その日、いつも通りの時間に起床したシャノンには、おかしな違和感があった。
頭の奥がずっしりと重く感じて、なにやら臍の下あたりからツキツキと刺すような痛みがある。
おそるおそる毛布を剥ぎ――それを目にしたシャノンの顔は真っ青になった。
「シャノン様、おはようございます」
「ま、待って……!」
今朝の身支度担当であるマリーの入室に慌てて止めようとするが遅かった。
すでに起きていたシャノンに向かって笑みを浮かべていたマリーは、シャノンの寝台に目をやると「あっ」と声を出す。
「シャノン様、もしかして……」
マリーは素早く察した様子だったが、シャノンには未知のことだった。
自分の体の異変が分からず混乱していると、マリーはにこにこと微笑みながら言った。
「おめでとうございます、シャノン様。
「月の、巡り?」
それは、シャノンが目覚めて約二ヶ月後の出来事だった。
***
シャノンは月の巡りというものを詳しく知らなかった。
けれど、マリーから説明を受け理解すると、孤児院時代のシスターの顔が思い浮かんだ。
朧気だが、だいぶ昔にシスターから軽く教えられたような気がする。お腹を押えて辛そうにしてるところを見かけ、心配になって聞いてみたことがあったのだ。
「初めての月の巡りで驚かれたでしょう。個人差はありますが、だいたい三日から七日ほど今の状態が続きますので、お辛かったら無理せず横になっていてくださいね」
マリーも、そのあと部屋にやってきたサーラも、実に慣れた様子で寝台を整え、身支度も済ませてくれた。
戸惑うシャノンにとても分かりやすく丁寧に教えてくれたので、混乱することなく自分の状態を知ることができた。
「女性は皆が通る道なのですよ。いつの日かお腹に赤ん坊を宿らせるための準備を始めてくれているのです。帝国貴族の子女ですと、密やかに実母や乳母からお祝いのプレゼントを送られることも多いようです」
「平民間ですと、その日の食事はいつもより豪華になりますね」
「へえ……」
自分の身に起こっていることだというのに、まだ現実味がなくてぼんやりとした返事をしてしまう。
月の巡りが始まると、徐々に女性らしい体つきに変わっていくという話だが、それは本当に自分にも当てはまるのか気になった。
気になったので――シャノンは自分の事情を知る人物に聞いてみることにした。
「月の巡りか。そうか。そんな見た目だが、お前も15歳だから始まっていてなんら不思議じゃないな」
もちろん尋ねる相手はダリアンだ。
マリーやサーラの反応を見るに、あまり公に話したり男性に話す内容ではないものだと思っていたが、ダリアンは実にあっさりしている。
シャノンが拍子抜けしていると、ダリアンは考えを読み取ったのか鼻で笑った。
「いまだに古臭い国の教えでは、月の巡りは穢れや不浄だと言われているがな。生命の誕生に欠けてはならない大事な身体の変化だ。クア教国のような国とは理解の度が違う」
もはや古臭い国がどこなのか言ってしまっているようなものだが、これなら話は早いと話を進めた。
「マリーさんとサーラさんが言っていました。月の巡りがくると、体つきが大人の女性のようになっていくと。だけどそれは、普通の人の場合で、わたしは……」
数年前の過酷な日々や栄養不足ですっかり痩せてしまったシャノンは、実年齢が15歳だが、見た目はまさに子供のようである。
15歳も立派な大人とはいえない年齢だが、シャノンの場合は幼すぎるのだ。
しかしそれは、今まで月の巡りがきていなかったから成長が乏しかったという理由では決してない。シャノンが子供のような体なのは、教会の施しが関係しているのだ。
「シャノン、初めてこの屋敷で目覚めたときにした会話を覚えているか? お前に年齢を聞いたことがあっただろ」
「はい、覚えています」
あの頃、ダリアンはシャノンが15歳と聞いて、「多く見積もっても12やそこらだろう」と言っていた。
「私があのとき感じていたのは、公務を行うクア教国の聖女は皆揃って小柄な印象だったということだ。ローブで姿や顔は隠せても身長を偽るのは手間がかかる。かといって聖女全員が背の低い女性というのも考えにくい。ならば、教国は聖女の成熟期を何らかの方法で止めているのでは、とな」
「――……あ」
「心当たりがあるだろう?」
シャノンはこくりと頷き、首裏の刻印に手を伸ばした。
おそらく一つは、この刻印である。
焼け跡も薄くなって、もう本当に微かな印しか残っていないが、公務を行う聖女に共通するひとつがこれだ。
そして、思い当たるのがもうひとつ、口にしていた物である。
クア教国の聖女は教会で寝起きし暮らしている。
食事はすべて管理され、許可されたものでないと食べられない決まりになっている。
シャノンが思い浮かべたのは、起床後すぐに飲まされていた薄緑色の透明な液体。一日の始まりである「暁光の祈祷」をする前に必ず飲まされていたものである。
あの頃は特にそれが何なのかも興味はなく、与えられたから飲んでいた。が、あれを飲まされていたのは聖女だけだったのだ。
「クア教国が月の巡りも穢れだと言うような風習ならば納得だ。癒しの力を最大限に引き出すために成長を止めていたとしても不思議じゃない」
「……」
離れてみてやっと分かる異常さ。しかし、そうすることで聖女が誕生する国の威厳を保ってきたのだろう。
「それで、お前が気にしていたのは、自分の体も本当に成長するのか、だったな」
「はい」
「お前が教会を追放され見世物小屋にいた期間と、ヴァレンティーノにやってきてからの食事や生活内容を含め、今の健康状態を照らし合わせると……その薬の効力も切れ始めていると考えられる。クロバナの種を食べたことで影響が出ないとも言えないが、現に月の巡りが始まったんだ。しっかり体は成長している」
それを聞いてシャノンはほっとした。
薄っぺらな体が嫌だというわけではないけれど、成長しないことが、いつまでも自分の時間を止められているような気がして恐ろしかったから。
少しずつでも前に進んでいるのだと分かって嬉しくなった。
徐々に体が変化していく戸惑いと、くすぐったい喜びに震えるシャノンは、誰がどう見ても年頃の女の子そのものだった。
(……あ、でも今日は三階でみんなとティータイムがあるんだった。お腹もすごく痛いわけじゃないし、参加したいな)
ちなみに、月の巡りは会って数秒でルロウに見破られ、シャノンの顔色の悪さに顔を顰めるやいなや、「寝てろ」と有無を言わさず寝台に押し込まれた。