まったく知らない言語で話しかけられたみたいだ……困惑して、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。
再起動してから改めて酒井くんに意図を尋ねると、言葉通り『白石(鷹昌)くんにはウンザリだから僕たちのグループに加えろ』と要求しているようだった。
「……やっぱり意味がわからないんだけど」
「はあ? 減るもんじゃねーし、別にいいだろ。あ、せっかくだから今晩は一緒に泊めてくれよ」
おお、スゴイな……ここまで図々しいと、もはや同じ惑星の住人かも怪しくなってくる。にもかかわらず、同じ学校の部活で頻繁に顔を合わせる関係なのだから恐ろしい。
というか、本人は発言の意図を正しく理解できているのだろうか。
「……こんな話、白石くんたちが聞いたらショック受けるんじゃない?」
「何の問題もねーよ。俺たちは友だちっていうか、ギブアンドテイクな関係だから」
とことん意味不明だ。百歩譲って理解できたとしても、この先僕たちと利害の不一致が起きた場合はどうするつもりなのか……また裏切るってのか?
それに、酒井くんみたいな不埒な人間が美月に近づくことを想像するだけでゲロ吐きそうになる。たとえ本人が許したって、僕は絶対に許せない。だから、返す言葉は始めから一つだけだ。
「悪いけど、断る」
「……は? なんだよそれ。もしかして差別すんの?」
差別とか区別とかの話ではない。友だちという言葉の意味を考えてみてほしい。
そもそも僕は、慎や玲音に仲間にしてもらった立場なのだ。グループに加える決定権など持っているはずがない。
その後、酒井くんがどれだけ言葉を重ねても決して首を縦に振らなかった。
「いくら言ってもムダだ。僕は絶対に応じないから」
「チッ、やっぱテメーはクソ陰キャだな……仕方ねえ、頷くまでこの蔵にいてもらうとするか。その強気がどんだけもつか試してやるよ」
理不尽に対して言い返そうとした、その時。
スマホのライトに眩む視界の中で、舌打ちした酒井くんの影がブレる。直後、僕は後ろによろめいて『突き飛ばされた』ことを理解した。
さらに相手は身を翻し、一目散に蔵の外へ向かう。半笑いの意地悪なその表情が、斜光によって鮮明に浮かび上がる。次いで鈍い音を立てて扉が閉まっていき、呆気にとられた僕は完全な闇に包まれる――直前で、朝焼けの光芒のごとき声が鮮烈に響く。
「やあ、いい夜だね。俺はいま人を探しているんだけど、まさかその中にいたりしないよね?」
扉が動きを止めたかと思うや、「ぐえっ!?」とくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
いったい何が……慌てて蔵から出てみれば、地面に押さえつけられ呻く酒井くんの姿が目に飛び込んでくる。旭陽くんに腕をねじられ、身動きが取れない状態だった。
「おや、予感的中だね。彼が急に逃げ出そうとするから、反射的に拘束しちゃったよ」
「もう、兎和くん! 一人で行動しないの!」
旭陽くんの声に続き、耳によく馴染む凛とした声が響く。
周囲には少し怒った表情の美月をはじめ、グランピングに参加した全員の姿があった。考えるまでもなく、僕を探しにきてくれたのだろう。
状況が把握できた途端、気が緩んで思わずホッと息をこぼす。
「さて、事情を説明してもらおうか」
「くっ、離せ……ぐうぅ!?」
この期に及んで逃げようと抵抗する酒井くんを無理やり立たせ、旭陽くんは事情を吐かせようとした。だが、加害者が自分の悪行をあっさり白状するはずもなく、最終的には僕自ら詳細を説明することになった。
ただし、美月に関する話題はさらっと流す。余計な責任を感じてほしくなかったから。
「なるほど。兎和くん、ちょっと迂闊だったね」
「ごめんなさい。もしかしたら、関係を修復できるかと思って……」
話を聞いた旭陽くんに窘められる。
本当にご迷惑をおかけして申し訳ない。けれど、僕にも言い分があって……これを機に、もっとマシな関係になれるんじゃないかと考えてしまったのだ。
酒井くんから頼みごとをされたとき、不意に『松村くん』との出来事が頭をよぎった。今回はそれが悪く作用し、僕に迂闊な行動を取らせた。正直、裏目に出た感は否めない。
加えて、道中でスマホを忘れてきたことを明かしたのもマズかった。こちらが助けを呼べないと判断したから、『望む答えを引き出すまで蔵に閉じ込める』なんて愚行に及んだのだろう。
「だとしても、兎和くんはお人好しすぎるわ。今後こんな問題がおきないよう対策を考えないとね」
「ほんとお兄ちゃんはおバカなんだから!」
「はい、ごめんなさい……申し訳ございません……」
「まあまあ、お二人さん。もうそのへんで許してやってくれ。それで兎和、この愚か者をどうしたい?」
美月と兎唯に叱られていると、玲音がフォローに入ってくれた。おかげで、論点は酒井くんの処遇に移る。
「こんな大馬鹿ヤロウは、さっさと警察に突き出しちまおうぜ」
「賛成! お財布を一緒に探してくれた相手を閉じ込めようとする最低男に慈悲はない!」
間髪入れず、慎と三浦さんカップルが過激な制裁案を口にする。加賀さんと翔史くんに目を向けると、どうやら二人も賛成のようだった。しかしここで、旭陽くんがやんわり異論を唱える。
「警察は微妙かもね。未遂のうえ顔見知りだから、ちょっとした揉めごと扱いで大した罪には問われないと思うよ」
「なら、どうすればいいでしょうか……?」
「学校に連絡すればいいんじゃない? イジメ問題として提起すれば良くて停学、悪ければ退学にでもなるでしょ」
旭陽くんなら適切な答えを教えてくれるだろうと聞いてみたら、こちらからも過激な提案が飛び出してきた。
いずれにせよ酒井くんにとってはクリティカル。今後の青春スクールライフのみならず、人生設計にまで悪影響を与えること間違いなし……それゆえ、彼が慌てふためくのも無理はない。
「ま、待て……! 警察や学校には知らせないでくれ! ちょっと魔が差しただけなんだ! 見逃してくれ、本当にお願いします!」
ようやく自分が危うい状況にあると理解したらしい。ムダな抵抗をやめ、膝をついて慈悲を求める酒井くん。
いまさらどの口が……とは思うものの、追い込みすぎるのも問題か。すべてを失い、捨て身のリベンジャーに変貌されては困る。それに初犯である点を考慮すれば、言質を取る程度にとどめておくのが妥当だろう。
そんなわけで、酒井くんが反省する様子を動画に収めることに決まった。皆で色々と協議した結果である。
具体的には、『犯した罪への謝罪とこれ以上迷惑をかけないという約束』を自分の口で語らせる。もちろん、こちらは不当な要求をしないと誓った――そして何度かリテイクを重ね、望み通りの動画を撮ることができた。
「とりあえずはオーケーかな。ここにいるメンバーに対してまた悪さをしたら、この動画を学校に提出するからね。今後は真っ当に生活しなさい」
「は、はい……すみませんでした……」
旭陽くんが念を押し、一件落着。用済みとなった酒井くんは解放され、トボトボ廃神社を去っていく。財布を落としたと打ち明けられた時よりもしょんぼりしており、少し哀れに感じた……まあ、因果応報か。
それはともかく、皆はどうやってこの場所に見当をつけたのだろうか?
「戻りが遅かったから、フォレストテラスのフロントに様子を確認しに行ったんだ。そこで、スタッフが教えてくれたんだよ」
旭陽くんが言うには、なかなか戻ってこない僕を心配して探しにきてくれたそうだ。するとフロントのスタッフさんに、『ご友人らしき方と廃神社へ向かった』と告げられる――どうやら、酒井くんとの会話を聞かれていたみたい。その後、全員での捜索が行われた。
「なるほど……みんな本当にありがとう」
「気にすんなって。つーか、酒井もやりすぎだろ。こんな展開は流石に予想もつかねーよ」
慎が笑顔で肩を組みながら慰めてくれた。おかげで場の空気も緩み、皆の表情も和らぐ。
さらに少しふざけ合ってから、僕たちもテントへ戻るべく歩き出す。ところが、いくらも進まぬうちに足が止まる――長い石段を降りようと鳥居をくぐった瞬間、満天の星空が視界一杯に広がったのだ。
「うわ、星がすっごい!」
「本当ね。すっごくきれい」
僕は思わず感嘆の声を漏らす。すると美月や他の皆も足を止めて空を見上げ、息を呑む。
まるで天然のプラネタリウムだ……星々は手が届きそうなほど近く、夜空を埋め尽くしている。
ふと生暖かい風が吹き、古びた木の香りを運んできた。
そのとき、遠くでひっそりと光が流れる。きっと流れ星だろう。誰かが、小さく願いごとを唱えたような気がした。
それからしばらくの間、僕たちはこの美しい光景に見入っていた。
「星の光はまるで青春のよう」
不意に、涼香さんの呟きが静寂を破る。
すかさず、側にいた妹が「どんな意味?」と問いかける。
「知っての通り、星の光は大昔に発せられたものです。そして青春もまた、大人になって過去を振り返ったとき、その強烈な輝きをより正確に認識できる――つまり、どちらも未来の視点からようやく観測できるものなのです。だから、星の光はまるで青春のよう」
ああ、なるほど……それなら僕は、あの一等星みたいにひときわ強く輝く青春を送りたい。
夏の大三角形を眺めながら、ぼんやりと未来に思いを馳せた。
「さすが涼香、素晴らしい発想だね。中高生諸君、今の言葉を胸に刻むように」
「なにを言っているんですか。旭陽もですよ」
「涼香……! 今すぐ結婚してくれ!」
「そういうのは大学出てからって言ったでしょ。それはさておき、皆さん。あの星々のように真っ直ぐ光る青春を送ってくださいね」
言って、涼香さんは得意げに夜空を指さした。
続けて「私はプリマステラの育成に戻ります」という謎の発言を残し、再びスマホへ視線を戻す。隣にいた旭陽くんも、感極まった様子でお世話を開始した。
実際のところは、光も重力によって曲がるらしい……けれど、そんな野暮は口にしない。
今はただ側にいる人たちの息遣いを感じながら、瞬く星々に心を寄せる。
こうして夜は静かに更けていき、サマーレジャーは幕を閉じる。トラブルはあったものの、僕は最高の夏の思い出を作ることができた。