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第33話 キメラ

 熊の巨大な腕が交差する。死体だからこその後先考えない強烈なベアクロー、それをわずかにしゃがんでツコウは躱す。怪物の前でそんな姿勢を取ったため、大量に取り付けられた狼の前足がわずかでも傷を付けようと迫る。再びの回避でわずかに後ろへすり足で下がるツコウへ、12の剣による刺突が繰り出された。



「割りに合わない相手だ」



 何事かをぼやきながら、12の剣を双剣で・・・全て防いだ。6倍の手数を6倍の速度で対応してのけたのだ。

 異形を相手取り、全く引かず平静を保つツコウ。ケイラノス最強の称号に偽りなし。そう賛辞されても過言には当たらないだけの力量をツコウは見せつけた。



『化け物め……!』

「お前が言うか。鏡見てないのか」



 これまでアルゴフが取った行動に間違いは無い。敵であるツコウに問うても、それなりに認めてくれるだろう。

 アルゴフはビャルキ王とは違い、剣技に自信は無い。経験はわずかばかりの形稽古と、祭儀の際の演舞程度。ゆえに己の剣技を全く当てにせず、出来得る限り強力な個体を作ったのだ。人間を遥かに超えて強い肉体。速く、力強く、硬い……技の有無など覆せるようにこのキメラを手抜きなくこしらえた。


 だが、結果はどうだ?

 足止めという最低目標を遂行するのが精一杯。死体であるため感覚が鈍いが、足にわずかの機能不全を感じている。先程の一瞬の競り合いでツコウは狼の足を一つ切ろうとして断念したのだろうか? その足はまだかろうじて繋がっている。一方のツコウは完全なる無傷である。


 つまり……単純に性能としてツコウはこの怪物よりも強いのだ。

 この不条理にアルゴフとて覚えがある。人の間に極稀に生まれる突然変異、すなわち天才という規格外だ。それに対する嫉妬と怨嗟……人であった頃に抱いた思いが戻ってくる。



『これだから貴様のようなやつは許せんのだ。凡俗の歩みをあざ笑うように、突き進んで周回遅れにまで追い込んで現実という壁を見せつけてくる! 消えろ! その傲慢さが人の心をどれだけへし折ってきたことか!』

「何を言っている? ここで出てくる言葉じゃあない」



 その怒りに対してツコウが抱いたのは疑問だった。アルゴフが言っている内容自体は理解できる。ツコウは自覚がある・・・・・天才だ。その特権を振りかざしこそしないが、利用することに躊躇いは無い。

 どうにも会話がズレている気がしてならない。この亡者は頭まで逝ってしまっているのか。もしやすると……いや、それこそまさかだ。ツコウはたどり着きそうになった答えを棄却して突撃の姿勢を取る。こいつの内面など首を落としてから聞けばいいだけだ。アンデッドなのだから。



「とりあえず、定石通りに」



 熊の豪腕が振るわれる。普通の熊でさえ人間を解体する一撃は、脳の差し替えでさらに力を引き出していた。ツコウはそれを木の横に立つことで対応しようとした。それを馬鹿めとほくそ笑む敵。木程度ならへし折った勢いのまま、人体を微塵にしてやる。



「大きい相手は末端から……そういえば、どこまでの大きさを想定しているのかは知らないな」



 木と熊の手が触れ合って出来たわずかの遅れ。そこに先程のお返しとばかりに双剣による交差攻撃を見舞い、宣言通りに末端であるキメラの手首を切断する。剣を交差した程度で切れる太さではないが、そんな常識は“一剣”にとっては紙にも等しい薄さ。

 さらに恐ろしいのはツコウがこれで全く油断していないことだ。確かに熊の手首は切り落としたが、爪による斬撃性と射程が少しばかり短くなっただけだ。棍棒としてまだ使えるだろうと、切った右腕を警戒対象から外さない。


 こうなるともう駄目だ。

 確かにわずかに機能を減じただけなのだが、そこを起点に後はひたすら食い破られる。手首の次は肘、その次は肩、その次はもう一方の腕と……回転する刃が止まらない。

 怖気が走るような大量の手と剣にツコウは目もくれない。背中に生えている時点でアルゴフの設計が悪い。熊の懐に入れば必然として当たらないなどという、恐怖感を消し飛ばした理屈で潰す。



『なぜっ、こうなる!?』

「技術者でもない人間の言葉で申し訳ないが、上手く作りすぎたな。どこかが欠けるだけで、均衡を失って他も鈍るから普通の生き物に対する方法が当てはめてしまえる」

『ふざけるなっ! こんな生き物がどこにいるという!? 完全なる初見を相手に応用だと? 冗談も休み休み言え!』

「いや、ほら。戦場ってそういう不条理でできてるし。どっかで適当に放たれた矢が完璧な角度で飛んでくるとか、頻繁にあるからなぁ。身も蓋もなくて悪いが、慣れている」



 怪物め、怪物め、と呪詛を吐き続けるアルゴフ。対してツコウは淡々とキメラを解体していく。混乱した相手と歯車めいた挙動を続ける騎士の対決は悲しいほどに番狂わせが起きる余地も無い。

 例外はトドメが剣ではなく、言葉によるものであったこと。



「ずっと気になっていたんだが、要はお前……騎士になりたかったんだろう?」



 アルゴフの入れ物は固まった。そんなことは無いと否定の言葉が出せない。つまり、そうなのかとアルゴフ自身が困惑している。



「最初に我々へと賛辞を贈り、かつての仲間を低く見る。お前は昔の同胞たちが嫌いで嫌いで仕方が無かったが、だからといって武芸が嫌いな訳ではない。だから戦士と騎士を明確に区別して憧れた」



 戦士達から影で嗤われていたアルゴフにはその環境が魂にまでこびりついている。しかし、彼とて雪熊の国に生まれついたものとして、戦場を駆けてみたいという願望は根付いていたのだ。

 神官の王。実際に備わった唯一無二の魔術の才。全てがアルゴフから剣を遠ざけた。


 戦士たちからの扱いに蛮勇の士に対して憧れが失せ、されど理に従ってみたい。長き眠りから目覚めたアルゴフは全てから解き放たれて、今ここにいる。



「最初から気付いていれば、ちゃんとした一騎打ちをしてやれたんだが……あぁ、それじゃ相手にならなかったな」

『今更……』



 全てが今更に過ぎる。なぜならアルゴフは死者なのだから、世界を動かす力を持ち得ない。

 ならばせめて、せめて、最後に――彼らだけは救ってやりたいとアルゴフは真摯に祈りを捧げた。何の神にかはもう誰も知らない。そして、全力で飛びかかる。



「水を差して悪いが……騎士なんてそう御大層なものじゃない。どんな生まれだろうと立派に見せかけて生き、それで満足するしか無いんだ」

『いいや……お前は味わったことが無いからそう言うのだ』



 アルゴフの視界に黒が映る。ツコウが持つ〈双剣・ペインタス〉が起動した。

 横への視界が黒で埋め尽くされ、正面しか見えない。そのような馬具を付けられた馬のようにアルゴフは突進した。どのみち正面にツコウはいるのだから、問題は無い。


 次の瞬間、ツコウが消えた。アルゴフの目で追うこと叶わぬ速度だが、理屈で考えれば左右のどちらかにいるはずだと巨体を大回転させるが……ツコウはいなかった。そして、背中の12本の剣が全て叩き落とされた。

 わざわざ魔道具を使ったことで左右を重大そうに見せる。ただそれだけの単純な誘導だ。戦闘経験の無いアルゴフは咄嗟に上へと首を向けて――今度は下側から3つの首を同時に飛ばされた。



「さようなら、アルゴフ。死ぬ前に答えてくれないか? お前を誰が蘇らせた・・・・・・?」

『……なぜ、そう思う?』

「理屈っぽいから見誤りそうになるが、お前は熱意の男だ。使用人のドラウグル同様に最初から起きているアンデッドになっていたのならば、この数百年おとなしくしているわけがない。次いでに言えばヒギャルとビャルキが起きたばかりのようだったからな」

『ハ、言うわけが無かろう。だが……そうだな。世の中は裏切りに塗れているということだけは教えておこう』

「それで充分だ。後はお前の弟子に聞こう」



 キメラの頭を潰すと、声は聞こえなくなった。

 ヒントを残していったのは、ツコウがアルゴフを男と言ったから。


 真っ先に誰よりも早く会っていたら、死者と生者の交流もあり得たのだろうか? それはツコウに分かるはずもないことだった。

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