慌ただしく時間は過ぎ去り、気づけば夏休みの最終日を迎えていた。
そして午後の部活を終えてスマホをチェックすると、美月からこんなメッセージが届いていた。
『部活お疲れさま、兎和くん。今日はこっちの公園に来て』
添付のマップには、いつもと違う集合場所が記されていた。
日没はとっくに過ぎており、今は夜と呼んで差し支えない時間帯だ。当然、薄暗い。にもかかわらず、こんな普通の公園に呼び出していったい何を……もしかしたら、新しいトレーニング方法を思いついたのかも。
まあ、行ってみればわかるだろう。考えていても時間をムダにするだけなので、僕は自転車をかっ飛ばして集合場所へ向かう――現地に着くと、すぐに美月の姿を見つけた。
ハイブランドのスポーツウェアに身を包み、ひとけの無い公園の中央でなにやら荷物をゴソゴソやっている。周囲には談笑する涼香さんと旭陽くんの姿も確認できた。
僕は適当な場所に自転車を止めて、三人の元へ駆け寄る。
「お疲れ、美月。涼香さんと旭陽くんも、こんばんはです。こんなとこで何やってんの?」
「あら、お疲れさま。はい、これ持って」
歩み寄ってきた美月に渡されたのはタダの細長い棒、ではなく手持ち花火だった。
改めて周囲を確認してみれば、バケツと火を灯したロウソクが用意されているのに気づく。その近くに立つ涼香さんの足元には、『バラエティ花火セット』と記されたパッケージが置かれていた。
「やあ、兎和くん。待ってたよ」
「では、みんな揃ったので花火を始めまーす!」
旭陽くんの挨拶に続き、ご機嫌な涼香さんが手持ち花火の先端をロウソクに近づける。すると、シュッと音を立てて焔の華が咲き広がった。
漂ってきた火薬の匂いにどこか懐かしさを感じながら、僕は夏の風物詩にすぐさま心を奪われる。
「どうしたの? ぼうっとして。ほら、兎和くんも一緒にやりましょう」
隣にいた美月に促され、先ほど渡された花火をロウソクにそっと近づける。たちまち小さな焔が迸り、光が周囲の薄闇を柔らかく遠ざけた。
色を変えながら散らばる火花は、僕の目を存分に楽しませてくれた。
「……ていうか、なんで急に花火をやることになったんだ?」
「私も兎和くんも、今年は花火大会とかに行けなかったでしょ? だから、夏休みが終わる前に楽しんでおこうと思って」
隣で微笑みながら花火を持つ美月の答えを聞いた途端、心臓がドキリと鳴った。
よく考えてみれば、彼女はずっとトラウマ克服トレーニングに付き合ってくれている。東京ネクサスFCさんのトレーニングにお邪魔する際も同様だ。
つまり、夏休みの大部分の時間を消費させてしまった……これは、『青春』の一部を捧げる行為にも等しい。意識していなかったとはいえ、僕は大罪を犯してしまったようだ。
「美月、ごめん……僕は取り返しのつかないことを仕出かした」
「急にどうしたの? まるで犯罪を自白するみたいな口ぶりね」
場合によっては無期懲役の恐れもある。せっかくの夏休みなのに……と僕は心からの謝罪を告げた。しかし美月はまるで問題にせず、花火よりも明るい笑顔を咲かせて言う。
「今年の夏休みは、これまでの人生で一番楽しかったわ!」
思わず瞳が熱くなる。
僕は、いつかこの笑顔に報いることができるだろうか?
叶うなら、彼女が今以上に喜ぶような恩返しがしたい。
「さあ、続きを楽しみましょう! 花火はまだまだいっぱいあるんだからね。あ、涼香さんまたお酒なんか飲んで!」
「うはは、美月ちゃんも一杯どう? 花火とビールは相性抜群なんだよぉ~」
「そうそう。涼香はいつもいいこと言うね。あ、新しいビール開ける? はい、これは次の花火ね」
ほろ酔いでさらにご機嫌な涼香さんと世話を焼く旭陽くんは放っておいて、僕たちは新しい手持ち花火をロウソクに近づけた。
夏の夜特有の儚さに包まれた公園に、色とりどりの花火が艶やかに咲く。まるで泡沫の夢でもみているかのように淡く、それでいて優しく時が過ぎていく――きっと今、僕は世界で一番青春している。
しかし、楽しい時間は往々にして長続きしないもので、とうとうフィナーレを飾る線香花火の出番が訪れた。僕と美月は隣り合ってしゃがみ込み、その先端に火を灯す。
パチパチ、と小さな火花が弾ける。中心で震える赤いタマを眺めていたら、何となく胸のモヤモヤを吐き出したい気分になった。線香花火が醸し出す哀愁にあてられたのかもしれない。
「美月、勝つって……勝ち続けるって、けっこうシンドイことだったんだな」
サッカーは残酷だ。試合をやれば勝者と敗者を生む。そして、いまだに泣き崩れた林先輩の姿が忘れられない……スタメン争奪戦が勃発するだけの事情があった。相手にも問題はあった。それでも、同情を抱かずにはいられなかった。
「僕は負けてばっかりだったから……林先輩の気持ち、痛いほど伝わってきたよ」
「うん」
「でもさ、この先も勝ち続けるなら、たくさんの人にあの辛い感情を押し付けることになるんだよな」
「そうね……じゃあ、勝つのやめる?」
「…………ううん。やめない、絶対に」
少し自問自答すれば、すぐに答えが出る。
僕は、もう負けたくない。だって、思い出してしまったんだ。自分の勝利を心から望んでいる大切な人たちがいて、どうすれば笑顔になってくれるのかを。
「だったら、前に進みましょう。重い荷物は、一緒に持って歩きましょう。私はいつだって隣にいる。それで、勝ち続けて最後にいっぱい泣くの」
「一緒に持って、か……ああ、いいなそれ。美月がいれば大丈夫だな。勝ち続けられるように、僕は最善を尽くすよ」
「ふふ、その意気よ。良くできました、100点ハナマルをあげる」
思い描く未来を重ね合いながら、二人で静かに微笑みを交わす。
線香花火のタマが落ち、ふっと暗さが戻る。
名残惜しいけれど、もう間もなくこの最高のひと時も閉幕する――高校一年生の夏が終わりに近づき、吹き抜ける風に秋の気配が香った。
Sec.3:完