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第91話

「ちょいちょいちょい、タコ昌。お前は急に何を騒いでいやがる」


「ぶべっ!?」


 猛り狂う白石(鷹昌)くんの顔面に、玲音が手に持つスクイズボトルの水を噴射した。グランピングのときと同様、文字通り水を浴びせた形だ……いや、たまたま側にいたので問題が大きくなる前に介入した、というべきか。


「玲音ッ、テメエこそ何しやがる!?」


「少し冷静になれと言っている。誰彼構わず絡みつくんじゃない、このタコ」


「ふ、二人とも、いったん落ち着こうよ。先輩たち怒ってるっぽいし……」


 僕も遅れて止めに入る。だが、今回ばかりは『よく言ってくれた』というのが正直な心境だ。理由だってちゃんとある――林先輩を中心とする拗らせ勢の面々は、相も変わらずCチームの下級生をイビり倒していた。


 特に1年生の3人(僕・玲音・白石くん)はターゲットにされ、トレーニング指導を建前にドヤされ、プレー中にはガチで削られる。並のパワハラなんて比ではない。おまけに、指導陣の目がないところではタダの罵倒に変わるからタチが悪い。


 僕はトラウマを大いに刺激されて本当に迷惑している。けれど、仲の良い大木戸先輩曰く『原因はサッカーのポテンシャルに対する嫉妬』だそうなので、改善する余地もなし。


 まして白石くんは先にチーム昇格していた都合もあり、一層鬱憤を溜め込んでいたに違いない。だからこそ彼は、今さっきの給水中にチクチク言われてついに大爆発を起こしたのだ……そもそも導火線が極端に短いタイプなのに、これまでよく我慢していたな。


 ともあれ、ここは栄成サッカー部。集団規律を重んじる高校の部活動ゆえに、『先輩を敬うのが当然』という性質を持ち合わせている。なにより、相手は暴言を吐かれて大人しくしているようなタマじゃない……となれば、ナマイキほざく最下級生の辿る末路など目に見えているわけで。


「おい、鷹昌……誰がクソ雑魚だァ!?」


「1年ども、きっちりわからせないとダメみてーだな!」


 林先輩を筆頭に、拗らせ勢は10数人ほど存在している。主軸は3年生だ。そんな彼らがジリジリと迫ってきて、あっという間に僕たちは半包囲されてしまう。

 炎天下の人工芝ピッチで追い詰められつつ、ふと思う。なんで僕と玲音まで……?


「ちょ、先輩。暴力はマズいっすよ!」


「邪魔すんな大木戸! じっくり説教するだけだ!」


 エンジョイ勢を自称する大木戸先輩や古屋先輩たちが仲裁に入ってくれているものの、残念ながら効果は皆無。むしろ相手グループはますますヒートアップし、いよいよ場は剣呑な状況になってきた。


「……兎和、タコ昌を囮にして逃げるぞ」


「……オーケー、玲音」


「ちょっと待て!? お前たちだってイラついてたはずだ! 少しくらい味方しろよ!」


 玲音と僕が離脱する算段を立てていると、元凶の白石くんが助けを求めてきた。

 バカ言うな。完全にとばっちりだし、協力する義理なんてハナからゼロだ。ゴン詰めされてションベン漏らしても笑わないから、そこは安心してくれ。


 僕と玲音は試合さながらのアイコンタクトを交わし、逃げるタイミングをうかがった――しかし次の瞬間、その必要もなくなる。


「お前たち、またバカやってんのか?」


 やれやれ、と呆れた様子でこちらに向かってくる永瀬コーチ。休憩に入ってすぐ監督室へ引っ込んでいたが、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれたみたい。

 しかもその後ろには、栄成サッカー部のトップを務める『豊原監督』の姿も見える。遠征明けのA・Bチームは本日オフだから、何か作業でもあったのだろう。


 他のコーチ陣も遅れてやって来て、騒動はいったん沈静化する。

 続けて永瀬コーチが、「トラブルの原因は?」と事情聴取を開始。僕と玲音に背中を押し出された白石くんと、拗らせ勢のリーダーである林先輩が順に言い分を述べた。


「なるほど……俺も前々から、林たちの指導には問題があると感じていた。実際、何度か注意したはずだぞ。だが、鷹昌の暴言もよくない。チームメンバーなんだし、お互いもっとリスペクトするべきだろ」


 話を聞いた永瀬コーチは、喧嘩両成敗の精神でトラブルを収めようとした。

 けれど、僕じゃない方の白石くんの気性の荒さを甘く見てはいけない。しかも、究極の自己中ヤロウでもあるのだ。


「納得できないっす。3年のくせにCチームでデカい顔しているとか、恥ずかしくねーのかよ――ていうか、とっくに我慢の限界だッ! スタメンの座を賭けて、俺たちとサッカーで勝負しろ!」


「お前ら……1年のくせに調子ノリすぎだッ! いいぜ、勝負してやる! ついでに、敗者には今の倍の雑用をやらせてやらあ!」


 人差し指を突きつけ、白石くんが酷すぎる挑発をぶちかます。これに対し、今度は林先輩が大爆発。半包囲を形成する拗らせ勢の面々もブチギレており、口々に『ぶっ潰してやる!』と叫んでいた。


 もはや和解は不可能。このまま勝負へ突入する――かに思われたその時、静観していた豊原監督が「静まれ!」と大喝一声を放った。


「勝手に話を進めるんじゃない。永瀬が言った通り、リスペクトの精神を忘れるな。そもそも部活動は、忍耐や継続力を育み、ひいては人間的な成長を促す場だ。感情的になった挙句、外に矢印を向けて衝突するなど見苦しいにも程がある!」


 ごもっとも過ぎる叱責が飛び、騒動に加担した者は揃って沈黙した。

 サッカーでは、『自分に矢印を向けろ』とよく指導される。問題や失敗があったとき、他人や外部に責任転嫁するのではなく、まず自分自身に目を向けて反省する姿勢を求められるのだ。


 しかし、今回のトラブルは真逆。

 当然、さらなる反論が出てくるはずもない。


 ともかく、これで一件落着だ。あとはどんなペナルティを食らうのか……僕は早くも次の展開に思考を移していた。

 ところが、続く豊原監督の「まあ、その向上心は悪くない」という発言によって風向きが急に変わる。


「先程の言葉は建前だ。正直、俺は常々『ファイティングスピリット』が欠けていると感じていた。特にここ数年は、環境に満足してしまう部員が目立つ」


 高校サッカーは負ければ終わりだ――元JFL(日本のアマチュアサッカーリーグの頂点)プレーヤーである豊原監督は、熱を込めて説く。


 プロを育成する前提のJリーグアカデミーでは、勝敗よりも選手としての成長が優先される。

 対して高校サッカーは、主要大会がトーナメント形式であるため、勝敗の重要性が一層際立つ。したがって、すべての試合に勝ち抜く覚悟が求められる。


 しかし近年は、穏やかなタイプの生徒が多いらしく……要するに、諦めの早い従順な子どもばかりだと言いたいみたい。だから、反骨心と強いエゴを剥き出しにする白石くんの尖った姿勢を肯定した。


 豊原監督はどうやら、『サッカー選手は野心家であるべき』と考えているようだ。もちろん、言葉遣いや礼節にも気をつけるよう注意していたが。


「いずれにせよ、その意気やよしッ! どうせチーム選考を見直す時期だ。お前たちが闘志と覚悟をもって臨むなら、先ほど口にしていた『スタメン争奪戦』の実施を許可しよう。その代わり、決着後はノーサイドだ!」


「監督、ありがとうございます! よっしゃ、やったるぜ!」


 まさかの承認宣言に、白石くんはノータイムで飛びつく。同じCチームとはいえ、相手が3年生であることを理解しているのだろうか……?

 それから少し遅れて林先輩も合意し、マッチアップが確定する。ただし、両チームとも『希望者を募る』など複数の条件が追加された。


「では、林たちは問題なさそうだな……鷹昌、兎和、玲音、お前たちもチームを結成したら後ほど報告してくれ。それと、せっかくの機会だから各カテゴリの『交流戦』を行う!」


 次いで、マッチデーは『8月末』に決定する。しかもCチームのスタメン争奪戦に加え、栄成サッカー部の各カテゴリが激突する『交流戦』も開催されることになった。

 なんだか、夏休みの最後を飾るお祭りのような気配が漂ってきたな……いや、待ってくれ。


「玲音、僕たちもスタメン争奪戦にエントリーされてなかった……?」


「ああ……まったく、厄介事に巻き込んでくれやがって。このタコ昌!」


「ぐえっ!? ふざけんなテメエ!」


 玲音が白石くんの背中をゲシっと蹴飛ばし、二人はまた揉め始める。

 その後、『部活が終わったら詳細を話し合う』となんとか意見が一致した。


 この先どうなるのか、正直不安しかない……この夏を締めくくるであろう突発イベントを思うと、僕の胸はずんと重くなった。

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