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第84話

 流石、美月の兄なだけある……旭陽(あさひ)くんのコミュニケーション能力は、僕の想像をはるかに超えていた。


 三鷹駅で、夏らしい服装に身を包むグランピング参加者をピックアップした。具体的には、慎、三浦(千紗)さん、玲音、加賀志保さん、中川翔史(なかがわ・しょうじ)くんの5人だ。これで、合計10人が勢揃い。


 合流したとき、みんな旭陽くんのイケメンっぷりに絶句していた。そんな一幕を挟み、男女別れて車に乗り込む。次いで、僕たちは改めて目的地へ出発した。


 目指すは『奥多摩』。東京都の最西端に位置し、関東山地南部に含まれる地域だ。自然豊かな環境が魅力で、アウトドア活動が盛んな観光スポットとして知られている。


 出発してしばらく、男性陣の間では探るような会話が交わされていた。しかしそれも、車載モニターにミュージックビデオが流れ始めるまでのこと。


 爽快なサマーチューンに合わせ、旭陽くんが美声ながらもどこか調子外れな歌を口ずさむ。次第に楽しそうな雰囲気は伝染していき、たちまち皆が歌いだして車内はカラオケ状態に突入した。


 数曲ほど熱唱し、興奮は一旦おさまる。すると旭陽くんは間を開けず、非常に興味深い話題を持ち出す。


「そういえばさ、こないだ大学で全然知らない女の子にマジビンタされたんだよね」


 彼はさらに巧みなトークスキルを駆使しつつ面白エピソードを語り、あっという間に男性陣の心を鷲掴みにした。

 この間、出発してからわずか15分足らず。車内に漂っていた遠慮がちな空気はキレイさっぱり消え、気づけば僕たちは和気あいあいと会話を交わすようになっていたのだ。


 その後も楽しいドライブタイムは続き、もう1時間半ほど経った頃に目的地へ到着する。駐車場の入口には、『奥多摩フォレストテラス』と印字されたオシャレな看板が設置されていた。


『運転ありがとうございました!』


「どういたしまして。楽しくてあっという間に着いちゃったね」


 エンジンをきった旭陽くんに運転のお礼を告げ、わいわい騒ぎながら車外に出る。同時に、みんな揃って『おお~!』と歓喜の声をあげた。


 付近は緑豊かな森に囲まれ、セミの鳴き声にまぎれて川のせせらぎが聞こえてくる。とても心地よく、サマーレジャーを満喫するのにピッタリな場所だ。しかも天気はこれ以上ない快晴で、コンディションはまさに完璧。


 やや遅れて車から降りてきた美月たちと合流し、もう一度盛り上がってから施設のフロントがある建物へ向かう。


「お兄ちゃん、重いから兎唯のバッグ持って」


「はいはい。美月のも貸して、僕が持つよ」


「あら、ありがとう。それで、うちの兄はどうだった? 何か余計なこと言っていなかった?」


 トコトコ近寄ってきた妹がさっそく甘えてきたので、仕方なくボストンバッグを受け取る。ついでに側にいた美月の荷物も持つ。それから僕の「特に言ってなかったけど」という返答に合わせ、揃って歩き出す。


「むしろ、旭陽くんのおかげで車内は大盛りあがりだったよ」


「それならいいのだけど。あの人、私のことについて口を滑らす傾向にあるのよね」


 それは多分、兄の性分ってやつだ。僕も妹の友だちに会ったら、あれこれ口を挟んでウザがられる自信がある。

 神秘的で大人びた魅力を湛える美月であっても、旭陽くんにとってはただの可愛い妹に過ぎないのだろう。意外とシスコンなのかもね。


 ちょっと愉快な結論に至ったところで、ロッジ風の大きな建物の自動ドアをくぐる。冷房のよく効いた室内に入ると、すぐ近くに施設のスタッフさんが待機しているフロントが見えた。


「皆さま、本日は『奥多摩フォレストテラス』のプレオープンイベントにお越しいただき、誠にありがとうございます。当施設は快適さとリラックス感を兼ね備えた、新スタイルのアウトドア体験の提供を目指しております」


 代表者として旭陽くんが挨拶を交わすと、年配のスタッフさんが歓迎の言葉と共にグランピング施設の案内をしてくれた。

 フロントのある建物内には、清涼飲料やお酒、軽食、おつまみ類など、豊富な品揃えの売店が併設されている。しかも温泉施設まで付随しており、いずれも24時間利用可能だという。


 次いで移動した芝生の広場には、大型のドームテントが二つ並んで建っていた。

 本日の宿泊場所だ。正面はガラス張りになっており、カーテンを開けると室内にいながら豊かな自然を楽しむことができる。おまけに、冷暖房完備。利用はもちろん男女別だ。


 加えて、広場にはトイレや『ミストサウナ』を楽しめる専用ロッジ、屋根付きの小洒落たバーベキューサイト、景観豊かなテラス席などが個別に設置されていた。実に豪華な施設である。


「何かご不明な点やお気づきのことがございましたら、お気軽に声をおかけください。それでは、どうぞ特別な時間をお楽しみください」


 説明が終わったら荷物をテントにしまい、誰がどのベッドを使うかを話し合う。当然、一番立派なベッドは旭陽くんに譲る。

 それからまた車に戻り、残してあった荷物を運ぶ。何を持ってきたのか知らないが、やたら大きくて重かった。


「皆さま、朝食の準備が整いました。テラス席までお越しください」


 しばらくまったりしていたらテントの扉がノックされ、スタッフさんから朝食のコールがかかる。テラス席に向かうと女性陣がすでに揃っており、きゃあきゃあ騒ぎつつスマホでテーブルに並ぶ料理の写真をとっていた。SNSにでもアップするのだろう。


 皆が着席したら、『いただきます』を唱和して朝食のスタート。

 メニューは、厳選素材を使ったエッグベネディクト。僕はオランデーズソースがちょっとダメそうだったので、そのままいただく。味わいは絶品だ。しかし量が物足りなく、玲音といっしょに五穀米おにぎりを多めに追加注文した。


「……ほんとサッカー部ってよく食うよな」


 食事を続けていると、正面の席に座っていた翔史くんが呆れたように呟く。

 聞けば、栄成高校の学食でバカみたいな量を注文し、ぺろりと平らげるサッカー部員の姿をよく目にするのだとか。


 確かに、僕も高校に入ってから食事量が増えた気がする。体を作るのに多量のエネルギーが必要となったせいだろう。


 ともあれ、満腹になったら日課のサプリメントなどを摂取する。僕が愛飲するのは、もちろんスポンサードを受けているカーム社の製品だ。

 そして食後のティータイムを終えた美月が、手を打ち鳴らせて宣言する。


「じゃあ、着替えて川遊びに行きましょう!」


『きたぁぁああああああっ!』


 男性陣の雄叫びが、夏の朝日を浴びた森に消えていく。

 ついにこの時がやってきた! 約束された『水着回』というやつだ――妹が以前、世の中にはそんな様式美があることを教えてくれたのだ!

 僕は胸を躍らせて、一目散にテントへ駆け込んだ。

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