魔力の回復までまだしばらくかかるが、いつまでも寝台で寝たきりではいけないということで、シャノンは少しずつ屋敷を動き回ったり、中庭で過ごすようにもなった。
……とはいっても、まだ自分の足で歩いているわけではない。
シャノンが目覚めてから日が経ち――今日は風に当たるため、中庭まで来てきた。
「あの、今日、ハオとヨキは……」
「外に出ているが、なぜ、何かと双子を気にする?」
「前までは二人がよく付き添ってくれていましたから、ちょっと気になって」
「……おれでは不服か?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
耳元近くでルロウの声が響くたび、シャノンは落ち着かなくて仕方がなかった。
中庭に降りるためルロウに抱えられるのは今に始まったことじゃない。でも、何度経験したところで慣れそうにない。
「ほら、おとなしく座っていろ」
「ありがとうございます」
ルロウは中庭に備え付けてある椅子にシャノンを降ろす。淡白で乱暴な言葉とは違って衝撃が一切こないよう配慮がされていた。
実年齢よりも数段幼く、発育が乏しいシャノンを持ち上げることなどルロウからしてみれば造作もないことだろう。双子が二人で担いでくれるときより安定しているし、移動もスムーズではある。
しかし、一体どこにヴァレンティーノの次期当主を移動の足として使う人間がいるのだろう。……まあ、ここにいるわけなのだが。
甲斐甲斐しく、という表現は似つかわしくなく当てはまらないが、ルロウのシャノンに対する行動は、それとほぼ大差ないものだった。
(今日こそ、聞いてみよう)
いつも何かとタイミングを逃していたが、シャノンはずっと気になっていたことを口にした。
「ルロウはわたしのこと、殺したいとは、もう考えてはいないんですか……?」
「…………は?」
シャノンに背を向けて立っていたルロウは、小さく声を漏らしてこちらを振り返った。
細く綺麗な白金色の髪が風に吹かれ、その光景が妙にシャノンの目に焼き付く。
「どこに、殺そうと考えているやつを、ご丁寧に運んでやる馬鹿がいるんだ」
真紅の瞳が訝しげに揺れ、それでいて気配から困惑しているのが伝わってきた。それほどルロウにとってシャノンの質問は理解の範疇の外にあったのか、見たこともない驚き方をしている。
「だけど……元々ルロウは、わたしが目障りだったんですよね? それは、倒れる前に聞いたので分かっています。そんなわたしのそばにいつもいてくれて、それどころか運んでくれていることが、どうしてなのか分からなくて」
「…………」
黙って聞いていたルロウは短くため息を吐くと、シャノンの元に歩を進めた。
シャノンの体に大きな影が落ちる。見上げるよりも早く、シャノンと視線を合わせようとしたルロウがその場に跪いた。
「殺さない」
その一言が、驚くほど優しい響きに聞こえた。
内容は物騒なのに張り詰めたものは一切なく、どこまでも穏やかな空気を前に、肩の力が抜けていく。
「シャノン。おれはもう、おまえを殺そうとすることはない」
「……」
「悪かった」
真っ直ぐ向けてくる瞳が真摯に告げてくる。
「ルロウ――」
さわ、さわ、と暖かい風が中庭に吹き込み、陽射しに照らされたシャノンの髪が柔らかな茶色に色を変えた。
風がいたずらに髪を乱そうと吹き、シャノンの視界を遮るように靡く。ルロウは手を伸ばし器用に髪を横に避け、その指先がシャノンの頬に触れた。
「おまえは、イカれたおれをいくらかマシな人間に戻してくれた。こうして人の体温を感じられるほどに」
シャノンの頬の温度を探るように、ルロウの指がわずかに動く。くすぐったさに身動ぎをすれば、その手はシャノンから離れていった。
「シャノン、礼を――いや、この国の作法に則るならば、こちらのほうが誠意を伝えられそうか」
ルロウはすっかり気の抜けたシャノンの手を取ると、触れるか触れない程度の距離で、手の甲に唇を寄せた。
ラーゲルレーグ帝国での手の甲への口付けは、男性が女性に対して送る最大限の謝意と敬意という意味が込められている。
華衣を身に纏うルロウが帝国風の作法を完璧にこなす姿は、一見アンバランスなように見えて、しっくりと決まっていた。
「わたしを先に助けてくれたのは、ルロウです。わたしも感謝しています。あなたに助けられたから、わたしは外に出ることができました。だから、今回のことはもうお相子です」
手の甲の口付けが照れくさくて、気がつけばシャノンはそんなことを言っていた。もちろん本心なので取り消すつもりはなく、それよりも初めてルロウと心穏やかに会話ができていることに内心感動していた。
『……まぶしいな』
瞳を細めたルロウは、すっかり笑顔が板に付いてきたシャノンに向けて、無意識に決して伝わらない独り言をこぼした。