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第80話

 夏合宿の最終日は、東帝とのトレーニングマッチをもって幕を閉じた……かに思われた。

 昼食と休憩を挟み、まさかの斜面ダッシュが待ち構えていたのだ。嬉しくないサプライズを受け、僕たちが絶望したのは言うまでもない。


 さらに限界まで体を追い込んだ後、ダボスの丘へ登って記念塔の前で写真撮影をパシャリ。ここでようやく、本当の締めくくりを迎えたのだった。


 そしてバスで東京へ戻り、翌日。

 合宿明けのCチームは完全オフ――にもかかわらず、僕は朝早くから自室の鏡の前でファッションチェックを行っていた。


 服装に気を使うからには、当然理由がある。というのも、本日はヘアカットに行く予定なのだ。

 予約したのは、南青山の高級ヘアサロン。もちろん、ゴールデンウィークにお世話になったカリスマ美容師の『片瀬さん』にカットを担当してもらう。


 さすがに髪が伸び放題でウザかったし、明日は1学期の終業式だから、非常に良いタイミングで休みが訪れてくれた。


 ちなみに、今回も紹介者である美月が一緒だ。それに涼香さんも。

 最初は一人で行くつもりだったけれど、同行すると押し切られてしまった。代わりに、車で送迎してくれるそうだ。


 ある程度準備が整ったら、僕はいつもより軽やかな足取りでリビングへ向かう。続けてダイニングテーブルに座っている妹に、最終のファッションチェックを頼む。本日は『ゆったり目Tシャツコーデ』をチョイスした。


「兎唯(うい)ちゃん、兎唯ちゃん。この格好はどう?」


「ん~? いいんじゃない? そのへんの高校生って感じ。ザ・量産型だねぇ」


 量産型に定冠詞をつけるな……というか、妹の様子が変だ。やけにオシャレな衣服に身を包み、ルンルンとハミングするほど上機嫌なのだ。

 世間的にも日曜だから、どこかへ遊びに行くのかな? それにしても、ちょっと早起きな気が……いつもの休みなら、まだ寝ている時間帯のはず。


「兎唯ちゃん、そんなめかし込んでどこへお出かけで?」


「ん~? 南青山」


「ほーん、奇遇だな。兄妹の休みがたまたま重なり、たまたま南青山へ向かう予定がカブったのか……って、そんなことあるかーい!


 僕にしょうもないツッコミ入れさせやがって。しかも妹は、ノーリアクションでスマホをいじってやがる。ソファでテレビを見ていた母が、ニコニコしながら「最近の兎和は元気ね」と喜んでいた……くそ、いたたまれないぜ。


「で、兎唯はどうして南青山へ?」


「美月お姉さまが『一緒にいきましょう』って誘ってくれたの。ヘアカットが終わったら、みんなでお洋服みにいくからね」


 聞けば、美月と個人的に連絡を取っているそうだ。SNSで繋がっているらしい。そのうえLIMEには、『4人(美月・兎唯・涼香さん・母)』のトークグループまであるとか。


 なぜ僕は蚊帳の外なのか……まあ、美月に誘われたのなら文句はない。

 むしろ、ここで承諾した方が好都合。


 この夏、僕には『グランピング』というビッグイベントが控えている。当然、この甘えん坊の妹は連れて行けとせがんでくるだろう。だが、ここでワガママを聞いておけば、参加を断る際の説得もきっと楽になる。


 そう思うと、途端に気が楽になってきた。

 僕もご機嫌で朝食を平らげる。それからしばらく経ち、改めて外出の準備を整えたところでインターホンが鳴った。

 兄妹揃って玄関へ向かい、客人をお迎えする。


「おはよう、兎和くん。兎唯ちゃんも」


 扉を開けると、朝の澄んだ陽だまりの中に美月が佇んでいた。柔らかく微笑む彼女に、玄関を飛び出した妹が抱きつく。


「おはようございます、美月お姉さま! ああ~、今日も麗しすぎぃ!」


「おはよう、美月」


 飛びつきたくなる気持ちもわからなくはない……本日の美月は、膝丈のスカートコーデだった。夏の清々しさを体現するようなカラーで統一されており、清楚可憐な印象が際立っている。


 率直に言って、尋常じゃなく美少女すぎる。これは、ナンパされないよう注意が必要だな。絶対に側から離れないようにしないと。


 視線を動かすと、いつもの高級車が目に入った。我が家の敷地に寄せて止まっており、運転席からパンツルックの涼香さんが降りてくる。外見は完全なクールビューティーだ、外見は。


 こちらも母が挨拶に顔をだし、大人同士が一通り言葉を交わしてから出発となった。


「兎唯は、美月お姉さまの隣がいい!」


「まあ、嬉しいわ。じゃあ、兎和くんは助手席ね」


 美月と一緒の場合、後部座席が定番だったのでちょっと新鮮だ。前のシートに腰をおろしてベルトを締め、ドライバーの涼香さんに「お世話になります」と頭を下げる。


「飛ばすよ。ガキども、しっかり掴まってな」


 言って、涼香さんはすちゃりとサングラスを装着する。なにそれ、カッコイイ。

 そして例のごとくセリフとは裏腹に、車は至極安全なスピードで南青山へ向かう。


 妹を中心とした会話で盛り上がっていれば、道中はあっという間に過ぎていく。思ったより車が少なく、ほぼ予定通りに現地へ到着した。車を有料パーキングに止めた後、僕たちは揃ってヘアサロンへ足を運ぶ。


「美月ちゃん、兎和くん、いらっしゃいませ。今日は妹さんもよろしくね」


 入店すると片瀬さんがすぐにお出迎えしてくれて、前回と同じ個室の『VIPルーム』へ案内される。

 僕は革張りのスタイリングチェアに座り、カットクロスを装着してもらう。それからハサミが軽快な音を奏で始めたところで、先ほど抱いた疑問を投げかけた。


「あの、妹にも『よろしく』って言っていましたよね……なんかあるんですか?」


「今日は兎和くんの後に、妹さんにもカットのご予約を頂いているんだけど。違うの?」


「私がお願いしたの。兎唯ちゃんだけ仲間外れじゃ可哀想でしょ」


 僕と片瀬さんの疑問に答えをだしたのは、側に用意された椅子でくつろぐ美月だった。


 その隣に座って彼女にベッタリ寄り添う妹が、「美月お姉しゃま~」とトロけた眼差しを送っている……お兄ちゃんとしては、中学2年生で南青山のヘアサロンは早すぎると思います。


「ていうか、兎唯。お金は?」


「お小遣いもうないから、お兄ちゃんが立て替えて」


 でしょうね……我が妹は、お小遣いをすぐに洋服だの小物だのに使ってしまうタイプだ。貯金など『1円』も期待できない。

 もっとも、僕に抜かりはない。今朝一緒に行くと聞いてから、財布にお札を追加しておいたのだ。伊達に何年もお兄ちゃんやってない。


 ともあれ、兄妹揃って片瀬さんにヘアカットを担当していただく。

 僕はやはり清潔感たっぷりの前下がりラフマッシュスタイルで、妹はあまり長さを変えずにシルエットを調整してもらっていた。

 カット&シャンプー後はぐんと垢抜けて見え、二人とも仕上がりには大満足。


「じゃあ兎和くん、兎唯ちゃん、またお待ちしています。美月ちゃんと涼香さんもね!」


「はい! ありがとうございました!」


 お店のカウンターで、片瀬さんに元気いっぱいお礼を告げる妹。

 それ、会計を済ませた僕に言うべきじゃ……なんて思いもするが、「兎唯も芸能人になったみたい!」と嬉しそうにはしゃぐ姿を見てしまったら、もう口を噤むしかない。


 沈黙は金だと自分を納得させつつ、改めて挨拶をしてからヘアサロンを後にした。


「兎唯ちゃん、とっても可愛いわ!」


「わーい! このシルエット、美月お姉さまとおそろいなんですよ! 嬉しいー!」


 手をつないで南青山の路地を歩く美月と兎唯は、まるで姉妹のようだ。

 僕は少し遅れてその背中を追う。隣の涼香さんが「私たちも手をつなぐ?」と尋ねてきたので、ノータイムで「遠慮します」とお断りした。


 時刻はもう間もなく昼。そこで、僕たちはランチをとることにした。訪れたのは、近くにあるオーガニックカフェレストラン。


 僕にとっては思い出深いお店だ。開放的なテラス席と、カラフルなモザイクガラスの窓が特徴的な西洋風の『隠れ家ダイニング』である。


 まさか青春スタンプカード抜きに再訪が叶うとは……相変わらず、味と雰囲気ともに最高だった。みんな大満足である。


 以降はショッピングタイムとなる。女性陣が食事中に相談した結果、妹のファッションレベルにあわせて原宿方面のショップを巡ることになった。


 移動の途中、有名芸能事務所のスカウトを名乗る者に何度も声をかけられる。けれど、美月と涼香さんは慣れた様子であしらっていた。


「美月お姉さま、スゴイ……女神! 涼香ちゃんもカッコイイ!」


 芸能スカウトとのやり取りを見て、妹の尊敬は天元突破。憧れのお姉さま(美月)は、めでたく崇拝の対象へと進化した。

 つーか、どうして涼香さんは『ちゃん』付けなんだ……呼ばれた本人は満足げだから別にいいけどさ。


「そうそう、前に約束したじゃない?」


「え、何を?」


「ほら、兎和くんにオススメのアパレルショップを調べておくって。それも、ちょうど原宿の方にあるのよね」


 美月に言われ、記憶がよみがえる――あれは、ただの社交辞令だと思っていた。しかし彼女は、ちゃんと『約束』として覚えていてくれたらしい。どうにも嬉しくなり、僕は「早く行こう」とつい急かしてしまった。


 そんなわけで、女性陣がショッピングをたっぷり満喫した後、メンズショップへ向かう。


 なお、店内で僕が欲しがった服は「組み合わせが悪すぎ」とすべて却下された。代わりに、美月チョイスのアイテムを数点購入することになった。

 そしてレジへ向かう途中、思いがけない商品と出くわす。


「わぁ、これ可愛い! 見て、兎和くん!」


 美月が弾んだ声を上げながら、荷物を持つ僕の腕を引く。彼女は同時に、近場の棚にあった『白ウサギ』のぬいぐるみを手に取る。


「なにそれ?」


「これは『ゼリーキャット』のぬいぐるみよ。とっても手触りがいいの!」


 聞けば、ロンドン発のぬいぐるみブランドの品だと教えてくれた。フワモコの肌触りとユーモアあふれるデザインが特徴で、英国王室御用達として有名なのだとか。


「あ、こっちも可愛い! ふたつとも買っちゃおう!」


 美月は目を輝かせながら、隣にあった『三日月』をモチーフにしたぬいぐるみを追加で胸に抱き寄せる。

 僕がさり気なくタグをチェックすると、『¥6,200』という表示が目に飛び込んできた……高くない?


「あら、いいね。じゃあ私はこっちのぬいぐるみを買おうかな」


 涼香さんも便乗し、ピンクのウサギとドラゴンのぬいぐるみを手に取る。どんなチョイスだ。

 それはともかく、皆でレジに向かってお会計を済ませ、楽しいショッピングタイムは終了となった。


「待って、兎和くん。はいこれ、私からのプレゼント」


 ショップを出たところで、ふと美月に呼び止められる。続けて、買ったばかりの三日月のぬいぐるみを手渡された。


「いや、本当にもらっていいの? かなり気に入ったみたいだったのに」


「いいの。ゲームセンターへ行ったとき、ぬいぐるみをプレゼントしてくれたでしょ? だから、そのお返し」


 値段にけっこうな差があるんだけど……しかし返却に応じる気配は感じられなかったので、ありがたく頂戴することにした。腕に抱えるショップの紙袋に、三日月のぬいぐるみ(高級)を丁寧にしまい込む。


 そのとき、隣でも似たようなやり取りが行われていた。涼香さんが、ピンクのウサギのぬいぐるみを兎唯に手渡していたのだ。もちろん、兎唯は大喜びだ。

 どうやら気を使ってくれたらしい。普段の言動はアレなのに、稀に大人の顔を見せられると頭がバグりそうになるから困る。


「それじゃあ帰りますよ。そろそろいい時間ですからね」


 時刻は夕方過ぎ。涼香さんが言ったように、帰宅するにはちょうどいいタイミングだ。

 笑顔を浮かべた僕たちは、駐車したパーキングへ向けて歩き出す――だが、さほど進むことなく足を止めるハメになった。


「あれ、神園じゃん!」


 運悪く、厄介な人物と遭遇してしまった……その人物とは誰あろう、僕じゃない方の白石(鷹昌)くんだ。おまけに、栄成サッカー部のマネージャーである『小池恵美(こいけ・めぐみ)さん』も一緒である。大方、デートでもしていたのだろう。


 それにしても、まさか白石くんと鉢合わせするとは……合宿中は大人しかったが、見たところすでに不遜な態度を取り戻している。そのうえ、暴力事件を起こしたという負のイメージがチラつく。


「おいおい、マジか。神園、こんなクソ陰キャと一緒とかありえないって。冗談キツイぜ」


「白石くん。悪いけど、僕たちは今から帰るところなんだ」


 正直、相手をするのは嫌で仕方ない……けれど、僕以外に絡まれるのはもっと嫌だ。なので、一歩進み出て天敵ともいえる相手と顔を突き合わせる。


「へぇ~、前に流行ったウワサって嘘じゃなかったんだ。神園さんって、じゃない方の白石くんみたいなパッとしないタイプが好みなんだね。ウケる」


「こんばんは、小池さん。人を見下すような発言は控えたほうがいいわよ。性格が悪く見えるから」


 僕らの隣で、美月と小池さんが向かい合う。

 不意の出会いが、思いがけず男女ペアの対立に発展してしまった。これ以上ヒートアップする前に、どうにか事態を収拾しなければ。


「なあ神園、そいつより俺と遊んだほうが百倍楽しいぜ? これからメシでも行かね?」


「だから、僕たちはこれから帰るところなんだって。そもそも、そっちはデート中なんじゃなかったの?」


「グダグダうるせーぞ、ゲロ兎和! お前はさっさと消えやがれ! クソ陰キャごときが調子にのってんじゃねえッ!」


 白石くんは、怒りにまかせて罵声を浴びせてくる。相変わらず短気なヤツめ。だが、部活のときみたいに押し切れると思うなよ。

 心を落ち着かせ、僕は反論の言葉を探す――その瞬間、背後から小さな影が割り込んできた。


「お兄ちゃんを馬鹿にするな! サッカーしてるとき、すごくカッコイイんだから! アンタの方こそ短足だし、顔でかいし、よく見ると微妙じゃん! そっちこそどっかいけ、短足顔デカ微妙男!」


 驚いたことに、僕たちを守るように兎唯が立ちはだかった。

 まさかの怒号に時が止まる……わずかな間を置いて、真っ先に美月が反応する。チワワのように震えるその小さな体を、ガバっと抱きしめてくれた。


「よく頑張ったわね、さすが私の妹。でも、人の外見をけなしてはダメよ」


 兎唯は頷きながら身を捩り、美月のふくよかな胸に顔を埋めた。少し落ち着いたみたいだが、肩は震え続けている――プツン、とこめかみの辺りで音がした。

 僕は荷物を手放し、勢い任せに白石くんの襟首を引っ掴む。


「ぐぅ、テメエ!?」


 兎唯は、できた妹だ。昔から、うだつの上がらない兄を慕ってくれている。小さい頃なんて、ずっと僕の後を付いて回っていたほどだ……そんな可愛い妹が、目の前の相手に泣かされたんだ。許しておけるわけがない。


「キミが謝るまで、この手は絶対に離さないッ!」


「ぬおぉぉおお、離せぇ……」


 両手を使い、抵抗する白石くんを抑え込む。

 必ず妹に頭を下げさせてやる。この後、自分がどうなったって構うもんか。今だけは強い兄を貫き通す――相手が折れるのに、そう時間はかからなかった。


「わ、わかった! 俺が悪かった!」


「はい、そこまで。兎和くんの気持ちはもう十分に伝わったよ」


 涼香さんに肩を叩かれたのを合図に、僕は我に返る。同時に兎唯の様子を確認してみれば、体の震えはすでに収まっているようだった。

 ギリギリ謝罪と取れる発言を引き出せたし、いったんは納得して拘束を緩めた。


「くそ、バカ力が……」


 白石くんは襟元を直しながら、慌てた様子で距離をとる。小池さんが寄り添い、「大丈夫?」と心配そうに声をかけていた。


 そこで僕は、ようやく周囲の状況に意識を向けた。通行人が野次馬となりかけており、このままでは警察沙汰になりかねない。さっさと立ち去った方がよさそうだ。


「涼香さん、止めてくれてありがとうございます。美月、行こう」


「そうね。兎唯ちゃん、歩ける?」


「うん……」


 不服そうな表情を浮かべる白石くんと小池さんを残し、僕たちはその場を離れた。

 本来はこのまま帰宅する予定だった。しかし兄としては、目元を赤くした妹を放っておくことはできない。


「兎唯、怒ってくれてありがとな。エネルギー使ったから、お腹すいたんじゃないか?」


「……甘いパンケーキ食べたい」


「わかった。お店を探そう」


「……あとヘアサロンとショッピングで使ったお金、お兄ちゃんのおごりがいい」


 やれやれ、仕方がない。

 ちゃっかり者の妹に対し、僕は「わかったよ」と快く応じる。それで機嫌を直してくれるのなら安いものだ。


「いいわね、パンケーキ。私も甘いモノをお腹いっぱい食べたい気分だわ。みんなで行きましょう」


「賛成! 兎唯ちゃん、せっかくだしホイップクリームマシマシにしちゃおう!」


 ありがたいことに、美月と涼香さんも付き合ってくれるという。兎唯はたちまち元気を取り戻し、二人のお姉さまと手をつないで軽やかに歩く。


 トラブルはあったが、どうにか笑顔でお出かけを締めくくることができそうだ――楽しそうな女性陣の様子を眺めながら、僕はほっと息を吐いた。

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