当初のダリアンの目的は、クロバナの毒素を浄化できるシャノンをルロウのそばに置き、気を許してもらうこと。
それにより浄化を受け入れてくれるのではないかと考えていたそうだが、現実はそう甘くなかった。
ルロウが浄化を望んでいなくとも、シャノンの存在は特別である。
彼がシャノンから興味を失おうと、ヴァレンティーノ家が保護する対象として変わることはなかった。
「シャノン様、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、サーラさん」
ルロウが浄化を望んでいないことを聞かされた日の夜。
就寝支度を終わらせたシャノンは、寝台に腰掛けてふうっと息をついた。
昼間にあった胸のムカムカも自然と収まっている。
それからシャノンは両目を閉じて、身体中に流れる魔力の具合を確認した。
(まだ、半分くらいかぁ。当主様も、全快までもうしばらくかかるって言っていた。……これでいいのかな)
ヴァレンティーノ家に世話になるようになって、早いことにふた月以上が過ぎた。
ダリアンの目的は癒しの力にあるとはいえ、それを無事に扱えるようになるまでは、食べて寝てを繰り返すだけの日々。当主の決定なので周りは気にしていないけれど、さすがにちょっと居心地が悪い。
(でも、わたしにできることって言ったら、癒しの力ぐらい。お掃除や洗濯なら少しは手伝えるけど)
しかし、いまも一応ルロウの婚約者としているシャノンに、使用人が掃除や洗濯を任せてくれるとは思えない。ダリアンに無理を言っても、周囲に迷惑をかけるだけだ。
結局は、早く体調を万全にすることが役に立てる最前の近道なのだろう。
シャノンもそれはわかっているため、余計にため息が深くなった。
寝支度は整っているが、寝台に潜ってもまだ眠れなそうだ。
手持ち無沙汰のシャノンが手を伸ばしたのは、ドレッサーの上に置かれた装飾入れ。昼間と同じように蓋を開けて中身を取り出し、照明ランプに照らすように手で持つ。
(洋服も、飾りも、杖も、うれしかった。だけど、このリボンが一番――)
そのとき、扉のほうからカタンッ、とわずかな物音が届いた。
「サーラさん?」
最初は、少し前に部屋を出ていったサーラがなにか用事があって戻ってきたのだと思った。けれど、しばらくしても返答はなく、予想がはずれる。
シャノンはリボンを装飾入れに戻すと、寝台を下りてゆっくりと扉に近づく。
ドアノブを引いて外の様子を確かめてみたが、そこには誰もおらず薄暗い廊下が続いているだけだった。
「――……」
気のせいだったかな、と扉を閉めようとしたところで、なにやら呻くような声が細々と耳に入ってくる。
(あっちは階段……いま、少しだけ明かりがみえた)
もう一度、廊下に顔を出して確認したシャノンは、三階へ続く階段のほうで暖色の淡い光を発見した。遠くからなので確かではないけれど、数人の人影もあったように思う。
三階はルロウや双子の寝室、そしてルロウの生活圏内に必要な談話室などの部屋が用意されている。
夜とはいえ誰かが行き来していてもまったく不思議ではなかった。
それなのに、どうしても気になってしまう。
(何も無かったら、すぐに引き返そう)
胸騒ぎのような感覚が押し寄せてくる。
嫌な気配を前に、シャノンはじっとしていることができなかった。
***
壁に手を添えながら、なんとか階段を登りきる。
もう何度も来たことがある階なのに、夜の闇に包まれているというだけでなんだか別の場所に見えた。
(……。戻ろう)
嫌な感じがしたからというだけで来てしまったけれど、移動している間にそんな気配は薄れてしまった。
保護されている身で夜間に彷徨くのもよろしくないので、シャノンが早々に踵を返そうとしたときである。
「――あれ、シャノン様、ですよね?」
とん、と肩を軽く叩かれ、驚いたシャノンが振り返るとそこには歳若い少年が立っていた。
身に覚えがない。しかし、相手は自分を知っているようだ。
「あ、急にすみません! 自分、カーターといいます。ルロウ様の部下です」
「カーターさん」
確かに服装はヴァレンティーノ家の臣下らしく黒づくめではある。
「えっ、カーターでいいですいいです! こんなペーペーのオレをさん付けしないでください!」
気さくな印象のカーターは、恐れ多いと首を横に何度も振った。
あわあわと感情丸出しの大袈裟な反応に思わずクスッとしてしまう。
話によると、カーターは夜間組で動き回っていることが多かったため、これまでシャノンに会うことがなかったのだという。
シャノンも夜は部屋から出ることがなかったので、鉢合わせることもなかったのだ。
「ところで、こんなところでどうかしました? ええと、脚が悪いんですよね? 暗い場所で一人でいるなんて危ないっすよ」
カーターはちらりとシャノンの左側に目を向けながら心配そうに眉を下げた。
「それは、その」
嫌な気配がしたので来た、という説明もどうかと思い、シャノンは口を噤んだ。
すると、カーターはどう受け取ったのか、急に慌て出す。
「え、あ……も、もしかして……すみませんオレ、なんて野暮なことを。まさかシャノン様にもそうだとは思わなくて……いやいや、そういうことしなくても会いに行ったりしますよね。そうだそうだ。ルロウ様なら寝室にいると思いますから、こっちです!」
「カーター、ちょっと待っ……!」
薄暗がりの中、カーターに手を引かれるように廊下を進む。
階段からルロウの寝室はそこまで遠くはなく、すぐにたどり着いてしまった。
「では、オレはここで……!」
役目を果たしたと言わんばかりに、カーターはそそくさと来た道を引き返していった。
ルロウは自室に女性を連れ込むことが多々ある。そして、シャノンは彼の婚約者だ。きっとカーターはそっちの意味で勘違いをしたのだろう。
何にしても、カーターは最後まで人の話を聞かない少年だった。
「――」
(当主様の声……?)
ルロウの部屋の扉は、少し開いていて隙間ができていた。
中から険しい声音が聞こえてきて、シャノンは思わず耳をそばだてる。
「わざとやっているのか? ここ最近の毒素の吸収頻度を考えてみろ――お前、このままじゃすぐに死ぬぞ」