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第110話

 嫌がらせか、と一瞬疑った。

 しかしダイスをつまむ白石(鷹昌)くんは、「はよ受け取れやクソが」と平常運転。どうやら本当に、足元に転がってきたものをつい拾ってしまっただけのようだ。


 誓約書の一件から、僕たちはあからさまな正面衝突を避けられていた。互いに距離を取り、部活中や試合でも無難に共存できていたように思う。


 だが、この局面で『なんでこのダイス5以下の数字がないんだ』なんて悪気なくクリティカルな発言をされてしまうあたり、根本的にウマが合わないらしい。極めて珍しく見せた優しさが、余計なお世話に早変わりである。


 おかげで面倒なことになりそうだ……僕は「ありがとう」とお礼を言い、ダイスを返してもらう。次いで、そっと正面に視線を向け直す。


「モブ王。そのダイス、ちょっと見せて?」


 対戦相手のイケメン3年生勇者がニンマリ笑顔を浮かべ、こちらに右手を差し出した。

 応じない……応じられるワケがない。しっかり確認されたら、すぐにイカサマダイスだとバレてしまう。


 ならば、ここは言い訳しつつどうにかウヤムヤに持ち込むしか手はない。唸れ、僕のゴマカシスキル!


「あ、いや……普通のやつなんで、見せる意味もないかなって……」


「ふーん。じゃあ、そっちの1年生。さっき、ダイスに『5以下の数字がない』と言っていたね。本当かい?」


「え? チラッとしか見なかったんでアレですけど、多分なかったと思います。つーか、これみんなで何やってんすか?」


 質問対象が急遽切り替わるも、困惑しつつ素直に答える白石くん。

 ウヤムヤ作戦はダメみたいですね。では、次の手段を探して……なんてのんびり考えているヒマはなさそうだ。


 挑戦者たちは列を崩し、ジリジリ詰め寄ってきていた。イカサマヤロウ許すまじ、と皆さま大変お怒りのご様子。すでに敗北した野次馬も加わり、もはや僕は半包囲されている。


 さらにここで、ある上級生男子がこちらを指さして口を開く。


「おい、モブ王。ペアチケット落としたぞ」


「あ、え!?」


 落とさないようキッチリしまっておいたのに――反射的に、僕は内ポケットに手を突っ込む。そして指先の感触から『罠にハマった』と理解するまで、数秒もかからなかった。


「大事なものは、やっぱ持ち歩くよな……そこにペアチケットがあるわけか。モブ王、それ劇の衣装だよな? 俺の勘違いじゃなければ前後に分割できたはず」


 クソ、謀られた! とんでもない策略家がいやがった!

 しかもD組の劇を見たらしく、いま着ている衣装の仕組みについても看破されている。このままでは、ろくでもない考えを抱く者が現れかねない……と警戒を強めた矢先、ふっと腕が伸びてくる。


「うわっ!?」


 僕はとっさにバックステップを踏み、間一髪のタイミングで奇襲から逃れた。

 腕を伸ばしてきたのは、イケメンの3年生勇者。彼から視線を外さず、すかさず「無理ヤリはよくない!」と今の行動を非難する。流石にそれはナシだろ。ルール違反も甚だしい。


「すまない、モブ王……俺にとっては、この文化祭がラストチャンスなんだ。明日からは、大学受験に専念しなくちゃいけない。だから、素直に譲ってくれない? お前には来年も再来年もあるだろ」


「ちょっ、ちょちょちょ!? 待って! いったん手を止めてください!」


 交渉中にもかかわらず、次々と腕を伸ばしてくるのはいかがなものか。服ごと強奪する気マンマンじゃないか。


 僕はその場から退きつつかろうじて回避するが、このままではキリがない。何より、周囲の生徒たちの反応が問題だ。


「これって……結局は奪ったモン勝ちってこと?」


 ほら見ろ。誰かが早速ろくでもない結論を口にしたぞ。


 案の定、問答無用の争奪戦へとなだれ込む気配……誰であろうと、ユニフォーム(衣装)に触れさせるわけにはいかない。マジックテープ式(弱接着タイプ)だから、指一本引っ掛けられるだけでも簡単に剥ぎ取られてしまう。当然、腹面のポケットにしまったペアチケットも失う。


 くそ、まさか現代の高校で追い剥ぎにあうなんて夢にも思わなかった!


「よこせ! イカサマモブ王!」


 誰かの叫びに合わせ、ギリで保たれていた半包囲が瓦解する。

 廊下は、たちまち無秩序状態へと突入。勇者を自称していたはずの生徒たちは、先を争うように殺到してくる。仲間割れ上等な勢いだ。


 群がる者たちが矢継ぎ早に繰り出してくる腕を、僕はひたすらバックステップで交わし続ける――こいつら、完全に理性を失ってやがる!?


 こうなると、まるでゾンビパニックだ。もはや一刻の猶予もない。今にも亡者の波に飲み込まれ、無惨に服を剥ぎ取られてしまいそうだ。


 どう考えても、ここらが潮時……ならば、三十六計逃げるにしかず。ひとまずこの場から退散だ。これ以上アホどもに付き合っていられるか!


 タイミングを計り、脱兎のごとく後方へ逃走を図る。白石くんは何やら騒いでいるが構っているヒマなどない。


 僕は人を避けながら、混雑する廊下を高速で駆け抜ける――ところが、すぐに顔見知りの教師から「走るな!」とすれ違いざまに注意され、競歩へとシームレスに切り替えた。


 振り返り、顔が引きつる。やはり怒られたらしいゾンビ共も早歩きで迫ってきてやがる。男子生徒がクネクネと腰を振って追いかけてくる光景は、ここ数年でもワーストクラスの悪夢だ。


「つーか、なんだこれ!?」


 衝撃的すぎて、驚愕やら困惑やらの感情が思わず口をついて出た。

 平穏な文化祭を楽しんでいたはずが、一転して『栄成・オブ・ザ・デッド』の開幕である。


 どうしてこんなことに……イカサマなんてやるんじゃなかった。ともあれ、目に入ったカドを曲がり、階段を下り、追手を撒くべく必死に逃走を続ける。


「わ、びっくりした!? どうしたの兎和くん?」


 別の階の廊下へ足を踏み入れた途端、出会い頭に人とぶつかりそうになって急ブレーキをかける。冷静になって確認すると、偶然にも相手は加賀さんだった。


 僕は「追われてる!」と簡潔に状況を伝え、再び逃走態勢に入る。が、不意に腕を引かれてすぐ近くの空き教室へと引き込まれる。


「ここなら、しばらく隠れられると思う。バスケ部の先輩のクラスなんだけど、色々と荷物を置かせてもらってるんだ」


「そっか、助かったよ。ありがとう」


 机はすべて後ろに寄せられ、空きスペースに何やら荷物などが置かれている。そんな室内で、匿ってくれた加賀さんと一緒に廊下側の壁にもたれかかり、小声で言葉を交わす。


 本当に助かった。ゾンビ共とはけっこう距離が開いていたから、ここへ逃げ込む姿を見られたとは思えない。おかげで、しばらくは休めそうだ。

 実際、騒がしい声と足音が壁の向こうを通り過ぎ、ホッと胸をなでおろした。


「それで、どうして追われてるの?」


「いや、いきなりゾンビが発生して……」


 かいつまんで事情を説明すると、加賀さんは「なにそれ!」とお腹を抱えて笑い出す。もちろん声は抑えて。


 他人事だったら、僕も大爆笑していただろう……今ごろはのんびりフットサルの受付をしているはずが、こんなところで身を潜めるハメになっている。最初は上手くイカサマできていたのに、おのれ白石くんめ。悪気はなさそうだったので不可抗力だけど。


 そういえば、一緒にフットサルの当番をする予定の玲音に連絡を入れ忘れていたな。

 スマホを取り出し、謝罪と軽い事情説明のメッセージを作成する。


「でも、そっか……美月ちゃんにペアチケットもらったんだ」


「あ、うん」


「兎和くんは、本当に美月ちゃんのこと好きじゃないの?」


 メッセージ送信をタップし、既読を確認する前に顔を横へ向けた。

 先日、加賀さんとまったく同じ話をした記憶がある。校内の出し物を巡っている最中、ふと尋ねられたのだ。


 けれど、今回は妙な雰囲気だ。表情や声のトーンがやたらマジっぽい……とはいえ、こちらの答えは変わらない。


「昨日も言ったけど、付き合ってないよ」


「あ、そうだったよね……そういえば、私もうすぐ誕生日なの! バスケ部のみんなが放課後にカラオケでお祝いしてくれるんだけど、よかったら兎和くんも来ない?」


「え、あー……すごく残念だけど、その日はムリかな」


 とても嬉しいお誘いだ。バースデーパーティーに招待されるなんて、小学校の低学年以来の快挙である。しかしスマホのカレンダーで確認してみたところ、あいにくその日は部活があり、夜は『東京ネクサスFCさん』のゲーム練習に参加する予定となっている。


「せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい。美月が交渉してセッティングしてくれたトレーニングだから、絶対にすっぽかすわけにはいかないんだ」


「また美月ちゃん……例えばだけど、兎和くんはいま女子に告白されたらどうする?」


「告白って……罪じゃなくて、愛の方?」


 当然でしょ、と加賀さんにジト目を向けられる。

 女子に想いを告げられる……光栄の極みではあるが、現状の返事は『お断り』の一択だ。美月との関係が最優先だし、誰か別の女子と付き合うなんて不義理がすぎる。


「実は僕、美月にはたくさん恩があるんだ。それを返すまで、他の女子と恋愛する気は起きないんじゃないかな」


「それって………………結局は美月ちゃんのことが好きだから、誰とも恋愛する気が起きないんじゃないの?」


 加賀さんはたっぷりタメてから、思いもよらぬ言葉を返してくる。

 美月を好きだって……? 僕が?

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