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第118話

 どうにか二学期の中間テストを乗り越え、迎えた最初の土曜日。

 ついに『第1XX回・全国高校サッカー選手権大会』の都大会(二次予選)、Bブロック3回戦が幕を開けた。挑むのはもちろんトップチーム。


 加えて、今回も大応援団が結成された。栄成サッカー部の全メンバーを中心に親類や友人たち、さらには夏休みで退部した林先輩たちまでもが駆けつけ、総動員体制で現3年生たちにとって最後の大会を後押しする。


 相手は都立高校で、肝心の試合結果は『5-0』。

 危なげない試合運びで終始圧倒し、力の差を見せつけて完勝した。


 それから一夜明けた、日曜日。

 僕は午前のトレーニング(部活)を終え、急いで帰宅する。午後はフリーなので、美月主催の『青春スペシャルイベント』が開催される予定なのだ。


 ワクワクして、昨夜はなかなか寝付けなかった。果たしてどんなお楽しみが待っているのか――ウキウキで玄関の扉を開け、僕は「ただいま」とハイテンションで家族に帰宅を告げた。


「おかえりなさい」


「うん、ただいま……いや、何してんの?」


 返事と共にキッチンから顔を出したのは、白ウサギのキャラクターエプロンを身に着けた美月だった。


 これぞ勝手知ったる他人の家、といった感じだ。迎えに来る約束はしていたけれど、まさか家の中で出迎えられるとは思ってもみなかった。


「何って、兎和くんの帰りを待ってたのよ。でも、グッドタイミング。ちょうどお昼ごはんの準備ができたところだから、一緒に食べましょう」


 どうやら昼食を作っていたらしく、母と妹が湯気を立てる料理の皿を手に『おかえり』と声を揃えつつキッチンから出てきた。

 そのまま、女性三人はかしましくリビングへ。僕は洗面所で手洗いうがいを済ませ、荷物を置いてから後を追った。


「おかえり、兎和」


「ただいま、父さん。いたんだ」


 リビングに入ると、皆すでにダイニングテーブルについていた。

 仕事が休みで家にいた父と帰宅の挨拶を交わし、僕も美月の隣に座る……なんだか、この並びにも慣れてきたな。


 彼女が家にいるときは父がお誕生席へ移動する、これが我が家の新習慣である。涼香さんがいるとまた変わるけど。


 程なくして、つけっぱなしのテレビをBGMに昼食が始まる。

 そして、僕はすぐに面食らう。父と美月が、互いにリラックスした様子で雑談していた。


 話の内容は主に自主トレ関連だが、二人であれこれと意見交換している。近頃はカーム社のメソッドがどうのと、食事しながら盛り上がっていた……交流があるのは知っていたが、思った以上に仲いいな。


 妹の兎唯(うい)も、大好きなお姉さまに構ってもらおうと時おり口を挟んだりして、なんとも賑やかにランチタイムは過ぎていく。


「ごちそうさまでした。じゃあ、美月ちゃんはゆっくりしていてね。兎和は、さっとシャワーを浴びちゃいなさい」


 食後、母は父を連れてキッチンで洗い物を始めた。僕は「はーい」と返事をして、シャワーを浴びることにする。その間、美月の相手は妹が大喜びで引き受けた。


「早かったわね、兎和くん。そろそろ出かけましょうか。お待ちかね、スペシャルイベントの開催です――といっても、今回はちょっと地味な感じだけどね。具体的には、『井の頭公園』の散策をメインにまったり過ごす予定よ」


 さっぱりした僕が私服に着替えてリビングへ戻ると、妹と紅茶を飲みながら談笑していた美月が出発の準備を始める。


 いよいよ本日のメインイベントのお時間だ……が、ようやく発表されたプランはいささかインパクトに欠けるものだった。


 先ほど話題に上がった、井の頭公園――正式名称は『井の頭恩賜公園』という。我が家の裏手に広がる都立公園で、歩いて5分ほどで着く。以前は僕の早朝ランニングのコースでもあった。


 過去二回の青春スペシャルイベントと比較して、目的地はかなり手近。決して悪くはないけれど、どうにも新鮮味に乏しい。


「なんでまた井の頭公園……?」


「これから冬にかけて、兎和くんは何かと忙しくなるかもしれないでしょ? だから、のんびり息抜きするのもいいかなって。それに実は私、ずっと行ってみたかったの」


 なんだ、美月は初めてか。それなら、僕が井の頭公園を案内するのもやぶさかじゃない。ここしばらくはご無沙汰だが、小さい頃からの遊び場で庭のようなものだし。


 では、さっそく出かけよう。妹も同行したがるかと思ったけど、友だちと遊ぶ約束があるらしく半泣きで見送ってくれた。


 二人でのんびり馴染みの道をたどれば、あっという間に井の頭公園の敷地に入る。

 秋色に染まり始めた木々が歩道の周囲に立ち並び、ひとつ深呼吸をすると心和む自然の香りが胸いっぱいに広がった。


「素敵なところね。まさに都会のオアシスって感じだわ」


「いいところでしょ。あ、バッグ持つよ」


「あら、兎和くんにしては珍しい気遣いね。せっかくだし、お願いしちゃおうかしら」


 何をおっしゃるやら。僕は常日頃、紳士であるよう心がけているんだ……嘘です。家を出る前、妹にこっそり躾けられたのに忘れていました。


 それにしても、暖かめの格好をしてきてよかった。空は抜けるような秋晴れだが、気温はちょっと低めで肌寒く感じるくらいだ。

 美月もニットカーディガンコーデなので、風邪をひく心配はなさそう。


「さて、どうしようか……」


 歩道を進みながら、僕たちでも楽しめそうなスポットを口に出して挙げていく。


 井の頭公園の見どころといえば、池とボート、弁財天、自然文化園……ジ◯リ美術館もすぐ近くにあるが、あれは予約必須だ。ただ外観を眺めるだけでも楽しめるとはいえ、せっかくだし暗くなってからの方がいいだろうな。


 カフェもいくつかあって、中でもオススメは『ラパン』。ウサギのモチーフいっぱいの可愛らしいお店で、焼きたてのガレットやクレープが楽しめる。母と妹のお気に入りだ。


「その、文化園っていうのはなに?」


「小さな動物園だよ」


「あ、それ行きたい! ツシマヤマネコが見たかったの!」


 美月が興味を示した『井の頭自然文化園』はあまり大きくないが、国内でも希少な動物を幾種か飼育しており、ツシマヤマネコはとりわけ人気が高い。園サイドも、『ヤマネコ祭』なんてイベントを催すほど推している。


 ともあれ、リクエストにお応えしてさっそく行ってみよう。

 移動時間は5分ほど。公園を縦断する通りを渡ると、すぐに自然文化園の入口にたどり着く。入園料を払い、賑わう園内を右回りで巡る。


 最初に出迎えてくれたのはウズラとメンフクロウ。その奥にはペンギンの飼育施設があり、元気に泳ぎ回る姿を見ることができた。


 やや順路を戻り、今度はモルモットのふれあいコーナーへ。展示スペース内で、モルモットたちが固まって草を食む様子をじっくり観察する。

 愛らしい、と美月はご機嫌だ。


「このモルモット、昔は自由に抱っこできたんだ」


「そうなの? でも、今はダメなのよね?」


「うん。子どもが落としたり、いろいろあったみたい。兎唯も小さな頃はここが好きで、ねだられてよく連れて来てたんだ。でも『抱っこのしかたが悪い』とか言って、知らない子としょっちゅうケンカしていたな」


 以前は、時間制ながら自由に抱っこしたり触ったりできた。しかし今は、モルモットの体調などにより配慮したふれあいプログラムが採用されている。定員上限アリの予約制だとか。


「よその子に勢いよく注意する小さな兎唯ちゃんが目に浮かぶわ」


「うちの妹も意外と血の気が多いからな。美月と一緒だ」


「ふふふ。ほんと面白い冗談よね、それ」


 この話題、僕はいつだって本気だぞ……まあ、今日は深追いせずに先へ進もう。

 お次は、ミーアキャットなどの展示施設を見学して回る。すると、途中でフェネックの『顔はめパネル』を見つけた。


「はーい、兎和くんスマイルよー! よく似合っているわ!」


「今度は美月の番だからな!」


 当然、スマホで順番に写真を撮った。

 おまけに、通りがかった子ども連れのお母さんにお願いして、二人でパネルの穴から顔をだしているところをパシャリ。お礼を言って写真を確認すると、あまりに間抜けで揃ってゲラゲラ笑ってしまった。


 続いて、美月お待ちかねのヤマネココーナーに差し掛かる。


「わっ、思ったよりノラネコ感が強め……あ、でも体のまだら模様は珍しいかも。それに尻尾がモフっとしているのね」


「その辺にいたら、マジでただのノラネコだよなあ」


 ツシマヤマネコは、檻の中で日向ぼっこの最中だった。丸まって寝ている。ぱっと見、柄がちょっとワイルドなノラネコだ。

 隣の檻ではアムールヤマネコが飼育されていた。この二種は近縁種で、親戚のようなものらしい。イリオモテヤマネコとも共通点が多いそうだ。


 しばらく観察して満足したら、今度は裏手にあるゾウ舎へ向かった。かつてここで暮らしていたアジアゾウの『はな子』は、吉祥寺駅の北口ロータリーに設置された銅像のモデルとしても有名だ。


 しかし、残念ながらはな子はすでに亡くなっており、現在は生前の写真や資料などが飾られた展示コーナーとして飼育場が開放されている。


 以降も時間を気にせず、ゆっくりと園内を見て回る。そこまで広くないと思っていたけれど、しっかり堪能したら結構な時間がかかった。


「思ったよりずっと楽しかったわ。この後はどうする?」


「あー。じゃあ、弁財天にいくか」


 井の頭公園と言ったら、やはり弁財天は外せない。池のほとりに立つ朱色のお堂がよく映えるのだ。それに学問や芸術、加えて財にご利益がある七福神の一柱だけに、金運アップのパワースポットとしても大人気。


 僕と美月はまたちょっと移動し、他の参拝客にまじって手を合わせる。


「兎和くんは、なにをお祈りしたの?」


「え、将来お金持ちに……」


「はい、やり直し。こういう時は誓いを立てるといいのよ。どうか見守ってください、って」


 ダメ出しを受け、弁財天様に『先ほどのはミスです』と心の中で謝罪しつつ新たな願い、改め誓いを立てる。もちろん内容は――ふと気づくと、美月が隣で一緒に謝ってくれていた。


 次なる目的地は、近くのボート乗り場。ここまで来たら他に選択肢はない。短い橋を渡り、少し順番待ちしてローボートをレンタルする。


 僕たちは向かい合って座り、オールを駆使して滑るように水草が踊る池へと漕ぎ出した。

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