もう少しゆっくりでもいいのに。
自室のベッドでスマホのカレンダーを眺めながら、僕は足早に過ぎ去る日々と青春の儚さを重ね合わせていた。
涼香さんから授かったイカサマダイスが、デスクの上で照明の光を静かに反射している――あの夜からはや数週間が経過し、トラブルごと楽しむと決めた文化祭の初日がいよいよ間近まで迫ってきていた。
もちろん、ここに至るまで記憶に残る出来事は数多くある。
例えば、新生Cチームで挑んだリーグ戦。相手は強豪クラブユースのBチームだったが、最終的に『3-1』で快勝を収めた。
スタメンは、昇格組の1年生と大木戸先輩たち2年生の混合で、連携面とコンディションを重視して選出された。試合終盤には交代枠を使い切り、多くのメンバーが出場機会を得ている。
正直、面白い試合だった。オフェンスは、やはり白石(鷹昌)くんを軸に右サイドに偏りがちだ。しかしそれが逆に相手を引きつけ、左サイドには結構なスペースが生じた。
そこで、DMFの『里中くん』がタイミングを見計らってサイドチェンジを行う。彼は、チームのバランサーとして成長著しいと評判である。
おかげで、僕はかなり『1対1』を仕掛けやすくなった。さらに相棒の玲音とのコンビネーションで相手を崩したりするなど、かなり効果的なプレーができた。
不仲だからこそ生まれた攻撃パターンだ。スタメン争奪のときから予兆はあったが、『まさか武器になるなんて』と皆ビックリしていた。
その反面、ディフェンスは連携ミスが目立った。前半開始早々の失点は、今後の改善点だと永瀬コーチに指摘されている。
ちなみに、僕は1得点1アシストを記録。美月のありがたいサポートを力に変え、満足いく結果を残すことができた。
そのすぐ後には、『全国高校サッカー選手権大会(冬の高校サッカー)』の予選抽選会が開催されている。
東京都大会(二次予選)に関するもので、一次予選を突破した35校、二次予選から出場する22校、計57校のチーム代表選手と監督・スタッフが出席したそうだ。
抽選の結果、栄成高校はシード枠を引き当て『Bブロック・3回戦』へのエントリーが決定した。東京は参加校が多く、A・Bの2ブロック制となっている。無論、それぞれの頂点が全国進出を果たす。
予選の試合自体は、10月の中旬過ぎに行われる――ついに、冬の高校サッカーへの挑戦が幕を開けたのだ。僕は試合にも出ないのに、ちょっと興奮している。
片やスクールライフでは、栄成祭の象徴である『巨大モザイクアート』が完成間近となる頃、各クラス(部活動含む)の出し物の準備も佳境を迎えていた。
僕の在籍する1年D組も例に漏れず、舞台セットや小物などが次々に出来上がってきている。
個人的に注目なのは、自分たちが着用する衣装。題材がサッカーモノなので、担当のクラスメイトがユニフォームを仕立ててくれた。
これが、またかなりの完成度で……季節柄ロンTをベースにしているが、マジックテープ加工により前後を容易くパージ可能となっている。内側の腹部には小物を忍ばせるポケットも完備。
要するに、1秒もかからず上半身ハダカになれるのだ。劇のクライマックスでの演出に対応した仕掛けである。初お披露目の際は、監督の沼田智美さんもニッコリだった。
ともあれ、僕にしては極めて珍しく順風満帆な日々が続いている。
おかげで、青春スクールライフと汗だくサッカーライフの両方をたっぷり謳歌できた――しかし、やはり現実はそう甘くない。
数日後、相馬先輩が再び美月に接触してきた。内容は以前と変わらず、『真剣勝負』をお望みとのこと。
もちろん、僕のゲスの勘ぐりセンサーはビンビン……だから、朝練で『1対1』を申し込まれたときについ牽制してしまった。
「あの、美月にあまり迷惑をかけないでほしいんですけど……」
「美月、ねえ……ずいぶん仲良しなんだな。もしかして、好きだったり?」
「そういうのはよく分かんないです……けど、あまり近づかないようにしてもらえると……」
「ほーん、なるほどねえ」
ニヤニヤ、と意味深な笑みを浮かべてはぐらかす相馬先輩。
こちらは美月の判断に従って依然勝負を避けているが、なるべく早めに対処した方がいいかも……なんだか、胸焼け起こしそうなレベルでモヤモヤする。
この調子だと、勝っても負けてもメンタルをガッツリ削られそうだ。
それとは別に、僕はちょっと命の危機を感じるような出来事にも見舞われていた。
「やっほー、白石兎和くん。今日もファイト!」
「あ、はい……頑張ります……」
「あはは、もっと元気だしていこうね! ところで、朝練で相馬に迷惑かけられてない? 何か困ったことがあったら教えてね。同じ学年の私がキッチリ言い聞かせちゃうから!」
近頃、遠山茜(とおやま・あかね)先輩によく話しかけられる。女子マネージャーを務める最上級生の一人で、おっとりとした顔立ちの美人さんと評判だ。あと、大木戸先輩がガチ惚れしていると言っていた。
それはさておき、遠山先輩はトップチームに帯同していることがほとんどで、顔を合わせる機会は少ない。にもかかわらず、部活の開始前などにわざわざ声をかけてくれる。
さらに、もう一人。
「おっす、白石兎和。今日も頑張れよー」
部室を出たところで、すれ違いざまに声をかけてくれたのは小池恵美さん。
言わずもがな、同学年の女子マネージャーの一人である。新生Cチームが始動して以降、何かと接触してくるようになった。
いったい自分の身に何が起きているのか……おそらく、急なモテ期の到来だ。
けれど、こんな幸運は僕に不釣り合いすぎる。なので、とんでもない反動がくるのではと密かにビビっている。うっかり交通事故にでも遭うんじゃないかと……それゆえ、命の危機なのだ。
とにかく、興奮や期待、モヤモヤや危機感など、複雑にミックスされた感情に脳ミソの未使用部分を刺激されつつ、また少し時は流れ――待ちに待った10月1日が訪れ、無事に文化祭の初日を迎えた。
制服を着用した僕は、普段より少し早く「行ってきます」を家族に告げて自転車に飛び乗る。
天高く馬肥ゆる秋朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながらペダルをぶん回し、最速記録を樹立する勢いで登校した。
本日、通用門は開放されていない。なので、文化祭のワクワクを形にしたような『アーチ』のかかる正門を通過し、駐輪場へ向かう。自転車を置いたら、いったん教室へ移動だ。
「おはようございますっ!」
僕にしては珍しく、先に到着していたクラスメイトたちに挨拶しながら入室。テンションが高く、つい声が大きくなった。しかし次々と耳に届く返礼もけっこうなハイテンションだったので、微妙な空気を感じずに済んだ。
教室内はすっかり劇の準備が整い、様変わりしていた。
その後、少し遅れて登校してきた慎と談笑して時間を潰す。しばらくすると開会式の案内放送が流れ、はしゃぐクラスメイトたちと共に大講堂へ向かった。
『――それでは、これより第XX回・栄成祭の開幕を宣言します! みんな青春を楽しめーッ!』
座席に着いた全校生徒が歓声を上げながら見つめる前方のステージで、マイクを握る生徒会長さんが文化祭の開催を高らかと告げた。
直後、『パンッ!』という炸裂音が連続して鳴り渡り、大量のメタルテープが大講堂の上空を華やかに彩る。続けて軽快なダンスやユーモア溢れる寸劇などが上演され、熱い高揚感と余韻を残したまま開会式は締めくくられた。
「ついに始まったな! テンション上がるぜ。なあ、兎和!」
「うん! 思ったより楽しみだ……慎、主役をやるよう説得してくれてありがとね」
「気にすんなって! 俺たち『BFF』だろ!」
わはは、と明るく笑う慎と肩を組んで廊下を歩く。
なお、BFFとは『ベストフレンドフォーエバー』の略だそうだ。SNSのハッシュタグでよく使われると教えてくれた。
それからクラスメイト全員が教室に戻ったのを確認し、円陣を組む。激励の言葉を述べるのは、もちろん沼田智美さんだ。
「みんな、私のワガママに付き合ってくれてありがとう! あと、最後にこれだけは言わせて! 1+1は2じゃないぞ。うちのクラスは、1+1で200だぁ! さあ、絶対に劇を成功させるぞー! ファイト――」
『オーッ!』
大盛りあがりの中、僕の文化祭がいよいよ始まる。