アルゴフとは違う若い男の声だった。死霊術師とは思えない青臭く、どこまでも澄んだ声。そこにあるのは正の感情だった。ゆえにこの敵は恐ろしい。彼の正道とはすなわち死者の王者。その歩みは清く、そして臓物の匂いだけが漂うだろう。
――俺とは正反対か。
ツコウは不思議と悟った。自分がなすべきことはこの敵を倒すことだ。俺とはどこまでも噛み合わない。仕事として人を殺すツコウと、崇高なる使命として事を成すであろう“彼”。
どちらも誰かを殺すことには変わりはない。ただ……運命がこの世にあるのなら、我が宿敵とはこの者だ。気付けばこれまでに無い滑らかさで双剣は抜かれていた。
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次瞬、その一合目が見えたのはアルマンだけだっただろう。遠くから見守るコリンと、兵達にはただの残像と映っている。
“アルゴフの乱”を経験したコリンは上からの監視にも気を遣っているだろう。安心して戦える。相手は元同僚だというのに、ツコウはその向こう側にいる存在と戦っていた。
「……生前の技まで使えるのか。アンデッドでは無いな?」
『一度でそれを見抜きますか、普通? そう……これは死霊術から発展させた術ですよ。改造術では少し語呂が悪いのでまだ名前は付けていません。それで、どうしますか? 貴方のお仲間は……この通りまだ生きていますよ?』
意識が別の場所にあるためか、サルムを操る敵はペラペラと疑問ばかり述べてくる。舌戦のつもりかと言いたいが、それよりも剣を回転させる方をツコウは選んだ。
サルムが持つのは質が良いだけが特徴のロングソードだ。それがケイラノスの正調剣術の動きで振り回される。膂力、速度ともに“一剣”に匹敵するが、おそらくは元の素体が優秀だったためと思われた。身体的強化はドラウグルに用いたものを改良しているようだ。
ツコウが持つ短めの剣では不利なはずだが、相手の攻撃は黒の騎士には全く届かない。最高の才能に最大の努力。ツコウは呆れるほど単純に強い。舞うように体ごと回転したかと思えば、真正面から交差するような一撃。
次第に元サルムは攻撃ではなく、防御に専念するようになっていく。
「そういえば……お前は“一剣”を目指していたな。俺よりも年上だが、夢を捨てることは無かった」
どこかの誰かと戦いながら、目の前の同僚へと戦意を向ける。
サルムは騎士らしい騎士だった。優しくて強い……自分のように自分を優先してしまう者には決して成れない男だったと、少ない思い出が巡っていく。
「冥土の土産だ。最後に目に焼き付けろ」
お前は立派だからこそ“一剣”にはなれなかった。騎士の美徳は圧倒的な強さを持つためには、余分な荷物なのだ。それをこれから見せよう。蛇神でも鷲神でもいいが、その身許で諦めないか止めておくか決めていけ。
「全てが俺の力だ。そして、これこそ我が現時点の本気。双剣〈ペインタス〉へ接続を完了――起動せよ
空間を汚す2色の絵の具が展開される。
しかし、以前までとは使い方がまるで異なっていた。すぐさま攻めかかりはせずに、白の剣をだらりと下げたままで黒の剣だけが回転する。世界に黒いシミを残すだけの魔導具は本当に回転するだけだったのだ。
サルムは乱された視界と認識の中でそれを見ていた。黒い円が世界に現れて、そのまま残留していく。ツコウの身体能力が合わさって、まさに次々と黒い円に囲まれる。
「――っ!?」
サルムの本能は咄嗟に反応した。その速度は彼が本来持つ危機反射能力だが、避けられたのは肉体を弄られているから。
黒い円から黒い棘が恐るべき刺突となりて、堕ちた騎士を狙い定める。
そうしている間にも黒の円は増え続ける。どこから次が来るのか、全く分からない。物理的な存在ではない黒の円は容易く囲みから逃げ出させてくれるが、逃げた先にも黒の円が浮かんでいる。
蜂に囲まれるような有様でサルムは突かれ続ける。このような手法は相手に対して選択を迫る戦い方だ。黒い円の生まれる先などから相手の位置を読み取る心理戦に本来ならば発展するはずだが……“黒の一剣”はそれを許さない。
優雅さとは程遠い速度とテンポでサルムを
練達の騎士として打開策を探るサルムはあることに気付いた。体が動かなくなってきている。いや、そもそも……これまでなぜ自分は動けていたのか。認識がわずかに戻ったことで心さえ軋み始めた。
それら全てが黒の騎士の思惑通り。穴から飛び出た不規則な突きでありながら、サルムの筋肉を動かしている部位のみを狙って切断してのけていた。獲物を必要以上に刻むような嗜虐趣味などではなく、単純に一方的な勝負にするためだ。
なにせ相手は改造を施されている。その原理などはツコウの知るところではないが、真っ当に戦えば隠し玉の一つや二つ繰り出してくるだろうと、どこかにいる敵の思惑を超えるためだ。
全身を刻んだ後、一気に勝負に出る。
『そこだ。喰らえ、“一剣”』
サルムから血しぶきがあがる。めくらましを兼ねた上で、肋骨の代わりに差し込まれていたらしい刃物が飛び出す。さらにサルムの腕は異常な音を立てながら、倍の長さまで伸長した。
「お前はやはり阿呆だな。多少は内側が見えたぞ……実に小賢しい性格だ」
ツコウの行動に変化は無かった。前へと突っ込んでいく。
違うのは速さ。普通の騎士を遥かに超える速度の踏み込みであり、
そう……ツコウは自身の能力を低く見せるため、最初から実力を隠していた。言葉にすれば簡単だが、騎士を基にした改造人間の身体能力が“一剣”に近いのだから並大抵の精神力では無い。
相手の思惑全てを力尽くで跳ね除けて、無傷のままサルムとすれ違う。
「できるのなら、そんな姿になる前に決闘でもしておくべきだった。さようなら、サルム。俺の同胞よ」
それはいかなる術理なのか。すれ違う一瞬で首のみならず全身を分割して、ツコウは勝利した。魔導具による切断に加えて、全身に仕込まれた罠の数々を一瞬で看破し破壊する。
“黒の一剣”が誇るは圧倒的な身体能力と感覚。ただ強いから強いという度し難さから来ていた。