目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第52話 ボレアは続く

 ボレアの王城は閑散と静まり返っていた。最大の成果の後の大敗だ。そうもなろう……というところだが、実際は違う。老練をもって他国にも名前を知られるカーネ将軍はこの静けさに恐怖を感じ、その情動とは正反対にもっとも守るべき王がいる玉座を目指して歩いていた。



「……獅子身中の虫などと、生易しいものでは無かったか」



 どこにも誰もいない。兵がいつもいる暖炉間も、将官が詰めるサロンにも人が見当たらないのだ。このような異変は最上位冒険者や高位騎士にも、最強の戦士にもできることではない。心当たりは一人だけだ。

 足早にたどり着いた門にも守り手はいない。不安は確定している。それでもカーネは確認するしかない……それが役目だ。普通は4人がかりで開ける扉をカーネは一人で押し始めた……門が鉄の音を軋ませながら動いていた。カーネの四肢は筋が走り、若かりし頃の動きを一時的に取り戻してみせた。


 開けた先には玉座の間があり、そこには予定通りとはいかない光景があった。



「おお、カーネ。良かった。声を枯らして呼んでも誰も来なんだ。かようなことは初めてじゃ……すまぬが侍女に申し付けて白湯を頼んでくれぬか?」

「わが王。ここに来るまで誰一人として姿を見ませんでした。白湯は後で私がお持ちするとして……黒装束はどこに?」

「黒装束? 誰じゃそれは?」



 光景どころか、物事すら上手く運ばなかった。王は最近の出来事を何事も覚えていないようだった。口うるさい老将に親しげな雰囲気を見せていることからも、それがうかがえた。

 あの者は何だったのか、何を狙っていた……? まさかボレアを操ってケイラノスを落とせると本当に信じていたわけではないだろう……その時カーネは腹部に熱を感じた。



「ここです。カーネ将軍」

「きさっまぁ……!」



 針のような得物が完全にカーネの臓器を貫いていた。暗殺者を思わせる見事な角度だった。

 しかし剛強の老将軍はそんなものでは止まらない。死は決定するが、逆に言えばそれでもまだ戦える。黒装束の首を掴み、壁へと向かって突進した。

 石材にすらヒビをいれる突進。さしもの怪人もこれには痛痒を覚えたのか、大きく咳き込む。



「骨を砕くつもりで食らわせたが……! やはり化生か、貴様!」

「怪物はアナタの方だ。私の肉体にこれほどの衝撃を与えるとは……待っていた甲斐があったというもの」

「なに?」

「私の狙いは2つ。国を使っての実験……そして、アナタを手に入れることだ」



 老将の押さえつけは単なる力任せではない。その状態から相手の反撃……力を込めることを阻害する体術だ。一般的な技術だが、老練の者が用いるのでは精度が違う。込めるどころか動くことすらできないはずだが……将軍は突如の激痛にみまわれた。

 黒装束の自由になるわずかな部位である指先が、つまむような動作だけで将軍の甲冑をひしゃげさせ始めていた。



「ヌッ……くぅ。この程度で私をどうにかできると思うてか、化生」

「無理ですね。無理だからこそ、私はあなたを手に入れるのです。頑強なボレア兵を素体にしようとも、ケイラノスと“一剣”には全く通用しなかった。少なくとも身体能力的にはほぼ同じだったはずなのに」



 配下が一人もいないボレア王は脂汗と共にその戦いを見守ることしかできない。愚かなことをした王であるが、従うもの無き王ではもう愚かなことさえできないはずだ。視界の中で手をまごつかせている王を、黒装束は無視することにした。



「恐らく彼らは宿命や運命に愛された存在だ。倒そうというのなら事前準備が万端でも、物語のように蹴散らされる。そこで、アナタだ。英雄に対抗できる存在がいない? 簡単な方法があるじゃないか。最初から英雄たる者を走狗にしてしまえばいいだけのこと」

「貴様!」

「なに、心配はいらない。ここでの施術は実に有意義だった……忠誠の対象が変わるだけで、アナタはアナタのままさらなる高みへと登る」



 特にサルムという個体への実験は有意義だった。生前の意識を残したまま、完全に操ることに成功した。加えてサルムは最強の騎士を相手へのある程度の拮抗、そして遠隔操作と多方面での成功例だ。

 当然、次の精度は更にあがる。上がり続ける脅威度に対して、ケイラノスがどうでるか……どう出ようとも黒装束たちを敵だと認識しなければならない。


 黒装束――アルゴフの弟子たる“調整者”クレトは珍しくもかすかに笑う。


 鳴り響く鉄靴の音。少なくともカーネを相手にした勝負において勝利は決まっている。王城にいた戦士たちはすなわち最精鋭であり、文官達もまた最高。愚王を抱えながらボレアという国が長く存続したのは、下が優秀だからだ。

 クレトにとって、ボレア国はまさに宝の宝庫だった。



「お前たち……」



 共に戦ってきた仲間たちが、徐々に迫ってくるのをカーネは悲痛な顔で見ている他はない。品がない男たちとは反りが合わないことが多かったが、それでもこの結末はあんまりだろう。己ではなく既に変わってしまった者たちを憐れむ。

 瞬間、誰もが予想していなかった事態が次々に起こった。



「カーネ!」



 ボレア王がクレトに体当たりを仕掛けて、カーネを救ったのだ。

 確かに重さだけなら体格が良いと言える体が作った衝撃が、カーネに対する拘束を緩ませた。操作された改造戦士達も、クレトがボレア王を何もできないと見切っていたために何もしなかったのだ。


 その一瞬で、カーネは剣を抜き下から思い切りの良い切り上げを繰り出す。奇跡はそこまでだったのか……クレトには紙一重で届かず、魔術師はふわりと窓際に着地した。



「黙っていれば、玉座に居続けるという選択肢もあったものを……墓穴を掘ったな愚王。自分の配下に殺されることは変わりない」

「そうだな。流石の私も王を連れては戦えない」

「ならば……」

「しかし、王の行動は愚かではない。お前の計画をズラして見せた。戦場で一手でも意表を突かれればどうなるか……まぁ教えてやるのは私だけではないがな」



 誰も意識していなかったはずの、玉座の大扉が吹き飛んだ。

 巨大な鉄の塊が倒れる音が空気を揺らす。その意外さに全ての者が呆然とした。例外はカーネただ一人……そもそも彼はこの時のために王城へと来たのだから。



「最高の敵を狙っているところに、招集とはどういうことだ。手切れに文句を付けに来たが……面白いことになっているなぁ将軍様」

「辞める時はしっかりと筋を通すものだ。用心というのはしておくものだな……この歳になってようやく実感した」



 カーネを取り囲もうとしていた改造兵達がまとめて叩き斬られる。応援に間に合う速度、さらには歴戦の戦士を改造した手合すら鎧袖一触の剣技。



「ボレアの英雄は私ではない。見誤ったな黒装束」

「誰が英雄だ。そんな下らんものになった覚えは無い……で、手切れ金にコイツらをなで斬りにすれば良いのか?」



 先日まで戦場にいたはずの狂戦士ペグマが乱入した。文字通り、駆け続けてここまでたどり着いたのだ。その異常さをカーネはよく知っていたが、王はこんな戦士の存在を知らなかっただろう。

 昇進も罰も全てを大剣で蹴散らしてきた男の存在は、ここに来て最高の隠し札となった。



「いや、ペグマ……すまんが事情が変わった。王を連れて行け、亡命先はケイラノスだ」

「はぁ?」

「本来はもっと違う手が打てていただろうが、今日の事態を私は全く知らなかった。ゆえにこの様だ。策として成立したのはお前の登場だけ……無能のツケは命で払わなければならない。しかし、悪くない条件だ。私の命はどのみち今日終わる」



 最初に黒装束から受けた一撃がそもそも致命傷だったのだ。おぞましい魔術師に身を委ねれば、それも治るのだろうが……そんなことは嫌だ。絶対にしたくないという我欲が生真面目な男から溢れ出る。



「ここは任せて行け」

「ふん。まぁそのぐらいの気まぐれは起こしてやろう。ではな将軍様。できれば俺の剣で斬りたかったのだが」



 ペグマは王の重量を片手で掴んで、一瞬で走り去った。振り返りもしなかったボレア最強に、自由の素晴らしさを感じつつカーネは剣を構えた。



「お前の手駒にアレを止められるものなど居はしない。計画が無意味に終わった気分はどうだ?」

「無意味? アナタを傀儡にすることは既に覆せないというのに?」

「虚勢だな。アレを知らんのは無理もないが、世の不条理というものだ。私を改造させたところであの男より強くなりはしない。そして、それを私はケイラノスへ行かせた。差し引きは赤字だ。己の杜撰さを嘆くが良い」



 後は王次第だ。カーネは正直なところ、王を信じたのは今日が初めてだった。しかし、王が配下のために身を張った姿を見て気が変わった。形は変われどボレアは続くことになることを夢見ることができた。英雄と王を討たない国盗りなど、何の面白みもなかろう。


 命ある限りの嫌がらせとしてカーネは長剣を振り上げる。それだけで刺された穴から血が吹き出したが、そんなことはどうでもいい。玉座の間に集まった、哀れな同僚たちを残らず叩き切るという最大の妨害を完遂して将軍は眠りについた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?