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第158話

 昨日の土曜の午後。僕たち栄成サッカー部は、晩春の青空のもと『関東高校サッカー大会・東京予選』の初戦に臨んだ。


 会場となったのは、大田区にある森ヶ崎サッカー場。

 対戦相手は、都立の中堅校だった。結果は、『6-0』。立ち上がりから主導権を握った栄成は、終始ペースを譲らずに圧勝を収めた。


 僕は前半だけで2ゴールを記録し、ハーフタイムでお役御免となった。

 またこの試合の後半、玲音と拓海くんが念願のトップチームでの公式戦デビューを記録した――個人的には、チームの勝利と同じくらい嬉しい出来事だった。当然、ベンチで声をからす勢いで応援した。


 そして、翌日。

 トップチームのメンバーは、疲労回復と怪我予防を目的としたリカバリーメニューに取り組むため、昼すぎに栄成高校へ集まっていた。


 僕も部室でトレーニングウェアに着替えたら、皆にやや遅れてサブピッチへ向かう。

 ところが、その途中で思わず足を止めるような事態に遭遇する。


「お願いしますッ、次の試合だけでいいんです! どうかAチームのベンチに置いてください!」


 監督棟の脇で、永瀬コーチに頭を下げつつ直談判する久保寿輝くんの姿が目に飛び込んできた。

 僕は咄嗟に階段の影に身を隠し、つい様子を伺ってしまう……やっぱりこうなったか。


 実は先日、関東大会予選の次戦の相手が『駒場瑞邦高校』に決定した。

 当初出場を予定していた私立高校が、監督による体罰問題で参加を辞退。代わりに駒場瑞邦が繰り上げ出場となり、僅差の勝利で初戦を突破したため、栄成との対戦カードが確定したのだ。


 トラブルに巻き込まれた見知らぬサッカー部員たちを気の毒に思う……一方で、うちの部とは無縁そうな話だったので少しホッとしていた。


 強豪以上にカテゴライズされる高校のサッカー部は、監督がマジで怖い。大所帯をまとめあげるのに、おそらく威厳が必要なのだろう。相応に指導も厳格さを増し、荒っぽくなったりもする……それが時には行き過ぎて、体罰問題へと発展したりするのだ。


 もちろん例外は存在するものの、僕がこれまで見てきたチームは大抵そんな感じだった――そして栄成は、嬉しいことにその例外に当てはまる。


 栄成の豊原監督は熱血漢でありながらも穏やかで、ユニークな人柄も魅力的。とりわけ『元JFAプレーヤー』としての確かなサッカーの実力で、自然と部員たちの尊敬を集めている。ふとボールを蹴ったりするのだが、いちいち上手いのだ。


 密かに次期監督に内定している永瀬コーチなども、やはりサッカー経験者で高い技術を持つ。それに知識量が豊富で指導力もあり、部内で厚い信頼を寄せられている。年齢が比較的近いこともあり、頼れるお兄ちゃん的存在として大いに慕われてもいる。


 だから体罰は、栄成とは無縁そうなトラブルなのだ。

 それはともかく、駒場瑞邦といえば寿輝くんの古巣である。


 全国有数の進学校から、わざわざ外部進学してまでサッカーを続ける選択をした彼のことだ。元チームメイトたちと再会するにあたり、少しでも成長した姿を見せたいと思うのは自然な流れだろう。


 だからといって、簡単にトップチームのベンチ入りできるほどうちは甘くない。


「前にも断ったが、それは無理だ。本心では俺も入れてやりたいとは思う。しかし、それを許すと他の部員に示しがつかない。お前だってわかっているだろ」


「ですよね、やっぱりダメか……」


 聞き耳を立てた感じ、寿輝くんもダメ元な感じで頭をさげているみたいだ。それほどまでに、駒場瑞邦戦でベンチ入りしたかったのだろう。


 もしかしたら、見返したい人でもいるのかも……だとしたら、気持ちはわからなくもない。


 ジュニアユース時代の元チームメイトたちの顔が、ふと僕の脳裏をよぎる。

 ああ、変な気分になってきた……僕はずいぶん久々に湧き上がりかけた嫌な気持ちにフタをして、小走りでピッチへ向かう。


 ***


「あ、寿輝くん」


「あ、兎和先輩!」


 寿輝くんと永瀬コーチのやり取りを盗み聞きした、その日の部活後。

 学校近くのコンビニに立ち寄った僕は、ドリンクコーナー前でばったり渦中の本人と出くわした。共に部活帰りでチームジャージ姿だ。


 しかも、偶然はさらに重なる。それぞれミネラルウォーターとスポドリを買って店を出ようとしたところで、今度は別の後輩と鉢合わせる。


「げっ、寿輝……兎和先輩も」


「うぇ、悠真」


 同じく栄成のチームジャージを着たこの子の名は、有村悠真(ありむら・ゆうま)くん。

 緑色のチームカラーが特徴的なJリーグアカデミー出身で、実際に能力も高いと部内で評判になっている。


 栄成に今年入ってきた新入部員の中だと、寿輝くんと有村くん、それに坂東理玖くんを含めた3人が早くも頭角を現している……と拓海くんが褒めていた。


 加えて、いま顔を突き合わせているこの2人は、以前バッチバチにやり合ったとも聞く。要するに、犬猿の仲なのである。


「そこどけ、寿輝」


「おめーがどくんだよ、悠真」


 こらこら、そんなところで睨み合わないで……案の定、自動ドアのレールを挟んで対峙する後輩たち。店員さんや他のお客さんの迷惑になるので、とりあえず僕が引っ張って駐車場の端のベンチへ移動する。


「チッ、なんで俺まで……しかも飲み物も買えてねーし」


「テメーが無駄に絡んでくるからだろ」


 僕がベンチに腰掛けるのをゴング代わりにして、いがみ合いが再開された。

 眉をしかめて舌打ちする有村くんに対し、すかさず寿輝くんが食って掛かる。


 本当に仲悪そうだね、キミたち……それでも、僕と白石(鷹昌)くんの険悪さには及ばないあたり、まだ修復の余地はありそうだけど。


「というか、なんで2人はそんなに仲悪いの?」


「いや、聞いてくださいよ兎和先輩。このアホ、進んで人の地雷を踏み抜くんです」


「そういえば、寿輝。永瀬コーチに頼み込んでたってな。そんなに駒場瑞邦戦でベンチ入りしたかったのか? 昔のお友だちに見栄を張りたい気持ちはわかるけど、それは無茶だろ」


「ほら、これですよ……悠真って、クソ性格悪いんです」


 寿輝くんが言った通り、有村くんはわざと人の地雷を踏むのが好きみたい。僕の発言も不用意だったとはいえ、狙って話を拗らせにくるのは厄介すぎる。


 もっとも、次戦のベンチ入りにこだわる理由については僕も気になっていた。なので、つい「話くらい聞くよ」なんて先輩風を吹かせてしまった。


 すると寿輝くんは隣に腰掛けつつ、「兎和先輩がそう言うなら……」と心境を打ち明けてくれた。


「別に見栄を張りたいわけじゃない……いや、そうなのかも。外部進学してサッカーを続けるって瑞邦の元チームメイトたちに伝えたとき、真っ先に返ってきたのは『裏切り者』って言葉だったんです」


 自分たちとは異なる道を選んだ寿輝くんに対し、元チームメイトたちは冷たい言葉を浴びせかけたという。


 裏切り者、ツラい勉強から逃げた堕落者、将来より目先を優先する愚か者、安易な決断に走った人生の敗者――そもそもの発端は、全中サッカー大会の決勝で敗退した後のロッカールームだった。涙を流して悔しがる彼に向け、みんな笑顔で『いい思い出ができたじゃん』と声をかけてきた。


「俺は将来Jリーガーになりたくて、サッカーも本気でやってたんです。なのに、夢を勝手に終わったことにされて……それで、頭きちゃって」


 その後も散々、『プロになるなんて無理に決まっている。くだらない夢じゃなくて現実を見ろ』などとバカにされ続けた。あまつさえ、当時恋人だった幼馴染にもあっさりフラれてしまったという。


「まあ、ざっくりいうとこんな感じっすね。元チームメイトたちは、勉強して少しでもいい大学へ進むのが、唯一価値ある人生だと考えているんですよ……サッカーなんてただの息抜き。所詮は子どもの頃の思い出つくりでしかないって」


 駒場瑞邦には付属小学校がある。そのため、幼い頃からともに『厳しい勉強を乗り越えてきた仲間』という意識が強かったのだろう。


 だからこそ、寿輝くんがわざわざ外部進学してまでサッカーを続ける道を選んだことは衝撃的だったはず……元チームメイトたちにとっては冗談としか受け取れず、自分たちが信じる価値観を裏切るような選択を認められなかったのだ。


 おまけに、幼馴染の女の子にフラれたという事実が、僕の胸にズンッと響いた。というか、もう涙をこぼす寸前だった。

 それでもぐっと感情を抑え、ツラい過去を明かしてくれた熱血サッカー少年を称える。


「寿輝くん、キミは立派だよ……折れずに、ちゃんと自分の道を進んでいる」


「いえ、ぜんぜん立派じゃないっす。悠真の言う通り、俺はただ見栄を張りたかっただけみたいなんで……」


 ベンチ入りする姿を見せることで、『自分の決断は間違ってない、理想の将来へ着実に歩みを進めている』と示し、バカにしてきた連中に一矢報いたい気持ちが強かったのだという。


 境遇が自分のジュニアユース時代と部分的に重なり、僕はとても他人事には思えなかった。


 そんな事情を抱えていたら、どうしたって駒場瑞邦戦に出たくなる。まして寿輝くんの元チームメイトたちは、超進学校ゆえに進級を待たず部を引退すると聞いた。


 プレーで見返すとしたら、機会はきっと次戦しか残されていない……だが、これを許せば良くない前例をつくってしまう。


「……くだらねえ。実力も足りないのにベンチ入りしてどうする。ただ自分が虚しいだけだろ」


「黙れ、アホ悠真……今は、しょーもないことをしたって反省してる。兎和先輩に話してよかった」


「なんにせよ、内部進学して勉強しとくのが正解だったと思うけどな。サッカーなんて、どうやっても敗者の方が圧倒的に多いんだ。どうせ『未練』を残したまま辞めるときがくる。だったら、俺みたいに気楽にやればいいのによ」


 寿輝くんは「おかげでちょっとスッキリしました」なんて笑顔を見せてくれるが、僕は何もしていない。ただ話を聞いただけだ。


 それにしても有村くん、ずいぶんと冷めたモノの見方をする。彼に関しても、ちょっと過去の自分を想起させられて困る……冷笑系みたいな感じって、将来絶対に黒歴史化するよな。


「なにが気楽に、だ。悠真こそ、サッカーに未練たらたらなんじゃねーの? 散々軽口を叩いておいて、トレーニングじゃ一切手を抜かねークセに。とっくにバレてんぞ。大方、挫折が痛くて本気でサッカーと向き合えないだけだろ」


「うっせ……青春を優先するけど、手を抜くと言った覚えはねーよ」


 有村くんは、それ以上何も言わなかった。しかしその歯切れの悪いセリフが、何かしらの葛藤を抱え込んでいる、と逆に強く物語っていた。


 そもそもJリーグアカデミー出身ならば、彼もプロを目指す同士だったはず。熾烈なチーム内競争で散々揉まれてきているだろうから、当然無傷でいられるわけがない。


 とはいえ、今すぐどうこうできるほど根は浅くないに決まっている。

 先輩として、何かしてあげられることはないだろうか――再び睨み合う後輩2人を見つめ、僕はじっと考え込むのだった。


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