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第19話 拒絶と記憶




 違った、と。

 そう呟いたルロウはのっそり体を起こした。


 密着状態から解放されたシャノンは、なかなか静まらない心音を落ち着かせるように息を吐く。


(違った……違ったって……ああ、そういうこと……)


 いつかの、ルロウにしなだれ掛かる女性の姿を思い出した。

 きっとルロウは、部屋にやってきたシャノンを"そういうことをする"女性の誰かと勘違いしたのだろう。

 居た堪れなさを感じたシャノンは、思わず黙り込んでしまう。



「女はどれも一緒だが、おまえはちがう。ただの餓鬼だ。何をする気もおきない」


 ルロウは乱暴に髪を掻きあげると、強く発した。

 いつもの無感情な声ではなく苛立ちが孕んだものだ。


「ルロウ、わたしはあなたと話をしたいと思って」

「話? どうしてだ?」

「それは……」

「おまえが、人の苦しみを放っておけない、善なる聖女だからと抜かすつもりじゃないだろうな」


 聞き入れる気のないルロウが嘲笑を浮かべる。そうしている間にも、彼から伝わってくる不浄の気配はさらに禍々しく、濃くなっているのがわかった。


「……もしかして、今日も毒素の吸収を?」


 聞いたところでルロウは何も答えなかった。ただ、何事もないように視線を空中へ投げるだけ。

 どう言葉をかけようかと悩んでいたシャノンだが、相変わらずな様子に頭がふっと軽くなる感覚がする。改めて自分がやらなければいけないことが明確になった気がしたのである。


「毒素、浄化させてください」

「……」

「ルロウ、お願いします」

「一つ、おまえは勘違いをしている」


 黙りを決め込んでいたルロウは、腹の底から響かせた低い声音でシャノンに重々しく告げた。


「たとえ当主の言い分でも、おれは目障りなやつをいつまでも近くに置くほど温厚な性格はしていない」


 この意味がわかるか? と、ルロウは口端を軽く釣り上げながらシャノンを見る。

 ぞわりと悪寒が身体中を駆け抜け、それが殺気だと気づいたときには、ルロウの指先はシャノンの首筋すれすれを触れていた。


 耳触りの良い言葉を並べても、彼の心に訴えかけることはできない。

 シャノンは思案を深める。

 どうすれば、ルロウに伝えることができるのだろう。


「それが聖女の性質だろうと、おれにはどうでもいいことだ。そしてよく考えて行動したほうがいい。でないとおまえの首は」


 ふと、糸が切れるように。

 頭で考えるよりも先に言葉が出てしまっていた。


「聖女、聖女、聖女って……好きで聖女になったわけじゃない! わたしがルロウの浄化をしたいのは、わたしにとって特別なあなたが、苦しんでいるところを見るのがいやだから! 今さら聖女の意志なんてどうでもいいし、むしろ聖女なんてクソ喰らえなんですよっ!!」


 まとまりきっていない気持ちが溢れだし、爆発するように発散される。

 予想外のあまりルロウはぱちぱちと瞬きを落とし、そしてシャノンも自分の発言に驚いて瞬きを繰り返した。


「あれ、わたし、いま……」

「ふ、ははは。聖女を、クソ喰らえだと? とんでもない、餓鬼、だな……」

「あっ、ルロウ!?」


 突然、ルロウは寝台に倒れ込んだ。

 彼の体のこわばりが薄れた瞬間、ふつふつと黒い斑点のようなものがルロウの肌に表れ始める。


(毒素が、もう体内に抑えきれないほどになっているんだわ)


 血の気が引いた彼の姿に、シャノンは一刻の猶予もないことを悟る。

 シャノンは急いでルロウの手を握った。

 まぶたを閉じて祈りを込め、体内の魔力の動き、相手の鼓動を読みとって、願うようにささやく。



「――癒しよ、安らぎよ、かの者に祝福を」



 教会の聖女であった頃は、疑問なんてなく口にしていた言葉。だけど今は、祝福ほど曖昧で都合の良い言葉はないと思った。


 そう思いながらも、シャノンは強く願う。



「ルロウ――」


 シャノンは寝台に乗り上げると、彼の額に唇を寄せた。




 ***




 癒しの力を施したとき、シャノンは相手の記憶を見ることができた。

 不浄を祓うことは精神に深く作用する力でもあり、ほかの聖女たちも片鱗を読み取ることはできていた。けれど、その中でもシャノンの共感覚の力は凄まじいものだった。


 相手の人生のすべてを覗けるわけではない。それでも、深く胸に残る記憶ほど、シャノンには感じやすく鮮明な情景として浮かんだ。



『おい餓鬼。お前、帝国の人間なんだってな。よそ者が暮らしていけるほど、この暗黒街は甘くねぇんだよ』

『おい、坊主。あのお高くとまったヴァレンティーノの人間って言うじゃないか。オレはお前らの一族にひでえ目に遭わされたんだ』

『恨むなら、こんな場所にお前を捨てた親を恨むことだな!』


 それはルロウの記憶だった。

 最初に見えたのは、帝国から西華国に来たばかりの頃のもの。

 大勢の大人たちが小さなルロウを囲んで暴力を振るっていた。傷の上からさらに傷をつけ、何度も何度も、蹴り殴りを繰り返す。


 次第に古傷から蛆が沸き、それでも薬を買うお金がないルロウは、クロバナの根が蔓延る川に潜って腐敗を凌いだ。


 なぜ自分が虐げられているのか、ルロウにはわからなかった。

 周りの大人たちは『ヴァレンティーノの人間だから』という。しかしルロウは、ヴァレンティーノがなんなのかすらわからなかった。


 暴力を受けるたびに、何度も死の狭間に沈んだ。けれど、死ぬことはできなかった。

 そしてある時、ルロウは気がついた。

 いくら殴られても、痛みが感じないことに。


 それだけじゃない。

 暑さも、寒さも、わからない。

 人の温度がわからない、舌に触れた物の味がわからない。

 いつの間にかルロウは、人としてあるべきものが欠けてしまっていた。


 だが、不思議なことに感覚が冴える瞬間というのがまだあった。

 それはルロウが自分で勝手に習得した毒素の吸収を行ったときである。


 毒素を吸収し、体内に留めたとき。ルロウの感覚は壊れる以前のように冴え渡っていた。

 毒素の濃度が濃ければ濃いほど、吸収時の衝撃によって、ルロウは人らしい感覚を取り戻すことができていたのだ。


 だが、反動は常にあった。

 闇使いが毒素を吸収する際、人によって様々な症状が出る。


 ルロウの場合、際立って出たのは暴力性と支配力だった。

 暴力性は好き勝手暴れることで解消し、支配力は女を組み敷くことで治まった。


 治まると、また、人の感覚が遠のいていく。

 気が遠くなり生と死の区別がつかなくなる前に、再び毒素を吸収する。そのたびに暴力性と支配力が顔を出す、治める。その繰り返しだった。




 そうして体はイカれたまま、十五歳になったルロウは、ヴァレンティーノの当主だと名乗る男に出会った。


『ようやく見つけた。帰ろう、お前の居るべき場所に』


 身なりの良い男はダリアンといった。

 ルロウは思った。これが噂の、ヴァレンティーノの人間か、と。


 ダリアンはルロウがなぜ西華国に連れられていたのかという理由を説明した。

 よくある覇権争い。それに巻き込まれたルロウの父親は死に、妻と子だけでも一時的に外に逃がそうと、父親は二人を西華国へ送った。

 だが、母親は西華国に着いてすぐに暗黒街の男どもの餌食となり、何も分からないままの幼いルロウだけが残った。



 ああ、なんて不幸で滑稽な、どうでもいい生い立ちだろう。


 自分の過去を聞いて感傷に浸る心など、ルロウは持ち合わせていなかった。




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