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第74話

 僕たちCチームを乗せた大型バスは、トイレ休憩を挟みつつ約3時間の道のりを経て、予定通り昼前に目的地へ無事到着した。


 バスから降りると、快晴の空に少し目が眩む。

 続いて僕は、本日から4日間(3泊4日)お世話になる『ホテルベルニーナ』を見上げた。近辺でトップクラスの規模を誇る大型ホテルでありながら、クラシックな外観が自然豊かな周囲の環境によく馴染んでいる。


「兎和、行くぞ」


「あ、うん」


 玲音に促され、荷物を持って割り当てられた部屋へ向かう。

 もちろん僕たちは同室。そこへ、大木戸芳樹(おおきど・よしき)先輩と古屋悟志(ふるや・さとし)先輩の二人が加わる。


 大木戸先輩はCチームのトレーニングリーダーで、面倒見が良く親しみやすい上級生だ。その友人である古屋先輩もよく笑う明るい性格で、通常のトレーニングでも共に行動する機会が多い。


 もう一人の同級生である白石(鷹昌)くんは別室。交流のある先輩たちと一緒らしい。僕的にはかなりストレスが軽減されるので、超ありがたい。


 部屋を確認して荷物を置いたら、大食堂に集合して少し早めのランチタイム。

 合宿などの宿泊行事における食事は、偏食気味の僕にとって最大の懸念事項である。ジュニアユース時代から散々悩まされてきた……なので、当然ながら解決策を編み出し済みだ。


「各自お盆を持って食事を取りに来てくれ。兎和は軽いアレルギー持ちだから、こっちの別皿だぞ。くれぐれも取り間違えないように」


 そう。永瀬コーチの案内どおり、あらかじめ『軽度の食物アレルギー持ち』と申請している。これにより、シンプルでさっぱりとした味付けの料理を用意してもらえる。


 ウソをついているようで心苦しいが、自分を守るために必要なことだ。そもそも僕は、体に合わないものを食べると吐き気や下痢に襲われるので、完全なウソとも言えない。だから、どうか見逃してほしい。


 おかずの皿が並ぶ大テーブルから感謝しつつ己の分を確保し、白米を盛った茶碗をお盆にのせる。さらにここで、僕は心強い味方であり好物でもある食材を手にした。


 それは、納豆。おかずはムリでも、これさえあれば白米が食べられる。最悪、腹さえ満たせれば数日くらいなんとでもなる。足りない栄養は持参したサプリメント類で補えばいい。


 最後に水のコップを乗せ、栄成サッカー部に割り当てられた一角の自席に戻った。


「じゃあみんな手を合わせて、いただきます!」


『いただきます!』


 最上級生のトレーニングリーダーの掛け声に合わせ、全員で両手を合わせて食事開始。

 おかずは鶏むね肉と大葉の塩焼き。もちろん皮は取り外されている。まず小さくかじってみるが、とくに違和感はない。これなら大丈夫そうだ。


 納豆もあるし、幸先良く食事の問題が片付いた。

 僕はほっとしながら箸を進める――しかしすぐに、誰かの「おい、来たぞ」という声が耳に入って手を止めた。


 皆が見ている方へ顔を向ければ、ぞろぞろと食堂へ入ってくる同年代の男子集団の姿を目が捉える。

 すると間を置かず、隣で茶碗を持つ玲音がその正体を看破した。


「東帝サッカー部のおでましか」


 僕たちは、栄成サッカー部のチームジャージを着用している。それと同様に、新たに現れた集団もチームジャージを身にまとい、胸部には『東帝高校』を示すエンブレムがあしらわれていた。


 実は、彼らも同じホテルに滞在する。

 しかも、栄成と合同トレーニングを行う高校の一つだった。


 東帝といえば、トップチームがインターハイ東京予選で敗北した因縁がある。向こうも下位カテゴリの『Cチーム』らしいが、一触即発の事態となってもおかしくはない……なんて心配は無用だったりする。


 何を隠そう、栄成と東帝の下位カテゴリのチームは、例年この菅平高原で合同トレーニングを行う仲なのだ。


 そんなわけで、栄成サッカー部はトレーニングリーダーの掛け声に合わせて起立し、『今年もよろしくお願いします!』と唱和してお辞儀をする。もちろん、相手も礼儀正しく声を揃えて返礼してくれた。


 挨拶が済んだら、東帝のメンバーは別区画の席に腰を下ろした。

 以降、リスタートしたランチタイムは、両校の生徒が揃ったことで賑やかさマシマシとなった。


 なお、合同トレーニングに参加するのは栄成を含めて4校で、すべての高校が同ホテルに滞在する。ただし、人数の関係で2校ずつ別々の食堂を利用することになっている。


 他の高校の名前は……と、そこで僕は思考を中断された。

 隣で食事中の玲音が、じっとある一点を見つめながら肘でツンツン突いてきたからだ。


「ちょ、納豆こぼれるから……どしたん? なんかあったん?」


「あれ見ろ。なんか、黒瀬蓮(くろせ・れん)がいるぞ」


 なんかってなんだ……とか思いつつ、何気なく玲音の視線を追う。すると、強く印象に残る顔を発見した。

 整った黒髪と切れ長のイケメンフェイス。あれは、黒瀬蓮で間違いない。


 例のインターハイ東京予選・準決勝で東帝の大逆転を演出し、栄成サッカー部を打ち負かした張本人だ。他にも気づいた者がいたようで、かなり注目を集めていた。

 僕は思わず、誰もが頭に浮かべたであろう疑問を口にする。


「なんでトップチームじゃなくてCチームの合宿に……?」


「わからん。だが、いい機会だ。後で突撃するぞ」


 わからないことは本人に聞くのが一番早いし、同世代のライバルとして宣戦布告でもカマしてやろう――そう、玲音は不敵に口角を持ち上げた。


 口の端に米粒をつけながら何いってんだ……まあ、他校との交流は禁止されていないので別にいいか。もちろん僕は遠慮させてもらう。進んで知らない人に絡みに行くような社交性は持ち合わせていない。


 ところが、昼食後の休憩時間。

 部屋で美月とLIMEしていた僕は、玲音に引っ張られて東帝サッカー部の滞在フロアへ突入するハメになった。


「ちわっす。黒瀬蓮くんに会いに来たんですけど、どこにいるか知ってますか?」


「ああ、蓮ならそこの部屋にいると思うよ」


 玲音が廊下で偶然すれ違った東帝部員に声をかけたところ、あっさりとターゲットの居所が判明する。セキュリティーガバガバで困る。


 流石に押しかけるのはマズいのでは……僕は引き返すよう説得を試みる。だが、玲音は「大丈夫、大丈夫」と返事しつつあっさり教えてもらった扉を開いてしまう。

 おい、ノックもなしかよ!


「……誰だお前」


「俺たちは栄成サッカー部の1年で、創部史上最強のゴールデンコンビ。この先、お前の行く手を何度も阻むことになる存在だ」


「……まったく意味がわからんのだが?」


 アホなご挨拶をブチかます玲音の背後から室内を覗き込むと、二人の東帝部員の姿が見えた。ゲームでもしていたのか、スマホを持ちながら座布団の上に座っている。

 そして当然の反応と訝しげな視線を返してきた方が、目的の人物である黒瀬蓮。


「では、詳しくその辺の話をしてやる。お、このサウンド……黒瀬たちは『イーフト』をやっていたのか。俺は強いぞ。無課金でデビジョン1に到達した男だ」


「マジ? じゃあ対戦しようぜ」


 玲音はズカズカと部屋に上がり込み、人気サッカーゲームアプリの話題を持ち出して相手の警戒を和らげる。続いて黒瀬蓮の隣に腰をおろし、さっそく親しげに言葉を交わし始めた。


 なんて鮮やかな手口……コミュ力と行動力の塊すぎて、僕は恐れおののく。受け入れる方も大概だが。


「そっちのキミもどうぞ。いらっしゃい」


「あ、はい……お邪魔します。いきなり押しかけてごめんなさい……」


 部屋にいたもう一人の東帝部員が座布団を用意してくれたので、僕はもう一度頭を下げてから座らせてもらう。


「ぜんぜん大丈夫。キミたち栄成の1年生なんでしょ? タメなんだし、仲良くしよーよ。あ、俺は堤晴彦(つつみ・はるひこ)。知ってると思うけど、そっちのは黒瀬蓮ね」


「俺は山田ペドロ玲音、こっちは相棒の白石兎和だ。玲音、兎和、と呼んでくれ」


「オーケー。こっちも、晴彦と蓮でいいよ」


 流れるように自己紹介へ発展した会話術から察するに、晴彦くんもコミュ力が高いタイプらしい。さらに栄成のコミュ力モンスターたる玲音が加われば、まるで古い友人たちの集いのような落ち着いた空気が部屋に漂い出す。


 コミュ強同士の相乗効果ってスゲー……僕は心からそう思った。


「ところで、玲音と兎和はなんの用事で来たの?」


「ああ、蓮が下位カテゴリの合宿に参加しているのが気になってな。インターハイ予選では大活躍だったのに、どうしてトップチームに帯同してない?」


 晴彦くんのごもっともな疑問に対し、玲音は来訪の目的をストレートに明かす。

 すると突然、蓮くんが持っていたスマホを放り投げて盛大に嘆き始めた。


「俺は悪くないっ! 全部アイツラのせいだ!」


「また始まった……悪いね。この通り、蓮はちょっとトラウマを抱えてるんだ。こいつアホだから、トップチームの先輩に『もっとやれねーのか』とか言ってビンタしようとしたんだよ」


 突っ伏して「俺は悪くない」を連呼する蓮くんに代わり、晴彦くんが経緯を説明してくれた。


 どうやら、トレーニング中に揉めたみたい。調子にのった蓮くんが、ミスした先輩に大口叩きながらビンタして活を入れようとした。だが、ガードされて逆にビンタをカマされたそうだ。


 しかもその光景を見ていた先輩たちがブチギレて、20人くらいに囲まれてゴン詰めされたという。


「そんで蓮は、ブルブル震えてガチでションベン漏らしたんだぜ。みんなドン引きして、ビンタの件は有耶無耶になったけどさ。でも、流石にトップチームからは外されたってわけ」


「晴彦は何もわかってない……ちょっと気合入れてやろうとしただけなのに、マジで怖かったんだぞ! ウンコ漏らさなかっただけ立派だろ!」


 ションベンの片付けを手伝わされたこっちの身にもなれ、とため息をこぼす晴彦くん。


 トラウマと聞いて、最初は蓮くんが理不尽な目に合ったのではないかと本気で心配した。しかし蓋を開けてみれば、自業自得にもほどがある……クールな外見に反してかなりアホっぽい。


 とはいえ、大勢に囲まれてゴン詰めされたときの恐怖は、吐き気をもよおすほど理解できる。

 蓮くんの側に移動し、そっと肩に手を置く。続けて僕は、優しく声をかけた。


「蓮くん。ウンコ漏らさなかったことは称賛に値するよ」


「お前……まさか、大勢に囲まれたことが?」


「うん。僕もね、部室でゴン詰めされたよ」


 逆だったかもしれねぇ……あのとき永瀬コーチが現れなければ、僕もションベンくらい漏らしていたかも。なにより恐怖は、人の膀胱と肛門をゆるくする。それは、身を持って味わったからよく知っている。


 だから、ションベンを漏らすだけに留めた蓮くんは立派なのだ。

 加えて、まったく他人事に思えないエピソードを持つ彼にぐっと親近感が湧いた。


「お前、兎和だったか……その、良かったらこの後の合同トレーニングで俺と組まないか?」


「うん、喜んで。蓮くん、一緒にサッカーをしよう」


 僕と蓮くんは、硬い握手を交わす。

 夏合宿の初日、新たな友人ができた。その少年はクールな外見に反してわりとアホっぽくて、どこか既視感のある性格の持ち主だった。


「そもそも蓮は、なんで東帝に? J下部からスカウトはこなかったのか?」


 玲音の疑問はもっともだと頷きながら、僕はもとの座布団に戻る。

 日本クラブユース選手権(U15)で優勝したチームの『10番』を背負い、年代別の代表に選出される天才。そんな彼なら、進路は引く手数多だったはず。 


「……俺は、冬の高校サッカー選手権で大活躍したい。そんで、『応援マネージャー』と付き合うのが昔からの夢なんだ。あわよくば脱童貞したい」


 蓮くんの切実な願いを聞き、僕たち三人は押し黙った。

 冬の風物詩として親しまれている『全国高校サッカー選手権』では、毎年大会を盛り上げるために若手女性タレントが応援マネージャーに起用される。


 いわば大会の『顔』であり、高校年代の若手女優やアイドル、モデルなどから選ばれる。

 主な役割は、広報活動。テレビ番組やメディアに出演し、大会の魅力を伝えることでファンの盛り上がりを一層高める役割を担う。


 歴代の応援マネージャーには今をトキメク人気女優などがズラッと名を連ねており、ブレイクへの登竜門とも称される。


 その役割には、注目選手へのインタビューも含まれる。そのため、選手権で活躍すれば直接顔を合わせる機会も訪れるだろう。


 だからといって、交際に発展する可能性は極めて低い……はっきり言ってゼロだ。まして、そんな儚い夢を理由に大事な進路を決めるなど正気の沙汰じゃない。

 もしかしたら蓮くんって、アホっぽいのではなくガチでアホなのでは?


「蓮、お前アホだろ。応援マネージャーは将来を期待される若手タレントだぞ? 付き合えるわけがない――だが、そんなアホはキライじゃないぜ」


 言って、玲音は蓮くんと肩を組む。

 確かに、アホも突き抜ければ魅力的な個性となる。それに、天才プレーヤーの等身大の姿を垣間見たような気がした。


 その後も僕たちは、くだらない話で盛り上がった。おかげで、トレーニングの開始時刻が迫る頃にはすっかり打ち解けていた。

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