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第103話

 クラスメイトがきちんと授業に取り組む中、一人静かに思索を深める。

 どうして先ほど、美月から逃げたのか……それはきっと、無意識に相馬先輩を恐れているからに違いない。


 続けて唐突に閃いた結論をもとに、ゆっくり理由を紐解いていく。


 サッカーに関するポテンシャルを比較した場合、どちらが優れていると判断されるだろうか?

 全国区の知名度を誇るサイドアタッカー(相馬先輩)と、いまだトラウマを克服できずになかなか本領を発揮できないプレーヤー(僕)……個人的には、すでに『実績』という裏付けを持つ前者が優勢に思える。


 そして美月は、僕のポテンシャルを認めたからこそ個人マネージャー契約を結んだ。栄成サッカー部との縁や、同級生だった影響もあるだろうけれど。


 ともあれ、そこに相馬先輩という『クラック(名手)』が現れた。環境的な条件はほぼ対等――つまり、格上のライバルが登場した状況に他ならない。


 二人で何を話していたかはさておき、こうなると美月が興味を抱く可能性が出てくる……加えて、きっと相手は今後も距離を縮めようと接触してくるはず。これまでの経験からしてそう予想せざるを得ない。


 そのうえ、美月が相馬先輩のポテンシャルに惹かれてしまったなら……場合によっては、『引退までサポートする』なんて展開まで考えられる。


 もちろん、彼女が一度引き受けた『仕事(個人マネージャー)』を投げ出すとは思っていない。だが、クライアントが一人だけとは限らないのだ。


 ハッキリ言って、気分は最悪……完璧な芸術作品を眺めていたのに、急に割り込まれて視界が遮られたような感覚に陥る。


 さらに望ましくないことに、二人の距離がぐっと近づく恐れさえある。

 なにせ相手は年上のイケメンだ。苦難を共に乗り越えた末に結ばれ、僕はただの邪魔者に成り果てる――そんなゲロ吐きそうな想像が容易に浮かんでくる。


 つまるところ、相馬先輩に美月を独占されるのではと勝手に恐怖した。おまけに居ても立っても居られなくなり、僕は脊髄反射で逃げ出したのだ。


 あの場に留まっていたら、不本意な想像を掻き立てられてメンタルブレイク必至だったので、自己防衛本能が働いた結果でもある。


 けれど、本当にこれでいいのか?

 ビビって逃げ回るなんて、昔の自分と何も変わらない。まして問題の核はサッカーそのものだ。


 それに妥協した道の先は、目指す『Jリーガー』の頂きに通じているのだろうか?

 答えは……おそらく、否。


 夢へと向かって歩み続ける限り、避けて通れない相手が必ず現れる――僕はうっすらと予感している。どこかのタイミングで相馬先輩に勝負を挑まなくてはならない、と。


 なにより、勝ち続けて自分の価値を証明したい。美月には、いつか最高の僕を誇りに思ってもらいたいんだ。


 いずれにせよ、行動に移すとしても文化祭が終わって落ち着いてからになるだろうけど……というか、部内での争いやゴタゴタはしばらく遠慮したい。前回のスタメン争奪戦で、けっこうメンタルを持っていかれてしまっている。


 それでも具体的な時期を意識した途端、ドキリと心臓がひと際強く鼓動を打つ。英文の朗読が響く教室内で、気づけば拳を握りしめていた。


 ――その夜、三鷹総合スポーツセンターの芝生グラウンドで合流した美月と再び話をした。


 そこで、『相馬先輩が真剣勝負を望んでいる』と打ち明けられた。

 僕をご指名のうえ、似たような希望を抱いていたなんて驚き以外のナニモノでもない。


「どうしても兎和くんとガチンコ対決がしたかったみたい。でも、断ったわ。あまりメリットも感じない話だったしね」


 美月の説明によると、スタメン争奪戦の際に僕たちの関係に勘付いたらしい。それで相馬先輩は、永瀬コーチに問いただして確証を得た。もっとも、細かい事情については知らされていないようだが。


 しかも結構しつこくセッティングを頼んできたため、断るのに苦労したという。が、僕とのチェイスになだれ込んだのでウヤムヤにできたのだとか。


 なるほど。今朝の二人の会話の内容を知り、ちょっとホッとした。

 とはいえ、やはりゲスな勘ぐりをしてしまう……本当に、相馬先輩に下心はなかったのか。勝負を口実に、美月に近づく目論みじゃなかったのか。


 そして、自分の本心をさらけ出すこともなかった。勝手にフラストレーションを感じているだけだから、一人で解消すべきだと思ったのだ。ともかく、これからは相馬先輩との距離感に注意しないと。


 なんだか気も重くなってきた……にもかかわらず、得も言われぬエネルギーが体の奥から湧き出してくる。

 改めて自分の状態をよく確認すると、胸は熱く、頭は冷えている。こんな摩訶不思議な心境に至ったのは、間違いなく生まれて初めてだ。


 矛盾しながらも調和する感情と思考に、僕は思わず笑みをこぼしてしまった。

 どうやら、複数の心理が重なり合って始めて生まれる『色彩』があるらしい――その日、一歩大人の階段を登った気がした。

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