これはある重要でない日の話だ。危機を防ぐために存在する者にも、休暇ぐらいはあるのだという話に過ぎない。
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聖都と称されるケイラノスの首都ドラドミス。
荘厳なる都という評価は決して大げさではなく、中央に近づくほど宗教画のような光景になる。特に信教を強制しないという政策によって形成された神殿区画は、多くの人々が一度は見ておきたい場所に上がらないことは無い。そこは色の見本市であり、装飾の集大成だ。
さらに高位区画で唯一、平民の出入りが自由である。辺境の村で選ばれた幸運な巡礼者の代表だけが、この地の光景を見ることができ、また立地的に王城を見ることもできる。ここを見たことがあると言えば、田舎の農村では尊敬すら得られる。
それもこれも、存在するだけで周囲を押し潰しかねない大国であるからこその光景だった。大抵の国では後ろ盾を強力にするため、国教を一つか、精々二つに絞るものだ。
もっとも……ケイラノスは成り立ちとして吸収合併を繰り返して来たため、信教の自由を認めなければならない事情があったから致し方ない。
主に連れてこられたコリンは口を開けたままアホ面を晒している。目の前にあるのは黄金づくりの鷲の像である。偶像を黄金で作るなど、一般的な家庭に生まれ育ったコリンには理解不能だが、美しいとは思っているらしい。
彼が仕えるツコウにとっては見慣れた光景だが、田舎から出てきた彼も聖都に慣れる必要があると考えて案内していた。主側がそれをお膳立てする必要は本来ないが、田舎者がふらふらとするにはドラドミスは大きすぎる。1人で何をして遊ぼうが勝手だという考えはあるが、危険な場所ぐらいは最低限教えてやりたかったのだ。
「見とれるだけの感受性があるのは結構だが、足を止めると轢き潰されるぞ」
ツコウが忠告した通り、コリンと擦れ合うようにして馬車が通り抜けていく。神殿区画で走る華美な馬車……乗っているのは高位聖職者か貴族だろう。そういった地位にいる者は、例え平民を轢き殺してもどうとも思わない。実際、それぐらいで罪に問われることも稀だ。
「あ、ありがとうございます!」
「俺の従士になったのだから、いろいろな意味で気を付けろ。俺は立場上、他の騎士に比べて帰還する機会は多いからな。国賓が来れば護衛に付くし、一定以上の有力者の集いでは置物になる。……言っててアホらしくなってきた。俺はなんで“一剣”なんてやってるんだろうな?」
コリンは口を引きつらせるしかなかった。
そもそもツコウ自身が有力者と名乗っても問題が無い存在だ。爵位としての騎士爵を持っている上に、入団試験まである六大騎士団員、さらにはケイラノスが尚武の国であることを証明するための“一剣”である。“一剣”がどのような地位にあるかは官吏も悩むところであり、決着はついていない。ただ慣例として六大騎士団の副団長と同等に扱われていた。
先程の馬車ではないが、仮にツコウがコリンを突然斬り殺しても罪にはならないほどの権威がある。それを振りかざさない人物に仕えている幸運は、今日の神殿巡りでしっかりと神に感謝しておいたコリンである。
「ツコウ様は、あまり権威を振りかざしたりしませんよね。“一剣”であることも喧伝したりはしませんし……」
「なんだ、不服か? まぁ俺が偉そうにしないと、従士のお前も自慢できないからさもありなん」
「ち、違います! そういう意味ではなくて、その、もっと単純に……」
「ああ……それこそなぜ偉そうにしないか、という話か」
今日の案内でも、ツコウは平民も貧民も押しのけずに順番を守っていた。コリンに対して説明しているとき、横から口出しする者がいたがその人物とも普通に会話をしていた。
権威もそうだが、ツコウがその気になれば神殿区画ごと滅ぼせてもおかしくないという武力を誇りもしない。
「これでも出来るだけ偉そうにはしているぞ? 嫌なことをやったことなど一度も無いからな。権力は最大限に行使しているが、言われてみればそれでを他人をおしのけるために使ったことはないな。うーん……コリン君よ、“一剣”はなぜ選ばれたと思う?」
「えっ? ええと……強いからですよね?」
「そうだ。強いから、我々が任に就いている。問題はなぜ強いかだが……元から強く、才能があったからだ」
身も蓋もない理由だったが、コリンにも頷ける話だった。仮に自分が凄まじい鍛錬をしたとして……シャルグレーテやツコウのようになれるということを想像もできない。
“一剣”の面々を見る栄誉にコリンも浴していたが、老練といえる騎士は1人だけ。後は全員若者だった。理由は今ツコウが言ったことと同じだろう。ベテラン兵士が一生をかけて磨いた武技に、“一剣”達はその領域に一年もかからず到達する。
「才能があるということは、生きていくにはすごく便利だ。土台がしっかりしているから、やりたいこともやれる。仮にその才能が自分の望んだ方向でなくとも、それで生活を安定させてやりたいことに傾注すれば良い」
英雄や勇者ではないが、天に愛された者は確実に存在する。しかし当人がどう感じるかというと……
「お前の疑問に答えるとな、自分の力が凄いものだとか、誰だろうと踏みつけて構わない資格を与えられた! とかそういう発想には全然繋がらんのだよ。なにせ生まれた時からひっついているものだからな。真面目に努力しているやつや、渇望する人には悪いと思うが……自分はそういう用途の器官が付いているぐらいにしか思えん。他の連中も似たりよったりな考えだ」
「それはまた……贅沢な話ですね」
「まぁな。俺も才能のおかげで余った時間を芸術とかそういう方の勉強に使いたいが……どうも世間が怒涛のように仕事を押し付けてくる。ついでに押しかけてくる女もいるし……まぁ確かに贅沢な悩みだな」
「女性と言えば……シャルグレーテ様とのお約束に遅れたりはしませんか?」
ツコウは顔を上げて太陽をしかめながら見た。広場に行けば日時計があるが、単独行動の経験で時間を読むのにも慣れていた。頬を掻いた後、それほど気乗りしない様子でツコウは頷く。
「そうだな。そろそろ行かないと面倒になる。コリン君は今日教えた注意を守るなら、騎士寮が閉じるまで好きに遊んで良いぞ」
そう言って放り投げられた袋を受け取ったコリンは驚いた。粗雑な巾着袋だが、大きさに比べて重い。つまり中身は銅貨ではないということだ。銀貨だろうが、下手をすれば金貨が混ざっている。
「ちょっ!」
「初任給もまだだから、タネ銭にしろ。使い切っても構わんよ」
本当に未練など無いように、手をひらひらと振っただけで振り返りもせずにツコウは街へと降りる道へ向かっていった。
ここがスリのいるような場所だったらどうしようと、怯えたリスのようにコリンはこそこそと移動を始める。折角なので幾らか遊ぼうかと思いはするが、使い切る手段を思いつかない。
後日、巾着を返されたツコウはあまり減っていないことに苦笑した。自分よりよほどに清廉らしいと。