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第34話 黒の矜持

 ツコウが奇妙な生物と戦っている間に、“一剣部隊”コーディア隊は山道を抜けてモラレス子爵領へと侵入を果たしていた。謀反者のような通常の相手であれば、ここで安心していいだろう。

 モラレス子爵は兵士たちを精強に保っておくのが趣味ではあるが、子爵の中でも狭い領地であり兵数はたかが知れていた。一騎当千とは行かないまでも一騎当百ぐらいには突き抜けた存在である“一剣”ならば、本隊が到着するまでの時間を充分に稼ぐ事ができる。


 しかし隊長である老練なコーディアは苦虫を噛み潰すような渋い顔をしていた。単純に嫌な決断を迫られているからだ。どちらにせよ成功の確率の方が高いが、この状況下で討伐と安寧の2つの天秤が揺らされていた。

 理由は足元に転がる死体と、感謝していいのかすら戸惑う村民にあった。村の者達に先へ急ぐと言い残して、コーディアは再び名馬に拍車をかける。



「趣味が悪いか。なるほど、実に悪辣だ。儂らがいなければ・・・・・、あの村は損害を受けて不満を抱えるだろうな」

「わざわざ村民の一部だけを化け物に。ほんのちょっと脅かすだけの数を配置する」

「そんでもって村の連中が生き残れば、ことが済んでからのあたしらが民草を見捨てた残酷騎士扱い。全部助けたら、それはそれで時間を稼げる。性格悪いわー、うちの姉ちゃんよりも性格悪いわー。多分子爵邸に続く道の村々は、全部この仕掛が施されてるわね。嫌がらせって徹底してこそだしね」



 どちらにせよ、子爵邸へと続く道沿いにある村の他は無視する他無い。迂回などしようものなら2倍時間を稼がれてしまう。そちらには死霊術師の手が回っていないことを祈るしかないのだ。

 このような状況を始めている・・・・・以上、既に逃げる算段が付いているのだろう。騎士団としては最低でもアルゴフの首を持ち帰らなければ、再びの失敗となる。



「あ、あの……私が残って、できる限りの人々を助けます。それにツコウ様がお戻りになられた際には馬を引き渡さなければなりません……2頭の馬を抱えて、駄馬に乗っている私はどちらにせよ足手まといですから……」

「そうか……そうだな。従士コリン、主のために死をも厭わんか。では頼むが、間違っても死体まで食われてしまうなよ?」



 コリンの覚悟はそれほど大したものではない。打算と実際に自分が足手まといになるという現実から来た発案だ。それがむしろコーディアには心地よい。人間の覚悟はまだら模様。ドラウグル達のように幾百年も目的を持つほうがおかしいのだ。

 青雷せいらい騎士団の“一剣”であるコーディアは怪物との接触は少なかったが、遠目で見る限り動死体たちの動きは民よりも遅いぐらいだ。何かきっかけがあれば、それこそ村人たちでも対処できるだろう。



「じゃあ、あたしがちょいと手伝って行くよ。殿下とコーディアさんは先を急いでくれるかしら? あたしなら遅足でも仕留められる・・・・・・から」

「そうだな。時間を稼ごうとも、もう奴らの道は決まっている。あとはどれだけ被害を抑えるかにかかっているわ。手はず通りに進みましょう」

「うむ。ではな、従士コリン。それとヘリオはほどほどにな」

「さて、どうしよっかな。いい男の卵はできる限り守りたいんだけどねー。まぁ最低限のことはしますよっと」



 白と青の“一剣”は馬の速度を上げて、突き進んで行く。そして黄は進路はそのままで、遅い速度で続いた。


/


 コリンはなるべく見つからない茂みを見つけて、自身の駄馬とツコウのサグラリオンを隠した。縄で繋がないのは、動死体が馬を標的とする万が一に備えてだ。

 よし、と気合を入れてコリンはできる限りの速度で近くの村へと走り出した。軽装とはいえ黒悔こくかいの従士装備を着込んで、一番近い村へ続く坂道を駆け上がる。常人の範疇ではあるが大した健脚だった。なにせコリンは日頃から、できる限りの荷物を背負っているのだ。それしかできないからと愚直に続けた仕事はそのまま鍛錬に繋がっていた。


 剣を抜き放ち、今にも襲いかかられそうな中年女性の前へと出る。眼前に迫る死体は顔が崩れ始めており、見るも醜怪だった。

 かつてのコリンならば、この動きの遅い怪物にすら遅れを取っただろう。しかし、彼は非才なれどツコウの弟子である。己の剣技が大した成長を見せておらずとも、主ツコウに比べればあまりにも遅すぎる。


 一閃。ツコウとは違い長めのショートソードだが、動死体の袈裟を切り裂く。これだけでは駄目だと思い直し、よろめいた相手に渾身の力を込めて膝を叩き切った。動死体はまだ動いているが、これでもう這って動くしかない。



「今のうちに……!」

「いやぁぁぁ!? おじさん! おじさんを殺さないで・・・・・ください!」



 逃げろと続けようとした言葉。次の敵に向かおうとする意思。コリンにあった前向きな感情は、全て冷や水を浴びせられて停滞した。目の前の女性にとって恐ろしいのは動き出した死体ではなく、それを切断するコリンの方だった。

 ……全てが繋がった。なぜコーディアが助けた村人達は素直に礼を述べなかったか、主であるツコウが再三言い聞かせたのはなんだったか。黒悔こくかい騎士団はその任務の性質上、嫌われ者である。王都から離れるほど、その扱いは顕著になる。


 過酷ながら畑を耕して生きる村人には死体が蘇ることも、それが襲いかかることも全て考えたこともない事態だ。そして狭い集団は全員が顔見知りだ。あんなに優しい誰かを殺したのは誰? 村民の視点では・・・・・・・斬り刻んだコリンが悪役となる。


 呆けて固まるコリン。命をかけて、汗と血を流した報いに民の笑顔は含まれていない。恵まれた俸給は、その穴埋めだったのだ。格上げされて呑気に喜んでいた自分は、主人達からどう思われていただろうか。初めて殺したいほど憎んだのは皮肉にも己自身だった。

 感情の荒波に翻弄されるコリンは、背後から迫るアンデッド2体に対して決定的な遅れを取った。振り返った次の瞬間には……敵の両方が脚を消失していた。



「あれは……ヘリオ様!?」



 月の弓を携えた“黄”の騎士が、半透明の矢を放っていた。コリンからかすかに見えるほど遠くからの援護射撃。強さで括るのならば“一剣”において、次席を賜る弓騎士が放つ幾条もの光の数々。馬に乗りながらの絶技を見せながら、届かない言葉をコリンは聞いた気がした。努めを果たせ。



「……そうだ。来い! 私はコリン! 黒悔こくかい従士コリンだ! 国を乱す輩は全て斬る!」



 自分に放つ言葉。己の立場を初めて自覚したコリンは、不快な汗を垂れ流しながらも退かない。例え認められずとも、役に立とう。偶然であれ、自分は英雄に見初められた兵なのだ。

 その真っ当な輝きは主たるツコウが持ち得ないものだったが、それに気付くことなく覚悟の炎を心に宿した。

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