せっかく一人でも動けるようになってきたのに、しばらくは寝台から離れられない生活が続きそうだ。
それでも浄化によって明らかにルロウから不浄の気配が消えていることがシャノンは嬉しかった。
もう彼は大丈夫。もちろん、また毒素を吸い続ければ話は変わってくるが、それでもしばらくは健康的に過ごせるだろう。
朗報はもうひとつ。どうやらルロウは、欠けていた感覚が癒しの力の影響で戻ったようである。
つまり、感覚を取り戻そうとして毒素を無闇に吸収しなくてもよくなり、暴力性や支配欲も抑えられるということだった。
「全部全部、シャノンのおかげだよ〜」
「本当にありがとう」
毒素を吸収したときのルロウの症状について、双子は把握していたようだ。目覚めてからというもの、何度もお礼を言ってくるハオとヨキの姿に、二人もずっと心配していたことなんだろうなとシャノンは思った。
それでもひとつ、気がかりなことがあるとすれば――
「それじゃあ、ちょっと出かけてくるから」
「シャノンはフェイロウと一緒にいてね〜」
シャノンに昼食を運んできた双子は、元気よく手を振って部屋を出ていく。前々からシャノンに引っ付いていた二人だが、くだんの件があってからさらに好意的になった。
それはシャノンにとっても嬉しいことなのだが……。
「……あの」
「なんだ」
「ルロウは、一緒に行かなくていいんですか?」
「わざわざおれが動かなくとも、あいつらで事足りる」
「そう、ですよね」
それもそうかとから笑いを浮かべれば、ルロウは珍しいものでも見るようにシャノンを見据える。
(ルロウ……どうしてずっとここにいるんだろう)
ここ数日、朝起きてしばらくするとルロウはシャノンの部屋に訪れて居座っていた。ときには難しそうな書類に目を向け、ハオとヨキを通して部下らへ指示を出し、暇があるとシャノンの部屋にある童話本を眺めて過ごしていた。
双子から聞いた話だが、ルロウはシャノンが目覚めるまでの間、ほとんどの時間をこの部屋で費やしていたらしい。二人は「シャノンが心配だったんだよ!」と嬉々として言っていたが、はたして本当にそうなのだろうか。
つまらないと興味を無くされ、それから浄化をさせてくれと押しかけ、挙句には緊急事態だからと強引に浄化を行使したのだ。
うまく良い方向へ進んだとはいえ、状態が改善されたのはあくまでも結果論だ。内心ルロウはいつ殺してやろうかと機会を窺っているのではないか、さすがにそこまではしないか、なんて考えがひたすら頭の中をぐるぐると回っていた。
「食べないのか」
「……?」
「それとも、冷めきったものが好みか?」
シャノンの手には、双子が持ってきてくれた粥が入った容器がある。まだ移動が難しいので寝台に入ったまま食事をしているのだが、ルロウはいつまでも口をつけないシャノンを不思議に思ったらしい。
「いえ、食べます……いただきます」
シャノンは急いで消化に良さそうな薬膳粥をスプーンで掬う。
その様子もルロウは穴が空くほど見つめてくるものだから、口へ運ぶ前に手元が狂ってスプーンが床に転がった。
「あ……っ」
「……」
少量の粥が床の絨毯に飛び散り、シャノンはヒヤッと青ざめる。ルロウは無表情だったが、分かりやすく眉だけは顰めていた。
シャノンはいそいそと毛布を捲りスプーンを拾おうとするが、それを止めたのは他でもないルロウである。
「動くな」
ルロウはたっぷりと余裕のある仕草で椅子を離れると、屈んでスプーンを手に取った。
手元のスプーンと容器を交互に見たあとで、ルロウはさらっととんでもないことを言う。
「食事もままならないなら、また、しばらく口移しをしてやろうか」
「……口移し? 誰がです?」
「おれが、おまえに」
「ルロウが、わたしに……。な、何を言っているんですかっ」
「なぜ、照れているんだ。このひと月そうしていただろう。……嗚呼、おまえは意識を失っていたな」
大した問題ではないように、ルロウは素知らぬ顔で淡々と告げている。しかしシャノンにはかなり衝撃な内容だったため、口をぱくぱくと動かして顔を赤くさせた。
その変化に、ルロウは首を傾げる。
「おまえ、そのような顔もできるようになったのか」
この一ヶ月、シャノンの中で「記憶返り」が起こっていたことは、ルロウとダリアン、そして双子だけが把握していた。
刻印もより薄くなっており、完全ではなくても効力がどんどん失われていっているんだろう。
最初の頃に比べてシャノンが見違えるくらい感情的になったのを見れば、やっぱりそれが一番納得がいく理由だと、シャノンの思っている。
ルロウも、それは知っているのだ。
それなのに意外そうな顔をするので、シャノンは自分がどんな顔をしているのかとても気になってしまった。
「わたし、一体どんな顔をして……?」
「雌の顔」
「め……!?」
とんでもない発言を落としたルロウは、そのままスプーンを持って部屋からいなくなる。替えのものを持ってきてくれているのだろうが、それ自体今までならありえないことだった。