外見は結構ゴツい。
先日の明宝戦では高身長のアドバンテージを活かし、僕のクロスからヘディングで得点を記録している。
「兎和はこのプログラムに参加して、あのとんでもないアジリティを手に入れたの……?」
「いいえ。兎和くんの爆発的なアジリティは天性の才能で、唯一無二よ。そのうえ、ご両親の練った緻密な『育成計画』によって磨きがかかっている。そもそも彼は、メンタルの問題で実力を発揮できていなかっただけなの。でも現在は、私がサポートして治療中。だから、カームとは無関係です」
「そっか……ちなみに、このプログラムに参加したらアジリティを向上できるかな? 兎和と同レベルとは言わないけど、もっとスピードが欲しくて」
ちょっと意外だ。まさか、大桑くんがアジリティを求めているとは思わなかった。プレースタイル的には、フィジカルコンタクトに強いターゲットマンといった感じなのだが。
美月も似たようなイメージを抱いたらしく、理由を探るべく質問を返す。
「大桑くんは、どんな選手を理想としているの? 具体的に名前を挙げて教えてくれない?」
「俺は、『アリング・ハランド』みたいになりたくて……」
おいおい、とんでもないビッグネームが飛び出してきたぞ。
アリング・ハランドは、近年ヨーロッパリーグ(主にプレミアリーグ)で衝撃的なパフォーマンスを披露している怪物ストライカーだ。
御託を抜きに語れば、『シュートを決めるために生まれてきた存在』の一言に尽きる。
デカくて速くてタフで、バカげた決定力を誇り、ストライカーとして必要な能力のすべてを最高水準で備えている。今後のフットボールシーンをリードし続けること間違いなしの世界的スターだ。
「それはムリだろ……」
中央の席に座る里中くんが、思わずといった様子で呟く。
同感だ。アレは、目指してたどり着ける領域にない。サッカーの神の寵愛を受けた、選ばれしフットボーラーなのだ。
なお、リオネル・メッツは神の子なのでその上をいく。僕個人の意見なので、異論は認める。
「ハランド……そうね、ちょっと現実的ではないかも。アジリティは天稟の影響が大きいし、他にも規格外というか、努力だけでは埋められない部分がある。お手本にするなら、ワントップ起用時の『カイル・ハヴェルツ』のような万能型の選手をオススメするわ」
美月が口にしたのは、やはりとんでもないビッグネーム。
カイル・ハヴェルツも、近年ヨーロッパリーグ(主にプレミアリーグ)で印象的な活躍を披露しているスーパースターだ。
端的に表現すれば、高身長ながら足元の技術に優れた万能型アタッカー。
非常にポリバレントな選手で、前線の全てのポジションでプレー可能だ。とにかく総合力が高く、ビルドアップやゲームメイクでもチームを助けることができる。
ハヴェルツは現代サッカーにおける選手の理想像の一つとされ、高い評価を得ている。
僕的にも、目標とするなら断然こっちがオススメ。プレーは極めて洗練されているが、死ぬほど努力すれば少しは近づけそうな気がする。
対してハランドは、絶対に真似できない理不尽さをゴリゴリ感じる。どれほど努力しても、人間は怪物になれないのだ。
「なにより現代サッカーでは、全能力の平均値が高く、さらに得意かつ卓越したスキルを持つ――そんな選手が上にいく傾向にあるわ」
美月のまとめは、実に的を射たものだった。
現代サッカーでは、どのポジションだろうと攻守両面での貢献が求められる。マルチタスク化が進行した結果、満遍なくカバーできる能力が必要となった。例外は、突き抜けた一部の選手のみ。
そしてプロを目指すのなら、オールラウンドにプレーしながら『いかに自分のストロングポイントを活かすか』が肝になってくる。
「まして、皆には時間がない……今からたった2年後には、キャリア的に重大な決断を迫られるわ。高校卒業と同時に、大半が競技レベルのサッカーからは引退を余儀なくされる」
続く美月の発言を受け、湿ったアスファルトでも舐めたような味がじんわり口に広がる。
高校卒業後、プロになれなければ別の進路を選ぶ必要がある。大半は進学を選ぶだろうが、サッカーに本腰を入れて打ち込める環境は限られており、競技から離れざるを得ないケースが多発する。
もちろん大学を経由してプロデビューする選手もいるし、アマチュアリーグなどの選択肢もある。だが、将来性や経済的な事情を鑑み、サッカーから離れて社会人として生きていく方が一般的――そもそもの話、夢を叶えられる人間なんてほんの一握りなのだ。
そこで、僕はいったん思考を中断する。
左端の席に座る玲音が、トーンを少し落として意見を述べたから。
「神園の言う通りだ。ただでさえサッカーは選手寿命が短い……それに、インターハイと選手権に挑戦できる回数も限られる。上を目指すのなら、いたずらに夢を追いかけるのではなく、現実的な強化プランを選択すべきだろう。プロを目指す場合でも同様。無茶と無謀はまったく異なる」
夏のインターハイと冬の選手権は、高校サッカーにおけるメジャー大会である。世間からの注目度が高く、プロスカウトの目にも留まりやすい。
栄成サッカー部は『T1リーグ』などにも参戦しているが、その注目度は段違い。仮に大学への進学を選択したとしても、全国での活躍は推薦などに直結する。
つまるところ、メジャー大会での成績はこの先のサッカー人生を大きく左右する。それゆえ、大多数の高校生プレーヤーがそこに照準を合わせて活動しているのだ。
美月の隣に立つ僕は、ブンブンと頭を振って玲音の意見に激しく同意していた。
するとここで、里中くんが机の上で拳を握りしめながら口を開く。
「そうだな。人生のキャリアプラン的に考えても、全国の舞台で好成績を収めるにこしたことはない。残された挑戦機会は……今年はムリだから、インターハイと選手権を合わせてもたった『4回』か――ていうか、ぶっちゃけ俺は活躍してプロになりてえッ! だからこそ、今かなり焦っている!」
どうやら彼、僕と同じ道を進む者らしい。昔からJリーガーを目指して努力を重ねてきた、と大々的に打ち明けていた。ところが現在、強い焦りを抱えているという。
「鷹昌に兎和と玲音、三人はすでにCチームへ昇格している。それでなくても、全国には高校生のうちにプロデビューを果たす選手がいる……もっとレベルアップしないと、俺は置いてかれちまう」
サッカー界では、上を見ればキリがない。海外には僕たちと同年代にもかかわらず、国のA代表(年齢制限のない代表チーム)としてプレーする選手までいる。しかもヨーロッパチャンピオンを決める大舞台で活躍しているのだから、才能の残酷さはとどまるところを知らない。
きっと、あの黒瀬蓮(くろせ・れん)の影響もあるのだろう。
ともあれ、里中くんはフラストレーションをタメ込んでいたせいで、玲音がふとこぼした『潜在能力の解放』なんて言葉に飛びついてしまったそうだ。どんな手段だろうとサッカーが上手くなるのなら、と。
「それに兎和、玲音……俺はまた、お前たちと一緒にサッカーがしたいんだ。明宝戦のとき、プレーしていてむちゃくちゃ気持ちよかった。今もあの試合が忘れられない」
不意に喉が震え、わずかに息が詰まった。
玲音なら話はわかるが、まさか僕とも一緒にプレーしたいなんて……にわかに瞳が熱を帯び、口を引き結んでないと涙腺が緩んでしまいそうになった。
「なにより、兎和たちとなら全国で優勝できそうな気がする――よし、決めた。俺はこのプログラムに申し込む。スキルアップして、絶対にお前たちに追いついてやるッ!」
どうやら、里中くんは腹を決めたみたい。トライアルや検討、おまけに親御さんの説得まですっ飛ばしているが、情熱に水を差すのはやぼってものだろう。
「質問いいかな。このプログラム、GK(ゴールキーパー)が申し込んでも構わないんだよね?」
ぴんと手をあげたのは、池谷晃成(いけたに・こうせい)くん。
ポジションはGK――栄成サッカー部では、高身長のみに許されたエリートポジションだ。実際、彼の身長は180センチ代半ばらしい。笑顔が爽やかなイケメンでもある。
「もちろん。本プログラムは、サッカー選手のフィジカル育成に特化したものよ。そして当然、カームは全ポジションに対応できるだけのノウハウを持つわ」
「なるほど、回答ありがとう。実は、俺もまた兎和たちとプレーしたいと思っていたんだ」
そう言った池谷くんに微笑みかけられ、僕の瞳は潤いを増す。
その後も他のメンバーから質問が相次いだが、美月はスムーズに回答していく。
さらに数十分が経ち、皆が納得した表情を見せたところで説明会はお開きとなる。玲音も前向きに考えてくれている様子だったので、僕としても満足度の高い時間となった。