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第22話 目覚め




 記憶というのは不思議なもので、どんなに古くても完全に消えることはなく、頭はすべて覚えているものらしい。ただ、上手いこと表に引き出すことができずほとんどがいつまでも眠っている。

 それがいわゆる、欠落や思い出せない状態に陥っているのだという。


 シャノンには、この思い出せない状態が人よりも多く、必然的に強いられていた。シャノンだけではない。おそらくクア教国の聖女は、都合の良いように記憶操作や欠如ができるよう、刻印によって制御されていたのだろう。


 どうしてそんなことが分かるようになったのかといえば、シャノンは倒れてからというもの「記憶返り」というものを身をもって体験していたからである。



(刻印で記憶を制御するのも納得ね。あまり表沙汰には出来そうにない儀式ばかりしていたんだから)


 教会の最深部で通過儀礼が行われるまでの長い間、聖女になるため、聖女とはなにか、聖女のすべてを説くまでに、様々な儀が催される。


 そのひとつが、血犠牲の儀式。

 一年に一度、教会内部でおこなわれる貢ぎの儀式のこと。始祖大聖女の最期、世の不浄の一身に背負った代償により身が穢れて消滅したと伝えられている。その大聖女を称えること、謝意を表すこと、大聖女の恩恵、力が未来永劫に途切れることがないように開かれる儀が、血犠牲の儀式である。

 儀式の日は、多くの動物の頭が並べられる。血抜きがされていない、切ったままの状態のものだ。

 それを教会総出で御正体に捧げ祈ることで、癒しの力は途絶えることなく享受できるとされていた。

 聞こえはいいが、要するに動物の血を贄にして捧げるので、全く綺麗なものじゃない。そういった儀式が最深部ではよくされていた。ゆえに通過儀礼の時、首裏に印を刻むことでそれらの記憶を封じ、無の状態で聖女となるのだ。


 そうして少しずつ、意識の外にあった様々な記憶が、シャノンの元に戻ってきている。



 次に思い出したのは、クア教国で追っ手から逃げ出したときのことだ。

 馬車を降りて近くの運河に飛び込んだシャノンは、奇跡的に岸までたどり着いた。近くにはぽつんと民家があり、周辺の寂れた様子を見るに、国境沿いまで流れてきたのが分かった。

 空腹で立ち上がることができなかったシャノンは、近くに転がり落ちていた赤い実に手を伸ばした。意識が朦朧としており当時は赤い実に見えたそれは――赤黒いクロバナの種だった。


 それでも飢えを凌ぐことで頭がいっぱいだったシャノンは、それがクロバナの種であることに気づかないまま食べてしまう。

 途端に襲ったのは想像を絶する痛みだった。シャノンは悲鳴すらあげられないままもがき苦しみ、生死をさまよった。

 いくら聖女といえど、クロバナの毒素を体に含むのは自殺行為である。シャノンは三日三晩その痛みに耐え続け、そして、生還した。


 理屈を紐解くほどシャノンは毒素について詳しいわけではない。けれど、単なる想像ではあるが、この時からシャノンの体には毒素の抗体ができていたのかもしれない。

 その証拠に、辺境までシャノンを捕まえようとやってきた追っ手の目をかいくぐり、意識を朦朧とさせながら聳えるクロバナの蔦の前に立ったシャノンは、手をかざすだけで長年誰もが果たせずにいたことを、国と国を阻んでいた蔦の中を通り抜けることができたのだった。



『いいか。なりたくないなら、反抗せず言うことを聞け。力を使え、でないとお前も――』


 次は、見世物小屋での記憶だ。

 自覚はなかったが、この数年の記憶も所々欠落していた部分があったらしい。


 目の前には、齢十二ほどの少女がいた。

 その頃のシャノンと同じ年頃。シャノンは檻の中から少女の姿を見つめている。少女は、歪な笑みを浮かべる肥太った男に手を引かれて見世物小屋を出ていった。




 ***




 親子ほどの年の差がある少女を金で買い、その後にどんな地獄が待っているのかを、シャノンはあの見世物小屋で知った。

 皆、シャノンと同じ歳だった。そして体が徐々に女性らしくなるに連れて、居なくなっていった。


 あの子は、どうしているんだろう。

 それが分からないほどシャノンは無知な子供ではない。でも、考えてしまう、抵抗も虚しく連れられ、絶望に染まった少女たちの顔が。頭から、離れない。


 どうして、どうして、どうして。

 あの頃の自分は、平然と見送ってしまったのだろうか。


「……」

「――え? ルロウ?」


 そう思いながら目を開いた途端、視界に飛び込んできたのは、シャノンの顔をじいっと見下ろしているルロウの美しい顔だった。

 言葉を発さずにこちらを見つめてくるので、状況がいまいち分かっていないシャノンも同じようにルロウを見つめ返した。不思議と、ほっとしたような安堵の心地に包まれる。


「ルロウ……ここは……えっと、わたしは…………」

「起き上がるな、寝ておけ」


 上体を起こそうとするシャノンをすぐさま制したルロウは、椅子から立ち上がると、背を向けて部屋を出ていった。


 数十秒後、息を切らしたハオとヨキが揃って駆け込んでくる。どうやらルロウが呼びに行ったようだ。



「シャノン!」

「シャノン〜!」


 双子の目には、涙が浮かんでいた。


「ハオ、ヨキ――」


 いまだに自分の状態が理解できないまま、シャノンが名前を呼ぶと、双子は寝台に飛び乗ってきそうな勢いで駆けてくる。


「おまえたち、目覚めて早々に殺す気か?」

「ぐえーっ」

「いたっ」


 呆れた様子でため息をつくルロウは、ハオとヨキの首根っこを掴んで動きを止めた。

 双子はルロウを振り返りながら、ぷりぷりと怒っている。


「だってフェイロウ、やっと起きたんだよ〜」

「一ヶ月も目が覚めなかったのにっ」

「……え、一ヶ月?」


 今さらシャノンは、自分の声のかすれ具合に気がついた。

 おそるおそる自分の手首を確認してみると、せっかく肉がついてきていたはずなのに、小枝のような細さに逆戻りしていた。


(わたし、そんなに眠っていたの……)


 それから遅れてダリアンが飛んできて、改めてシャノンは一ヶ月もの間、意識を失っていたことを説明された。



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