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第113話

 ようやく兎和とガチでやり合える。何度もすげなく断わられてきたけど、ついにこの俺、相馬淳(そうま・あつし)の希望がかなった。これからリアルであの爆発的アジリティを堪能できると思うと、胸が高鳴る。


 ただし、対戦形式がフットサルなのは残念で仕方がない。きっとケリがつくまであっという間だろう。


 コイントスの結果、先攻はこっちのチームに決まった。キックオフの位置につき、俺はこの対決を望むようになったキッカケをふと想起する――最初は、豊原監督の『白石兎和のアジリティがスゴイ』という一言からだった。


 気になって詳細を尋ねてみれば、フィジカル測定で計測した一部の数値をこっそり教えてくれた。そして、思わず耳を疑った。


 俺はスピードに自信がある。同年代のトッププレーヤーたちと互角以上に渡り合ってきたとびっきりの武器だ。サッカー専門のウェブメディアに、『高校サッカー界屈指の快速アタッカー』と紹介された経験だってある。おかげで、まあまあ名前が知られるようになった。


 だが、兎和のスプリントに関する数値は、自分のそれを軽く上回っていた。トップスピードこそ勝っていたものの、他の項目ではけっこうな差をつけられている。


 豊原監督の言葉は大げさでも何でもない。むしろ控えめに抑えられていたほどで、あれは全国でも最高峰の記録だ。


 その後、永瀬コーチにお願いして試合の映像をこの目で確認し、兎和の『ゼロからトップまでの爆発的な加速』に度肝を抜かれた。同時に、ホレた。強烈な輝きを放つその蒼き才能に、すっかり心を奪われた。


 サッカー選手ならば、憧れずにはいられない……一口に『スピード自慢』と言ってもその本質は大きく異なり、それぞれの特徴はプレースタイルに色濃く反映される。


 トップスピードを武器とする俺は、ある程度スペースがないと本領を発揮しづらい。どうしても助走を必要とするからだ。その分、勢いに乗りさえすれば突破力抜群だが。


 一方、兎和の最大の強みは止まった状態からの動き出し。狭いスペースでも存分に機能し、容易くディフェンスラインを切り裂く。理不尽なまでの個の力で、対峙する者に悪夢を突きつける。


 緩急を織り交ぜて鮮やかにピッチを駆け抜ける様は、まさしく『現代サッカーの申し子』と呼ぶに相応しい。最近じゃコネホ・ブランコ(白ウサギ)なんてあだ名を授かったらしいが、なるほどピッタリじゃないか。


 それこそ、両者のイメージはイノシシとウサギほどに違う。

 だからこそ、朝練で一緒になったら積極的に絡みにいった。自分を凌駕しうる後継者の才能を肌で感じたかったのだ――ところが、兎和が真価を発揮することは一度もなかった。


 何か狙いがあって力をセーブしているのだろう。代わりに、しなやかで強靭なフィジカルと高い足元の技術を備えていると再確認できたが、いつまで経っても俺の好奇心は満たされそうになかった。


 その後、神園さんがスイッチ役を果たしているなどの情報を得て、アプローチ方法を変更したものの……最終的には、かなり強引な手段を使って今に至る。


 ワガママを押し付けて、二人には悪いと思っている。おまけに、多分だが兎和の恋愛感情を刺激したみたいだし、これが終わったら謝らなきゃな。


「それじゃあ、ボチボチ始めますよー」


 ともあれ、ついに神園さんのペアチケットを賭けた戦いが始まる――文化祭の喧騒とピッチに降り注ぐ歓声が重なり響く中、レフェリーを任せた大木戸がキックオフのホイッスルを鳴らす。


 俺はファーストタッチでボールを味方の本田に預け、即座に動いて自陣でのパスワークに加わる。立ち上がりは、軽く相手の様子見だ。


 この対決、当然勝ちにいく。以前、神園さんに『私たちが負けるはずありません』と挑発を受けた……流石に、それは先輩をナメすぎだぜ?


 何より、トップチームのスタメンが3人揃って後輩に敗北するなど考えられない。まして相手はまだ高1。いくら才能豊かでも、現状での戦力は間違いなくこちらが優勢だ。


 もちろん、兎和はペアチケットを取り戻すべく全力で挑んでくるはず。実に楽しみである。

 栄成サッカー部のエースとして、また先輩としての矜持にかけて、ガッチリキッチリ返り討ちだ。目的を果たしたうえで勝利し、最高の気分で文化祭を終えてやる!


 ……なんて俺はテンションブチ上げだったのに。兎和のヤツ、この期に及んで本気を出さないつもりか?


 それどころか、どうにも体が重そうでキレがない。こちらのオフェンスが始まって数分で判断するのも早計だが、まさかのコンディション不良?

 怪我をしたとも聞いていないし……やはり、スイッチ役を担う神園さんのサポートが必要なのだろう。


 だったら、さっさとエンジンがかかるよう仕向けるまで――細かいパスワークから抜け出した俺は、反転してドリブルを仕掛ける。すぐさま兎和が体をぶつけつつボール奪取にきたが、逆に吹き飛ばしてマークを躱し、あっさりミニゴールにシュートを突き刺す。


 どうした? ずいぶんヤワいじゃないか。朝練のときの方がよっぽど張り合いがあるぜ。

 弾かれてピッチに這いつくばったままのカワイイ後輩を見下ろし、挑発的な笑みを浮かべて俺は言い放つ。


「おい、兎和。そんなんじゃあ、すぐに終わっちまうぞ?」


 ***


 ぜんっぜんダメだあ……!

 ピッチに倒れ込んだまま、キックオフ前の自分の増長ぶりをこれでもかと呪う。情けなくて顔をあげることすらできない。


 なーにが『僕だけの力でやってみる(キリッ)』だ……隣を歩くのにふさわしい男へと少し近づけるだって? そりゃあ独力で勝てたら、美月だって文句なしに見直してくれただろうさ。


 だが、相手は相馬先輩だぞ? 栄成サッカー部の大エース様で、全国区の実力を持つサイドアタッカーなんだぞ?


 さらに、荻原先輩と本田先輩というトップチームのスタメンが脇を固めている。

 考えるまでもなく、簡単に勝てる相手じゃない……にもかかわらず、美月のサポートなしで挑むとか調子に乗りすぎだ。 


 まさか、自分が物語の主人公みたいに勇ましく戦えるとでも?


 実際はこれまでにない観衆の多さにビビり散らかし、キックオフするや否やトラウマに侵食され、ぐるりと不可視の鎖で体はがんじがらめ。このコンディションだと、本来の半分ほどしか力を出せそうにない。


 ハッキリ言って、ここ最近の部活時よりもなお悪い。

 そもそも、自分のトラウマの深刻さを最もよく理解していたのは誰だ? 


 無論、僕だ……本当は、薄々自覚していた。どれだけ強く『遊びの範疇だ』と思い込んでみても全力は発揮できない、と。その程度でどうにかなるなら、とっくの昔に克服できていただろう。


 僕のトラウマは、お風呂のカビよりもしつこくて根が深い……そんな当たり前のことからも目を逸らしていた。近頃は美月のおかげで調子よくサッカーができていたから、愚かにも自分が一端のプレーヤーになったと思い上がっていたのだ。


 今さっき相馬先輩の呆れたような言葉が降ってきたが、こんなアホは見下されて当然である。僕みたいなヤツは、ピッチに這いつくばったまま朽ち果てちまえばいい……とはいえ、今さらやめられない。


 対決の火蓋が切られてしまった以上、見苦しくても最後まで足掻くしかない。何より、力を貸してくれた玲音と蓮くんに申し訳が立たない。


「おー、さっすが栄成の現エース。けっこうやるじゃん。でも、俺の方がもっとウマイし! はよ立て、兎和。さっさと取り返すぞ!」


「あ、うん……」


 蓮くんに促され、ノロノロ立ち上がる。絶えず降り注ぐ歓声が文化祭の喧騒と重なるように響き、思わず身がすくむ。


 栄成生の主張で注目を浴びたときは、あんなに気持ちよかったのに……やはりサッカーが絡むと僕はダメみたい。

 重い体を引きずり、どうにかリスタートのポジションにつく。


「よっしゃあ、いくぜ! 兎和、玲音、俺に合わせろよ!」


 蓮くんがビッグマウスを吐きながらボールを蹴り、ゲーム再開。

 僕たちはボールホルダーを孤立させない距離感を意識し、それぞれポジションに立つ――フットサル形式の『3対3』となれば、オフェンス時はパスワーク中心のポゼッションが基本戦術となる。


 ただし、誰かが下がり目でカウンターをケアしなければならない。ピッチの広さが限られているため、ロングシュート一発で点を取られるリスクがつきまとう。

 そこで、こちらのチームは玲音がディフェンシブな役割を担うことになった。普段のポジション(SB)を考慮すれば適任である。


 残りの2人は、率先して攻勢を仕掛ける担当。そして現状では、どうしても蓮くんを軸にゲームを展開せざるを得ない。理由は言わずもがな。

 だが、主にコンビを組む僕は合わせるだけで精一杯。


「ヘイ、兎和! リターン遅いぞ!」


「ご、ごめんっ……」


 蓮くんのパスは、こちらの限界を引き出すみたいに段々と速く、鋭くなっていく。

 もちろん迅速な判断を要求され、たちまち天井すれすれラインにまでプレー強度が上昇する……さすがアンダー世代の日本代表歴を持つプレーヤーだ。


 それでもどうにかボールを失わずに攻勢を強められているのは、やはり蓮くんのおかげ――彼は、パスを出した後に受け直す動きが抜群に上手い。


 味方と相手の動きを間接視野で捉えて、瞬間的に最適なパスルートを開通させる。しかも素早く動きながら、難なくパスワークを成立させられるだけの優れたテクニックを備えている。


 僕は普段の何倍もの速度でピッチを行き交うボールに翻弄されているというのに、着実に相手ゴールへと迫っているのだから驚きだ。

 そのうえ蓮くんは、タイミングよく攻撃参加した玲音とのワンツーで抜け出し、鮮やかに得点まで奪ってみせた。


「しゃあッ、俺が東帝の黒瀬蓮だ! 彼女募集中デス!」


「ナイスフィニッシュ、蓮! タイミング完璧だな!」


 素晴らしいプレーを披露した2人がハイタッチをかわすと、特大の歓声が会場に響く。

 その光景を、僕は少し離れた位置から眺めていた……本当は一緒に喜びたかったけれど、胸に押し寄せる疎外感を持て余していた。


 もはや主役は完全に蓮くんで、成長めざましいと評判の玲音が相棒ポジに収まっている。残る僕は……まさにモブだ。


 あれだけイキがっておいて、自分はいったい何をやってるんだ――と肩を落としかけたその瞬間、ぎょっとして動きを止めた。


 観衆の最前列に立つ美月が、じっと僕を見つめている。矢のような視線に射抜かれていると認識した途端、足元から震えが這い上がってきた。

 あれは、めちゃくちゃお怒りだ……逆襲を求め、綺麗な青い瞳が熱をはらむ光を発している。

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