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第35話 小さな奮闘

 中位遺物、〈月天弓〉。それがヘリオが所有し、一族に代々伝わってきた遺物の名である。

 明らかに射撃に向いてない三日月型の弓でありながら、性能にはいささかの不足も無い。そして遺物である以上は特殊な能力を備えている。

 それは矢と弦の生成能力。半透明の幻想的な矢を作り出し、放つ。最大威力はもはやバリスタの領域にあるほどである。


 これは本来、ヘリオの姉である黄光おうこう騎士団の団長であるヘリオの姉が所有すべきものだった。分かりやすく長子に伝えられるはずだったのだ。それをなぜヘリオが持っているか……それはヘリオが見せた〈月天弓〉に対する異常なほどの適正に他ならない。


 歴代の当主達は〈月天弓〉を単に高威力の武器と考えていた。強力なものの、数発も撃てば自身の気力すら根こそぎにしてしまう極端な遺物であると心得て運用していた。

 それは違うことが分かったのはヘリオが〈月天弓〉を試しに使わせて貰った際に判明した。〈月天弓〉はあくまでも神秘的な力で編まれた矢を作り出すという遺物なのだ。ヘリオが細い矢を作り出したかと思えば、極太の一撃を繰り出す。現代になってから思えば、〈月天弓〉は繊細な魔力操作で真価を発揮する遺物なのだった。


 これを知った姉は有無を言わさず、ヘリオを〈月天弓〉の担い手とした。道理ではあるが、中々できることではない。それだけ心の通じ合った姉妹なのだろう。


 時は過去から今へと戻る。


 この場にあって不似合いなのんきさで進む馬に揺られながら、ヘリオは狙いを研ぎ澄ます。

 性格からは想像も付かない繊細な作業を得手とするヘリオが放つ矢は、見事にゾンビと化した村人の膝を吹き飛ばした。尋常では無い威力と射程は〈月天弓〉のものだが、それを適切な力を込めて命中させるのはヘリオの力だ。


 忘れてはならないこと……遺物は所詮、便利な道具にしか成りえない。真の怪物は繰り手である。下位遺物にすら劣る試作魔道具でケイラノス最強を誇るツコウの存在がその証明だ。そしてヘリオはその次席・・だった。



「ここまでかー。やれることはやったし、先があるからね」



 気の抜ける口調でヘリオが下したのは、冷静な判断だ。馬でゆっくりと動きながらも、未熟者コリンの援護に努めてきたが……これ以上残ることはできない。前へと進む二人の援護に駆けつけられる、ぎりぎりの位置を保っていたが限界が当然に訪れた。

 やろうと思えば更に先からもコリンの側へと撃てるが、そうするには生み出す矢に費やす力が増えてしまう。


 コリンと村民の命を任務を比較して、朗らかな弓騎士はあっさりと民たちを切り捨てた。任務というのは綺麗事を通すほうがいい場合もあれば、冷徹な方がより多くを救える場合もある。そして、今は後者を選ぶほうが賢明だ。

 馬に拍車をかけて、速度を一気に上げる。一度、未練のように後ろを振り返ったヘリオは呟いた。



「いや、もうアイツ1人でいいんじゃない? いくらなんでも早すぎるでしょ」



 損得勘定をした時間さえ、無駄にした気分をヘリオは味わった。弓手であるヘリオには最初に出会った怪物の姿が鮮明に映っていたのだ。だから間に合わないと判断したのだが……これだから化け物は嫌だ。どちらへ向けたかわからない言葉を思い浮かべたヘリオは前へと急いだ。


/


 腕に奔った痛みにコリンは、歯を食いしばった。

 ゾンビと化した村人がその汚らしい爪でコリンの腕を傷つけたのだ。何度も繰り返されて、黒の軽装は穴だらけになっている。幸いなのは死霊術は病気などとは違うらしく、彼らに傷つけられても自分もそうなるわけではないらしいということだった。



「それでも帰ったら医者に行かないとな……」



 腐った生き物に付けられた傷はきっと良くないものだろう。そんなことを考えていると次のゾンビが迫ってくる。疲労から脚を震わせながら、なんとか先に相手の膝を叩くことに成功した。

 死体なのだから痛みでは止まらない。狙うのは骨だということにコリンはようやく気付いていた。そうすれば動きは取るに足らなくなり、位置さえ気をつければまだ粘れる。


 粘れる。そうだ、コリンの命はあと何分残されているのか。小さな村の住人なら50人はいるはずであり、仮にその半数が敵へと変貌しているのなら……コリンでは絶対に勝てない数になる。大きな村落になると住人の数はさらに跳ね上がる。



「……自分でも驚くほど頑張ったな、俺……」



 コリンの成果は奇跡と努力の結晶じみていた。ここまでで、二つの村を救った。そこの住人からは恨まれるかもしれないが、紛うこと無く快挙だ。しかし装備と剣を持っての移動で、疲労は噴出した。この3つ目の村がコリンの死地となる。

 だがもうコリンには奇跡や偶然を掴み取るだけの体力が残されていなかった。彼はあくまで常人であり、奇跡でもこの程度であり更には限界から逃れられない。

 土を踏みしめゆっくりと近づいてくる動死体。緩慢な動きを軋んだ肉体で転がって躱したが、そこで終わりだった。これまで味わったことのない唐突な限界。まるで糸が切れたような感触を味わいながら、視界だけが生きていた。そして、それを迎え入れる。



「――良くやった、コリン君。後は俺がやろう。なに、すぐ帰れる。事の趨勢はもう決した」



 少なくとも、もうお前が命を削る必要は無い。

 そう言われた瞬間に、視界は鮮明になった。動けない身体だけを抱えて、真の不条理を垣間見た。黒と白の嵐が、醜悪な怪物を蹂躙していく。体力の限界など知らぬとばかりに、一瞬で全てを殲滅したその者をコリンが見紛うはずはなかった。



「コーディアのおっさんに置いていかれたか。後で文句を言ってやる。馬をどこへやったか、教えてくれ。とりあえず、お前はそこで休憩と手当に専念しろ。そんな傷でくたばるなんていうことは無いが、後遺症が残ったら意味がない」

「い、いえ……自分で、残った、んです。馬はあそこの木立に……」



 喋れる力が残っていたことに驚きながら、コリンは場所を指し示した。

 仮にも装備を身に着けた従士を肩に載せて、救い主……ツコウは跳躍した。



「どういう責任感だ。お前がする必要などまるで無かっただろうに。それこそコーディアが残ればよかったろうに、全くアイツラと来たら……荷の薬や飲み物は好きに使え。俺はお前の後を引き継ぐ」

「いえ……皆さんが、子爵邸に、向かっているんですから……貴方も……」

「あいつらも“一剣”だ。心配してやる理由は無い。それにしても……本当に良く頑張ったな、コリン君。俺よりも余程に騎士らしい行いだ。例え世間がどう見ようと、お前の今日の働きは俺が知っている」



 ゆえに最後まで成功させる。そう言い残して最強の騎士は、走り去る。

 馬に乗っているより速くないだろうか? と考えてしまうほどに圧倒的な速度で周囲の村へ向かっていく。


 ケイラノス最強の男からの称揚に、コリンは疲れながらも気絶するような感覚が消え失せたのを感じた。自分でもなにか分からないが、それが誇らしく瞳の奥が熱いことだけを感じて木に背をもたれさせた。

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