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第111話

 加賀さんの指摘を受け、真っ先に浮かんできたのは『まさか』だった。

 続けて、意識が自問の海へとズブズブ沈む。背中の壁越しに聞こえてくる文化祭の喧騒が、すっと遠ざかっていく。


 美月が好き? 

 当然、好きだ。なんなら大好きまである。


 けれども、僕は知っている。この世界には、色々な『好き』があるってことを――美月を想うとき、この胸にはたくさんの好きが溢れるけど、それは『友情』『尊敬』『憧れ』『推し』といった色合いがメインであるように思うのだ。


 つまり、愛情(ラブ)ではなく好意(ライク)に分類される。

 そもそもの話、愛情の方は契約違反だ。


 マネジメント契約を結んだあの屋上で、本人から『私を好きにならないでね』とかなり太い釘をさされている。

 だから、僕はちゃんと自制してきた。うっかり恋に落ちそうな瞬間は何度もあったが、どうにかギリギリで踏みとどまってきた……そのはずだ。


 改めて心の中を確認してみると、実に良く整理できている。綻びも見当たらない――そう断言してしまうと、僕は自分に嘘をつくことになる。


 たった今、見過ごせないひとつの『矛盾』が浮かび上がってきた。

 どうしてか、色合いが一致しないのだ……相馬先輩が美月に近づく際に発生するモヤモヤと、先ほど好意に分類した感情を重ね合わせたとき、双方が混ざり合って色彩が変化してしまう。


 とても奇妙な不一致だ。なぜなら僕は以前、『自分にとってスペシャル・ワンの個人マネージャー(美月)を相馬先輩にとられやしないか』という危惧や焦りがモヤモヤの正体だと結論付けている。


 ならば、双方とも好意に分類され、色合いがピッタリ重なり合うのが自然だ。己を律しているため愛情とも異なるはず。こうなってくると、別の解釈が必要だろう。


 僕は推論を一層深めていく……が、ダメだ。いまの自分では答えにまでたどり着けそうにない。何か決定的な見落としをしているか、どこかでルート分岐を間違えたか。


 あるいは、アプローチ方法を変えたほうが話は早いかも。

 思い切って相馬先輩に挑めば、モヤモヤの核心にぐっと迫れそうな気がしないでもない。きっと矛盾解消の糸口にもなってくれる。


 勝負に自力で勝てたらなお良い。美月に相応しいサッカー選手となるための試練めいた因縁を感じる。


 なにより、人生経験に乏しい僕がグダグダ考えたところで進展は期待できない。さっさと行動に移した方がずっと建設的だ……やはり真剣勝負の時は近い。


 思考に一段落つけると、再び文化祭の喧騒が耳に入ってくる。

 僕はゆっくり呼吸して気持ちを落ち着け、加賀さんに返事をすべく口を開く。


「僕は多分――」


 しかし、途中で言葉を止めざるを得なかった。ガラッと音がして後方の扉が開かれ、二人しかいない教室に見知らぬ男子生徒が侵入してきたのだ。

 闖入者はざっと周囲を見渡してから、こちらを指差す。


「あ、モブ王みっけ。おーい、ここにいるぞ!」


 突然現れた見知らぬ男子生徒は、大声を発して仲間を呼ぶ。

 そういえば、ペアチケットに引き寄せられたゾンビどもに追われている最中だったっけ……思考に没頭するあまり、自分が今どんな状況にいるのかすっかり忘れていた。


「ごめん、加賀さん! 話の続きはまた今度!」


「もうっ……私たち、なんかタイミング合わないよね」


 本当にすまないと思っている……けれど、これは不可抗力なんだ。

 僕はまた謝罪を口にし、安全な方の扉から廊下に飛び出す。続けざまに、やはり競歩で逃走開始。


 足を止めずに振り返ると、クネクネ腰を振って早歩きで追ってくるゾンビどもの姿が視界に映る。廊下を走らないというルールを守る姿勢は立派だが、何度見てもヒドイ絵面だ……視線を前方へ戻し、僕はさらにスピードアップする。


「お、いた! こっちだ!」


「止まれ! そっちから回り込め!」


「階段を利用して包囲するぞ!」


 文化祭で賑わう校内で、人混みを利用しながらどうにか逃走を続ける。しかしゾンビどもに次々と行く手を阻まれ、僕は徐々に追い詰められていく。


 くそ、ヤツら連携を深めてきていやがる……皆スマホを片手に追ってきているので、おそらくSNSなどでやり取りしているのだろう。


 ムダな工夫に腹が立つけれど、極めて有効な戦略である。おかげで、僕の逃げ場は上階しか残されていない。このままでは、捕まって衣装を剥ぎ取られるのも時間の問題だ。


 とはいえ、都合よく打開策を思いつくはずもなく。

 結局はどん詰まりとわかっていても、僕は『中庭』に面した校舎の屋上の扉を開くしかなかった――秋の爽気が肌を包み込み、降り注ぐ陽光に一瞬目が眩む。


「お? 白石兎和! ちょうど良いところに来てくれた!」


「あ、コンチワっす」


 クリアになった視界が最初に捉えたのは、声をかけながら近寄ってくる『荻原剛志(おぎわら・たけし)先輩』だった。


 彼はサッカー部の主将(全体)であり、トップチームを率いるリーダーだ。ゴツい外見のわりに、笑うと浮かぶエクボがチャームポイントだと言って憚らない。実際、結構いい味だしていると思う。


 それで、こんな場所で何をやっているのか……ざっとフロアを見渡すと、他にも多数の3年生の姿を確認できた。他にも機材やらが設置してある。


「マジでグッドタイミング! 兎和、ちょっと手伝ってくれ!」


「え、いま忙しくて……」


「10分以内に終わるからイケるって! あそこの台に立って、下の観衆に向けて思いついたことを叫んでくれ! 内容は適当でオーケーだ!」


 荻原先輩が指差す先には、腰くらいの高さのステージが設置されていた。屋上を囲む欄干スレスレにセットされており、登ればかなり見晴らしが良くなるだろう。逆に下からも登壇者の顔をしっかり確認できるはず。


「これって、まさか……」


「おう。『栄成生の主張』だ!」


 荻原先輩が、ぎょっとする僕の腕を引いて一緒に歩きつつ教えてくれる。

 たったいま耳にした『栄成生の主張』とは、青春ならではの甘酸っぱい思いや、誰かに伝えたい気持ちを屋上から全力で叫ぶ企画だ。


 告白などで毎年大盛りあがりするため、栄成祭でもひときわ注目を集める人気イベントとなっている。中庭の方面もかなり騒がしい。たくさんの観衆が集まり、生徒の愉快な主張を心待ちにしているに違いない。


「それに、僕が出る……?」


「参加予定のヤツがドタキャンしやがってな。悪いけど、ちょっと代役頼む!」


「えぇええ!? ちょ、ムリっすよ!?」


 無茶振りがすぎる。ただでさえ目立つのは苦手だし、観衆を前にしたら絶対に頭が真っ白になる。場を盛り上げるどころか、テンパって逆にヒエヒエにしちゃいそうだ。


 だが、すぐに他の3年生たちにも取り囲まれ、『サポートするから』などと説得を受けるハメに。皆この企画の運営担当らしい。


 僕は主張の内容を考える……フリをして、お断りの言葉を急いで探す。当然の反応だ。すると、不意に背後から聞き覚えのある声が飛んでくる。


「いいじゃん、兎和。ちゃんとサポートしてくれるって話だし、荻原を助けてやってよ」


 反射的に振り向くと、笑顔の相馬先輩がすぐ側に立っていた。彼は続けて「カギ閉めといたぞ」と言い、屋上の扉を指差す。


 いつの間に……あまり驚かせないでほしい。けれど、助かった。栄成生の主張のインパクトが強すぎて、ゾンビどもに追われていることをまた忘れていた。


 ホッとしながら、僕は「ありがとうございます」とお礼を告げる。

 ところが、次の瞬間――ビリッと音がして、むき出しになった上半身が少し冷たい空気に包まれる。


「あ、え……?」


 隙をつかれ、衣装の前側を剥ぎ取られた。気づけば、自分が主役を演じる劇のフィナーレ同様に上半身ハダカになっていた。


「これ、誰にも渡したくないくらい大事なんだろ? 油断したな。俺の友だちのSNSに情報上がってたぜ」


 剥ぎ取った衣装の内ポケットをまさぐり、ペアチケットを振ってみせる相馬先輩――言うまでもなく、僕を上裸にした犯人だ。


 ちくしょう、やっぱり美月を狙っていたのか!

 色々と気が散って、警戒を怠ったのがマズかった。自分の迂闊さを呪いたくなる……とにかく、すぐに取り返さないと。


「返してくださいっ!」


「もちろん返すさ――でも、それは俺に勝ったらな。この後、ピッチに来い。フットサルで勝負しよう!」


 ペアチケットを自分のポケットにしまい、相馬先輩は足早に校舎内へと去っていく。ご丁寧に、僕のスマホだけをその場に残して。

 間髪入れず、僕も後を追うべく駆け……だそうとしたものの、ぐいっと腕を引かれて動きを止められる。


「あの、荻原先輩……腕が痛いんですけど。それに、僕と相馬先輩のやり取り見てましたよね?」


「おう、なんか熱い感じだったな! じゃあ、『栄成生の主張』の方もガツンと頼むぜ!」


 実は、荻原先輩にずっと腕を掴まれたままだった。

 しかもあっけに取られた僕は、そのままズルズルと欄干の近くまで引きずられていく。ただし手前で一旦ストップして、段取り良くセーフティーハーネスを腰に装着される。


 仕上げとして見知らぬ3年生に「思いっきり盛上げちゃって!」と背中を押され、あれよあれよと言う間にステージの上へ送り出されていた。


「思ったより高い――うわっ!?」


 想像以上に目線が高く、遠くまで広がる光景に少し驚いた。探せば富士山とか見えそう。そして下から響いてくる大歓声を受け、さらに驚く。


 あまりの衝撃に頭がクラクラしてきた……それでもどうにか気を保ち、数え切れないほどの生徒が詰めかける中庭へ視線を向ける。


「あ、あ、あ……」


 マズい。喉が引きつる……予想していた通り、極度の緊張から言葉がぜんぜん出てこない。

 不思議に思ったらしい観衆が、何人かで声を合わせて『どうしたー?』とか『なんでハダカなのー?』などと、からかうような催促を送ってくる。


 視線が痛い、怖い……どうしよう。何か言わないと。つーか、確かになんで僕はまた上半身ハダカなのか。こんなことしている場合でもないのに、もうワケがわからない。


 ダメだ。焦れば焦るほど余計な思考だけがカラ回る。下から届く声援を浴びるたび、メンタルをガリガリ削られていく。


 あ、ヤバい。ゲロ吐きそう……おまけにションベン漏れそう。

 だが、僕は奇跡的にどちらも堪えることができた――直後、ふと美月の姿が視界に飛び込んできたのだ。


 木幡さんたちと一緒に声援を送ってくれている。意識すれば凛としたあの声が聞こえ、段々と気持ちが落ち着いてくる。


「あ、そうだ……」


 楽しげな顔が並ぶ中庭で、美月だけは心配そうな表情を浮かべている。そんな彼女を見て、今ここで口にすべき主張を閃く。まさに女神の天啓だ。

 大きく息を吸って、僕は堂々と声を張り上げる。


「1年D組、白石兎和です――僕は、Jリーガーになる男だッ! 来年か再来年、栄成サッカー部を全国制覇に導いてみせる!」


 一瞬、観衆が静まり返る。

 それから鼓動ひとつ分の間を置き、爆発したような歓声が轟く。


 まさかの大バズり。応援に加え、なぜハダカなのかを問う声も多かったが、なかなか喝采が収まらない。


 その後、見知らぬ男子が「蛮族出身だからハダカがデフォなのか!」と叫んだのをキッカケに、自然発生した『モブ王、モブ王、モブ王!』というアホなコールが中庭を埋め尽くしていく。


 なんだこれ……めちゃくちゃ気分良くなってきた。

 僕はもう一度息を吸い込み、「アイワナビーアJリーガー! やるぞ全国制覇ッ!」と絶叫する。観衆も、再びの大喝采で応えてくれた。


「ふう、気持ちよかった……」


「サンキューな、兎和。最高の代役だったぜ!」 


 ステージから降り、エクボ全開の荻原先輩とハイタッチを交わす。

 皆さまの役に立てて何よりです……じゃないっ!? 気持ちよくなってる場合か! ペアチケットを相馬先輩に奪われたままだ!


 僕は大慌てで屋上を後にし、競歩(最高速度)で指定の場所へ向かう。途中でゾンビどもと出くわすが、こちらがハダカなのを見ると空気を読んでスルーしてくれた。イカサマの件もウヤムヤである。


 さらに、道中でうまく美月と合流できた。スマホを回収してメッセージを送っておいたのだ。


「兎和くん、何があったの!? それに、どうしてまたハダカなのよ!」


「すまん、ペアチケットを奪われた! 僕が迂闊だった!」


「誰に!?」 


「相馬先輩!」


 競歩の速度で一緒に移動しながら詳細を伝えると、美月は「ぶっ倒す!」と怒りだした。

 相変わらず血の気が多い。それにこうなってくると、相馬先輩との真剣勝負がなし崩し的に解禁されそうな勢いである。


 まさかまさかの展開だ。もう少し後だと思っていたが……どうやら、『絶対に負けられない戦い』の幕開けが目前に迫ってきているらしい。


「よく来てくれた、お二人さん。待っていたぜ!」


 しばらくしてサッカー部専用ピッチに着くと、楽しげな表情の相馬先輩が待ち構えていた。

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