ありえねえ……夕食時で賑わうファミレスのソファ席でこの俺、白石鷹昌は、喧騒を聞き流しながら心の中で悪態をつく。
早いもので今年も4月に入り、気がつけば上旬が過ぎようとしていた。
栄成サッカー部は新進の強豪と評判で、学内でもひときわ注目が高い。そして進級し、名実ともにチームのエースへと成長した俺は、連日華々しい活躍を披露中だ。おかげで先輩や同級生はもとより、後輩女子にまで騒がれるほど関心を集めている……はずだった。
現実は正反対。入学当初に思い描いた、理想の青春スクールライフとは似ても似つかない、あまりにパッとしない日々を過ごしていた。
振り返れば、昨冬の選手権で完全に歯車が狂った……あの大会を経て、『じゃない方の白石くん』なんて揶揄されていた白石兎和は、今やすっかり『栄成高校を代表する生徒』みたいな扱いを受けている。
進級前も学内で過剰にもてはやされていたが、最近は男女問わず後輩たちが教室まで顔を見に押しかけるほどだ。腹立たしいにも程がある……クソ陰キャのくせにチヤホヤされやがって。
さらに許せないのが、神園美月と同じクラスになったばかりか、隣の席までゲットしたこと。そもそもA組には、成績の良い生徒が多く振り分けられているらしい。
俺なんてH組だぞ……おかげで、サッカーばかりか勉強でも先を行かれているような気分にさせられた。
そのうえ、学内じゃあ『神園と兎和が付き合っている』とかフザけたウワサが根強く残っており……真相は、専属マネージャーとしてサッカーのサポートを受けているらしいが、それすら万死に値する。
どれもこれも、本来なら俺が手にすべき境遇だ。この白石鷹昌こそが栄成高校のヒーローで、アイドルである神園美月の隣に立つはずだった。
とにかく、このままでは冬の夕方の駐輪場で聞かされた――
『うちの学校では、もう「白石」といえば兎和くんなんだよ』
なんていう加賀志保の戯言が実現しかねない。ありえないことに、俺の方が『じゃない方の白石くん』と呼ばれる未来が近いうち訪れるかもしれない。
実際、サッカー部に有望そうな後輩が入ってきたのだが、自己紹介で大恥をかかされている。クソ陰キャの兎和に憧れているとか、見る目なさすぎだろ。
マジで焦る……近ごろは、ことあるごとに加賀志保の戯言が脳裏をよぎる。そのせいで言動に迷いが生じ、何かとトーンダウンしてしまう。
おまけに俺らのグループは、スクールライフと部活の両面で勢いを失っている。比例して、発言力や注目度も低下している。もはや校舎は灰色のハコだ。
とはいえ、このクソッタレな境遇に屈する気はない。なにせ俺は、この世界の主役。現状の不遇は、物語を盛り上げるためのスパイスでしかない……そう固く信じている。むしろ覆してこそのヒーローだろう。
そこで本日、忌まわしいあの言葉を投げかけてきた張本人――加賀志保を呼び出した。
自分が吐いた戯言が間違いだと、きっちり説明してわからせるつもりだ。そして改心した加賀を橋頭堡に、俺に相応しい華やかな青春を取り戻してみせる。
「で、何でも頼んでいいのね?」
「あ、ああ……その代わり、ちゃんと話を聞けよ」
「わかってるって。あ、デザートにパフェもいいよね?」
反対のソファに座る加賀が、備え付けのタブレット端末を手にメニューを眺めながら問いかけてくる。
チラリともこっちを見やがらねえ。俺のことナメてんだろ……まあ、いい。これで状況を改善できるなら安いもんだ。
これまで加賀には何度も声をかけたが、ずっと断られていた。今回はメシをおごると約束して、ようやく引っ張ってこられた……けどな、お前は呼んでねーんだよ。
俺は心の中で文句をたれつつ、じろりと対面に座る中川翔史を睨む。
「翔史はどうする?」
「んー……やっぱステーキセットだな! 人のおごりで食う肉は世界で一番ウマいんだよなあ」
加賀に問われ、中川翔史がフザけた答えを返す。
なんで俺が、テメーにまでおごんなきゃいけねーんだよ……最初は怒鳴って追い散らそうかと思ったが、意外とデカくて……いや、俺は器がデカいので許してやったが。
「それで、私に話ってまたあれ? 自分はじゃない方じゃない、ってやつ?」
タブレット端末をタップして料理を注文しながら、加賀が再び問いかけてくる。
学校で顔を合わせるたびに、『白石鷹昌と白石兎和』のどっちが優れているかを説明してきた。ときには、コイツをわざわざ探して校舎を歩き回ったりもした。
それなのに誤解されたままなのは、ゆっくり説き伏せる時間が足りなかったから。
「あ、ああ、そうだ。いいか、まず俺は昔からサッカーが上手くて――」
だが、今日こそは絶対にわからせてやる……そう意気込んで説得を始めた。
俺は、本当にすごいヤツなんだ。幼稚園でサッカーを始め、いつだって一番ウマかった。
小学校の低学年で『東京FCむさし(U15)』に入団してからは、トップチームの中心選手としてプレーしてきた。しかも当時のセレクションは3次まであって、何百人もの子どもの中から選ばれたんだぞ。あんな『トラブル』さえ起こさなければ、そのままユースに昇格していたはず。
まだある。スゴイのは、サッカーだけじゃない。
小学校でも中学校でも、俺は誰よりもモテた。
イケメンで、コミュ力が高くて、ノリが良くて、人間としての器がデカくて、女子の扱いが上手くて……長所を挙げればキリがない。
だから加賀、お前はホレる相手を間違ってんだよ。兎和ではなく、この俺に好意を向けるのが正解なんだ――もっともこの主張だけは、中川翔史が同席している手前控えたが。ちゃんとデリカシーだって持ち合わせている。
「アンタがサッカーうまかったのはわかったよ。でもそれって、昔の話でしょ?」
「加賀の言う通りだな。大事なのは今の実力。思い出じゃ腹はふくれねーからな」
こいつら、Jリーグアカデミーがどれだけ過酷かわかっちゃいねえ。まして東京FCのジュニアユースは、都内でもトップレベルに強いチームだったんだぞ。
つまり、俺のサッカーのポテンシャルは東京エリアでも指折りってわけだ。なのに、どうして伝わらねーんだ……。
「どうしてって、私たちはもう高2なんだよ。みんな成長している――過去の栄光は否定しないけど、今を頑張っている人の方がずっとカッコいいじゃん」
「過去の栄光……俺の大事な実績をそんな安易なひと言でまとめんなッ!」
どれだけ苦労してきたと思ってやがる……莫大な時間をサッカーに費やしてきた。天才を自負する俺でも、多くの犠牲を払わないと生き残れなかった。それほどまでに、Jリーグアカデミーって環境は過酷なんだ。
両親も惜しまず支えてくれた。俺がチームで不当な扱いを受けていると訴えれば、毎回クラブ側と交渉してどうにかしてくれた。
そういえば、昨冬の選手権のメンバー選考の際も、うちの親父は豊原監督に直談判していた。俺が不当にチームを外されたからだ。
今もまだ、あの判断は間違いだと思っている。確かに兎和はちょっと目立ったが、俺だってちゃんとチームに貢献できたはず。普段は司令塔としてプレーしているから、数字や印象に残りづらいだけだ。
けれど、結局はうまくいかなかった。しかもそれ以来、親父はめっきり栄成サッカー部に近づこうとしなくなった。『下手をすれば仕事が飛ぶ』とか言ってよ。何をビビってんだか。
「とにかくさぁ……前にも私言ったけど、ちゃんとサッカーで勝負しなよ。数の力でゴリ押しするとか最低だからね」
「俺も同意。周りを煽って、兎和ひとりを叩くみたいなやり方は本気で許せねえな」
おいおい、そう睨むなって……加賀と中川翔史の鋭い視線につい萎縮してしまう。
兎和に『じゃない方の白石くん』なんてアホなあだ名を付けたのは、この俺で間違いない。だが、他の連中だって面白半分でクソ陰キャ扱いしてたじゃねーか。
誤解されたままではマズいので、すかさず反論を繰り出して悪いイメージを払拭しようとした――ところで店員が料理の皿を持ってきて、思わず言葉を飲み込んだ。
チッ、水をさされた。
まあ、食べてからまた話せばいいか。
俺はサクッと思考を切り替え、好物のトンカツにさっそく箸をつけた。揚げ物はアツアツのうちに食べるに限る。
「てか、アンタ普通に揚げ物とか食べるんだね。兎和くんたちは、食事にもスゴイ気を使ってるみたいだけど」
加賀の話では、兎和や玲音たちはかなり過酷な食事管理に取り組んでいるらしい。揚げ物はおろか、お菓子すらも口にしないそうだ。
よくカームのフィジカルプログラムがどうとか聞くが、あんなツラい思いしてまでやる必要あるのか疑問だぜ。そもそも俺らは、サッカー部で食事に関するレクチャーを受けている。正直、高い金を出してまで受講するメリットが見えない。
そのうえ、ほぼ毎日レベルで自主トレに励んでいるのだとか。おそらく、『練習量で足りないポテンシャルを補う』といった思想なのだろうが、オーバーワークになって試合の前にくたびれちまいそうだ。
「アンタさぁ……その調子じゃ、ますます置いてかれるよ。今ですら、兎和くんの背中に手も届かないのに」
バカ言うな……と、少し前の俺なら笑い飛ばしていただろう。
明確にAチームとBチームという差を付けられている現状、わりと実感を伴って聞こえてくるから恐ろしい。流石に、背中に手も届かないってのは大げさだがな。
「いい加減、無駄なプライド捨てて正々堂々ぶつかりなよ。まずは同じチームに昇格して、プレーで語る。それができたら、ちゃんとアンタを見てあげる。兎和くんのついでに、試合の応援くらいはしてもいいかな」
「だな。口先で丸め込むんじゃなくて、行動で示さないとな。もちろん俺も応援いくぜ!」
食べながらも好き放題言ってくる加賀と中川にイラッとするが、これでハッキリした。もはやコイツラは、言葉では揺るがない。きっと神園や、他の連中も似た感じなのだろう。
この俺が、格下だった兎和と真正面から勝負する……どこで道をまちがったんだ。
ともあれ、腹を括る必要がありそうだ。
お誂え向きに、玲音に以前書かされた『誓約書』の効力もすでに切れている。対等扱いは屈辱でしかないが、誰もが納得する形でケリをつける――勝利して、すべてひっくり返してやる。
「でも……ないと思うが、もし負けたらどうすんだ?」
「はぁ? アンタ本当にバカね。ボロボロ泣いて、また立ち上がって進むんだよ。それが青春ってもんでしょ」
そう言って太陽みたいに明るく笑う加賀が、俺の目にはいやに眩しく映った。