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第77話

 夏合宿2日目は、誰かのスマホが発するアラーム音から始まった。

 早朝の静寂を引き裂く電子音が、夢の淵に漂う僕の意識を現実へと引き戻す。


 目を開けると、見慣れぬ天井が視界に飛び込んできて戸惑いを覚える。が、すぐに合宿中であることを思い出し、ゆっくりと身を起こした。


 同室の三人は、アラームにも動じず眠りこけている。このままでは遅刻しかねないので、僕は朝の挨拶がてらおこしてまわる。

 少し経ち、皆がノロノロと着替えを始めた。そこで僕は、先輩二人に元気よく声をかける。


「昨日は楽しかったすね! めっちゃ盛り上がったし!」


 昨晩のお風呂タイムの際、栄成サッカー部のCチームメンバー(こじらせ勢を除く)はポコモンバトルで大盛り上がりした。


 僕は最初、『なんてくだらない』と斜に構えていた。しかし実際に参戦してみたら、思いのほか白熱してしまった。負けると冷水をぶっかけられたりするのだ。


 しかも最終的に、僕たちはみごと優勝を果たした。

 人数の都合で大木戸先輩を加えてバトルに挑んだ結果、南米ハーフイケメンたる玲音が無双の活躍を披露したのである。その威容たるや、まさに天下の大将軍のごとし。


 僕じゃない方の白石(鷹昌)くんも参戦していたが、2回戦で敗退していた。そのおかげもあり、個人的にかなり楽しいイベントとなった。性格悪くて申し訳ない。


 そんな昨夜の興奮がぶり返し、僕は早朝にもかかわらずハイテンションになっていた。だから、その気分を共有したくてさらに言葉を重ねる。


「オオキド博士とサトシ少年も、めちゃ楽しそうでしたよね! そうだ、またバトルしましょうよ!」


「……おい、兎和。そこは『博士』じゃなくて『先輩』だろ? TPOをわきまえろよ」


「遊びの時間とそれ以外の時間はきっちり分ける。当たり前のことだろ?」


 死ぬほど解せぬ……昨夜、アホアホな遊びに誘ってきた張本人とは思えない言い草だ。しかも先輩たち、一番盛り上がっていましたよね?


 ともあれ、準備を整えて集合場所である宿の入口前へ向かう。

 以降はスケジュールに従い行動する。


 まずは軽くランニングから。早朝の爽やかな陽差しを浴び、清廉な高原の空気を存分に吸い込む。ほどよく体がほぐれ、心身ともにリフレッシュできた。


 次は、大食堂での朝食タイム。蓮くんたちも一緒だったので少し雑談した。

 それから小休憩を挟み、本格的に午前のトレーニングが始まる。メインメニューはフィジカル強化となっており、全員で宿舎裏手のゲレンデに移動した。


 目の前に広がるのは、白い雪ではなく緑の芝に覆われた斜面。

 ここで何をするのかと言えば、ゲロ吐くほどキツイ走り込みだ。


 斜面をダッシュして、下半身の筋力を鍛える。本数は驚きの20本。最初はジョグだが、後半はタイム走となるので手を抜けないという地獄が待っている。


 実際、ゲロを吐くメンバーが続出した。高地ゆえに負荷が高く、いつもよりずっと早く限界が訪れてしまったのだ。白石くんなんかは体調不良を訴え、途中でホテルへ帰ってしまった。


 僕や玲音は励まし合い、どうにかこの斜面ダッシュを乗り切る。しかし永瀬コーチから「明日もこれやるからな」と告げられ、絶望して芝の上に大の字となった。


 午前のトレーニングはこれで終了。

 長めの休憩と昼食を経て、午後の合同トレーニングへ突入する。

 本日のお相手は、神奈川県よりお越しの徳洋高校。両校のメンバーは共に、ボールを使ったメニューを中心に汗を流す。


 疲労のせいか全体的にミスが目立ち、こじらせ勢の先輩たちの罵声も大増量。近くにいた玲音が小声で、「アンタらもミスってるじゃねーか」と危ない発言をしていた。聞こえたら確実に揉めるので我慢してくれ。


 午後のトレーニングの締めくくりとして、またもダボスの丘へ上がって高付加(負荷)ランニングを実施。ホテルに戻るころにはみんなヘロヘロになっていた。


 それでも、夜のお風呂タイムには元気が復活する。

 なぜなら、東帝を相手にポコモンバトルが開催されたからだ。


 昨晩、互いのチームでチャンピオンが誕生した。そして今宵、両校の威信を賭けた頂上決戦が行われる。栄成サッカー部からは、僕たちのグループが激闘へ臨む。


 そんなこんなで、夏合宿はあっという間に3日目を迎えた。

 朝からゲロキツイ斜面ダッシュをして、昼すぎからは常岡橘高校(静岡県)のメンバーと合流して一緒にボールを蹴る。


 ディテールに違いはあるものの、トレーニングメニュー自体に大きな変化はなかった。もちろん締めはダボスの丘ランニングである。


 その日の夜半前――うっかり森の妖精にでも出くわしそうな、密やかな夜。

 同室のメンバーが眠りに落ちたのを見計らい、僕はスマホを持って一人ホテルのロビーへ向かった。


 消灯時間をすぎ、周囲は薄暗い。

 窓際に置かれたソファに、月明かりが優しく寄り添っている。僕はそっと柔らかな光溜まりに足を踏み入れ、腰をおろした。


 間をおかず、手に持っていたスマホが振動する。

 僕は画面を軽くタップし、「もしもし」と小さく声を発した。


『こんばんは、兎和くん。そっちはどう? 夜は少し肌寒いんじゃない?』


「こんばんは、美月。ちゃんとジャージ着てきたから大丈夫。そっちはどう? かなり暑いんじゃない?」


 スマホの向こうから聞こえてきたのは、美月の声。

 僕たちはこの時間に通話をする約束をしていた。というか、『連絡するから出てね』と事前にメッセージで念を押されていた。


『東京はうんざりするくらいの暑さよ。菅平高原にいる兎和くんが羨ましくなるわ』


「こっちは確かに涼しいけど、かなりトレーニングがしんどいよ。おかげで毎日汗だく。全身もバキバキでさ、今日なんてミス多くて先輩に怒鳴られまくったし」


 美月の凛とした声を、ずいぶんと久しぶりに聞いた気がした。考えてみれば、仲良くなってから直接会話をしない日はほとんどなかったな。

 だからなのか、やけに耳がくすぐったく感じる。おまけに、頬がきゅーっとする。美味しいものなんて食べていないのに。


 それから僕たちは、ゆっくりとここ数日の出来事を報告し合った。

 お互い少しずつ色を塗っていくみたいに、間にあった空白を埋めていく。

 些細な話題に、同じリズムで相槌を打つ。笑うポイントが重なると無性に嬉しくなる。


『そう。黒瀬蓮とすっかり仲良しになったのね。ちょっと意外だわ。あの容姿を見て、何となくとっつきにくそうなイメージを抱いていたから』


「蓮くんはクールに見えて、だいぶ肝っ玉が小さいんだよ。すぐ調子に乗るし。なんか、ちょっと既視感あるんだよなあ」


『兎和くん、近くに鏡ある?』


 言われて、鏡を探してみたものの周囲にはなかった。そのことを告げると、美月は『気にしないで』とクスクス笑う。


「あ、そうそう。今日のお風呂タイムでさ、ポコチンモンスターバトルのチャンピオン対決が開催されたんだ。それにも蓮くんが出てきて、惨敗してた。僕と戦うために、チームに割り込んだんだって」


『え、ポ……ちょっと!? なに言わせようとしてるの! あと、そんな最低な名前のバトルに参加しないの!』


 別に言わせようとしたわけじゃないのに、なぜか怒られた。それと、今後もバトルがあれば前のめりに参加していく所存である。


 明かりを灯すように、ぽつり、ぽつりと。話題は尽きず、心地よい言葉のやり取りが続く。

 時計の針がてっぺんを通り過ぎてしばらく経つ頃、美月が『そろそろ寝ないとね』と告げた。それをキッカケに、夏夜の語らいに終わりの気配が漂いだす。


『明日のトレーニングマッチ、頑張ってね』


「なんで知ってるの?」


『永瀬コーチに聞いた。兎和くんの実力を、黒瀬蓮に思いっきり見せつけてやるのよ』


「うーん……美月いないからムリじゃない? それに、組み合わせの問題もあるし」


 夏合宿の最終日は、合同トレーニングに参加した4校で練習試合を行うことになっている。

 各校は複数のチームを編成し、20分をワンゲームとしてグルグルとローテーションしていく形式である。


 栄成サッカー部の人数を考えれば、出番くらいは回ってくるだろう。が、蓮くんのチームと当たるかは未知数。


 そもそも美月が現地にいない時点で、僕はトラウマでまともにプレーできないのが確定している。チームメンバーに迷惑をかけてしまわないか、今から不安で仕方がない。 


『大丈夫よ。兎和くんが実力を発揮するチャンスはきっと訪れる』


「なんだそれ。まあ、あんまり酷いミスしないように頑張ってみるよ」


『気負いすぎずに、いつも通りプレーしてね。さあ、今日はもう寝ましょう。お話できてよかったわ』


「ああ、僕も声を聞けてよかったと思ってる」


『兎和くん』


「うん?」


『私の声、ちゃんと覚えた?』


「忘れたことない」


 それならいいわ、と上機嫌そうに納得する美月。

 彼女の声なら、どんなに小さくても耳が勝手に拾うレベルである。実際、声援が飛び交う試合中でも聞き分けられていたし、体も条件反射的に動き出していた。

 意図は不明だが、今さら聞くまでもない質問だ。


『じゃあ、おやすみなさい』


「うん。おやすみなさい」


 ぷつり、と通話が終わる。チクタクと控えめに響く秒針の音が、薄闇に包まれるロビーの静けさを際立たせていた。


 僕は部屋に戻り、こそっと自分の布団に潜り込む。目を閉じれば、数秒も経たずに眠りへ落ちていく。

 その夜、美月とサッカーボールを蹴る夢をみた。

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