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第114話

 ちゃんとプレーできるのか、私そう聞いたわよね?

 きっとこう言いたいのだ……会話せずとも、何を訴えかけているのか正確に理解できた。


 僕と美月はついに以心伝心の境地へ至ったらしい。沸き立つ観衆をよそに、まるで対をなす金剛力士像のごとく視線だけで通じ合う。


 ちなみに、口をぽかんと開けてブルブル震える僕が阿形。口をむっと噤んで眉間にシワを寄せる美月が吽形。なお、吽形は万物の終わりを表す……冗談抜きに、このままじゃ本当に僕は終わりだ。


 嫉妬してムキになって勝手に張り合っておいて、こんなにも不甲斐ないんじゃいよいよ美月に見限られてしまう。もはや勝ち負け以前の問題だ。


 下手をすれば、フットサル対決が終わると同時に相馬先輩とのマネジメント契約がまとまってしまうかも。しかも2人は美男と超絶美少女。ゆくゆくは、恋愛関係にまで発展して……うえ、ひとくちゲロがノドをせり上がってきた。


 どうにか挽回しないと。少しでも活躍し、自分のポテンシャルを改めて示す。それで、クライアントは他に必要ないと強く印象付けるのだ。


 珍しく不機嫌を隠さない美月からそっと視線を外し、僕はリスタートポジションにつく――だが、現実はいつだって思い通り進まない。


 攻守交代すると、今度は荻原先輩がミニゴールにシュートを突き刺す。

 次のオフェンスターンでは、蓮くんのお返しアシストから玲音がゴールを奪う。

 再び攻防が切り替わり、巧みな蓮携からまたも相馬先輩がフィニッシュを決める。


 これで、両チームの得点は『3-2』。僕が活躍する機会は訪れないまま、とうとうフットサル対決は大詰めを迎える。


 ぐっと高まる緊張感。次のオフェンスでボールを奪われれば、その時点で敗北が確定。逆にゴールを決めれば、延長戦に突入する。


 蓮くんが「気合い入れろよ!」と味方に発破をかけ、リスタートのボールを蹴る。プレッシャーのかかる局面でこそ燃え上がるタイプらしい。これが物語のワンシーンなら、彼はまさに主人公だ。


 対象的に僕はヒイヒイと情けない呼吸音をもらし、惨憺たる有様。それこそ生粋のモブ、あるいは引き立て役がお似合いである。


 プレーを再開しても、自分の表情は引きつったまま。必死でパスワークに食らいつく姿はさぞ滑稽に見えるだろう。


「兎和、大丈夫か? いつもと様子違うぞ」


「おい兎和、キレキレドリブルは封印か? 夏合宿のときみたいにブッちぎってみせろ!」


 玲音に心配され、蓮くんには尻を叩かれる。挙げ句、相馬先輩から「本気が見られなくて残念だ」と失望したようなトーンで声をかけられた。


 普通なら奮起する場面だ……けれど、僕の闘志はもう風前の灯火。力なく笑ってごまかすのが精一杯だった。


「しゃーない……あんま時間かけてもアレだし、次に点を取ったらそっちの勝ちでいいぜ。逆に、止めたらこっちの勝ちな!」


 観衆にも聞こえるようにレギュレーション変更を告げる相馬先輩。どこか物足りなさそうな顔をしているが、今は文化祭の最中なので妥当な判断だろう。


 なんにせよ、このオフェンスがラストターン……僕はますますテンパって過呼吸寸前。ここで活躍しなければ、見せ場のないままゲームオーバーだ。その先で待ち受けている運命は、多分バッドエンド。


 こうなると、積極的にボールを受けにいくしか状況を打破する手立てはない。しかし相馬先輩のマークが厳しく、ポジショニングすら思い通りにならない。攻撃力ばかり注目されがちだが、ちゃんと守備も上手い。敵に回すと本当に厄介なプレーヤーだ。


「兎和ッ、またリターン遅れてきてんぞ!」


 パスを散らしながら、蓮くんが激を飛ばす。

 これ以上迷惑をかけちゃダメだ……僕は『動け、動け!』と自分の体を叱咤する。逃げちゃダメだ、のセリフでお馴染みの某アニメの初号機の方がまだ素直に動いてくれそうだ。


 もうメンタルは限界ギリギリ。少しでも気を緩めれば、しなしなとその場でへたり込んでしまいそう。おまけに、『諦める』なんて言葉が脳裏をよぎり――その時、玲音が不意に片手を上げて声を張る。


「ターイム! すんません。スパイクのヒモがほどけちゃいました!」


 ここでいったんプレーが途切れ、驚いた蓮くんがパスをスルーしてしまう。その様子を見た玲音は、不敵な笑みを浮かべて「兎和、ボール取ってこい」と観衆の方を指差す。


 何か意図が隠されていそうな行動だ……おかげで深呼吸をする余裕ができ、助かったけれども。

 それから僕は指示に従って振り向き、ビクッと小さく跳ねた。転がるボールを拾い上げたのは、不機嫌そうに微笑む美月だった。


 何たる偶然……というか、その顔いったいどんな感情?

 正直、怖くてあまり近寄りたくない。けれど、ボールを受け取らないわけにはいかないし、手招きなんかされちゃっているから逆らえない。


 僕は恐る恐る足を進め、美月の前に立つ。もちろん一騒動は避けられない。手を差し出すと、ボールの代わりに質問が返ってきた。


「兎和くん。何をそんなに一人でカラ回っているの?」


「あ、えっと、自分の力だけで勝負しようと思って……」


「他にもあるでしょ? 私の目はごまかせないわよ」


「あ、あと……その、美月が相馬先輩の個人マネージャーになるんじゃないかって……」


 どういう考え方をしたらそんな疑問が湧くのよ、と美月はひどく驚いていた。

 すべては相馬先輩が接近してきたことに端を発する。それで、いろいろと考え込んでしまって胸にモヤモヤが……。


「はい、ボール。あと、しっかり私の目を見なさい!」


「え、うぶっ!?」


 ビタン、と両頬に衝撃が走る。

 差し出されたボールを反射的に受け取った。すると、すかさず美月の両手が僕の顔を挟み込んだ。さらに彼女は腕をぐっと引き寄せ、至近距離から再び口を開く。


「こんのおバカ! アホ、イカ! どうして自分だけでプレーしようとするの! 夏休みの最後の夜、私はなんて言った!」


 重い荷物は、一緒に持って歩きましょう。私はいつだって隣にいる――忘れるはずもない。そう言ってもらえて、僕がどれだけ嬉しかったか。


「覚えているみたいね。だったら、よく聞きなさい……兎和くんを見つけたのは私よ。だから、誰にも譲る気なんてない。それに、他の誰かの面倒を見る余裕もない」


「そ、それって……」


「察しが悪いわね。つまり、私は兎和くんの『専属マネージャー』なのっ!」


 静まり返ったピッチサイドに、美月の叫びが響き渡った。

 せ、専属マネージャー……どうやら、僕は本格的な大バカ野郎になりかけていたらしい。


 自分と他人を比較して、モヤモヤと悪いイメージばかりを膨らませていた。そのうえ、少しでも釣り合いの取れるプレーヤーになるだとか理屈をこねて、独りよがりなプライドを振りかざしていた。


 けれど、こんなの全部意味がなかった……だって、美月はずっと隣にいてくれて、しっかり僕のことを見ていてくれたのだから。


 結局のところ、存在もしない脅威を作り出して自滅していただけに過ぎない。一度悟ってしまえば、まったくもってバカバカしく感じてくる。


「あー、またチューしてる!」


 すぐ横で様子を伺っていた木幡さんが茶目っ気タップリに言うと、周囲の慎たちもつられて笑った。

 ハッと我に返る……マズい。もちろんチューなんてしてないけど、確かに誤解を招きかねない状況だ。実際、大勢の野次馬が騒ぎ出している。


「美月、これみんな勘違いするから……」


「みんなは関係ない。今は私と兎和くんだけで話をしているの。それで、どう? エネルギーはチャージできた?」


「あ、うん。おかげでエネルギー満タンです!」


 よかった、と美月はふんわり微笑む。

 続いて頬から両手が離れ、僕は静かに失われていく体温を惜しむ――だが、ようやく頭が冴えてきた。


 今さらだが、完全に迷走していた。そもそも僕は、『白石兎和の才能を信じる神園美月』を信じるって決めたはずだろ?


「僕のクソアホボケマヌケイカぁぁあああああ――ッ!」


 腹の底から罵倒を吐き出し、両手でバシッと自分の頬を張る。不思議と、精神と肉体と魂、すべてがガッチリ噛み合ったような感覚を抱く。


「やっとお目覚めか? コネホ・ブランコよ!」


「ごめん! 迷惑かけた!」


 やはり不敵に笑う玲音に、僕はサムズアップを返す。

 ひと区切りついたところで、蓮くんが「勝つぞ!」とノリノリでボールを蹴ってゲームはリスタートした。


 パスワークに加わりつつチラリと美月に視線を送る。いつの間にか青いタオルを握りしめており、すでに準備万端らしい。

 僕はひとつ大きく息を吸い、再び叫ぶ。


「美月、サポート頼むッ!」


「まっかせなさい!」


 ボールは蓮くんを経由し、猛スピードで僕の足元へと向かってきていた。

 一瞬後、視界の端に映る美月が青いタオルを力強く振り払いながら、凛と情熱を込めた大声を発する。


「兎和くん――ゴォォオオオッ!」


 青い風が吹き抜ける、そんな幻想を見たような気がした――直後、フリックして足元に収まりかけたボールを前方へ送る。同時にターンして、反応が遅れた相馬先輩をその場に置き去りにする。


 美月の起こす追い風が、いつも僕の背中を押してくれる。

 スピードに乗ったドリブルで、思うがままの軌道をピッチに描く。


 慌てて本田先輩が寄せてくるが、もう遅い。ひとつシザースを挟んでからボディフェイントを駆使し、重心の逆をとりつつ急加速して突破する。


 続いて立ちはだかるのは、下がり気味のポジションで待ち受けていた荻原先輩。若干スピードを落として間合いに入り、わざとボールをさらして誘う。そして相手がたまらず足を出してきた瞬間、ダブルタッチを繰り出して脇をぶち抜く。


 間髪入れず、フッと視界が晴れた。

 僕の目を塞ぐものは、もう何もない。


 湧き上がってくるごちゃ混ぜの感情をぜんぶ右足に込めて、全力で振り抜く――心臓の鼓動めいたインパクト音が鳴り渡り、ボールは矢のような鋭さでミニゴールに突き刺さった。


「――だあ、っしゃあぁぁああああッ!」


 決勝ゴールを叩き込んだ僕は、ジャンプを交えた渾身のガッツポーズをかます。

 着地に合わせて観衆がどっと沸き上がり、ピッチは割れんばかりの喝采に包まれる。少し遅れて玲音と蓮くんも飛びついてきて、わちゃわちゃと大はしゃぎしながら勝利を分かちあった。

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