「もういいだろ、黒ブタ。」
どれくらいの時間が経ったのだろうか。酒を飲みながら鑑賞していたゼンは何本目かの空き瓶を床に転がし、クロエに声をかける。その瞬間、アダルヘルムは正気を取り戻した。乱れたベットから飛び起き、壁に掛けられたタオルで自身の体の汗を拭きとる。
「ギルドに復帰するとは事実か?ゼン・セクズ。」
「なんだよ、しっかり聞こえてたんじゃねえか。やっぱお前面白れぇわ。残してやって正解だったな?」
すっきりツヤツヤとした顔をしているアダルヘルムの顔を見て嬉しそうに笑うゼン。部屋着に着替えたアダルヘルムはクロエを浴室へ押し込み、ゼンに向かい合うように椅子を用意して座る。
「あなたに逆らうことが愚行であることは理解している。が、あの終わりを用意した事で残された我々にとっては茨の道となり、結果力及ばずここまでギルドの信用を落としてしまった。世間的には平和が訪れたから不要になっただけとなっているが……なぜあのような事をして姿を消した?」
「飽きたからな。」
「……はぁ。そういう人間だったなお前は。」
棚から琥珀色の液体が入った酒を取り出し、2人分のグラスに魔法で氷を作って落とし、酒を注いでゼンに渡す。
「ん?うまいなこれ。」
「あなたが私を呪った時、祝いだと渡した酒だ。」
「はっ!さすが俺、センスがいいわ。」
アダルヘルムは60年前にゼンと出会い、同行していた冒険者。
博識で優しく、リーダーシップがあり、人々に慕われるような人物だった。人付き合いが面倒なゼンに代わり、交渉や依頼の受注を請け負い、素直にゼンの強さを認め、過度に騒ぐことも媚びることのないアダルヘルムを傍に置くのは都合が良かった。アダルヘルムの言う『呪い』、それはゼンが『褒美』として与えたもの。
アダルヘルムの老化を壊して寿命を作った……人工的な不老不死のような呪い。そしてもうひとつ、ある意味では堅物であったアダルヘルムの本能を無理やり引き出す
「それを飲んだら一旦ここから離れるんだゼン・セクズ。」
「なんでだ?」
「今は時期が悪い、王都の使者がギルドの視察に来ている。」
「ふうん?なら都合がいいだろ。」
グイっと一気に飲み干したグラスを机に叩くように置き、伸びをしながら立ち上がるゼン。
「待て!その顔、なにを企んでいる!」
「視察に来てるってうやつに挨拶しに行くだけだぞ?」
余計なことを言ったと後悔し、アダルヘルムは頭を抱えてため息をつく。今まで見たことの無いくらいニコニコしているゼンを止めることができず、見送るしかなかった。
「……ゼン?」
「クロエ嬢……ゼン・セクズは外へ出た。ろくなことにならなさそうだが、追いかけるのであれば止めないよ。」
「いえ、こちらで待ちます。」
裸を隠すことなく、濡れた髪をタオルで乾かすクロエ。その姿をみてしまったアダルヘルムはゴクリと唾をのむ。
「相変わらずだな、ゼン・セクズ……生殺しは応える……」
そうつぶやき、酒を口に含み、天を仰いだ。
*
*
*
すっかり日が落ち、街は夕闇に染まっている。フラフラと適当に街を歩くゼン。街の奥へ進み、大きな屋敷の前にいる、傷ひとつついていない綺麗に白く輝く鎧をまとう集団を見つける。その中のひとりは鎧を着用しておらず、紙の束を見ながら付き添いの兵士たちになにやら指示を出しているようだった。
「各商店はお前たちに任せる。私はギルド本部へ向かう。頼んだ。」
「「「はっ!」」」
声をそろえて返事をして、兵たちは散っていき、残されたのは険しい顔で書類にランタンをあててじっくりと詳細を頭に入れている優男。読みながら歩き始め、運悪く、ゼンにぶつかってしまった。
「これはすまない、怪我はないだろうか?」
「あーいてぇ。骨が折れたかもなぁー」
優男は謝罪をしながら、面倒そうなやつに絡まれたと心の中で思ったが、紳士的な態度で対応するように努めている。
「……それは本当に申し訳ない。治療をさせてくれないかな?」
そう言ってゼンに治療魔法を施そうと手をかざした。優しい光がゼンの体を包むが、もちろん骨なんて折れてはいない。不調なところがあるとすれば、酒による若干の酩酊だろう。嘘であることに気付いてはいたものの、せっかく発動した治療魔法が無駄になるのはもったいないと酒気を取り払い、治療を終える。
「本当に申し訳なかった、それでは私は行くところが――」
「ギルドの本部にいくんだろ?その手間を省いてやりに来たんだ、感謝しろ。」
太々しい態度に若干イラっとするが、得体のしれない相手だからこそ、冷静に対応を試みる優男。
「ええっと?君がギルドの代表ということ……なのかな?」
「違うがまぁ、似たようなもんだからそういう認識でかまわねぇぞ」
「ははは……あー……私の名はフォンゼル・ブリューゲル。王都ケーニヒで
「ふうん?
ジロジロと見られて困惑するフォンゼル。
「最後通告にでも来たってところか。」
「……厳正に審査してから判断をする。だからこそ私がここへ来たのですよ。」
「どうだかなぁ?そんなことここに書いちゃねえだろ。はぁーん?お前ほんとにこいつの下についてんのか?頭大丈夫か?」
「な、なんと無礼な!!いや、まて、なんでお前がそれを持って……っ?!」
書類を奪い返そうと突き出した右手から滴る血液と、皮一枚で繋がっているだけの自分の指を見て目を見開き、指をおさえてその場にしゃがみこんでしまったフォンゼル。
「ぐっ……うっ、な、にがおきた……?」
「声を上げねぇなんて、お堅い仕事してるわりにゃあ根性あるなフォンゼル。ケーニヒの王様にその身を捧げてるのはほんとにもったいねぇなぁ……俺と一緒にギルドに来いよ?」
動悸が激しくなる。出血しているせいだけではない。自分を見下ろして自分を勧誘してくる男の持つ力と圧力で顔も上げられない程に、今自分が置かれている状況を理解し始めていくフォンゼル。
「はっ、はっ、はっ……」
「さっさと治療しろよ。得意なんだろ。指だけでも出血が増えりゃ死ぬぞ?」
下手な回答をすれば自分の身がどうなるか、言う通りにしなければ自分の身がどうなるか。震えながら、無事な左手で治療魔法を自分の右手に施し、出血を止め、離れた骨と肉を繋ぎなおす。
「(何十年経った?言い伝えでしか聞かされていない。そんな人物がなぜ身体も力も衰えることなく今ここに居る?なぜ私は出会ってしまった?!)」
「おーい。」
少しでも冷静に、思考をまとめる為、わざと時間をかけて自分の指を治療しているフォンゼル。
「返事しろよ、なあ!」
「ぐっうぁっ!!」
ゼンは、フォンゼルの治療しかけの両手を地面に押し込むように踏むつける。不意に受ける痛みに対し、さすがに声を出してしまう。
「あ、なたは……名は……」
「俺の名前だ?あーそうか、あのガキも知らなかったんだよな。」
踏みつけられていた足から解放され、胸元に両手を抱える。ゼンを見上げるその姿は、まるで祈るように、命乞いをする姿であった。
「俺はゼン・セクズ。わざわざ本部まで行く必要なないぞフォンゼル、楽ができてよかっただろ?報告が必要ならそうだな……くそったれな王様にこう伝えとけ。「ギルドに『白金のゼン』が戻り、再建されている」ってな?」
「そんな……ありえない……」
「世界を歩いてまわるのが楽しみだわ、ハハハハハハ!!」
赤い月がゼンの姿を照らし、平穏な世界の終わりを告げる絵画の様な情景を映し出していた。