ちょっと勘違いしていたらしい……より正確には、自分を買いかぶりすぎていた。
窓から吹き込む穏やかな風と日差しを浴びながら、2年A組の自分の席でひとり静かに思索を深める。瞳を閉じ、組んだ両手に顎を乗せたポーズで。
僕は昨冬の選手権の開会式で無様にすっ転んでプチバズりし、青森田山戦のゴールシーンと合わせてテレビやSNSで多少話題になった。
実際、学校でも先輩女子たちや同級生に自撮りを求められたりして、ちょっとした人気者の気分を味わえた。
進級してからここ数日の間も、僕を見るために後輩たちが教室まで押しかけてきたり、内心で『自分はけっこうイケてるのかも』とか思ったりもした。
けれど、そう長続きしなかった。
僕は所詮、魂がモブの陰キャだ……イケメンでも、ノリがいいわけでもない。撮影に応じても表情は微妙だし、声をかけられても面白い返しひとつできない。
こうなれば、ブームが過ぎ去るのもあっという間。次第に僕個人に対する注目度は低下していき、『サッカーが上手いらしい先輩』みたいな評価に落ち着いていった。
ふと聞こえてきたひそひそ話では、『ある種、栄成高校のマスコット的な存在』みたいに言われていた……平凡なデザインだけどなんかクセになる、的なタイプの。
まあ、大会などで露出が少なければこんなもんだろう。
それに、悪いことばかりでもない。
僕はそもそも、他人から注目を浴びるのが苦手だ。まして恋心を自覚した現状、できる限り落ち着いた環境でスクールライフを楽しみたいと思っている。
つまるところ、自分なんかが人気者の座を維持できるわけがなかったのだ。ゆえの『買いかぶり』である。
まあ、これはこれで問題ない。背伸びして人付き合いする必要がなくなって、むしろホッとしている。分相応に生きることが大切、なんて言葉をネットで見かけたりもするしね。
だが、一方で……僕は、美月のポテンシャルを甘く見ていたらしい。
思考の淵から意識を浮上させ、廊下の様子を確認する。すると、教室の前後の扉から順に顔を覗かせる後輩たちの姿が視界に映った。
みんな好奇心を隠さず、キャイキャイ騒ぎながらこちらの様子をうかがっている。何が目的かといえば……。
「キャー、神園先輩!」「お姉さまー!」「ほんと可愛すぎるっ!」「一緒に自撮りしたい!」「誰かSNS繋がってないの?」「もう芸能人じゃん!」「いや、モデルだろ!」
ほとんどの後輩が、美月の超絶美少女っぷりを見物しに集まっている。
ここ数日、休憩時間のたびにこの騒ぎが繰り返されている。今は2時間目が終わったばかりで、次の授業までの合間は短い。それでもこの賑わいぶりだ。
最初は僕目的の後輩もいたが、今やすっかり吸収されてしまっている。
まさか、ここまで美月の人気が爆発するとは……隣に座るモブなんて、きっとこけし程度の認識だろう。
「今日もすごいな……」
「うん。ちょっと困っちゃうかなぁ」
隣の席で同じく廊下の方を眺めていた美月が、僕の呟きを拾う。
やはり、対応には苦慮しているようだ。あんな風に教室の出入り口を塞がれたら邪魔で仕方ないものな……とはいえ、追っ払ってもキリがないのが実情。
先日は本人が廊下へ注意しに出るも、反対に結構な騒ぎを呼んでしまった。
それで結局、騒動を収めてくれたのは新たに学級員となった彼女だった――ご覧の通り、こんな感じで。
「コラァ、またこんな集まって! 邪魔だからとっとと自分の教室に戻んなさい! ウエスタンラリアットをお見舞いするわよッ!」
後輩たちを散らして回るのは、筋肉フェチ(プロレスマニア)の沼田智美さんだ。お供に山本健太郎くんと岩田大輔くんの柔道部マッチョペアを連れているので、迫力抜群である。
騒ぎを収めて戻ってきた3人に、席を立った美月が歩み寄って礼を告げる。もちろん僕も一緒だ。
「智美ちゃん、本当にありがとう。山本くんと岩田くんも、おかげで助かったわ」
「いいのよ。それと白石兎和、アンタもしばらくは大人しくしてなさいよ」
実は先日、美月が注意しに廊下へ出た際、僕もノコノコ同行していた。しかし火に油を注いだだけで、騒ぎはひどくなるばかりだった。
素直に頷けば、沼田さんは「良くも悪くも75日、すぐに興味も薄まる。それまでの辛抱よ」と言って笑顔を見せてくれる。健太郎くんと大輔くんも、「気にするな」とサムズアップで応えてくれた。本当にありがたい。
こんな風にスクールライフは相変わらずドタバタで、平穏からは程遠い――もちろん部活の方も負けじと賑やかだ。
「おお、いっぱいいる……」
僕が着替えてピッチに出ると、多数の女子マネージャーさんの姿が目に入る。新入生だけでもざっと10人はいて、全員が入部希望だそうだ。冬の選手権出場の効果スゴイ。
しかし、サッカー部がいくら大所帯といっても、さすがに希望者が多すぎる。
そこで、業務に携わらせながら選考するという方針をとったらしい。要するに、現場での適性を見るセレクションである。
もっとも、サッカー部のマネージャー業務はかなりハードだ。休日も余裕で潰れる。だから、現実を知れば大半が自然と脱落し、すぐ適正人数に落ち着くはず。
正直、同学年の小池恵美さんがマネージャーを続けられているのが不思議で仕方ない。加えて、今回の指導係のリーダーも務めている。見た目はキラキラ女子なのに、意外と真面目な人なのかも。
個人的には、昨年の文化祭あたりから急に話しかけられるようになり、そこまで悪い人ではないと思うようになった。おまけに今年、彼女はトップチーム担当と決まったので、何かと接する機会が多くなりそうだ。
そして、また少し時間が経って部活後。
僕と玲音と拓海くんがピッチサイドでクールダウンしていると、Bチームのトレーニングを終えた大桑くん、小川くん、池谷くんの3人が合流して自然と雑談が始まる。日によってメンバーの増減はあるが、もはやお決まりの流れだ。
すると、拓海くんがふとこんな話題を切り出した。
「そういえば、兎和。どんな手を使ったんだ?」
「え、なんのこと?」
「お前、今年A組になっただろ?」
なったけど、それがいったい……そういえば、今年もまた僕はクラスに唯一のサッカー部員となった。これだけの人数がいて、2年連続なんて奇跡に近い。
だが、拓海くんが聞きたかった話はきっと別だろう。
「A組は、『成績優秀者が集まっている』とのウワサがある」
ストレッチを中断することなく、小川くんが話を引き継いだ。
その内容に少し驚く……が、改めて考えてみれば、確かに勉強のできる生徒が多く集まっているかも。特進クラスほどではないにしても、テストの平均点はかなり高めだろう。
「それは俺も聞きたかった。相棒は、けっこうアホだと思っていたんだが」
玲音め、失礼な……まあ、間違ってはないけどさ。
率直に、僕はあまり勉強が得意ではない。事実、高校に入ってすぐの頃は小テストで赤点を連発していた。慎とどっちがバカかバトルで盛り上がったほどだ。
けれど、教室へ襲撃してきた美月の助けによって状況は大きく変わった。とりわけ、テスト前に配布される『AIを駆使した予想問題集』の力が凄まじい。毎回9割以上の出題的中率を叩き出すのだから、もはやチートである。
おかげで、僕は定期テストで好成績をキープしている。いつも一緒に勉強している慎と三浦(千紗)さんも同様だ。
「AIか……俺、けっこう詳しいよ。最近、時間あるときに恋愛相談とかしててさ。全肯定で返事してくれるから、めちゃ前向きになれるんだよね」
続く大桑くんの話を聞き、僕は日本の将来がちょっとだけ心配になった。今度からはAIじゃなく、みんなで相談にのるからね。
「とにかく、兎和だけズルいぞ。俺たちが勉強時間を確保するのに、どれだけ苦労しているか……」
遠い目をして嘆く拓海くん。
ほぼ休みなしの部活に、カーム考案の自主トレ。ハードスケジュールの繰り返しで、日々自由に使える時間はかなり少ない。無論、勉強する気力なんてゼロに等しい。
「それもあるけど、俺はカームの『食事管理』がけっこうキツイかなあ」
「わかる……大好きな唐揚げをもう半年は食ってないぜ」
「この前、クラスでポテチ食ってるやつがいてさ。軽く殺意沸いたよ」
池谷くんと小川くんが、揃って力なく笑う……いや、他のみんなも同じだ。一斉にガクッと肩を落としていた。
ここにいる全員、カームのフィジカルフィットネスプログラムの一環で食生活を厳格に管理されている。そのため、甘いものやお菓子は手の届かない存在になってしまった。揚げ物やジャンクフードなどもはや最高の贅沢だ、と玲音もぼやいている。
食べ盛りの高校生にとっては苦行に違いない。その点、僕は体質が特殊だから全然ツラくない。むしろこれがスタンダード。みんなには悪いけど、ちょっと得した気分だ。
それにしても、なんか可愛そうだな……カームの会員サイトでも料理のレシピは公開されているが、美月に相談でもしてみようか。
「……話がそれた。とりあえず、勉強をなんとかしよーぜ。俺は成績が落ちて、親に怒られたばっかりなんだよ。だから兎和、マジで頼む。そのAI予想問題集ってやつ、俺たちにも共有してくれないか?」
拓海くんは、サッカーに打ち込むほど成績が下がってしまっているらしい。
このままでは、最悪は部活にも支障をきたしかねない……これこそ美月に相談すべき案件だ。ちゃんと頼めば、きっと協力してくれるはず。
何より、友だちの窮地だ。
できるならば助けになりたい――そんなわけで、同日の夜。
相談内容を整理しながら、僕は日課のトラウマ克服トレーニングに臨むべく三鷹総合スポーツセンターへ向かった。
ところが、現地で美月と合流した瞬間。
「兎和先輩、こんなところでこっそり自主トレしてたんですねッ!」
サッカー部の後輩の久保寿輝(くぼ・ひさき)くんが、突如乱入してきたのである。いったいなにごと……。