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第76話

 東帝との合同トレーニングを終え、夏合宿初日の夜を迎えた。

 ホテルに戻ってからは夕食をとり、チームミーティングを済ませた。そして現在、僕は割り当てられた部屋でテレビを眺めつつぼうっとしていた。


 近くでは、玲音が畳の上に寝そべってスマホをいじっている……室内には二人だけで、いつもより会話が少ない。お互い、どこか気持ちが落ち着かないままなのだ。


 原因は、もちろん僕じゃない方の白石くん。彼の不穏な過去について、蓮くんたちに話を聞いてからはこんな状態が続いている。


 ただでさえ関係の悪い同級生が、暴力事件の加害者だった……そりゃあ戸惑うってもんだ。今後の付き合いに対して不安マシマシである。せめて高校を卒業するまでは問題を起こさないでくれると助かるのだが。


 そこに転がっている玲音も、きっと似たような思いを持て余しているに違いない。

 とはいえ、トラブルを避けるためにも余計なことは話さないと決めたのだ。なので、今はこうしてじっと不安の波が引くのを待つより他はない。


「どうした二人とも、やけに静かだな。あ、もしかして『林先輩』たちにドヤされてヘコんでるのか?」


「ああ、兎和たちは目をつけられてるもんな」


 ガチャリと扉が開かれ、ルームメイトの大木戸芳樹(おおきど・よしき)先輩と古屋悟志(ふるや・さとし)先輩が部屋に入ってくる。


 次いで、彼らは手に持っていた水のペットボトルを「やるよ」と投げてよこした。

 ありがたいことに先輩たちのおごりらしい。僕と玲音はお礼を告げ、さっそく口をつけた。


「まあ、気持ちはわかる。林先輩たち、理不尽にキレすぎだよな」


「今日なんて遅刻してないのに文句いってきたろ? あれはないって」


 言って、順に座布団の上であぐらをかく大木戸先輩と古屋先輩。

 僕たちが静かだった理由については見当違いであるものの、確かにそっちもそっちで非常に厄介な問題である。


 林先輩は3年生で、Cチームのボス的存在だ。そして、彼を中心とするスタメン組は下級生に対する当たりがクソ強い。特に僕たち1年生はわけもなく怒鳴られるし、トレーニング中にはガチで削られたりする。


 こちらが生意気なことを言ったわけでもない。チーム昇格したその日から、ただひたすらイビられているのだ。


「俺たちは、なんで林先輩のグループにあんな嫌われているんですかね? ぶっちゃけ、相手するのかなりダルいっす。こっちとしては、うまく付き合っていきたいと思ってるんですが」


 ここぞとばかりに溜め込んでいた不満を吐き出す玲音。

 僕もまったく同感だったので激しく頷く。怒鳴られるだけでもストレスがマッハだし、激しく当たられたら痛いし、最悪は怪我をする可能性だってある。


 正直、許容できるラインをこえている……だが、理由さえわかれば状況を改善できるかもしれない。

 ところが、続く大木戸先輩の返答を受け、僕の希望はあっさり砕かれる。


「ムリムリ、仲良くなんてできないよ。あの人たち、色々とこじらせちゃってるから。多分、この先もずっとあんな感じだぞ」


「そうそう。俺ら『エンジョイ勢』と違って、林先輩たちはまだ割り切れてないんだよね」


 大木戸先輩と古屋先輩は、互いに言葉を補足し合いながら事情を説明してくれた。

 現在のCチームメンバーは、サッカーへのスタンスで二つのグループに大別することができる。


 一方は、境遇に納得している『エンジョイ勢』。

 もう一方は、境遇に納得できていない『こじらせ勢』。


 エンジョイ勢は、上位のチームメンバーの才能を認め、自分の限界を受け入れ、気持ちに折り合いをつけてサッカーを楽しむと決めたグループだ。プレーが上達すればなお良し。


 対してこじらせ勢は、有り体に言って真逆。上位のチームメンバーの才能を認められず、自分を過大評価している。その結果、過剰に嫉妬し、理想と現実の狭間で夢に身を焦がされているのだ。


 しかもタチの悪いことに、後輩に八つ当たりして鬱屈したフラストレーションを紛らわしているそうだ。


「本人たちも、意味がないってわかっているはず。でも、止められない。さらに腐った態度や感情は仲間を呼び、エコーチェンバー的に増大していく。さしずめ、悲しきサッカーゾンビといったところか……いや、フットボールゾンビの方が語呂がいいか?」


 それはマジでどっちでもいい……けれど、大木戸先輩の言っていることは身にしみてよくわかる。僕もかつては、半分フットボールゾンビになりかけていた。そう思うと、少し同情的になってしまう。

 なお、目の前にいる先輩二人は完全にエンジョイ勢だ。


「それに林先輩たちはさ、今の1年にポテンシャルで負けているのも癪に障るんだろうな」


「え、そうなんですか……?」


「そりゃそうだろ。栄成サッカー部は年々強くなって、実績を増やしている。それに比例して、入部希望者のレベルも上がっているんだから」


 僕が思わず疑問を口にすると、古屋先輩が続けて答えてくれた。

 年々実力を増し、着々と功績を積み上げている栄成サッカー部。とりわけ今年の三年生は創部史上最強と謳われ、その評判に恥じぬ活躍を披露している。また2年生にも実力者は多く、次代への期待はますます膨らむばかり。


 当然ながら入部希望者も年々増加しており、セレクションの合格基準も一段と上昇している。そのため、下級生のポテンシャルもぐっと高まっているそうだ。


 余談だが、来年には一般の入部希望者を募らないという噂まである。セレクションの回数を増やし、合格者のみ入部可能となるらしい。

 ともあれ、現状は学年を下るほど才能豊かなタレントが集まる傾向が強いようだ。


「今年のセレクションの基準だと、俺と悟志は受かってなかったかもな」


「ありえる。1年はマジレベル高いしね」


 わはは、と先輩二人は笑い合う。

 僕たちの代は、上級生からするとハイレベルに感じるらしい。現エースである相馬先輩を凌ぐ逸材さえ現れたのならば、創部史上最強を更新する可能性も十分にあるという。

 ここで、今度は玲音が疑問を口にする。


「それにしても、先輩たちはよくフットボールゾンビ化しなかったすね」


「ぶっちゃけ、今だって嫉妬くらいするよ。でも、最初はみんな一緒だった。同じところからスタートして、揉めて、笑って……まあ、仲間だからな。全部終わったら、残ったやつらでまた笑えたらいいなってさ」


 回答した大木戸先輩は小さなため息を吐き、窓の向こうに広がる夏の夜空を見上げた。

 部内での序列を意識し、無邪気に戯れることすらためらうようになる――僕は不意に、永瀬コーチが前に語っていた言葉を思い出していた。


 きっと先輩たちは、高校に入ってから多くの挫折や葛藤を経験したに違いない。そのうえで腐るでもなく、明るく前向きにメンタルを保っている。

 ただ諦めただけ、などと揶揄する人もいるだろう。だが、半分以上腐りかけていた僕の目には、その姿がとても誇り高く映った。


 湿っぽい話をしちまったな、と口角を上げる大木戸先輩がとても大人っぽく見えた。たった一つしか年齢が変わらないなんて、ちょっと信じがたい。


「さて、悟志。そろそろ風呂に行くか」


「もうそんな時間か。玲音、兎和、準備しろ。裸の付き合いで盛り上がるぞ!」


 大木戸先輩と古屋先輩に促されて、準備に取り掛かる。

 風呂で何をどう盛り上がるかは知らないが、せっかくの機会だから偉大な先輩二人の背中でも流させてもらうとしよう。


 四人揃ってホテルの大浴場へ向かう。ややあって脱衣場につくと、すでにCチームメンバーで賑わっていた。僕もその中にまざり、さくっと全裸になって浴室へ移動しようとする――寸前で、大木戸先輩に注意される。


「おい兎和、腰にタオルを巻け。みんなそうしているだろ」


「え? あ、はい」


 言われてみれば、ほとんどのメンバーが腰にタオルを巻いている。

 意外にもエチケットに対する意識が高いらしい。少し離れた場所で着替えていた玲音も同じように注意されていた。


 まあ、別にどっちだっていいや。前を隠すのがチームのルールなら従うまで。

 僕は腰にタオルを巻いたまま洗い場のバスチェアに腰をおろし、手早く全身の汚れを落とす。それから、大木戸先輩の背中でも流そうかと思って立ち上がった。


 そこで、異変を察知した。

 なぜか、こじらせ勢以外のメンバーが大浴槽の前に集結しているのだ。


「……なにあれ?」


「さあ? とりあえず行ってみよう」


 濡れ髪によってイケメン度マシマシの玲音が隣にやってきて、僕の呟きを拾った。加えて謎の集まりの外周に立っていた大木戸先輩に手招きされたので、とりあえず合流してみる。

 すると間を置かず、輪の中央にいた上級生が周囲を見渡しながら口を開く。


「よし、大体揃ったな。ではこれより、栄成サッカー部伝統の『ポコチンモンスターバトル』を開催する!」


『――うおぉぉおおおおおおおおおっ!』


 耳を疑うような宣言に続き、控えめながらも大浴槽の前に集ったメンバーたちから歓声が上がった。


 え、ポケモ……それって、日本が誇る世界的IPコンテンツの間違いでは?

 僕は理解が追いつかず、大木戸先輩に視線で説明を求める――その瞬間、ハッと驚愕の事実に気がつく。


「ま、まさか……!?」


「気づいたか、兎和……ようこそ、ポコチンモンスターの世界へ。ワタシの名前はオオキド。みんなからは『ポコモン博士』として慕われておるよ」


 おいっ!? それ色々マズいだろっ!

 この人たち正気なのか……? なんだポコチンモンスターって。そんな最低なモンスター、誰がゲットするってんだ。


「落ち着け、兎和。大木戸先輩……いや、オオキド博士。説明してくれますね?」


「うむ。それがワタシの役目だからな。では、よく聞くがいい。トレーナーに選ばれたメンバーがモンスターとなり、イチモツの長さを比べ合う魂の対決――それが、ポコチンモンスターバトルじゃ!」


 玲音の求めに応じて、大木戸先輩……改め、オオキド博士が答える。その内容は、とてもシンプルなものだった。


 トレーナーに指名された者がモンスターとなり、対戦相手とイチモツの長さを比較する。当然、長い方が勝利となる。そして負けた方のトレーナーには、比較した差分の数値がダメージとして反映される。


 例えば、9センチと8センチが戦った場合、短かった後者が敗北。さらに、差分である1ダメージがトレーナーの体力から引かれる。


「なお、トレーナーは『10』の体力を持つ。そしてバトルは3対3で行われ、最終的にトレーナーの体力が多く残っていたチームの勝利となるのじゃ。それと、モンスターは勝っても負けても勇者として称えられるぞ」


 ポコチンモンスターバトルは魂のぶつかり合いであり、参戦すること自体が非常に名誉なことなのだとか。したがって、モンスターは勝敗にかかわらず称賛を受ける。


「もっとも大事なのは、ノーサイドの精神だ。バトルが終わったら、全員で健闘を称え合うのじゃ」


 断言する……聞いておいて、これほど後悔した説明は他にない。あと、崇高なノーサイド精神をこんなクソみたいなバトルに持ち込むんじゃない。


「そうそう、忘れておった。モンスターには、それぞれ属性が与えられる。相性があるから注意するのじゃぞ」


 属性は『火・水・木』で、相性は三竦み。火は水に弱く、水は木に弱く、木は火に弱い。 

 有利属性の場合、自分のイチモツの計測値が『1.5倍』される……ムダにゲーム性を高めるのやめろ。


 まあ、参加は任意だ。言うまでもなく、僕は見学に回らせてもらう。

 誰がこんなアホアホなイベントに参加するものか、と静かにその場を離れようとした。ところが、ガシッと肩を掴まれて離脱に失敗する。


「玲音、兎和。キミたちに決めた!」


 トチ狂った台詞を投げかけてきたのは、近くにいた古屋先輩。反射的に、肩に置かれた彼の手をどかそうとした――その瞬間、僕はまたしてもハッと驚愕の事実に気がつく。


「気づいたか、兎和……そう、俺はミタカシティのサトシ! 夢はポコモンマスターになること! 二人とも、よろしくな!」


 古屋先輩までお誂え向きの名前しやがって……それに、そんな低俗な夢いますぐ捨ててしまえ。

 ちなみに、オオキド博士とサトシ少年を自称する両先輩は、去年の遠征時に『名前がぴったりだから』と上級生から配役を拝命したそうだ。これもクソどうでもいい情報だった。


 とにかく、このままではアホアホなバトルに参加するハメになる。僕はたまらず、玲音へ視線で助けを求めた。


「まったく、誰がこんな遊びを考えたんだか……」


「玲音……!」


「ああ、わかっているさ――決勝で会おうぜ、相棒」


 サムズアップする玲音に向けて、違うそうじゃないと僕は呟く。サトシ少年も、「二人は同じチームだから」とツッコんでいた。


 つーか、永瀬コーチ……Cチームの多くが才能に打ちのめされてもなお、すっげー無邪気に戯れていますよ。TPOをわきまえただけっぽいですよ。


 ついでに、今さらながら腰にタオルを巻くよう注意された理由に合点がいく。エチケットでもなんでもなく、バトルを盛り上げるための演出でしかなかった。


 部屋ではあんなに大人っぽく見えたオオキド博士の姿が、今や頭の悪い小学生にしか見えない。栄成高校は偏差値が高いはずなのに、どうしてサッカー部はこんなにアホなんだ。


 だがしかし、これは魂のバトル。どうせやるなら負けたくない……というか、負けたら強烈なショックに襲われそうだ。

 まさか、こんな唐突に真剣勝負の場面が訪れるとは思いもしなかった――こうして、絶対に負けられない戦いの幕が上がる。

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