「実は、財布を落としちまったみたいなんだ……」
「あ、そうなの……」
多分、相手にせずスルーするのが正解なのだろう。けれど、酒井くんのくたびれた様子が気にかかり、声をかけてきた理由をつい問い返してしまった。すると、思いのほか厄介な状況に直面していることが判明した。
「……とりあえず、中で話さない?」
入口を塞ぐのもマズいので、一旦メインロッジのロビーに移動する。フロントのスタッフさんに声をかけ、空いているソファに腰を下ろしてから話を続けた。
「えっと……酒井くんが財布を落とした、であってる?」
「ああ、マジでやってらんねーよ。キャンプなんて来るんじゃなかった」
ひんやりした空気が漂う中、酒井くんは経緯を――というより、グチを漏らし始めた。
発端はやはり白石(鷹昌)くん。美月がグランピングに行くと聞きつけ、隣のキャンプ場を予約した……どうやら親の繋がりで情報を得たみたいだが、普通にストーカー行為である。僕はドン引きだ。
そのうえ、なぜか勝手に『神園美月はA組の女子グループを誘うはず』と勘違いし、現地でどうにか合流する計画を立てたという。控えめに言ってヤバイ。
ところが、実際には僕たちが一緒にいて、顔を合わせるなりウォーターガンで追い払われるハメになった。
「おまけに、キャンプ場のスタッフから『次は警察を呼ぶ』とか脅されてよ……それで、合流するのも難しくなったし」
話によると、奥多摩フォレストテラスの敷地に無断侵入した件を咎められたようだ。今は財布の落とし物がないか確認に来ただけなのでギリセーフらしい。
しかも美月たちと合流する前提でキャンプに来たので、酒井くんたちの準備は明らかに不足していた。
その結果、テントの組み立てに悪戦苦闘し、食材を調達するために遠くのスーパーまで徒歩で買い出しに行かざるを得なくなる。挙句、完成したのは焦げ焦げのゲロマズ料理。
加えて、白石くんは性懲りもなく『夜になったら予定通り肝試しをやる』とワガママ放題。結局は断念したものの準備などに時間を取られ、ろくに川遊びも楽しめていない――そう言って酒井くんはがっくり肩を落とし、ため息をつく。
ちなみに、どうにか美月と加賀さんを肝試しに誘うつもりだったとか……僕は呆れて声も出なかった。ノリと勢いを重視する年頃なのはかろうじて理解できる。けれど軽挙妄動にも程があるし、自分たちに都合よく考えすぎだ。
「見ろよこれ……ネットを駆使して、弘斗が事前に作ってきたんだぜ」
酒井くんがポケットから取り出した用紙を受け取り、内容に目を通す。
グランピング施設を含む一帯をデフォルメした地図だ。上部には、『肝試しのコース案内』とポップな字体で記載されている。
制作者は、彼らの派閥に所属する『中岡弘斗(なかおか・ひろと)くん』。
女子たちと合流して夏夜の風物詩を楽しむ予定だったから、きっとニコニコで準備していたのだろう……涙ぐましい努力だ。徒労に終わると思うとかなり切ない。
「そんで俺は、その肝試しの準備の最中に財布を落としちまったんだ……最悪だろ? 貴重な夏休みの部活オフが台無しだ。本当なら、一生忘れられないような『青春』の思い出を作るはずだったのに……クソが」
話を聞いていて、心が痛くなってきた……こんなしょぼくれた酒井くんは見たことがない。サマーレジャーを堪能できないばかりか財布まで落とすなんて、泣きっ面に蜂もいいところだ。それに青春と言われると僕はちょっと弱い。
「鷹昌には本気でウンザリだ。もう付き合いきれねーよ……そこで頼みなんだが、悪いけど財布を一緒に探してくれないか?」
「……落とした場所に見当はついているの?」
なにやら心境の変化があったらしい。急に殊勝な態度を見せられたものだから、うっかり肯定的な反応を返してしまった。同時にふと『松村くん』のことを思い出す。なにより状況が悲惨すぎて、財布探しぐらいなら付き合ってあげてもいいような気がしている。
「さっきの地図を見てくれ。肝試しのゴールである『廃神社』に仕込みをしたんだ。おそらく、ここに置き忘れてきたんだと思う」
キャンプ場とグランピング施設のフロントに、財布の落とし物は届いていなかった。となると、残る心当たりは一つだけ。むしろこれで見つからなければ諦めるしかない、と彼は頭を抱えた。
「なるほど……確認なんだけど、白石くんたちに手伝いは頼めないの?」
「頼んだに決まってんだろ。『一人で探しにイケ』って断られたんだよ」
本当に友だちなのか疑いたくなるような関係だ……しかし都合よく僕と鉢合わせたので、思い切って頭を下げたそうだ。実際には下げてないが。
ともあれ、仕方がない。距離も大したことないようだし、さっさと終わらせるか。
「じゃあ、さくっと行って戻ってこよう」
「おお、マジか! 助かるぜ、兎和!」
話がまとまったら、さっそく連れ立ってメインロッジを後にする。目的地の廃神社は、ここから山の方へ少し進んだところにある。
か細い三日月と星空、それと数少ない街灯が照らす山道を歩く。
途中でスマホのライトをつけた酒井くんを見習い、僕もポケットからスマホを取り出そうとした。が、テントに忘れてきたことに気づく。視力には自信があるから特に問題ないけれど。
そうこうしているうちに、長い石段の前にたどり着く。この上に目的の廃神社があるらしい。トレーニングにはちょうど良さそうだ、なんて思いながら足を進める。
しばらくして境内に入ると、酒井くんが「あそこだ」と言って土蔵を指さす。扉が半分開いており、金属製の閂が脇に立てかけてあった。
「肝試しでゴールした証として、弘斗が作った御札を中に設置した。財布を落としたのもきっとそのときだ」
小さく謝罪しつつも蔵の中に足を踏み入れてみれば、さほど時間をかけずに酒井くんの勘が正しかったことが証明される。ダンボールなどのゴミが散乱する棚の側に、ぽつんと財布が落ちていたのだ。
「はい、これ。見つかってよかったね」
「ああ、マジで良かったぜ……こんなに早く見つかるなんてラッキーだった」
その場で僕が見つけた財布を手渡すと、酒井くんはホッとした表情を浮かべた。だが、それもつかの間のこと。相手はスマホのライトをこちらに向け直し、予期せぬ質問を投げかけてくる。
「そういや、ちょっと聞きたいことがあったんだ。お前、神園と付き合ってんの?」
「いや、付き合ってはいないけど……あの、眩しいからやめてくれないかな」
「そっかそっか。じゃあ頼みついでに言うけどさ、これからは俺もそっちのグループに混ざるから。神園と仲良くなりたいし」
「は……?」
何を言っているのかにわかには理解できず、僕はたっぷり5秒ほどフリーズした。