「兎和くん、お友だちかしら?」
笑顔を浮かべ、尋ねてくる美月。
しかしその美しい青い瞳は、極寒もかくやの冴え冴えしさを湛えていた……これ、そうとう不機嫌なときのサインだ。
言葉遣いもどこかよそよそしく、まさによそ行きって感じがする。普通はわからないかもだが、僕にはハッキリとわかるぞ。
原因は、言うまでもなく久保寿輝くん――普段から美月は、男子が絡んでくると猫のようにスルリと姿を消すそうだ。学校で木幡咲希さんにそう聞いた。
きっと、モテすぎて異性が苦手になったのだろう。超絶美少女ゆえの悩みだ……にもかかわらず、プライベートなこの時間に男子生徒が接触してきた。
美月を狙ってここに来たわけじゃないだろうが、ストレスを感じてもおかしくはない。
いずれにせよ、僕がやるべきことは明確だ。
寿輝くんのチームジャージの端を引っ張り、その場から少し距離を取る。背中に刺さる美月の冷たい視線を意識しつつ、声を潜めて乱入の目的を問いただす。
「寿輝くん、ちょっと……なんでここに?」
「あ、いきなりごめんなさい。兎和先輩の自主トレがどうしても気になって、こっそり後をつけてきました」
僕が部活後に自主トレをしていることは、仲良しメンバーなら誰でも知っている。けれど、玲音以外には場所を秘匿していた。
それで彼、どうやら学校から後をつけてきちゃったらしい。ぜんぜん気づかなかった……僕を慕う気持ちと、サッカーがうまくなりたい一心での行動みたいだが、正直なところ困る。
美月が明らかに嫌がっているし、トラウマの件も秘匿したい――それと同じくらい、この空間に部外者がいるのが僕はいやだ。
涼香さんや旭陽くんなら構わないどころか大歓迎だが、ここは僕たちのヒミツの場所。なので、悪いが大人しくお帰りいただこう。
「とりあえず、今日のところはお引き取りを……」
「ええっ、見学もダメっすか!? つか、あの人って神園先輩ですよね? こんな近くで見たの初めてだけど、めちゃくちゃキレイっすね……」
寿輝くんはチラッと振り返り、美月に一瞬見とれてしまったような反応を示す……おい、僕の話を聞け。気持ちはわからなくもないが、それは流石に許さんぞ。
気を散らさないように、ぐいっと強引に肩を組んで顔を寄せ合う。
「あの、もしかしてお二人って恋人だったりします? 兎和先輩と神園先輩は仲が良いってウワサがあって。去年の文化祭でなんかあったとか聞いたんですよね」
「はへ!? ……別に付き合ってるとかはないよ」
「じゃあ、どんな関係なんですか?」
「どんな関係って、専属マネージャーとそのクライアントだけど……」
質問に答えながら、『今はまだね』なんて心の中で付け足す僕である。
とにかく、現状はそれ以上でも以下でもない。それなのに、他人にあれこれ詮索されるのは本当に迷惑だ。特に近ごろは、個人的に色々とセンシティブな時期なわけで。
「え、すげえ……兎和先輩くらいのレベルになると、専属マネージャーがつくんですね! しかもあんな美人が! うわー、マジでカッコいい!」
僕が告げた『専属マネージャー』という単語に衝撃を受けたらしく、寿輝くんは目を輝かせてはしゃぎだす。なんとも無邪気なリアクションだ。
さらにここで、背後から追撃の言葉が飛んでくる。
「兎和くんには、企業のスポンサーもついているわよ」
声を発したのは、もちろん美月だ。こちらのやり取りの何かが琴線に触れたらしく、先ほどよりも口調がだいぶ柔らかい。
おいおい、なんで余計なことを……ほら、「個人スポンサーとかマジでハンパないっす! 流石っす!」とか言って、寿輝くんのテンションが限界突破しちゃったじゃんか。
「ごめん、ここで少し待機してて」
「うっす。了解っす!」
断りを入れてからその場を離れ、今度は美月の元へ歩み寄る。そして揃って寿輝くんに背中を向け、ひそひそ話を始めた。
途中、涼香さんのそばを通ったのだが、いつの間にかソシャゲを中断して笑顔でこちらを観察していた。アレは完全に楽しんでいるな。
「あのさ、美月……すぐ帰ってもらうから、余計な発言は控えてもらえると助かるんだけど」
「私も早めに追っ払うつもりだったけれど、ちょっと気が変わっちゃった。彼が、新入部員の久保くんなんでしょ? さっきのリアクションでピンときたわ」
美月には以前、有望な後輩が入部してきたと直接伝えていた。交換日記にも書いた覚えがあるし、情報自体は永瀬コーチからも聞いていたはず。それで、今回ようやく顔と名前が一致したようだ。
「でね、今回だけ特別にトレーニングの見学を許可しようと思うの。もちろんトラウマの件は内緒だけれど」
ずいぶんと急な心変わりだ。意外と気難し屋さんの彼女が、こうもあっさり機嫌を直すなんて……いつもなら威勢のいい啖呵をブチかまし、即座に追い返していてもおかしくない場面だが。
「たしか彼、兎和くんに憧れて栄成高校に進学してきたのよね? その話を聞いたとき、すっごく嬉しかったの。ようやく正当に評価されるようになってきたんだって。だから、ちょっとしたサービスね」
学内の評判や部内の勢力争いで、何かと不当な評価を押し付けられてきた。そんな僕が、様々な騒動を経て正当に評価されるようになってきた。思わず感動すら覚えたと、美月は弾むような声で語る。
なんというか……すごく彼女らしい。まるで自分のことみたいに喜んでくれている。
きっと僕は、こういう部分に心惹かれて恋に落ちたのだろうな。それほどの引力が、この笑顔には秘められている。
「まあ、美月がいいなら僕は別に構わないけど」
「なら決まりね。兎和くんの凄さを存分に見せつけちゃいましょう!」
寿輝くんの視線があるこの場で、どれほどのパフォーマンスを発揮できるかは未知数。けれど、可能な限り美月の希望を叶えられるよう精一杯励むつもりだ。
こうして、見物客をプラスした状態で本日の自主トレはスタートした。無論、トラウマの件は伏せたまま。美月の合図は、アジリティ強化のためのオプションだと説明してある。
その後、1時間半ほど汗を流してクールダウンに入った。
すると、寿輝くんが駆け寄ってきて大興奮で口を開く。
「マジで凄かったです! アジリティがエグすぎ! 兎和先輩って、なんで栄成高校にいるんですか? 完全に別格というか、 同年代でも突き抜けてるように見えるんですが」
流石にそれは過大評価がすぎる。むしろ昨冬の選手権以降、自分に足りないスキルばかりが目に付くようになった。特にトラップ精度の向上は必須。周囲を使うプレーも磨く必要がある……永瀬コーチの受け売りだが。
何より、ただ上手いだけじゃプロにはなれない。チームを勝たせ、大舞台でもっとアピールする必要がある。
「でも、こないだJリーグデビューした『黄田純也(きだ・じゅんや)』より、兎和先輩の方が上だと思います。冗談抜きで」
黄田純也といえば、高校在学中にJ1デビューしたサイドアタッカーだ。同い年ながら、早くもプロの世界へ飛び込んだ天才中の天才である。
したがって、これもまた過大評価。相手は将来を嘱望されるJクラブ生え抜きのルーキー。それに対し、こっちはまだ何の結果も出せていないただの高校生プレーヤーにすぎない。
だが、寿輝くんに同調する者がいた……言うまでもなく美月である。
「ふふ、なかなか見る目がある後輩ね。確かに黄田選手も逸材だけれど、兎和くんのポテンシャルはその上をいくわ。まあ、当然ね。なにせこの私が見出したダイヤモンドの原石なのだから。そうだ、特別にこの前のフィジカル測定の数値を見せてあげてもいい?」
あまり親しくない男子がいるのに、美月は珍しくはしゃぎ気味……そんな楽しそうな顔で頼まれたら、断れるはずもない。
もとより見られて不都合があるもんでもなし。どうしてカーム社で測定したデータを所持しているのかの疑問にだけ目をつむり、僕は首を縦に振った。
「お疲れさま、兎和くん。今日もよく体が動いていたね。スタータイムも健在だったし」
美月は持参したバッグからタブレットを取り出し、さっそく自慢げにデータの解説を始めた。寿輝くんも熱心に耳を傾けている。
そんな賑やかな様子を眺めながら、僕は敷かれていたレジャーシートへ腰を下ろす。すると涼香さんがわざわざ隣に座り直し、楽しげに声をかけてきた。
「はい。寿輝くんに対する印象は悪くないんで、見られていてもあんまり気になりませんでした」
言葉通り、普段と遜色ないレベルでトレーニングに打ち込めた。
寿輝くんに対しては、出会ったときから好印象が続いている。尾行されたのは驚いたけれど、ずいぶん慕ってくれているようなので、特にトラウマが刺激されることもなかった。
まして、この場所は僕にとってのホームグラウンド。美月と涼香さんの存在を近くに感じられ、かなりリラックスできる。
「それにしても、美月ちゃんはすっかりご機嫌だね。後輩くんが乱入してきたときはスゴイ不満そうだったのに」
「ホントそれですよ。ちょっとはしゃぎすぎというか……」
「兎和くんを慕う人が増えて、たまらなく嬉しかったんだろうね。自分の大切な人が褒められたんだから、そりゃあ当然の反応だろうさ。ほら、私だってニコニコだよ」
不意打ちはやめてください。思わずうるっときた……それがどんな意味であろうと、いつか美月にも同じくらいの大切を届けたい。共に過ごす日々のなかで、なんてことない言葉や行動で伝えていけたら素敵だろうな。もちろん涼香さんにもね。
だが、その前にあの二人をそろそろ止めたほうがよさそうだ。美月が、去年の僕の戦績まで持ち出してきた。なんだか照れくさい。
というわけで、会話に割り込みつつ撤収作業に入る――そして別れ際に、寿輝くんが意を決した様子であるお願いを口にした。
「今日は断りもなく押しかけて、本当にすみませんでした。でもすごく楽しかったし、参考になりました! あと、図々しいついでにお願いがあります! 今後、俺もこのトレーニングに加えてもらえないでしょうか! 兎和先輩みたいな、スペシャルなプレーヤーになりたいんです!」
「――ごめんなさい、それはムリ」
食い気味に、ピシャリとはねのける美月。先ほどまでの温度差と違いすぎて風邪ひきそうだ。
対する寿輝くんは、まさかこんなにサクッと断られるとは思っていなかったのか、唖然と立ち尽くしていた。
そもそもキミ、ポジション違うから同じメニューってわけにはいかないでしょ……なんて心の中で呟きつつ、僕はホッと息を吐く。
やっぱり、この空間に部外者はいてほしくない。どうしても現状維持がいい。だから、寿輝くんには悪いが諦めてもらう。代わりに、カームのプログラムを強くオススメしておいた。
最終的に、本日の出来事についてはしっかり口止めして、この場はお開きとなった。
大きな波乱もなく、帰宅した頃にはずいぶん気分がスッキリしていた。けれど、就寝の準備を整えてベッドに潜り込んだ瞬間にふと気づく。
そういえば、拓海くんたちのお願いの件をすっかり忘れていたな……まあ、また今度でいいか。急いでもあまり意味ないし。
心の中で軽く謝って、僕はそのまま穏やかな眠りへと落ちていった。その夜、部活の仲良しメンバーたちに詰め寄られる悪夢を見た。なんか理不尽。