フジ山麓の森林の迂回路を通り過ぎると、王都への道程は直線だけの単調なものとなる。一カ月近い日数はかかるが、近隣に森林や山は無く、魔獣に襲われる危険性は無い。
「すいませんでした……」
「い、命だけはどうか……」
魔獣がいない代わり、野盗や盗賊はいる。魔獣の存在が、こういった蛮族を遠ざける要素になっている。
光一含めた領主一行にも盗賊が襲い掛かったのだが、衛兵いるし、ルビエラいるし、一方的に返り討ちにした。
「そんな貧相な装備と数的不利があって、よく襲い掛かろうと思ったわね……」
呆れたようにルビエラが言う。その言葉の通り、ボロボロの皮装備、刃毀れし過ぎて刃物として機能を失ってそうな剣、護衛についている衛兵の半分以下の人数。ルビエラが対処に出向いたのは、むしろ大人気なかったかもしれない。
「相手を選んでいたら、飯を食いっぱぐれるんだ」
「金だって無いし……」
「腹減ったし……」
口々に、襲い掛かった理由を述べる盗賊たち。盗賊界隈も世知辛いようだ。
(まともに働けばいいのに……。ニートとどっちがマシだろう……)
馬車の中から様子を伺っていた光一は、シミジミと考える。転生前の世界でも、過去かもしれないけれど、ニートは社会問題だった。それは、この世界でも同じらしい。
捕らえた盗賊を縛り上げ、地面の上に転がす。連れて行くにも、乗せるスペースが無い。
「ちょっと待ってくれよ。せめて、縄だけでも解いてくれよ。あ、足のさぁ!」
「いやよ」
置いていかれる事を察した盗賊たちは慈悲を請うが、ルビエラに拒否され、盗賊は拘束されたまま、置いていかれることになった。
「盗賊なんているんだね。タカラベ村出てから初めて見た」
「そりゃね、タカラベ村周辺は『山の獣』の縄張りだし、盗賊なんて駆逐されるわよ」
「あー、確かに、強かったなー『山の獣』。今でも勝てないだろうなー」
光一が何気なく言った言葉に、ルビエラは吹き出しながら笑う。何か、変なこと言ったかなと考える光一を余所に、ルビエラは一頻り笑う。
涙を拭い、息を整え、ルビエラが言う。
「あのね、『山の獣』は私よりも強いのよ。あなた達に襲い掛かったのは、群れの下っ端よ」
「え、お母さんより強い……ってか、下っ端? 群れ?」
「ええ、私たちは『山の獣』って呼んでるけれど、群れで生活する肉食動物よ。年を経るごとに魔力を溜め込み、力を増していく厄介な特性を持ってるのよ。長老は私より強いし、その取り巻きだって魔王より強いわよ」
「え、えぇ~……マジで……?」
「人間が勝つのは無理よ」
いつか、「山の獣」へのリベンジを果たすつもりでいた光一だが、ルビエラの言葉を聞いて諦めた。今、この瞬間も強くなっているのだろうか。勝てるわけが無い。
将来的には、村に帰って、農業でもやろうかなと考える光一だった。勇者なんてやるつもりは無い。
光一が持っている3つのスキルは、光一が発動を意識した時のみ、その効果を発揮する。発動を意識することが、スキルのスイッチなのだろう。
突如、「察知」スキルが発動した。
このまま進むと、進行方向に向かって右手側から巨大な炎の塊が飛来して、一行が致命的なダメージを受ける。
そんな未来が脳裏に過る。
「馬車を止めて!」
ほぼ反射的に叫ぶ光一。スキルを発動させた覚えは無いが、本能的な危機察知能力が「察知」スキルと連動しているのかもしれない。
滅多に見せない光一の鬼気迫る形相に、ルビエラも何らかの危険性を感じ取り、領主が乗っている馬車に連絡を取る。
領主は即座に停車の指示を全体に飛ばし、全ての馬車が止まる。
その次の瞬間、領主一行の目の前を、光一が未来視した巨大な炎の塊が横切っていく。地面が熔解し、マグマのように赤々と燃えている。
未来視した通りに直撃していたら、全滅もあり得ただろう。
「なんだ……一体……」
光一は窓からその光景を見て、呆然としている。もしも、「察知」が発動していなかったら……。そんな考えが浮かんで、背筋に冷や汗が流れる。
光一は馬車から降りようとしたが、険しい表情になったルビエラから「降りるな」と強い口調で止められている。本人は引退したと言っているが、今回のように奇襲の危険性を嗅ぎ取ると、現役時代の険しさが戻ってくるようだ。
「強い魔力を感じる……。もしも、コレが魔軍の仕業なら確実に幹部以上の実力者ね。光一の制止が無ければ危なかったわ……」
「ええ、その点に関しては感謝しきれないほどです。しかし、本当に魔軍が……?」
領主の疑問に、ルビエラは首を傾げる。
「人魔大戦の停戦協定は魔軍側からの申し入れですからね、それを一方的に……? それに、何だかんだで真っ向勝負を好む魔王が奇襲を……?」
「配下の暴走という線は?」
「無いわね。もしも、協定を破るなら、魔王が直々に軍を率いて戦争を仕掛けるはず。事前に宣戦布告をした上でね。それを、部下が勝手に奇襲して破れば、魔王の怒りを買うのは必須。そんなバカなマネはしないと思うけれど……」
「ふむ……。魔軍以外の勢力なのか……まだ見ぬ実力者なのか……」
領主もルビエラも、頭を抱えて考える。
確かに、人魔大戦以降、人間領は情報伝達網がボロボロで、盗賊や野盗をまともに取り締まれていないのがその証拠。こっそりと人間軍と魔軍に続く第三勢力が立ち上がっていても、有り得ないとは言い切れないのが実情だ。
「考えても仕方ありませんね。調査の必要性は高いですが、我々では難しい。迂回しようにも……」
「マグマみたいになっている溝が地平線の彼方まで続いているし、冷めるまで待つべきでしょう」
「では、ここから離れた場所にテントを張りましょうか。念には念を入れてね」
「はい。そうしましょう」
領主の提案に、ルビエラは同意する。
この炎の塊が奇襲によるものなら、軍による襲撃もあるかもしれない。王都への道程は延びてしまうものの、フジ山麓の森林付近にまで戻ることになった。
「人的被害、確認されません。馬車の一団に当たる寸前でしたが」
「そうか……早く撤退するか。準備にかかれ」
魔王の指示を受け、円状に広げていたテントの集団を部下が片付け始める。
部下の「千里眼」での結果を疑うわけではないが、魔王はコッソリと「千里眼」を使って、炎の塊を飛ばした方向を確認する。馬車が荷馬車を含めて十数台、地平線の彼方まで続く跡から遠ざかっている。
「……ん?」
何となく見てみた馬車に乗っている人物を見て、魔王の背筋にゾッと寒気が走る。念の為、「千里眼」の望遠倍率を上げて、人物像を確認する。
間違いなく、ルビエラだ。
ガタガタと体が震え始める。口がカラカラに乾き、動悸が激しくなる。開きっぱなしの目が乾いて痛くなる。
「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい」
譫言のように繰り返す魔王の様子に、異様なものを感じて、シルネイアが近寄ってくる。
「どうしたの?」
シルネイアの横には皐月がいて、不思議そうな表情で見上げている。
「さ、さささっき、皐月ちゃんの『魔炎弾』の発射実験したでしょ? そ、そそそその弾道上付近に、ああああのル! ルルルルルルビエラ!」
「落ち着きなさい」
魔王の頬をパーンと叩くシルネイア。
その痛みに涙を浮かべながらも、落ち着きを取り戻した魔王。
「ルビエラがいた……。危うく、皐月ちゃんの『魔炎弾』が当たるとこだった……かもしれない。通った跡付近にいたし……」
ガタガタと震えだす魔王。人魔大戦の折、自身が詰めている本陣に単身で突撃してきて大暴れし、対応しようと立ち上がった直後、通り抜けざまに殴り倒されて気絶したことを思い出した。食らったのは一撃だけだが、全治半年と診断され、鏡を見れば顔の輪郭が三日月みたいになっていた。人間よりも頑丈な魔族じゃなかったら即死だったらしい。
「え? どれどれ」
ルビエラが「千里眼」で見てみると、
「あ、ホントだ。懐かしい。一緒にいるのは息子くんかしら? ホントに綺麗な子ね」
楽しげに言う。
「か、軽くない? え、息子いるの? 綺麗? え、なんか知ってる感ある?」
「だってペンフレンドだもの。人魔大戦で知り合って意気投合しちゃって。皐月が産まれてからは、忙しくてなかなか手紙書けてなかったけれど」
「え、はあ? ペンフレンド? 意気投合って……! 殺し合ったんだよね!?」
「そうよ。少しは落ち着きなさいな。皐月の前でみっともない」
気軽に言ってのけるシルネイア。人魔大戦の際には、単騎で快進撃を続けるルビエラを食い止め、十日十晩戦い続け、互いを認め合う仲になった。その後、互いに手紙のやり取りを交わすようになり、すっかり親友と呼べる仲に。ルビエラが光一を出産してからは頻度が減り、シルネイアが皐月を産んでからは更に頻度が減っていたが、それでも細々と文通は続いている。
「んー、流石はルビエラ。奇襲を警戒して現場から離れているわね。それよりも、この辺りを通る人間はいないと報告したのは誰かしら?」
魔王と会話しているテンションのまま、シルネイアは尋ねる。
「はっ、私です!」
周囲の警戒をしていた兵士が進み出る。
「あなた?」
「はい、私です!」
「そう」
シルネイアは皐月を魔王に預け、先に馬車に乗っておくように頼む。
魔王に連れられた皐月が馬車に乗り込むのを確認したシルネイアは、兵士へと向き直る。直後、指先から伸びた魔力の糸が兵士を一閃する。ボトリ、と兵士の首が落ちた。
「シルネイア様!? 何を!?」
「何か?」
「こ、この者は何か落ち度があったでしょうか?」
「分からないなら、あなたも殺しますよ」
「ひっ!?」
どよめく兵士を置き去りにし、シルネイアも皐月のいる馬車に乗り込む。
魔王の指示を受け、馬車は魔族領に向かって走り始めた。
「厳しくないか?」
「よりにもよってルビエラがいる一団が通り抜けるルートであることを見落としたバカは不要です。直撃していたら、ルビエラは生き残るでしょうし、人魔大戦が再開されていてもおかしくないでしょう?」
「まあ、確かに」
小声で話している魔王とシルネイアに、皐月が声をかける。
「私の『魔炎弾』どうだった? ちゃんとしてた?」
魔王とシルネイアは破顔して答える。
「勿論よ。もう、軍の幹部くらいには強力なものだったわ」
「立派だったよ。流石は皐月だ、天才だ!」
シルネイアが皐月を抱き締め、二人を魔王が抱き締める。
ほのぼのとした雰囲気のまま、魔族領へと帰って行った。