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第78話

 夏合宿の最終日も、全員揃っての早朝ランニングから始まった。

 快晴の空のもと、鮮やかな緑が薫るコースを巡りつつ軽く汗を流す。その最中、僕はここ数日の出来事を想起していた。


 思えば、実にあっという間だった。最初はCチームに馴染めず、一緒に寝泊まりするのが嫌で仕方がなかった。けれど、菅平高原に来てみたら意外にも楽しく過ごせた。


 特に、ポコチンモンスターバトルがもたらした好影響は大きい。

 みんな全裸になって盛り上がった結果、上級生たちとの仲がぐっと深まった。今では大木戸先輩や古屋先輩だけでなく、エンジョイ勢の他メンバーも気さくに声をかけてくれる。


 こじらせ勢のメンバーとの関係は相変わらずだが、ずいぶんと過ごしやすくなった。

 世の中、とりあえずトライしてみれば案外なんとかなるのかも。僕にしては、珍しくポジティブな学びを得た。


 それに伴い、本日の『トレーニングマッチデー』で受けるストレスもかなり軽減されそうだ。


 僕は、玲音や大木戸先輩と同じチームに配属されている。それ以外のメンバーも穏やかな先輩たちばかりなので、理不尽に怒鳴られる心配はない。多分、トラウマの発動率も低下するだろう。


 個人的には、『東帝高校』の蓮くんや晴彦くんと仲良くなれたのも嬉しかった。

 そのうえ、昨晩の美月との通話でメンタルが劇的に回復した。あの凛とした声を耳にすると、僕の体の奥底で渦巻く未知のエネルギーが活性化する――しかもそれが、気力や生命力へ変換される。


 要するに、心と体がわりと整っている状態なのだ。

 この感じなら、以前『兎和チーム』でプレーしたときと遜色ない力を発揮できるはず。あるいは、継続してお世話になっている『東京ネクサスFCさん』のゲーム参加時と同等か。


 一番重要な美月の存在こそ欠いているものの、きっとチームの足を引っ張らないで済む。

 そんなわけでランニングと朝食、加えて小休憩をとった後、僕たちはレンタルしている天然芝ピッチへ移動する。


 現地に到着したら、軽く会場設営の雑用をこなす。それが終わり次第、チームに合流してアップを行う。高原の心地いい陽気のもと、じんわりと体に汗をかく。さらに水分補給タイムを挟み、トレーニングマッチの開始時刻を迎えた。


 以降は、スケジュールに沿って進行する。

 参加するのは、栄成高校、東帝高校、徳洋高校、常岡橘高校――各校4チーム編成で、それぞれ4試合ほど戦う予定だ。ピッチは、レンタルした5面をフル活用する。


 試合時間は『20分』で、当然ながら他校のチームと対戦する。

 栄成サッカー部は人数を考慮し、全員が試合に出場できるよう調整された予定表があらかじめ配布されている。


「兎和、蓮と晴彦の試合を観戦しに行こう」


「うん。せっかくだから応援しないとね」


 ラインズマンなどの仕事を受け持つ先輩たちは忙しそうにしていたが、僕と玲音は自分の出番がくるまでわりとヒマだ。

 おまけに、選手たちの賑わいと合宿最終日の解放感が相まって、会場は軽くお祭り状態となっている。だから、こじらせ勢の先輩たちの目を気にする必要もない。


 実際、のほほんと過ごしていても怒鳴られることはなかった。

 蓮くんたちのプレーを堪能したら、今度は自分たちの出番がやってくる。僕と玲音はチームに合流して再び体を温め、自陣ベンチ前で行われる直前ミーティングに参加した。


「初戦の相手は『徳洋高校』だ。戦術とポジションに関しては、事前に伝えた通り。みんな疲れがたまっているだろうけど、最後まで足を止めるなよ。特にケガには注意だぞ。あくまでトレーニングマッチだということを忘れずにプレーしてくれ」


 僕たちのチームを指揮する永瀬コーチから指導を受ける。

 続けて円陣を組み、大木戸先輩のおちゃらけたペップトーク(士気を高めるスピーチ)に合わせてテンションをブチあげる。


 僕は青のビブスを着用し、スタートポジションにつく。

 次いで、深呼吸をしながら周囲の景色に目を向けた。


 高く澄み渡った7月の青空と、深い緑に覆われた山々が美しいコントラストを描き出している。ピッチには清々しい陽差しが降り注ぎ、選手たちの声と野鳥のさえずりが入り混じって聞こえてくる。時おり吹く風が、そっと熱気を冷ますようでとても心地いい。


 程なくして、主審(他校の選手)がキックオフの笛を鳴らす。

 天然芝の爽やかな香りを思いっきり吸い込み、僕は力強くピッチを蹴って駆け出した。


 ***


 コーチ兼指揮官として自陣ベンチに座る俺、永瀬満晴(ながせ・みつはる)は、勢いよくピッチを走り出した白石兎和の背中を見つめる。


 栄成サッカー部・Cチームの夏合宿も最終日とあって、大半のメンバーが疲労で体を重そうにしていた。そんな中、兎和の足運びはいつもと変わらないように感じられた。


 以前から思っていたが、アイツやたらスタミナあるよな。同じ苗字を持つ白石鷹昌の方は、斜面ダッシュを完走できないくらいに疲れ果てていたのに……この違いは、部活外で行われる『自主トレ』の成果なのだろうか?


 俺は慌ただしくボールが行き交う試合を俯瞰的に眺めつつも、じっくり兎和のプレーを観察していた。


 本当に面白い選手だ……最初は、凡庸なSB(サイドバック)という印象しか持っていなかった。しかし美月の働きにより、『爆発的なアジリティ』をその身に宿していることが明らかとなった。とりわけ、ゼロからトップスピードへ到達するまでの加速力はまさに異次元だ。


 以来、兎和はサイドアタッカーとして稀有な才能を開花させ始めている。もちろん美月のサポートあってこそだが。


 他にも注目すべきポイントがある。それは、基礎能力が非常に高いという点だ。

 具体的には、ボールコントロールが抜群に上手い。トラップ、キック、ドリブル、どれをとってもかなりの高水準にある。 


 極度のトラウマを抱えながらも、普通に栄成サッカー部でやっていけているのは、その優れた基礎能力の賜物だろう。幼い頃から鍛え続けてきたと聞いているが、育成は間違いなく大成功だ。


 そう考えると、兎和は『怪物』へ至る素質を秘めていると言えるだろう。

 サッカー選手には、ざっくりわけて二つのタイプが存在する(持論)――人間か怪物か。


 努力によって先人が築いた地平に到達するのが人間だ。一方、怪物は努力と特異な才能を相乗させ、誰もが驚く新たな地平を切り開く。


 プロのレベルにおいては、この両者の埋めがたい『違い』は一層顕著になる。そして、歴史に名を刻むプレーヤーは大半が後者。無論、人間から怪物へ進化する例も稀にあるが。


 しかしながら、トラウマによってコンディションが安定しないのは困りものだ。そのせいで、兎和は人間と怪物の間を行き来している。現状は『半怪物』と呼ぶのがピッタリだ。


 まあ、今はこれで問題ないか――と、善戦するチームを見守りつつ俺は一人納得する。

 怪物の中でも、兎和は『アジリティモンスター』と呼ぶにふさわしい。またこのタイプの選手は、重い怪我に悩まされることが多い。


 身体能力が高すぎるため、負荷が肉体の限界を超えてしまうのだ。張りつめたゴムが突然弾けるのと同じ理屈である。

 まして、まだフィジカルが発達途上にある年代だ。常に全力稼働してダメージを蓄積するよりも、臨機応変にプレーした方が将来的には望ましい結果が得られる。


 そういった観点から見れば、トラウマが必ずしも害悪だとは言い切れない。悩んでいる本人には申し訳ないが、俺にとってはむしろプラスに働いている部分もある。


 いずれにせよ、勝負はやはり2年後――その年に栄成は、兎和を最大の武器として『高校サッカー日本一』の座を取りに行く。


 なにより、今年の新入生が思いのほか優秀だったのは嬉しい誤算だ。

 例えば、山田ペドロ玲音。攻守のバランスが良く、非常に気の利いたプレーができる。エースたる兎和をより輝かせる逸材だ。すでにゴールデンコンビを形成しつつある点も高く評価したい。


 他にも、里中拓海や大桑優也などは急激に伸びている。そのうえカームの『フィジカルフィットネスプログラム』を受講すると言っていたので、一層高いレベルでの成長が見込める。


 さらに、白石鷹昌も控えている。この問題児を上手く融合できれば、相当面白いチームが作れるはずだ。


 とはいえ、チームの中心が兎和であることは揺るがない。贔屓がすぎると思われるかもしれないが、実力に間違いはない。加えて、未来の指揮官である俺自身がアイツのプレーに魅了されてしまっているのだから是非もない。


「――ナイスパス!」


 後方で観戦していたCチームメンバーの声援が耳に飛び込んできて、俺は思索を打ち切った。次いで、目の前で展開される試合に再び意識を集中させる。


 栄成の中盤が高い位置でボールを奪い、続けて敵陣の左サイドで兎和がパスを受けたところだった。しかも状況は『1対1』。相手を抜ければ、そのままビッグチャンス到来となる。


 なんと素晴らしいタイミングだ。せっかくの機会だから、魅惑のドリブルを披露してもらおう。


 俺は立ち上がり、ビシリと人差し指を突き出す。

 そして間髪入れず、腹の底から声を発した。


「兎和、ゴーッ!」


 次の瞬間、兎和は爆発的なアジリティを発揮し、颯爽と相手を抜き去る――かと思いきや、不思議そうに首を傾げつつボールを後ろに戻した。


 あれ? 今の掛け声で『スイッチ・オン』になると、美月に聞いていたんだが……どうやら、報告に間違いがあったらしい。


 俺は恥ずかしさを堪えながら、すっと指を下げた。

 後で、絶対にクレームを入れてやる。

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