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第73話

「ほーん。じゃあ説明会に参加したメンバーの半数以上が、その『フィジカルフィットネスプログラム』ってやつに申し込みを決めたのか。それ、サッカー部以外でも参加できたりする?」


 憂鬱すぎる期末テストを翌日に控えた、週の中頃の昼休み。

 僕は賑わう1年D組の教室で、親しい友人たちと和やかなランチタイムを過ごしていた。メンバーは総勢6名。


 僕と横に座る美月、対面の慎と三浦(千紗)さんのカップルはほぼイツメンだ。そこへ本日は、共にB組からお越しの『加賀志保(かが・しほ)さん』と『中川翔史(なかがわ・しょうじ)くん』が加わっている。


 ここ最近、加賀さんと翔史くんもちょこちょこお昼をご一緒するようになっていた。以前カラオケ会で盛り上がった仲なので、わりとすんなり馴染んでいる。

 しかも翔史くんは、僕の中で好感度が高い。以前ゲーセンで明宝のナンパ野郎どもに絡まれた際、助けてくれたからだ。


 そして先ほど、株式会社カームが提供する例の『フィジカルフィットネスプログラム』についての話題を持ち出したところ、意外にも慎が興味深そうな反応を示したのだった。

 当然、僕も気になったので質問を返す。


「なに、慎も興味あるの?」


「ちょっとな。バスケでもフィジカルはかなり重要だし、鍛えておいて損はないかなって」


「ふっふっふー。実は慎も、近頃は部活を頑張っているのだよ! 兎和くんに影響されたみたい。真剣にサッカーに打ち込む姿が、すごくカッコよく見えたんだってさ!」


 恋人の内面を勝手に代弁してしまう三浦さんである。

 口の端がムニムニしてたまらない。慎のやつ、そんな風に思っていたなんて……やれやれ、仕方がないな。

 僕は箸を置き、両腕を広げて言った。


「慎、ハグしよう」


「するかアホ! キショいことぬかすな!」


 解せぬ……影響を受けた友(僕)とハグできるせっかくのチャンスだったのに。

 僕はちょっとしょぼくれる。が、それも束の間。続く加賀さんの一言で、テンションが急回復する。


「わかる! 兎和くん、サッカーしているときはカッコよく見えるもんね! サッカーしているときは! サッカー中はね!」


 ぐへへ、と我ながらキショい笑いがこぼれる。けれど、すぐ素に戻る。

 サッカーしているときは、とそんなに強調する必要あったのかな……?


 相手にかかわらず常時『カッコいい』と思われたい思春期男子の僕は、首に手を当てつつ少し頭を傾ける。女子が大好きなイケメンポーズだ。妹に借りた少女マンガで見たやつ。

 ダメ押しに、バチコリとウインクをカマして美月に問う。


「どう? イケメン?」


「……首を痛めたのかと思ってびっくりしたわ。金輪際、そのポーズしないで。あと両目をつぶっているからね、それ」


 美月の返答はなかなかに辛辣だった。ついでに極寒の青い視線もゲット。最近、この感じがゾクゾクしてクセになってきている。


「俺はどう? イケてる?」


「キッショ。こっち向かないで!」


 視線を移せば、翔史くんも加賀さんになじられていた。彼も、僕と同じ性癖の持ち主らしい。ちょっとシンパシー。


 そんなこんなで、皆でわいわいとランチを続けた。

 なお、カームはバスケットボール選手向けの育成サポートは行っていない、とのことだった。


 しばらくして、美月がもっとも遅く「ごちそうさまでした」と手を合わせてお弁当箱のフタを閉じた。続いて彼女は口元をティッシュで上品にぬぐい、おもむろにある話題を切り出す。


「ところで皆さん、夏休みのご予定はお決まりですか?」


 声が控えめだったので、皆は少し前に身を乗り出して耳を傾けた――ただ一人、僕だけは姿勢を変えない。実は、美月の質問の意図をすでに把握していた。


 それというのも、昨夜のトラウマ克服トレーニング中、なんと二冊目の『青春スタンプカード』のマス目が全部埋まったのだ。


 もちろん僕は大はしゃぎ。さらに美月が企画したスペシャルイベントのプランを明かされた瞬間、歓喜の叫びをあげた。すぐに出てきた三冊目のスタンプカードを高々と掲げ、ガッツポーズした。

 要するに、企画したスペシャルイベントに皆をお誘いしようって話なのだ。


「もし予定が合えば、私たちと一緒に『グランピング』に行きませんか?」


 グランピングとは、グラマラスとキャンピングを組み合わせた造語だ(美月に聞いた)。宿泊施設や必要な備品、機材、食材などはあらかじめ現地に用意されているため、快適な環境で手軽にアウトドアを楽しむことができる。


 簡単に言うと、『豪華なキャンプ』だ。近年、若者や家族連れに人気が高まっているらしい。

 そんな説明に付随して、現時点で確定している参加者が美月と僕、加えて涼香さんの三人であることも皆に伝える。


「グランピング施設のプレオープンに招待されたの。大きめのドームテントを二つレンタルできて、敷地内では川遊びも楽しめるみたい。ぜひ皆で夏のレジャーを堪能しませんか?」


 厳密には、プレオープンの招待を受けたのは美月のお父さまだという。ご家族でレジャーなどいかがですか、みたいな。しかし仕事の都合もあって、最終的に『子供たちだけで行ってきなさい』となったそうだ。


 涼香さんは大人だけど、例のごとく付き添いとして強制連行である。頭の中身は子供なので混ざっても違和感はない。


「グランピングの日程は、『8月1日』から1泊2日の予定よ。ちょうどオープンスクールの日程と重なる感じね」


 美月が言った通り、栄成高校では同日にオープンスクールが開催される。その2日間、サッカー部は全体オフ。ミーティングなどもない完全白紙の連休となっていた。 


 大変ありがたいことに、美月が日程を調整してくれたそうだ。障害などもはや存在しない。

 最高に素晴らしいサマーメモリーが獲得できるに決まっている。それに先立って、部活の合宿など精神的負荷の高いイベントも予定されているが、おかげでどうにか乗り越えていけそうだ。


 グランピングは僕の生きる希望、と言っても構わないくらいの期待度である。


「なにそれ絶対いきたい! 美月ちゃん、本当に私たちもいいの?」


「もちろん。千紗ちゃんと志保ちゃんが一緒だと、私も嬉しいわ」


 真っ先に三浦さんが一層前のめりになり、乗り気な態度を示す。少し遅れて、スマホを確認した慎も「バスケ部も休みだからイケる!」と賛同する。


 続いて加賀さんが、「私も参加で! 女バスも休みで本当によかった!」と朗らかに微笑む。

 それから自然と、この場で唯一意思表示をしていない翔史くんに視線が集まる。


「……それって、俺も参加していい感じ?」


 もちろん、と僕はサムズアップして応える。

 翔史くんとは、同じバスケ部の慎を通じて知り合った。当初はただの知り合い程度の距離感だったが、交流を深めた今は勝手に友人だと思っている。


 だから、ぜひともグランピングに参加してもらいたい。

 それと後ほど、玲音にも声をかけるつもりだ。


「兎和……お前って、なんていいヤツなんだ! ハグしよう!」


「喜んで! 翔史くんもいいヤツだよ!」


 立ち上がり、僕たちはガシッと抱き合った。

 運悪く横に位置する形となった美月から特大の溜息がこぼれる。そして翔史くんの制服からは、シトラス系の柔軟剤のいい香りが漂ってきた。

 こうして、僕たちは期末テスト期間へ突入する。


 ***


 近頃、時間が経つのが異様に早い。光陰矢の如し、なんてことわざの意味を強く実感する日々だ。


 高校へ進学して初めて迎えた期末テストは、6月末から7月初めにかけて、間に土・日を挟むスケジュールで実施された。そして美月先生の予想問題集のおかげで、僕は会心の手応えをもって乗り越えることができた。


 その後、栄成高校は生徒お待ちかねの『試験休み』へ突入。

 勉学の疲労を考慮し、テスト明けはサッカー部も1日だけ完全オフになった。


 しかし僕には、のんびり過ごすような余裕はなかった――貴重な休日を利用し、株式会社カームが提供するフィジカルフィットネスプログラムの『初回測定』に臨んだのである。


 場所は西新宿。とある高層ビルの18階に、『カームラボ』と呼ばれる測定施設が存在していた。

 朝早く車で迎えに来てくれた美月と涼香さんに付き添われ、僕は最新鋭の機器を使って行われる各種測定に挑んだ。


 白を基調とした室内は外から隔離されていた。またトラウマを考慮し、測定員も最小限。おかげで人目を気にすることなく全力を発揮できた。

 体育祭に続き、サッカーが絡まなければ意外と体も動くことがわかった。これも、美月の与えてくれた発見だ。


 測定項目は、身体組成から姿勢をはじめ、筋力・持久力・瞬発力(トップスピード)・跳躍力、反射神経や動体視力、さらに眼球の運動など多岐にわたった。

 呼吸機能を測定するマスクを付けて走ったり、パネルをタッチしたり、色々と新鮮で楽しめた。


 特に印象に残ったのは、『瞬発力・持久力・視力』の3項目。

 瞬発力測定では、スプリントを繰り返す能力をチェックした。加速力を鍛えるべきか、トップスピードの維持や向上を優先すべきかを知ることができるそうだ。


 持久力測定では、最大酸素摂取量、限界運動強度、無酸素性閾値、ランニングエコノミーなどをチェック。これらの数値は、安全かつ効率的にトレーニングを行うための指標になるという。


 とりわけ興味深かったのは、視力測定。

 いわゆる『スポーツビジョン』と呼ばれる項目で、KVA動体視力、両目と手や足の協応動作、瞬間視、深視力、周辺視、反応時間、など非常に詳細なチェックが実施された。


 優れたサッカー選手は、このスポーツビジョンに関する能力値が高い傾向にあるらしい。適切なトレーニングによって大幅に向上可能なので、カームでは特にこの分野の強化に力を入れているとのこと。


 朝早くからトライした計測は、予定通り夕方前に無事終了となった。

 その後、涼香さんの提案で少し遅めの昼食をとることに。向かった先は渋谷で、店名は『マッスルダイニング』……いや、どんな店だ。


 正直、不安しかなかった。が、僕はいい意味で裏切られた。

 マッスルダイニングは、高たんぱく低カロリー料理をウリにする飲食店だった。しかも、Jリーグに参戦する東京FCのスポンサー企業でもあった。


 味付けもあっさり目で、僕でも完食することができた。マッスルダイニングを教えてくれてありがとう。

 昼食が済んだら、グランピングに必要になりそうな品々を見に行く。川遊びのために、僕は海パンなどを購入した。


 振り返ってみれば、とても楽しい休日を過ごすことができた。

 以降は、部活づけの日々に戻る。もちろん、トラウマ克服トレーニングも並行して進めていく。


 数日が経過すると、同級生で構成されるDチームが、静岡で開催される『NBカップ(U16・非公式戦)』に参加すべく遠征に出発した。1泊2日の旅程だったので、すぐ戻ってきたが。

 おまけに、これが夏合宿の代わりらしい。カテゴリ毎にスケジュールが異なるのだ。


 それから、またもあっという間に時は過ぎていく。

 答案用紙の返却日を挟み、Cチームはトレーニングと練習試合を着実にこなしていった。僕と玲音、加えて白石(鷹昌)くんの下級生組は試合に出る機会がなく、3年生の一部に雑用でこき使われまくった。


 ちなみに、僕の期末テストの結果は上々。これを継続すれば、有名大学にだって受かりそうなほどだ。美月にはいくら感謝しても足りない。


 そしてテスト休みも終盤に差し掛かった頃、ついにCチームの夏合宿当日が訪れる。あわせて、個人的に嬉しい『変化』がもたらされた。


「この夏合宿から、急遽Cチームに帯同することになった永瀬だ。みんなよろしく頼む」


 まだ日も昇らぬ早朝。

 栄成高校の正門前に佇む貸し切りバスを背景に、永瀬コーチが控えめなトーンで挨拶を行っていた。


 対する整列中のCチームメンバーは、新たなコーチの登場に戸惑いの色を隠せていない。急な人事なので無理もない話だ。


 だが、あの夜に『豊原監督の勇退』の件を暴露された僕にとっては既定路線。永瀬コーチは段階的にチームを移り、将来的には監督へ就任することが決定しているのだ。どちらの情報もいまだに非公開ではあるが。


 ともあれ、出発時間が差し迫ってきていた。40名を超えるCチームメンバーは、小さな動揺を抱えたままバスに乗り込む。もちろん僕は相棒の玲音の隣に座った。


 最後に同行するコーチ陣が乗り込み、準備完了。

 淡い青に染まる空のもと、バスは合宿先の『菅平高原』へ向けて静かに出発する。


 菅平高原は言わずと知れたスポーツ合宿のメッカで、複数の高校による合同トレーニングも予定されている――そして現地で、僕は驚きの出会いを果たすのだった。

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