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第20話 涙とぬくもり



 癒しの力による浄化はうまくいっていた。

 おぞましくルロウの肌を覆いつつあった黒い斑点も、一定の時間が過ぎると勢いが弱まり消えていった。


 最初に額を通して魔力を吹き込んだのが効いたのだろう。あとは状態が落ち着くまで手を通して浄化をすれば、ひとまず危機は脱せるはずだ。



「ルロウ……」


 シャノンは記憶を通じてルロウの過去を知ってしまった。

 幼い子供が痛めつけられる姿を思い出すと、頬に涙が伝う。


「おい、ルロウ!」


 その時、部屋の扉が騒々しく開かれる。血相を変えた声はダリアンのもので、寝台にいるシャノンとルロウを見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。


「嫌な気配を感じて来てみれば、これは一体……」

「フェイロウ〜?」

「シャノン、浄化してるの……?」


 二人を心配した双子もダリアンと一緒に来たようで、恐る恐るシャノンの背後から横たわったルロウを見つめた。


「さっき、ルロウが突然倒れたんです。黒い斑点がたくさん出てきて、もう時間がないと思って浄化に入りました」


 説明の合間にすん、とシャノンは鼻をすする。それに気がついたハオは、労わるように問いかけた。


「シャノン、どうして泣いてるの? 浄化、大変? 苦しいの?」

「わたしは大丈夫だよ。でも、ルロウの小さな体があんなに傷つけられて、何年も、ずっと」

「……!」


 聖女が記憶を覗き見ることができることを、ダリアンは知っていたのだろうか。

 双子が首を傾げる横で、彼だけはハッと気づいた素振りをしていた。


(どうして負担をかけてまで、毒素を吸収し続けていたのか。やっとわかった。そうしないと、保っていられなかったからなんだ)


 ルロウは言っていた。死んだように生き続ける意味がない、と。どうしてそう思うのかと疑問を持ったシャノンだが、彼の境遇を思うと悲しくて涙が出た。

 同情とは違う。ただ、胸が痛くて、悲しくて堪らない。



 教国の聖女は決して泣かない。民の傷付いた心を前に憂うことはあっても、本気で感情に流されていては務まらないと教えられるからだ。

 もうシャノンは、癒しの力を持っていても、聖女という枠組みから外れた存在になっていた。


 声を荒らげて言葉を伝えるようになった。過去を覗いて涙を流すようになった。

 教会を追放されたときのような、空っぽなままの聖女ではない。


 シャノンは、シャノンという一人の人間として、感情に左右されることができるようになった。




 ***




 ルロウが目を覚ましたのは、夜が明ける少し前のことだった。


「……?」


 一睡もせずルロウを浄化し続けていたシャノンは、繋いだ手がぴくっと反応したことに、表情を明るくさせる。


「ルロウっ、気がつきましたか?」

「……」

「いま、ハオとヨキがいつ目覚めてもいいように飲み物の準備をしてくれています。当主様もずっと付いてくれていたんですが、今は少し席を外していて」

「……手」

「え?」

「手を、握られている気がする」

「それは……浄化中だからです。あ、覚えていますか? ルロウ、急に倒れたんです。そのあとすぐに浄化を――」


 言葉の途中、ルロウは自分の片手を確かめるように上へ持ちあげた。

 そして、シャノンに握られた手をしっかり確認すると不思議そうな顔をし、にぎにぎ、と強弱を付け動かし始める。


「毒素を吸収した直後でもないのに、肌の温もりを感じるのは、なぜだ?」

「……! それって」

「この手、そうだこの手だ。随分昔の夢を見ていたようだが、常におれの手を引く感触があった。おまけに、汚く鼻をすする音も」


 ルロウがぼんやりと思い出しているのは、シャノンが覗き見た記憶の夢に違いない。

 ただ、一つ違っているのは、シャノンが変に介入してしまっていたということである。


「は、おかげで早々とくだらん夢から退散できたようだが……」


 まだ、意識が定まっていないのだろう。

 ふわふわと夢と現実の狭間にいるような雰囲気のルロウの手をぎゅっと握り、シャノンは目を細める。


「ルロウに一つ、お願いが」

「……?」

「あなたの言葉を聞かずに浄化してしまいましたけど、わたしのこと、殺さないでくださいね」


 シャノンは笑った。

 少し冗談混じりに、眉を小さく下げて。


 まるで、春の花が咲くような、今までに見たこともない顔をして。


「――シャノン」


 ルロウが名前を囁いた瞬間、ぐらりとシャノンの体が傾いた。

 自力で体勢を立て直すこともなく、そのまま床へと落ちていく。


「……!」


 本調子じゃない体ながら、咄嗟にシャノンの腕を掴み抱き寄せたルロウは、目を見張ってその頬に手を添えた。


「熱い」


 全回復していないのにたくさんの魔力を使った結果である。

 長時間に渡り癒しの力を行使していた体が限界を迎えるのは、シャノンも覚悟していたことだった。




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