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第95話

 今年の後輩どもはナマイキがすぎる。特に新しくCチームへ加わった、ダブル白石(鷹昌・兎和)と玲音、この三人は格別に目障りだ。


 午後になるとセミの声は輪唱に変わり、炎天下のピッチは一段と熱気を増す。そんな環境下で、自陣ゴール前のスタートポジションから俺、林雅紀(はやし・まさき)は、自然と額に浮かぶ汗も拭わず敵陣をじっと睨む。


 視線の先にいるのは、先ほどこっちの挑発に対抗してきやがった白石兎和。

 今も一丁前に睨み返してきやがる。モブっぽい見た目のくせに、憎たらしいヤツめ。俺が3年だってことちゃんと理解してんのか?


 ジュニアユース上がりだか知らんが、部活では無条件で先輩を敬うのが常識だ。

 そもそも俺は、兎和の存在が不快で仕方がない――アイツを見ると、どうしても『相馬淳(そうま・あつし)』の姿がカブるのだ。


 同級生で、栄成サッカー部の大エースで、全国区の知名度を持つサイドアタッカーで、女子にやたらモテるイケメンで……挙句、俺に『才能』というトラウマを植え付けた男、相馬淳。


 スタートラインは同じだった。高校に入学してからは共にDチームで切磋琢磨し、皆で上を目指そうと声を掛け合った。いずれ全国に、と。

 しかし相馬は、徐々に頭角を現して誰よりも早くステップアップしていった。


 その過程で、CBを務める俺は何度もブチ抜かれ、繰り返し『噛ませ犬』を演じさせられた……こっちがどれだけ努力しても、相手は倍以上のスピードで駆け抜けていく。あの背中を悪夢に見たことは一度や二度じゃない。


 同級生が天才プレーヤーだったなんて、迷惑以外のナニモノでもない。日々劣等感を刺激され、やがて自分の存在価値にまで疑問を抱くようになった。強い光が濃い影を生むのと同じ道理だ。


 それでもサッカーが辞められず、俺は石に齧りつく覚悟で続けてきた。

 けれど、反動で『サッカーの才能』を持つヤツが嫌いでたまらなくなった。


 だから、早々に能力を認められ、チーム昇格を許された1年どもへの対応が厳しくなるのも当然だ。口調が荒くなるのも、プレー中に削りにいくのも、仕方がなかったのだ。


 そして兎和は、夏合宿のラストゲームで一度だけスーパープレーを見せた。有名な『黒瀬蓮』が率いるチームを相手に、怪物じみたドリブル突破を披露してのけた――あれは、相馬に匹敵し得る才能の片鱗だ。


 以来、兎和はもっとも不快な後輩となった……とにかく、ダブルクソ白石と玲音は、こっちの気も知らず堂々と反抗してきやがった。あまつさえ敬うべき先輩を『雑魚』と見下し、勝負を挑んできたのである。


「……だが、所詮は1年。ぶっ潰して、ケンカ売ってきたことを後悔させてやるッ!」


 主審を務めるコーチがセンターマークにボールをセットするのを見ながら、俺は胸に溢れる黒い感情を吐き捨てた。


 兎和たちがいくら才能豊かだろうと、今はまだ高校に入って間もないクソガキだ。こっちは2年ほど多く経験を積んでいるため、フィジカル面でのアドバンテージは揺るぎない。

 大木戸たち上級生が協力していたらどう転ぶか怪しかったが、勝利の女神が味方してくれたらしい。


 それはそうと、女神と言えば……俺は観戦エリアの方へわずかに首を向け、学内で『美の女神』などとウワサされる神園美月の姿を視界に収めた。


 夏の風が吹き抜け、彼女の長い黒髪は日差しを受けてかすかに青く光る。

 柔らかな輪郭を描く小さな顔には、最高に整ったパーツが完璧なバランスで配置されている。涼やかな目元と、澄んだ輝きを湛える青い瞳がとりわけ特徴的だ。


 透明感溢れる乳白色の肌や9頭身に近い圧倒的スタイルなど、他にも魅力を挙げればキリがない。着用する衣服もセンス抜群で、ケチをつける隙すらない。


 相変わらず、異常な可愛さだ。新入生ながら、アイドル的人気を誇るのも納得だ。何人もの上級生男子が声をかけたらしいが、SNSのアカウントすら交換できずに撃沈したとか。


 そんな誰もがお近づきになりたいと願う超絶美少女は、兎和と仲がいいと聞く。それも俺の神経を逆撫でする要因のひとつだ……けれど、視点を変えてみれば絶好の舞台でもある。


 先輩の偉大さを叩き込むだけじゃなく、わざわざ観戦に訪れた神園美月の前で無様な姿を晒させてやる。幻滅され、嫌われてしまえ。


「では、Cチームの『スタメン争奪戦』を開始する。本気になるのはいいが、ラフプレーは程々に抑えること! 準備オーケー?」


 主審の宣言に続き、長いホイッスルの音が快晴の夏空へ吸い込まれていく――Cチーム・スタメン争奪戦、キックオフ。


 ファーストタッチは、赤のビブスを着用する味方だった。

 すぐに自陣最後方でディフェンスラインを統率する俺の元へパスが回ってくる。そのボールをトラップしたら、今度は前線を押し込むべく力いっぱいロングフィードを放つ。


 ゲーム開始直後はセオリー通りの流れを辿る。が、ここで俺はチームを勢いづけるために大声を出す。普段はやらないけど、今日は特別だ。なぜなら、これは『絶対に負けられない戦い』なのだから。


「前からガンガン当たれッ! デュエルはこっちが有利だぞ!」


 チラリとベンチをうかがえば、満足そうに頷く豊原監督と目が合う。

 それでいい、と背中を押してくれているのだ。こっちの狙いは、端的に言えば『フィジカルゴリ押しの肉弾戦』である。


 この試合は、互いに『4-2-3-1』のフォーメーションを採用したミラーゲームだ。結果、各自がマンツーマン気味でマッチアップを強いられる。ならば、体格差のアドバンテージを握るこっちが断然有利。


 これを踏まえて、オフェンス時はロングボールを多用する。

 ゴール前へシンプルに放り込み、ヘディングの競り合いで優位に立って得点の糸口をつかむ。セットプレーも効果的だ。 


 ディフェンス時もやはり体格差を全面に押し出し、積極的にぶつかる。

 激しいチャージを交えたハイプレスをお見舞いしてやれば、相手はフィジカルコンタクトを恐れるようになるだろう。


 それに伴ってプレーの選択肢は狭まり、球離れも必要以上に早くなる。もちろんミスだって増える。俺たちはその隙を見逃さず、速やかにボールを回収してカウンターを仕掛ける腹積もりだ。


 ファウルが増えるのも織り込み済み。とにかくナマイキな1年どもに痛い思いをさせ、ガッツリとメンタルを削ぐ。試合後には、反抗したことを後悔しているに違いない。


 実際、試合はこっちのプラン通りに進む。

 前半6分、さっそく最初のチャンスを迎える。


 狙い通り、サイドからペナルティボックス内にアーリークロス(早いタイミングでのクロス)を放り込み、味方CFがヘディングの競り合いを制する。ファウルを取られてもおかしくない攻防が繰り広げられたものの、幸い笛は吹かれなかった。


 次いで、弾んだボールが前線に詰めていた味方の足元に収まる。相手ディフェンスは後手に回っており、状況はほぼフリー。ビッグチャンスを得たボールホルダーは、赤いビブスをひるがえしながら右足を振り抜く。


 だが残念ながら、このシュートは大きく枠の上を越えていく。景気の良い宇宙開発……力んでフカしやがった。


「……オーケー、ナイシュー! 次は決めろよ!」


 イージーな得点機を無駄にした味方を叱責したくなるも、ぐっと我慢する。プロでもやるミスだし、時間もまだたっぷり残っている。

 それに、やはりフィジカル面での有利はデカい。イーブンの展開をものにできれば、その分だけボールを保持できる。


 その後も、試合はこっちの優勢のまま進んだ。

 ロングボールを主体に相手を攻め立て、セットプレーから数度ビッグチャンスを迎えた。永瀬コーチの指示でディフェンスがしっかり整えられているため得点には至っていないが、どちらが試合を支配しているかは明確だった。先輩ナメんな。


 それに、ここまで激しいプレーは想定外だったらしい。ナマイキな1年どもはすっかりビビってしまい、自陣に引きこもってどうにかゴールを守るだけで精一杯といった様子だ。


 このままいけば、案外早くケリがつくかもな……などと軽く考えていたのだが、存外粘りやがる。結局、前半の30分は互いに無得点のまま終わり、勝負は後半にもつれ込む。


 さらにハーフタイムを挟んで試合が再開されると、早々に『転機』が訪れる――それは、鷹昌の怒号によって引き起こされた。奇しくも、スタメン争奪戦の発端となったときと同じように。


「――だっらクソがあぁぁあああ! なにビビってやがる! ゴチャゴチャやってねえで、もっと俺にボールを集めろッ! 誰が『エース』だと思ってんだ!」


「うっさいんじゃボケェ! タコ昌、テメーは体も張らねえクセにほざくな! ガチで性格ドブすぎんだろ!」


「あァ!?」


「おォ!?」


 ボールがタッチラインを割ってプレーが止まるや、ここまでほぼ見せ場がないOMFの鷹昌が突如激怒する。それに触発されたのか、ピッチを駆けずり回って各所をケアしていたDMFの里中も感情を爆発させ、なんとも醜い口論が勃発。


 汚い言葉を吐きながら距離を詰める2人、慌てて止めに入るチームメンバー。おまけに、兎和が「ケンカは同じレベルの者同士でしか発生しないんだよ」と余計な口を叩き、吊るし上げ対象に早変わりする謎ムーブを披露していた。アホしかおらんのか。


 最終的に、ウォータージャグを持ってベンチから出てきた永瀬コーチが全員に水をぶっかけ、ようやく騒ぎは鎮火した。これには観客も大爆笑である。


 今年の1年どもはマジで目に余る……俺たちの世代も険悪な時期はあったけど、流石にここまで酷くはなかった。

 いずれにせよ、相手はこのまま自滅しそうな勢いだ。勝利を確信し、思わずほくそ笑む――ところがその直後、顔をしかめるような事態が発生した。


「お前らッ、タコ昌に好き放題言われたままでいいのかよ! ビビってないで、ガンガンいこうぜ!」


「俺を『タコ昌』と呼ぶなッ!」


 先ほどの騒動で吹っ切れたらしく、1年どもはすっかりナマイキさを取り戻していた。縮こまっていた前半とは打って変わり、里中を中心に積極的に声を出してチームを鼓舞している。

 加えて、試合再開後は激しいフィジカルコンタクトにも萎縮しなくなった。むしろ果敢に体をぶつけてくるようになり、プレーにダイナミズムまで生まれ始めている。


 これは、ちょっと厄介だな……サッカーの勝敗は、『流れ』に強い影響を受ける。そのため、何らかのきっかけで流れを掴んだ格下のチームがジャイアントキリングを成し遂げる、みたいな結末も珍しくない。


 今のピッチには、それを予感させるに十分な気配が充満していた。クソ1年どもへの歓声がいやに大きく聞こえてくる――そう、俺が警戒を深めた矢先。


 相手は後方からビルドアップをスタートし、里中を経由してテンポよく左サイドへ攻撃を展開した。

 そこでピタリとボールをトラップした兎和が、小癪にもディフェンダーを背負いながらもタメを作り、インナーラップで前線へ駆け上がる玲音にスルーパスを通す。


 絶妙なタイミングだ。ディフェンダーを巧みに引き出してスペースを作り、この試合で初めてチャンスを生み出しやがった。


 マズい状況だ、と俺は眉をしかめる。

 同時に、勝負どころだと直感する。


 この攻撃を食い止めれば、流れはきっと再びこっちへ傾く。ファウルでも構わない。フリーキックで直接点を取られることなんて滅多にないし、セットプレーならいくらでも対処できる。味方もフォローに入っている。


 迅速に判断を下し、カットインを試みる玲音を迎え撃つ。


「――うおらァ!」


「ぐぬわっ!?」


 俺はタイミングを計り、一気に距離を詰めてチャージをブチかます。強引に体をぶつけにいったせいで玲音と交錯し、ピッチを転がるハメになった。ペナルティボックス外とはいえ、ついでに笛も吹かれる。


 だが、目的は達成できた。これで失いかけた流れを取り戻せる。痛みを感じつつも、思わず笑みがこぼれた。


「残念だったな、玲音。やっと掴んだチャンスを潰された気分はどうだ?」


「別に問題ないっす。今のプレーで、やっとうちのエースに火が付いたみたいなんで。林先輩、覚悟しろ……『エル・コネホ・ブランコ』のお目覚めだ」


 立ち上がり、お互い挑発を飛ばしあう。

 エースという単語を耳にした俺は、まず鷹昌のことを思い浮かべた。さっき騒いでいたから。けれど、すぐに勘違いだと気づく。


「コネホ・ブランコは、スペイン語で『白ウサギ』って意味です」


 そう言った玲音の指先は、俺がもっとも不快に思う後輩へと真っ直ぐ向けられていた。

 次の瞬間、背筋がゾッとした――ピッチに佇む白石兎和の体から、ゆらゆらと謎のエネルギーが立ち昇っているのが見えたのだ。


 もちろんただの幻覚だとわかっている……それでも息を呑むような迫力に圧され、不安が拭えない。

 冷たい汗が一筋、つっと頬を滑り落ちていく。

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