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第17話 聖女の刻印と変化




 のシャノンは、好奇心旺盛な元気の塊のような子供だった。



『シャノン、あなたはまた無茶をして……!』

『だってシスター……あの男の子たち、三人で一人の子をいじめていたの。それってとてもひどいことだわ』

『だからといって散々泣かして返り討ちにするなど、褒められたことではありませんよ』

『ちゃんと手加減はしたもの』

『そういう問題ではありません』

『……はぁい』

『おねえちゃん……ごめんなさい』


 しょぼくれる少女――シャノンの手を、さらに幼い少女が縋るように握った。

 幼い少女の顔半分は火傷の痕で覆われている。

 少年たちに虐められていたのは、それが原因のようだった。


『あなたは何も悪くないよ。ほら、こんなに可愛いお顔をしているのに。それがわからないだなんて、あの子たち人生そんしてるのね。しょうらい苦労するわ』

『どこでそのような言い回しを覚えたのかしら……』


 幼子を励ますシャノンの姿に、シスターは頬に手を当て困ったような顔をしていた。



 シャノンは、身を置く孤児院で一、二を争うほどやんちゃ者だった。


 だが、意地の悪いガキ大将というわけではない。

 同じ孤児院の仲間が泣かされたり、傷つけられそうになったとき、シャノンは脇目も振らずに反撃に出るのだ。


 シャノンが感情的に動くたびにシスターは困り果てていたが、彼女が誰よりも優しい心根をもつ子だということもしっかり理解していた。


『この子猫たち、一体どこで拾ってきたのですか?』

『大雨で川の水がいっぱい溢れちゃったときがあったでしょう? そのときお母さん猫が巻き込まれたみたいで、近くの林にこの子たちがいたの』

『人でも動物でも、困っているものを放っておけないのは、あなたの美徳ではありますが。隠して世話をするのはおやめなさい』

『はい……ごめんなさい、シスター』


 シャノンは決して多いとはいえない自身の食糧から、母猫を亡くした子猫たちに分け与え、自分のことは後回しにするような性格だった。


 喜びに心を弾ませ、許せないことには怒り、哀しいときは涙し、楽しければ笑う。


 そんな、どこにでもいる普通の少女だった。

 教会に連れて行かれるまでは。




 聖女の素質を認められた者には、聖女になるための通過儀礼がある。

 それは、心身ともにまっさらな状態にすること。

 外界のすべてを遮断して、空っぽになるところからはじまる。


 四方八方が白壁に包まれる白亜教会の最奥部で、平均して数年ほどの期間を過ごす。

 己が真っ白な状態になるまで、居続ける。

 内容は公表されていないが、それが聖女になるうえで大切なことだという。


 聖女に強い意思は不必要である。

 大きく感情を揺さぶられるのも良しとしない。感情的になれば、数々の不浄を前にする過程で、いつ心身に影響を及ぼすかわからないからだ。


 ――聖女とはなにか、民を救済する光となること。

 ――聖女とはなにか、祖・大聖女の意を継ぐ者のこと。

 ――聖女とはなにか………………

 ――聖女とはなにか…………

 ――聖女とはなにか……


 万人を癒すための慈悲の心は、意図的に植え付けられる。

 それは能動的に発生するものではなく、教えによって当たり前の振る舞いと相成る。



 首裏の印は、最奥部に足を踏み入れた日に刻印される。

 そして、晴れて通過儀礼を終えて出ることを許された者は、最奥部でのすべてを綺麗に忘れるようになっていた。


 こうして、教国に聖女は誕生していく。

 それが、ということだった。




 人は神にはなれないが、人に幻想を抱くことはたやすい。

 現にシャノンは似たような勘違いをしていたし、その認識が異質だとは思わなかった。


 彼を――ルロウを前にして恐れ多いと感じたことは多々あったが、それは単純な恐怖とは違っている。

 時おり小動物のように萎縮するシャノンの姿も、周囲には次期ヴァレンティーノ当主に対して感じる当たり前の感情だと思われていたようだが、決して怖がってはいなかった。


 まさかルロウも、大聖女へ向ける気持ちでシャノンが身構えていたとは、思いもしなかっただろう。





 ***




 目覚めたとき、ひどく懐かしい感覚がシャノンの中にあった。

 小さな頃の記憶。

 孤児院で過ごしていた頃のことを思い出したのだ。

 裕福ではなかったけれど、みんなとても温かかった。



 いつから、思い出さなくなったのだろう。

 なぜ、それ以外のことを思い出せなくなってしまったのだろう。


 あの時の子猫は、大きくなっただろうか。

 これは確かにあった、シャノンの思い出だったのに。





 翌朝、シャノンの部屋には朝早くからダリアンの姿があった。


「――ルロウを、人だと認識するようになったと言っていたな。一晩置いてみたが、些か理解し難いぞ」


 ダリアンは眉間を押さえて嘆息した。


 昨晩、シャノンの身には明らかになにかあった。

 でなければ、ルロウに向かって「神でも聖者でもなく人だったんだ」などと意味不明な発言はしないはずだ。


「結局、あのあとルロウに部屋を追い出されたわけだが……」


 悩ましげなダリアンに、シャノンは落ち着いて口を開く。

 いまの自分に言えることを、頭の中で整理しながら。


「わたしも、確実なことは言えないんですが。教国民や聖女は、大聖女という絶対的な主軸がなくてはいけない国民性なんです」

「ああ、こちらとしては扱いづらい習性だ」

「……そして、のわたしは、その縋るものを失っていました。どんなに救いを願っても、無意味だったから」

「……」

「わたしの中にあった大聖女という生きる指針は潰えてしまったんです。そんなとき、ルロウがすべてを壊してくれた。わたしは彼に救われたんだと、強く思いました」


 認識が移った、とは少し違うけれど。

 似たような感情を抱いたのは確かである。


 ルロウに恩恵を重ねてしまったのは、シャノンが信仰深い国の聖女だったからという理由も大きい。信じられなくなった信仰を、べつの存在で補おうとしていたのだ。


 そして、どういうわけか昨晩をきっかけに、その意識すらも綺麗になくなっていた。


「あの、マリーさんとサーラさんにはお願いできなかったんですけど……刻印を、確認してもらいたくて」

「見せてみろ」


 シャノンは髪を片側に流して、首裏が見えるようにする。

 そして背後に回ったダリアンは、聖女の印である刻印を確かめて目を見張った。


「どうなっていますか?」

「少し焼けて、薄くなっている……? 初めに見たときよりも、かなりだ」

「そう、なんですね」

「どういうことだ?」

「うーん……」


 昨晩、ジリジリと焼けるような激痛があった。

 昨日に限らず、思い出せば小さな違和感は何度かあったように思う。

 ただ、気にもとめない痺れや熱さだったので、痛みに耐性がついていたシャノンには気づくことができなかった。


「この刻印、彫り物に似てはいるが……それだけではなく、魔力が込められているようだ。術を施した形跡のようなものもある。お前の奇妙な変化とも関係がありそうだな」

「あるかもしれないです。わたしもまだよくわかっていないんですけど。刻印も、薄まるという話は聞いたことありませんでしたし」

「そもそも、これにはどんな意味があるんだ」


 聖女に関することのほとんどが教国の機密情報になっている。

 ダリアンもあまり期待はせずダメ元で聞いたのだが、あっさりと返答がくる。


「大聖女の額にあったとされる印なんです。聖女になる通過儀礼で教会の奥にある建物に集められて、そこで刻印されて……あれ?」

「どうした」

「いえ、あの……刻印されたあとのことが、思い出せなくて」

「なに?」

「すべて記憶にないわけじゃないんです。でも、うまく思い出せない。わたし、教会でどんなふうに過ごしていたんだろう……」


 ダリアンは顔を顰めて、ある可能性を口にした。


「洗脳に近いものを施されていた、ということはないか」

「洗脳……?」

「私が目にしたことのある教国の聖女の様子を思い返してみても、その線が濃厚な気がするが」

「この刻印が、洗脳のためのものということですか」


 ダリアンは「まだ確定では無い」と付け足すものの、そう考えれば色々と合点がいく。

 だが、それはクア教国の内部事情に深く関わることに違いない。ゆえにダリアンは、難しい表情で考え込んでしまう。


「洗脳かぁ」


 新たに発覚した可能性に、シャノンはぼんやりと呟いた。

 不可解ではあるが、あまり深刻には捉えていないのだろう。


「お前……やはり昨日の今日でどこか変わったな」


 こうして考えにふけるシャノンの姿は、まだ数ヶ月の付き合いであるダリアンが見ても、最初の頃より人間味に溢れていた。



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